空き部屋の怪事
街に戻ったぼくたちは、食堂に入った。
ちょっと時間が早かったからか、店内はがらがらだ。お客さんはぼくたちと、ぼくたちの後から入ってきた二人組の冒険者らしい男たちだけだった。ぼくは二人分のランチを頼み、テーブルに水筒を出して、中のお茶をコップに注いだ。
リーネが入れてくれたハーブティーを一口飲んだところで、
「じゃあ、今日はこのままお休みにする。明日も、最初の予定どおりに休日。迷宮に入るのは、あさってにしよう」
「はい。わかりました」
「それでね。ちょっと相談なんだけど、あさって迷宮から戻ったら、ここを離れて、別の街に移ろうかと考えてるんだ。リーネはどう思う?」
ぼくは言った。突然の提案だったんだけど、リーネは意外にも素直にうなずいた。
「そうですね。それも悪くはないと思います。私たちのパーティーでは、迷宮というものは思ったほど、うまみがありませんから」
確かに、それは事実だった。二人だけのパーティーということもあって、迷宮の中で過ごせるのは、一泊二日が限度。となると、それほど深い層まではいくことができず、強い敵にも出会えないから、高いお金も稼げない、ということになる。今までは、三層の入り口付近まで行ったのが最深だった。無理をすればもっと行けるかもしれないけれど、迷宮で無理をするということは、それだけ死に近づく、ということでもある。
もちろん、実際の収入はというと、普通の依頼をこなすよりはいい。これは、前にも言ったとおりだ。だけどその一方で、迷宮での仕事はリスクが大きくなる。迷宮が「うまみがある」かどうかは、このリスクをどう評価するかによるだろう。「リスクはあるけど稼げている」か「リスクの割には稼げていない」か。リーネは、後者らしかった。ちょっと意外だったね。あの、軽装備のタンク的な戦いぶりからして、リスクをそれほど重視しない方かと思っていた。
「ここを出て、どこへ向かわれるつもりですか?」
「サレマーなんかどうだろう」
「ここから、さらに東の街ですね。確か、近くには大きな森があって、魔物が豊富にいると聞いたことがあります。街自体は小さい街ですが、冒険者にとってはいい場所なんでしょう」
「じゃあ、一度そっちに移ってみることにしようか。ダメなら、戻ってくればいいんだからさ。ただその前に」
テーブルにお皿が運ばれてきたので、ぼくは言葉を切った。出てきたのはやっぱり、ステーキ風に焼いた肉と固そうなパン。野菜は一切無いけど、この店の肉は、タレにニンニクっぽい薬味が入っている(本当はどんな材料を使っているのか知らないけど)ので、ぼくはわりと気に入っていた。
「一度、迷宮の奥の方まで行ってみたいと思ってるんだ──あ、ごめん。話ながらでいいから、食べちゃおう」
「迷宮の奥、というと、どうされるのですか。魔物よけの魔道具を買われるのか、それとも、臨時のパーティー加入者を募るのでしょうか」
魔物肉をおいしそうに頬張りながら、リーネが尋ねた。
「いや、そこまで本格的なことはしないよ。迷宮の『空き部屋』に泊まって、そこから奥に行ってみようと思ってる」
ルードの迷宮の一階層から二階層へ降りる通路には、一本だけ本筋から外れるような分岐がある。その、少し上り坂になっている道を進むと、小さめの小部屋に出る。「空き部屋」というのは、そこのことだ。いわば、迷宮の中二階的な位置にあるこの部屋は、なぜか魔物が少なく、魔物の巣になることもほとんどない。そのため、空き部屋と呼ばれているわけだ。魔物がいないのは魔素が少ないためで、魔素が少ないのは、深い層から昇ってくる魔素が、この部屋ではなく一層の方へ漂って行ってしまうためだろうと言われている。
こう書くと、冒険者の休憩に便利だと思われるかもしれないが、実はこの部屋、冒険者たちにもあまり使われていない。位置が中途半端なんだ。入り口から空き部屋までは、普通に進めば一時間程度でついてしまう。こんな所で夜営をしても意味が無いし、単なる休憩用としても、ちょっと入り口に近すぎる。そこを使うくらいなら、いったん外に出る方が安全だ。
リーネも、その点をきいてきた。
「ですが、あの部屋にはそれほど意味が無いのではありませんか? 迷宮の中で休むくらいなら、外で寝て早めに出発した方が、体は楽だと思います」
「そうなんだけどね。今回は、ぼくたちならどのくらい奥まで行けるのか、そこにはどんな魔物がいるのかを、一度くらいは試してみたいだけなんだ。だから一時間分だけでも、それなりの意味はあると思う」
「はあ。ユージ様がそうおっしゃるのなら、私はかまいませんけど」
リーネはあまり納得していない様子だったけど、それでも反対はしなかった。あまり意味はないけど、たいした危険も無い、と考えているのかな。
「じゃあ、そういうことで。ぼくはこれから宿に戻るけど、リーネは今日と明日、自由にしていていいからね」
「ありがとうございます。ユージ様も、足をケガされているのですから、お大事になさっていてください」
その日も次の日も、ぼくはリーネの言いつけどおりに、宿でゆっくりと休みを取った。朝食を食べたら朝寝、昼食を食べたら昼寝、夕食後にも早めに就寝。なんていうか、お決まりの行事をひととおり終えた後の、正月休みのような過ごし方だった。リーネはと言うと、いつもどおり街に買い物に出て、新しい茶葉を買ってきていた。今度は奮発して、紅茶を買ってきたのだそうだ。夕食後、部屋に戻って、そのお茶を入れてくれようとしたのだけれど、昼に寝すぎた身にはカフェインが効きそうだ。リーネとじっくり話し合いをして、ハーブティーにしてもらった。それでは、明日のために、おやすみなさい……。
◇
翌日、ぼくたちは予定どおり、ルードの迷宮に入った。
といっても、一日目は「空き部屋」まで行けばいいだけだ。どちらかというとその後が本番なので、あまり無理はしない。二層で軽く狩りをしたくらいで、早めに空き部屋に引き上げた。部屋の奥まった場所にテントを張って、食事と休みを取る。ここは魔物が来ることは少ないけれど、ゲームでよくある「安全地帯」というわけではないから、交替の寝ずの番は省くことができない。それでも、襲われる頻度は低いし魔物も弱いやつばかりなので、当番でない方は、わりとよく眠ることができた。
そして、真夜中を過ぎ、たぶん午前二時か三時になったくらい。ちょっとうつらうつらしながら寝ずの番をしていたぼくを、探知のスキルがたたき起こした。
十以上の反応が迷宮入り口の方向から現れ、こっちに近づいてきている。ぼくは急いでリーネを起こし、自分も剣を抜いた。
しばらくすると、その反応は空き部屋入り口に集結し、少しの間を置いて、一斉に部屋になだれ込んできた。ぼくらを逃がさないためだろう、取り囲むように壁状に並んでいる。その中央、ひときわ強い反応を示していた大男が一歩前に出て、大きな声で叫んだ。
「ユージ・マッケンジーだな! わが弟分、ダーレンの仇を取りに来た!」
発光石の淡い光に照らされたその顔は、銀の長髪に銀のアゴ髭。顔には深いしわが刻まれていて、年齢は四十代も後半くらいに見えた。細くすぼめられた目は凶悪な光を放っており、全身を包む山のような筋肉には、たるみのようなものはまったく見えなかった。腰には、そんな容貌とは似合わない、細かな装飾の入った大剣を提げていた。
大男は大剣を鞘から抜いて、縦に振った。ぶん、と大きな音が部屋に響く。ぼくはすぐに鑑定のスキルを発動して、彼のステータスを覗いてみた。
【種族】ヒト
【ジョブ】狂戦士
【体力】56/56
【魔力】9/9
【スキル】強斬 連斬 狂化 威圧 打撃耐性 大剣
【スタミナ】43
【筋力】59
【精神力】18
【敏捷性】3
【直感】5
【器用さ】1
かなりの強さだった。以前、ギルド長から話を聞いた、ぼくを狙っているらしい山賊の親玉。ダーレンの兄貴分で、たしか、ベルトランといったっけ。
目の前に現れた大男は、どうやらそのベルトランらしかった。