第2幕三章
前回の続きです
終電が過ぎた平和台駅周辺に人通りはほとんどなく、終電を逃した人間が路上で眠ったりしているのを除けば、誰もいないと言っていいほどだった。
そのため、辻は周辺のマンホールを調査することに専念出来た。山之内が二年前、平和台駅のどのルートを歩いたかは、当日の駅周辺の防犯カメラ映像から大方割り出すことができ、その周辺のマンホールを1つずつ調査した。しかし、どのマンホールも気になるようなものはなく、どれが山之内が発見したものであるか分からなかった。
しかし、とある路地にあるマンホールを調べていた時、違和感を感じた。それはマンホール自体にではなく、誰かに見られているという違和感であった。辻は、歩行者がいないか、尾行していないかについて、細心の注意を払っていた。そのため、視線の主を探そうとし、警戒した。
すると、後ろから
「すいません、ちょっと良いですか。」
と言う男の声とともに、辻の肩に手を置かれた。振り返ると、そこには制服を着た中年の男性警官がいた。
辻は警戒して、瞬時にすぐに距離をとった。
気配を全く感じなかった...
「ちょっと、警察です。逃げようとしないでください。」
男性警官は少し警戒したような顔をする。
思案して、辻は口を開いた。
「すいません。マンホールに指輪を落としてしまって。夜中なので急に話しかけられたもので驚いてしまいました。」
辻はいかにも無害で怯える一男性を装った。すると、それが功を奏したのか、先ほどまで緊張し強張っていた男性警官の口元が緩んだ。
「そうでしたか。それは失礼しました。現在、職務質問をしておりまして、身分証明書を見せていただいてもよろしいですか?」
「はい。わかりました」
辻は財布をポケットから取り出すと、偽造した運転免許証を渡した。
「安藤 良さんですか?」
「そうです。」
「失礼ですが、ご職業は?」
「ルポライターをしています。」
「なるほど...」
男性警察官は免許証をしげしげと眺めながら言う。
「ところでなんですが」
今度は辻から話しかけた。急に話しかけたためか、男性警官は驚いたような表情を見せた。
「お巡りさんこそ、なぜこんなところに」
「え?だから職務質問を...」
男性警官は困り顔を見せるが、辻は表情を変えなかった。
「ここ巡回ルートじゃないぞ」
辻の口調が変わった。
「この周辺の警察の巡回ルートは頭に入ってるが、あんたはそれから外れてる。」
「頭に入ってるって、君、ちょっと...」
「それから言っておくが、この辺を巡回する警察官は20~30代の警官二人で、お前は50代〜60代で一人。」
男性警官の顔がみるみる歪んでいく。
「何を言っているかわからないが、怪しい行動が多い場合には逮捕することも厭わないぞ」
男性警官は少し怒り気味に発した。しかし、辻は意にも介さず冷静に指摘した。
「靴下と裾の間。見えてるぞ。」
辻が男性警察官の足元を指差した。制服の靴下と制服のズボンの裾の間から少しだけ覗かしていた素足には、刺青が入っていた。
「チッ...!」
男性警官が舌打ちをすると、顔の色を変えて素早い動きで、手のひらを辻の顔の前に出した。
「ゼッ...」
男性警官の言葉を察したが早いか、辻は男性警官の腕をくぐると、男性警官の口に左手を押し当て、そのまま頭を掴んで、後ろのブロック塀へと強く叩きつける。
「うぐ!」
男性警官のくぐもったうめき声が辻の手の中で響く。そして男性警官の頭を掴んでいる手とは逆の手に、忍ばせていたサバイバルナイフを素早く装備すると、切っ先を男性警官の喉元に触れさせる。
「イエスかノーで答えろ。」
男性警官は突然一変した状況と激しい痛みで未だ理解が追いついていないのか、辻の解答に答えるそぶりもなく、もがき、暴れている。すると辻はサバイバルナイフを喉元から離した。しかし瞬間、男性警官の太ももに激痛が走る。
「うばあああ!!!」
くぐもった悲鳴が大きさを増す。
「よく聞け。今太腿を刺した。応急処置しなきゃすぐに死ぬ。だが俺の質問に答えろ。そしたら、通報し応急処置をしてやる。救急車が着くぐらいまでは生きてられるかもな。」
男性警官が辻の手の中で悲鳴を上げながらも激しく頷いているのが分かった。
もうあの時のようなヘマはしない。辻は男を押さえつけている手をなにが起きても離さぬよう強く握った。
しかし、その時男の口とは別の箇所から声がした。
「ゼッコウ」
それは男の声ではなく、低い女性の声であった。また、その声の発生源は男の腕からだった。この男は奇妙なことに、腕にもう一つ口があったのだ。
油断した...。
異変を認識した時には、既に体の全身の力が抜けていて、辻の身体は重力にさからえず、地面へと崩れ落ちた。
辻が崩れ落ちると、抑えられていた男性警官も辻に覆いかぶさるように、その場に倒れ込んだ。
男性警官はピクリとも動かなかった。しかし、男性警官の背中、制服の下で何かがモゾモゾと動き始めた。
しばらく動くと、男性警官の背中を、血飛沫を伴って白く細い2本の腕が突き破った。
突き破った2本の腕は男性警官の血で徐々に赤く染まり、2本の腕の間からは、血を絡めた黒く長い毛が伸びていた。腕は、ズルズルと少しずつ警官の中から出てきている。しばらくすると、丸い頭が出てきて、長い毛は髪の毛であることが分かった。次に胸、腹、腰、脚と、背中から出てきた腕は、やがて血に塗れた一人の裸の女となった。そして、その女の肌には、不可解な文字の入れ墨が彫られていた。
女は血溜まりの中ゆっくりと立ち上がり、血で重くなり前にかかった髪をかきあげると、男性警官の下で気絶した辻を見た。
「知らぬが仏って言葉知らないのかな、記憶消すだけですませられるかな?まあいいか。」
女性は男性警官へと近づく。そして男性警官の懐から透明な液体が入った便を取り出すと、指に数滴つけ、指を辻の口元へと近づけた。
「このことは忘れてもらおう」
女の指が辻の唇に触れようとしたその時だった。大きな破裂音と共に女の手首より先が吹き飛んだ。
「ぎゃっっ」
転がるように身をかがめ、後方にあった電柱の裏へと隠れる。しかし、また大きな破裂音がしたかと思うと、電柱がけたたましい音ともに、抉れる。
「銃...!?、くそっ!」
女は電柱に隠れながら、相手の様子を伺おうとするが、また破裂音がして、直ぐに身を引く。
これでは、何も出来ない...!
その時、女が足元の違和感に気づく。
これは、、、煙?
見ると、足元を白い煙が漂っていた。
まさか...!
急いで女は先ほど辻が気絶していた場所を確認するが、そこには煙が道を覆うほど発生しており、辻の姿を確認できない。
クソ
意を決して、電柱から出て煙の中へと入り、気絶した辻を探すが、どこを探しても見つからず、やっと煙が晴れてきた頃には、夜道に女一人だけが残されていた。
やられた...
女は歯を食いしばりながら、夜道に立ち尽くした。
ありがとうございました。