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 私が話したかった事は全て話したように私は思います。さぞ、中身のない、ちんぷんかんぷんな話と思われた事でしょう。私も、そう思います。

 

 私はきっとこの町で生きて、死んでいくでしょう。そんな気がします。

 

 この町はどこか、時間が遅れているようなところがあって、私は嫌いではない。夫もおそらくこの町のそんなところが気に入っているのでしょう。

 

 私も夫も何の才能もなく、夫の言うような、荒れている世界に全くついていく事のできない、時代遅れの、化石のような夫婦なのだと思います。更に言えば、それはごく平凡な日常を全うしている、「ちゃんとした家族」「きちんとした家庭」ですらないように私には思われます。

 

 他人から見ればそんなところもあるのかもしれませんが、私達はあたかも世界の裏側で生きているように生きている。私にはどうしても、そんな気がするのです。

 

 それを、裏側から海のリズムが支えている。自然の、海のリズムが私達の人生の無意味さに、微かに拍子を与えている。そんな気もするのです。私達の情けない人生に、何かしらの意味があるように感じるのはそんな時、昼下がりの何もない時間にふと、海の音が聞こえてくる時、そうした瞬間です。

 

 私達の人生や、選択が間違っているのを私達は知っています。自分を肯定する事、競争する世界に飛び込み切磋琢磨する事、懸命に働く事、外国語を学び、世界に通用する人材になる事、新しいテクノロジーを使いこなす事、資格を取る事、動いていく世界についていってひとかどの人間になる事ーー全て、私達が手放したものです。

 

 私達はもはや"人間"ではないのかもしれません。成長しろ、自分自身になれ、自分を肯定しろ、自分の価値を高めろ、と世の中は言います。ですが、私達は、誰しもがそんな風にならなければいけない、そう思われるような「自分」というものをとうに捨ててしまいました。

 

 私達は世界についていけませんでした。疲れて、もう追いつけません。私達は諦めました。人間である事も、自分である事も。

 

 それでも私達は生きています。

 

 私達はそれでも、生きています。人から見たら何の意味もない人生でしょう。子供もできないですし、大した経済的価値を生んだわけでもありません。

 

 あるいは、人は私達を「平凡な家庭でも、立派に生きたからいいじゃないか」と言うのかも知れません。紋切型の文句で、私達の人生をそんな風に意味づけてくれるのかもしれない。だけど私はそれも拒否したい気持ちです。私達には、私達にしかわからない、そういう人生の実質というものがあります。それは容易に人に語れるものでもないし、また、紋切型の文句で片付けられるようなものではないと思っています。

 

 私達は生きていますし、何の意味もなくても生きています。ただそれだけの事です。

 

 私の夢は、この古びた町で、海の音を聞きながら年老いて死んでいく事です。死ーーそれは今の私には怖いものではありません。むしろ、昔、忘れた古い友だちと再び会うのを楽しみにする、そんなような気持ちです。

 

 私はそんなですから、幸福な人だと言っていいのかもしれない。ただ、気がかりな事が一つだけあります。それは、夫に先に逝かれる事です。これについてはいつも夫と喧嘩になります。夫はいつも言います。

 

 「お前は女だから僕より長生きだよ。先に逝くのは僕の方さ」

 

 「周ちゃん、怒るよ。それだけは、私許さないから。化けて出るからね!」

 

 冗談口調ですが、割合本気です。夫に先立たれる、それだけは私は回避したいと思っています。その為にも、夫には長生きしてもらいたい。一人でいるのなら、死んだ方がましだと私は心の中で密かに思っています。

 

 先に死ぬのは絶対に私の方です。私はいつも、そんな光景を夢見ています。皺くちゃになった婆さんを、皺くちゃになった爺さんが抱きかかえる、婆さんは爺さんの目を見ながら、息絶える。そんな姿を私は夢想します。私はきっと、そんな風に死ぬのだろうと思います。私はあの世へ先に行って、夫に少しは寂しい想いをしてもらおうと思っています。

 

 その後、もし夫が他のお婆さんとくっついたり、若い子と結婚したりしたらーーその時は、絶対に化けて出ようと思います。海のお化けとして、夫が海を見ている時に、海中に引きずり込んで、殺してしまおうと思っています。…私としては、それくらい夫を愛しているという事です。

 

 この愛が、世界にとって何の意味もなくても私としてはかまいません。私はただそういう人ですし、ただそれだけ、そうするというだけの事です。夫が、私を愛しているか、それはわかりません。もしかしたら、全然愛していないかもしれません。…その可能性は大いにあります!

 

 それでも、私はそんな夫を愛し続けるでしょう。海を見て、隣に誰がいても目をくれない、ダメな夫を。夫と私はおそらく、そういう風に生きていくと思います。そしてこうした事の全てが、全く何の意味も、価値もないのだとしても、少なくとも私達はそう生きているし、生きるでしょうし、それが私達の"人生"だという事です。

 

 そして何の彩りもないこの人生にも、海の青と、寄せては返す波のリズムが、ほんの少しばかり、いくらかの豊かさを付け加えている。私としてはそんな風に考えてみたいのです。おそらく夫もそんな風に考えているのだろうと思います。というか、その為に夫は海の近くに越してきたんじゃないだろうか?、そんな風に考える夜も私の中にはまた存在します。


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