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朝早い時間、まだ研究所にいる人が少ない時間帯。
ペトラは自分の研究室のドアノブをつかもうとして違和感に気づく。
ーー誰かドアをいじった?
仕掛けていた魔術に違和感を感じる。
ドアノブに仕掛けられていた魔術に違和感がある。
魔術が壊れてるわ。
身につけている攻撃と防御の魔道具を確認し、ゆっくりとドアノブを回した。
昨日と同じ風景だ。
ペトラは常に万が一を考えて、退勤時は必ず作業場を綺麗に片付けてから帰る。異変があった時にすぐに気づけるように。自分が狙われる立場であることを自覚しているから。
研究室の電気をつけ、誰もいないことを確認する。
隠れられるような場所はないはずだわ。研究室の引き出しも全て破られているわけではないから大丈夫。ハイモア様に相談しよう。
ペトラは研究室から出て急足でハイモアの執務室に向かった。
***
「ペトラ!」
キエルが慌てて研究室を訪れたのは昼過ぎのことだった。ペトラの研究室にはハイモアがいて二人で状況を確認しているところだった。
「キエル、どうしたの?」
「ああ、私が連絡したんだ」
ハイモアは言う。
「本来なら警備を呼ぶべきだけど、今君が取り扱っているものを考えると迂闊にここに入れたくなくてね。かと言って警備の観点は欲しい。だからキエルを呼んだんだ。ペトラ、彼にならこの部屋の防御の仕組みを話してしまっても構わないよ。たとえ拷問で四肢が切断されても口を割らないし、自白剤も効かないだろうから」
「たとえが物騒すぎます」
「まあ要はそれだけ信用に値する男だってことだ」
ハイモアは茶化す様に肩をすくめた。
キエルとハイモアは随分とお互いを信頼しているようだ。キエルが自分と同い年に対して、ハイモアは自分よりも12歳年上である。
いったいどんなことがあれば、お互いをここまで信用できるのだろうかと興味深くもあり羨ましくもある。
私ですらハイモア様とこんなに打ち解けていないのに。
尊敬する上司との距離感に少しだけ嫉妬心を抱いてしまう。
「ペトラ、キエルに説明してあげて」
「はい。昨晩から今朝の間に誰かが私の研究室に侵入した形跡があったの。取られたものはなさそう。取ろうとした形跡はありますが、二つほど引き出しを開けて諦めたみたい」
「開けた引き出しには?何も入れてなかったのか?」
「ええ。この研究室の至るところで、開発中の魔術を試運転していて細工がしてあるの。
引き出しにも魔術がかかってるわ。防御の魔術を破って引き出しを開けた場合、中身が他の引き出しに移動するの。何かを取ろうと思ったら、この部屋の引き出し全ての防御魔術を一つづつ破らなくてはならない」
聞いたこともない高度な魔術にキエルは驚いたような表情を見せる。
それもそうだと思う。
長い間考えに考え、もっとも侵入者の心を折るにはどんな方法が良いだろうと思考した結果できたのがこのシステムだから。
一つ一つは諦める一歩手前くらいで解ける。でも全てを解くには割と時間がかかるし、魔術の種類も変えてある。
侵入者は「もしかしたら次は何か有益なものが入っているかもしれない」という気持ちで時間が許す限り、引き出しを開けようとする。滞在時間が長ければ長いほど、侵入者は証拠を残しやすくなるって警備の人が言ってたからこの仕様にした。
ちなみに、最後とその一つ前の引き出しは難易度をかなり上げてある。
我ながら随分と性格の悪い防衛システム。
仕組みがいやらしいのでキエルに話すのは恥ずかしい。
「この部屋は未発表の魔術や魔道具で守られてるの。そういう意味で一番守りが硬いの」
「じゃあ、犯人はどうやってドアを開けたんだ?」
そんなに守りが硬いなら侵入も難しそうだが、とキエルはいう。
「魔力でゴリ押ししたみたいだよ。ドアの魔術だけは研究所が用意した魔術なんだ。
他の研究室にも同じものがかけられる。突破方法もみんな知ってる。
過剰に魔力を流し込むと壊れるんだ。その代わり魔力切れギリギリまで魔力を消費するけどね。この時点で犯人は結構絞られるんだけど」
入り口の魔術に欠点を残しているのはあえて、だ。
研究者は私生活がだらしないものが多い。
自分の設定した鍵のパスワードを忘れたり、物理鍵を紛失してしまったり、というのが日常茶飯事なわけで。その度に魔術を書き換えたり、物理鍵を再発行していては経費が嵩む。
幾つかの規則の変更を経て、最終的に今のドアに欠点を残した形で防御の魔術をかけるところで落ち着いた。
まあ、そういうカッコ悪い理由で魔力を過剰に流し込めば鍵が開く仕様なのだ。
それ以外の防御は本人たちで行うか、機密用の個人ボックスに収納するのが決まりである。
大抵は実験がてら前者を選ぶ。
人によっては過激なタイプもいるので、中に入ればトラップが発動し侵入者が治癒院に緊急搬送されるほど丸こげになる場合もある。(実際二週間前にあった)
だから研究所内の職員は絶対に、どんなに親しくとも、自分以外の研究室には足を踏み入れない。
研究室にはどんな罠が待っているかわからないし、相当な魔術師でも死ぬ可能性があるのだ。
「そんな説明はさておき」とハイモアは机に小さな魔道具を置いた。
シンプルな手のひらサイズの箱だ。ベージュ色の滑らかな見た目をしていて、一見するとそれが魔道具とはわからない。
「今回の犯人が誰かはこの中だよ」
「これは?」
「記録の魔道具。昨晩の映像がここに残ってるはず」
かちり、と底にあるボタンを押すと空中に昨晩の映像が流れ出した。
ペトラが昨晩の勤務を終えて退出するところから映像は始まる。
退勤から2時間後にドアの外で大きな音がして一人の男が侵入してくる。
数分間部屋を物色して何もないのがわかると、何かの魔術を発動させ、それから引き出しを開けにかかった。
数時間かけて二つの引き出しの魔術を解読し、二つとも空であることを確認すると静かに研究室を出て行った。
「彼は、誰ですか?」
尋ねたのはペトラである。
ドアの魔術を破ってきたことや、慣れた足取りからして研究所職員のような気がするけど。
あれ、こんな人研究所にいたかしら?
見覚えのない男性。自分と顔見知りの男性はごく少数で、その中の誰にも当てはまらない気がする。誰だろう。
「え?ペトラ、本気?確かにフードをかぶっていて顔はわかりづらいけど」
ハイモアの反応を見てペトラは首を傾げる。
この感じだと私の知っている人なんだろうか。
まるで見当がつかない。
「エヴァンですか?」
「違うよ!エヴァンは勤勉でこんなことするはずないだろう!」
「カーティス?」
「身長が全然違うでしょうが」
「モリアさん?」
「モリアは研究所の警備員なのにこんなことしたら大事だよ」
「すみません、わかりません」
というとハイモアはああもう!と頭をかいた。
参った。本当に誰かわからない。両手をあげて降参のポーズを取る。
「カーターだよ!カーター・ロンド!君の元婚約者だろう!」
カーター、カーター、ああ、そういえば元婚約者はこの施設で働いていたかもしれない。
入職時にちらっとだけ聞いたような気がする。でも配属先を聞いて、接点がなさそうなので記憶から消して居た。
ええ?
なぜ彼が数年前に婚約解消した女の研究室にわざわざ侵入するんだろう?
「ハイモア、彼女の元婚約者はここで働いているのか!?」
キエルがやけに焦った様で尋ねる。
カーターがここに勤めていることは思っていたよりもよくない状況なんだろうか。
「ああ。でも研究職ではないよ。備品庫で備品の管理をする仕事のはずだ」
「研究室エリアに入る権限は?」
「夜間はない。けど昼間はこのエリアは開放しているから、昼の間に研究室エリアに入っておいて、夜まで待てば映像の時間帯にここに忍び込むことはできるね」
「ああ、確かにカーターなら入り口を突破できそうですね。引き出しの魔術を二つ解除、というのもわかります」
「彼は優秀なのか?」
「魔道具より魔法の才能の方があるくらいだよ。どうしてこの研究所に志願してきたのか不思議なくらいだ」
ハイモアは言いながらペトラを見る。そしてキエルも。
どうして二人とも私をみるんだろう?
「カーターを捕らえるか?」
「そうだね、でもできれば穏便に。規則に則ると解雇がせいぜいなところだから」
「そうですね」
その後はキエルとハイモアが素早く動き、カーターは密かに、そして速やかに捕えられた。