油断と真っ黒な空間
ジルベールの方針どおり、その翌日は、ぼくたち四人だけで村を出た。
森に近づくまで間は、特に何事も起きなかった。ただの静かな、田舎の風景だ。森への入り口までくると、大高は立ち止まって、念を押すようにぼくらに言った。
「では、よろしいですかな。入りますぞ」
ジルベールが持っていたポーションの類は、大高に預けられていた。一応はたった一人の後衛 (でも無いんだけど)ということもあって、なんとなくのうちに、大高がパーティーのリーダー的なポジションに収まっていたからだ。もっとも、戦闘中の指示を出すといったことは得意ではなかったので、主にジルベールとのやりとりをするだけの役割だったけど。
「ジルベール殿もおっしゃっていたように、安全第一で行きましょう」
「おれたちだけで、だいじょうぶかなあ」
「問題ないだろ。相手は今までと同じゴブリンだぞ。やることは、昨日までと変わらないんだ」
「そっか、そうだよな。今までだって、ジルベールさんに助けてもらったこと、一度も無いもんな」
新田の答に、黒木はうんうんとうなずいていた。だけど、そう言った新田も含めて、三人とも何となく不安というか、気持ちが浮ついているように思えた。なんのバックアップもない、正真正銘の実戦はこれが初めてなんだから、しかたがない。しかも、これから入っていくのは、異常事態が発生しているらしい森の中だ。ぼくは探知スキルをオンにして、周囲を警戒しながら進んでいった。
森に入っても、しばらくの間は、特に異常はなかった。鳥の鳴き声が聞こえ、ぼくらに驚いたバッタのような昆虫が、羽音を立てて飛び去っていくくらいだ。ところが、三十分ほど歩いたところで、前方にいくつかの気配を感じた。かなりの勢いで、こちらに向かって走ってくる。みんなに注意しようとしたけれど、そうする前に、大きな鳴き声が聞こえてきた。
「な、なんだ?」
鳴き声と足音は、どんどん大きくなってくる。探知などしなくても、何かが近づいてくるのがわかった。ゴブリンだ。六匹のゴブリンが、何のつもりなのか、ぼくら目がけて走ってきたんだ。
「来たぞ!」
「サ、《サンドウォール》!」
大高が魔法を放つ。が、いつもと違って相手が全速で走っていたためか、発動のタイミングがずれてしまった。転ばすことができたのは後ろの三匹だけで、前の三匹は、そのままこっちに向かってきた。
「バカヤロウ! 外れたぞ」
「申し訳ない!」
黒木の罵声に大高があやまるが、その間にも、一匹のゴブリンがたどり着いてきた。勢いに乗せて振るってきたこん棒を、新田は左手の盾で受け流し、右手の剣を横なぎに振るう。剣は魔物の腹をきれいに割いて、ゴブリンはその場に倒れ込んだ。
「落ち着け! いつもどおりにやればだいじょうぶだ」
「気をつけて! 一匹、こん棒じゃなくて剣を持ってるやつがいる」
「わかった!」
ぼくと黒木も前線に加わり、二匹のゴブリンに切りかかる。しかし、転んでいた三匹もすぐに起き上がって戦いに加わり、四人対五匹の乱戦になった。一匹一匹は小さいし、力も対して強くはないんだけれど、やたらと剣やこん棒を振り回してくるので、数が多いと防戦気味になってしまう。
「大高! おまえも何かやれよ!」
「申し訳ありません! ですが、どこから入ったらいいか……」
黒木が叫ぶが、大高はぼくらの後ろでうろうろするばかりだった。ここは森の中にしては幅が広い道だけど、三人も並べば一杯になる。道の両側は草むらで、土はちょっとぬかるんでおり、うかつに入ったら足を取られそうだ。ゴブリンたちもそちら側には出ずに、道に留まったまま戦いを続けている。
しばらくは膠着状態が続いたが、そのうちにぼくの突いた剣がゴブリンののどに突き刺さって、一匹が倒れた。四対四(大高が参加しないので、実質三対四だったけど)になると一気に形勢が傾いて、十分もしないうちに、すべてのゴブリンを倒すことができた。
「ふう、やっと終わった……」
戦闘が終わると、ぼく以外の三人はその場にへたり込んだ。
「なんとか、ケガ無しで倒せたね」
「後衛ですと、刀より槍みたいな武器の方がいいのですかなあ……」
「武器を変えるなら、ちゃんと練習しといてくれよ。後ろから刺されるのは、嫌だからな」
荒い息の中、口々に感想と反省の弁を述べる。今回は、ゴブリン六匹が相手にしては苦戦だった。相手から突っ込んでくるという、いつもと違うスタートだったのもあるけど、やはりジルベールがいなくなった初戦とあって、精神的に浮き足立っていたんだろう。
少し息が整って、そろそろ魔石でも取ろうかと立ち上がった時、ぼくはあることに気がついた。
探知スキルの反応が、ちょっとおかしいのだ。ぼくたちが戦ったのは六匹で、頭に浮かぶ反応──魔物が死んでも、反応はすぐには消えない。魔物としては死んでいるけど、細胞がまだ生きているからだろうか──も六つ。だけど、そのうちの一つが、ぼくたちの後ろにあったんだ。正確には、大高の左斜め後ろ。ぼくたちは常にゴブリンを前にして戦っていたから、あんな位置に死体があるはずがない。その反応は、ゆっくりと動いているような感じがした。
そしてそれは、急にこっちに近づいてきて──
「げ、まずい」
ぼくは急いで立ち上がって、反応の方向へ駆けた。その動きに、大高がぎょっとした顔になる。その顔とすれ違いざま、草むらからゴブリンが飛び出してきて、手にした剣を振るった。
「間に合え!」
剣を合わせて、防ごうとしたつもりだった。だけど、少し焦っていたのか、剣と剣はすれ違ってしまった。ぼくの剣もゴブリンの肩を切ったけど、相手の剣も、ぼくのお腹のあたりを突いた……と思ったんだけど、痛みは感じない。鎧が守ったか、それとも空振ってくれたのか? そのまま二撃目をふるって、今度こそ、魔物の息の根を止めた。
ぼくは剣を振って血を払いながら、黒木に文句を言った。、
「左側にいたって事は、たぶん黒木が戦ってたやつだな。おまえ、ちゃんとトドメさしとけよ」
「むちゃ言うなよ、相手の方が多かったんだぜ? 動いてるやつの方が優先だろうが」
「あ、ありがとう、ケンジ君……」
大高が、おそるおそるといった感じで、ぼくに近づいてきた。
これは反省点だな。探知はオンにしたままだったんだけど、目の前の戦闘に集中していたのと、戦いが終わった後に気が抜けたのとで、異状に気づくことができなかった。スキルはあっても、使えなければ意味はない、ってところか。
だけど、大高がおびえたような表情をしているのは、ゴブリンに襲われかけたためだけではなかったらしい。
「そ、それよりもですな、ケンジ君……」
「おまえ、だいじょうぶか? 剣が腹に、突き刺さったように見えたけど」
新田も心配そうな顔で聞いてきた。そう言われて、ぼくは初めて気がついた。確かに、ゴブリンの剣はぼくに届いたように感じていたし、思い返してみれば、革の鎧が剣を防いだような感触もなかった。おそるおそる、視線をお腹に下ろしてみると、鎧の胸当てと腰当てをつなぐベルトの部分が切れていて、そこに大きな隙間ができていた。そしてちょうどその部分の服に、細長く穴が開いていたんだ。ちょうど、剣が突き刺さった跡のような……なのに、痛みはまったく感じていなかった。ぼくはぞっとした。もしかして、この傷は致命傷で、もう死にかけてるから痛みを感じなくなってる、ってやつだったりして……。
ちくしょう、油断したなあ。スキルやステータスが上がって、黒木たちよりも楽に戦えるようになって、少しいい気になっていたらしい。余裕を見せて、大高を助けに行ったりして。それで刺されたんじゃあ、まるでバカみたいじゃないか。せっかく、チートをもらったって言うのに、こんなつまらない油断で、死ぬことになるんだから……。動転したぼくは、頭の中が後悔の言葉で一杯になってしまって、自分の蘇生というスキルのことさえ忘れていた。
ところが、いつまで待ってみても、なんだか死にそうな感じにはならなかった。傷から血が流れているような感触もない。そもそもぜんぜん痛くない。ぼくはおそるおそる革鎧を押し上げて、服をめくってみた。
切られた服の下には、ウェストポーチ型のバッグがあった。開け口のボタンが戦闘のはずみで外れていて、その開いた口の中に、真っ黒い空間が広がっているのが見えた。