-2-幻想邂逅
体を焼きつかせようとする日差しを隠してくれる、心地よい曇り空。
島中を漂うこの島特有の香りのする風。
(ん…いい風)
その人影はいつもの石碑の前に立ち、今日も平穏であるように、と祈りを捧げた。
少し背伸びをし、今日の仕事を始めようと歩みを進めようとした時、見慣れない木材や瓦礫を見かけた。
(いつもの、石碑の神様への捧げ物?…ううん、そんなこと、ないよね…これは船の残骸、なの?)
近づいて様子を見ていると、何か音がする。…うめき声のようでもあり、不協和音のようでもある。
怪しみつつも、正体が気になり、そのものへ更に近づく。
すると急に体を掴まれ、思わず悲鳴をあげてしまった。
「bbfs@bq@???gnf<bbkvst>rjuet@qr:wh;ueq@_4t」
体を掴んできたそのモノから、声のようなものが聞こえるが、何を言っているのかまるで理解できなかった。
だが、程なく動かなくなり、何も言わなくなってしまった。
体につかんできたその手を解こうにもガッチリと握られたままで解くこともできず、仕方なく自分の住居へ引き摺って帰ることにした。
「ぐむ…」
男は呻き声をあげた。頭が重い、思考力が低下している感じがする。まだ幾分か、頭にノイズが走る。
顔を上げると、周りが霞んで見えている。どうやら、あの嵐で少し感覚器官がおかしくなっているようだった。元々糸目をさらに細める。
ぼんやりした視界に、白く、ぼんやりと照らされた薄明かりの中で、美しい少女の様なシルエットが見えた。
彼女は服を着替えているところらしく、カーテンがわりの薄布の向こう側でもぞもぞと衣を体に纏わせている。
シルエットだからか、まるで両の腕がなく、代わりに翼があるかのように見えた。その姿はあのサモトラケ島の女神、ニケのようでさえあった。
(いかん、目が霞んでいるからいいようなものの、女性の着替えを眺めるなど…いや女性かどうかもよくわからんが)
男は急いで顔を逸らし、自分の手が彼女?の足をつかんでいることに気づいた。
(それでモゾモゾと着替えにくそうにしておったのか…)
すぐに手を離し、背を向けてから話しかけた。
「すまん、君が助けてくれたのか。私は難波 仙一郎というものだ。
船が嵐に巻き込まれてしまって、海に投げ出されてしまったようでな…助かった、礼を言う」
薄布の向こうのその人と言うと、仙一郎が彼女の着替えている最中に目覚めたことに激しく動揺し、悲鳴をあげた。
「kyaaa!thik/ri/ru/RI/Ra///!!!」
仙一郎は慌てて、彼女を宥める。
「いやすまん、見てはおらん、見てはおらんぞ。私はどこぞぶつけたのか、目がよう見えんでな、いや信じられんかも知れんが」
人影は息を荒げながらも、急いでなんとか着替えを終え、仙一郎の方を見た。
謎の男はずっと自分を掴んでいた手を離して、背を向けている。何か話しかけてきているが、言葉の意味がわからなかった。
だが自分を襲おうとしているわけではなさそうで、少し安心した。
「申し訳ないことをした、許してくれとは言わんが、なんとか落ち着いてもらえないだろうか」
「…もしかすると、私の言葉はわからんか、どこぞ異国にでも流れ着いたか?…ふむ」
仙一郎はお互い言葉が通じていないことに気づき、彼女が着替えを終えたのを察してから少女に向き合い、自分を指差して名前を繰り返した。
(ナンバ・センイチロウは長いだろうか。名字だけにしておこうか)
「ナンバ。…ナンバ。…ナンバ」
「numb?」
「ナンバ。」
「nぁmubぁ?」
「ナンバ。」
「なァん・ばr?」
「ナンバ。」
「なんば!」
仙一郎は手を叩いて、大きく頷いた。そして少女を指差し、「ん」とだけ言って促した。
だが少女は戸惑った様子で、両の手で人差し指をクルクルと回しながら口ごもった。
(伝わっていないのか。いや、言いにくいかも知れんか。怪しげな異国の見知らぬ男に名乗りたくないのかも知れないが・・・)
そのあと、何度か繰り返すものの、少女が自らの名を名乗ろうとはしないため、指を指して、仮にニケ、と呼んでみる。
ボヤけた仙一郎の目には彼女が今もサモトラケのニケとダブって見えるほど美しかったからだ。
「ニケ」
すると少女は驚いた様子で首をブンブンと振り、「tiki!tike!li!tike…!」と抗議し出した。
「ニッキー?」
「tikeli…!」
「ティケ?」
「Tekli…!」
(毎回違うようにしか聞こえんのだが、アクセントが違うのかも知れない、難しいものだな・・・)
何度かの繰り返しの果て、仙一郎は言った。
「ティキ?」
すると彼女も首を縦に振り、満足そうにする。
それを受けてお互いに「ナンバ」「ティキ」と呼び合い、お互いの名前であることを確認した。
それから、二人はお互いにそれぞれのものを指差し、これはなんと言うのか、お互いにすり合わせていき、お互いの言葉を理解して行った。
もっとも指し示すとは言っても仙一郎は事故の影響か視界がぼんやりしておりなんとなくで、だったが。
目は少しづつ調子を取り戻してはいったが良好とは言えないため、仙一郎は一日の大半をティキの家の中で過ごした。
その間ティキと話す事に時間を使い、次第に彼女の言葉を理解して行った。
「ティキの話す言葉?これはね、スレイ語」
「スレイという国なのか?ここは」
「よくわかんない。ティキ、ずっとここにいるから島の外行った事ないの」
「……この島にはティキ一人なのか?他の住人はおらんのか?」
ティキは一瞬寂しげな表情を見せたがすぐに明るく微笑む。
「ティキだけだった。でもそれが普通だから何も不思議じゃなかったの」
「でも今は一人じゃないよ?だってナンバ…センイチローがいるもん」
自分の存在が彼女の微笑ませた事に仙一郎は嬉しくもあり、いつかは去らねばならない事に申し訳なさを感じる。
「そうか…」
(その少しの間でも彼女の慰めになればいいが)
仙一郎はくったくなく微笑む彼女を見て思わず頭を撫でるのだった。