夫
私の夫はそんな人です。私はこれからも夫と一緒に居続けるでしょう。
最後に付け加えたエピソード…夫が夜の海をじっと眺めていた事、それはきっとこの文章を読む方には、何気ない、平凡なエピソードに思えるに違いありません。ですが、私はあの時の、夫の海に対峙し続ける姿を思うとどこか空恐ろしいものがあるように思えてなりません。
それはきっと、ある種の無惨なもの、悲惨なもの、現実のできごとではない、異質な、異常なもの…そういうものに繋がっている気がするのですが…ですが、私では、とてもうまく言い表せません(もっとうまく語れる人がいればいいんでしょうけど)。
その事があってから、私は、一人で夜の海を見に行くのはやめて欲しいと夫に懇願しました。それだけはやめて欲しい、と。夫ははじめ、渋った態度ですが、やがて諦めました。「わかったよ、夜はやめとこう」
夫はその後もしばしば、一人で海を眺めに行っているようです。近所の知り合いから聞いた話だと、わざわざ、砂浜の人のいない方へと行って、ひとりぼっちで海を眺めているそうです。そんな姿を目撃したと聞いた事があります。
私は、何故夫がそんなに海を一人で見たいのか、今になっても理解ができません。「私も一緒に見るよ」と提案した事もあります。それなら、不安ではないですから。ですが、夫はにべもなくその提案を跳ね付けました。
「悪いけど、たまには一人で海でも眺めなければ気が狂っちゃうよ」
夫は言葉尻を冗談めかして、笑いながら言いましたが、私には何だか、冗談のようには思えませんでした。それで、私の方が折れました。
夫は、そんな人で、変わった人です。変人と言ってもいいくらいです。
夫はたまに変な事を言います。この間も変な事を言っていました。
「世界は荒くれているけど、僕らは静かなものだね」
「あら、周ちゃんは、荒れた世界に興味があるの?」
「…さあ。でもさ、変だよ。お金を持ってたら投資しなきゃいけないし、生きていたら活動しなければならない。生きる事が忙しいよ。忙しすぎて、荷が重いよ、僕には。きっとこの世界はいずれ、加速のしすぎで潰れてしまうよ。速く、速くと走りすぎたせいで、童話の虎のように、いずれはバターみたいになって溶けてしまうんだ」
「相変わらずわけのわからない事を言うのね?」
「…僕は幸福なんだよ」
…奇妙な夫であります。




