最初の依頼は、やっぱりゴブリン
その日、ぼくは人里にほど近い、森の中にいた。
けもの道のような山道のすぐ脇、少し高台になった場所に立つ木の裏側で、木の幹に背をもたれさせている。両隣の木では、大高と黒木が、ぼくと同じような格好で待機していた。三人とも息を殺して、すぐ下の道の方を伺っている。
やがて、遠くの方から騒がしい鳴き声が聞こえ、少し経つとその声の主が姿を見せた。現れたのは、小学校高学年くらいの背丈の、半裸のヒト型の魔物。頭の毛はなく、全身の皮膚は少し緑がかっていて、粗末なこん棒を手にしている。ゴブリンだった。五匹のゴブリンは、喧嘩でもしているかのように騒々しくわめきながら、けもの道をこちらに近づいてきた。黒木が息を飲み、大高がなにやら小さな声で、ぶつぶつとつぶやき始めたのがわかった。
そんなぼくらの様子に気づいた様子もなく、ゴブリンたちはぼくたちが隠れている木の下に来て、やがて通り過ぎた。すると、五メートル程先の藪の中から、彼らの行く手をはばむ人影が姿を現した。
「ちょっと待ったあ! ここから先は、この俺が一歩も通さねえ!」
胸を張ったポーズで変な見得を切ったのは、新田だった。右手には片手持ちの剣、左手には小型の盾を持っている。突然の敵の登場に、ゴブリンたちはビクッとして立ち止まった。が、相手が一人とわかると、互いに顔を見合わせて、ニヤリと笑みを浮かべた。そして奇声を上げながら、新田に躍りかかろうとした。
「グギィッ!」
「ガギッ!」
「《サンドウォール》!」
ゴブリンが新田にたどりつく直前、大高が魔法の詠唱を終えた。ゴブリンたちの足下に、いくつもの小さな土壁が現れる。それに足を取られたゴブリンが、一斉に転んだ。新田がすかさず、先頭の一匹に剣を振りおろし、ぼくも隠れていた木の陰から飛び出して、魔物の背後から襲いかかった。
「大高! 魔法を打ち終わったんなら、おまえも前に出ろ!」
「わかっております。わかってはおりますが、しかしこの高さだと、降りるのがちょっと……」
「このくらい、飛び降りたってケガなんてしねえよ! 早くしろ!」
こんな言い争いをしながら、後から黒木も続く。魔物の前後から挟撃する形で、ゴブリンとの近接戦が始まった。人数は四対五だけど、こちらは先制攻撃で二匹に深手を負わせている。それに、ゴブリンは一対一なら、それほど怖い相手ではない。数分後には、全部のゴブリンを仕留めることができた。少し戦いが長引いたのは、大高がなかなか降りてこなかったのと、前方にいたのが新田一人だけだったため、複数を相手にした新田が防御に重点を置いて戦っていたからだ。それでも、ぼくたちはほとんど無傷で、戦いを終えることができた。
ぼくが最後の一匹を仕留めると、大高は情けない声を上げて、その場でしりもちをついた。
「ひゃーあ……ぼくはもう、魔力切れです」
「あー、そういえば、これでもう三戦目だったな。やっぱ、魔力切れってキツいのか? おれ、切れるほど使ったことがないんだけど」
「そうですな、かなりの気持ち悪さというか、倦怠感がありますな……今日はもう、これで終わりにしませんか」
さっきゴブリンを転ばせたのは、大高のサンドウォールという魔法だった。本来は土の壁を作って相手の魔法攻撃を防いだりするのに使うらしいが、大高の魔法はそれほど強力ではない。そこで、相手の足下にだけ壁を作って、体勢を崩すという戦法をとることにしたのだ。攻撃手段に乏しい土属性魔法の中で、苦労して編み出した戦術だった。
そんなことを話していると、新田の後ろから声がかかった。
「よおーし、みんなご苦労。決めきるまでに時間がかかったが、一応は分担もできていたし、おまえらにしては頑張ったほうだろう。ま、相手がゴブリンなら、このくらいはできてくれないと困るんだがな」
新田の背後の木陰から現れたのは、騎士のジルベールだった。
アイロラで一泊したあと、ぼくたちは再び馬車に乗って、シュタールという小さな村に移動していた。ただし、ここに来たのはクラス全員ではなく、ぼくたちのパーティーだけ。アイロラのギルドに登録した後は、パーティーごとに魔物退治の依頼を受けて、それぞれの依頼の場所へ散っていく。それが終わったらアイロラに戻って、また依頼を受ける、という流れで訓練をしていくらしい。
武術組の三班四人がそのままパーティーになった、と書いたけれど、教育係のほうも、ジルベールが引き続き担当することになっていた。ただし、彼は教育係なので、戦闘には参加してくれない。依頼のための戦闘は、ぼくたちだけで行わなければならないのだ。
だけどこのパーティー、やっぱり問題があると思う。ぼくたちの能力が低いという意味じゃなくて、いや、低いとは思うけどそれ以前の話として、編成が良くないのだ。パーティーと言えば、前衛に戦士とか騎士とかの近接戦の担当がいて、後衛に魔法や弓の使える遠距離攻撃担当をおく、というのが普通じゃないの? まあ、その手の小説やゲームでの考え方だけど、実際のところ、そこまで的外れではないと思う。それなのに、このパーティーで前衛っぽいのは「格闘家」の新田だけだし、遠距離攻撃できる人は一人もいないのだ。しかたなく、一応は戦闘絡みの魔法が使える大高が後衛になり、ぼくと黒木は消去法で前衛に立つことになったのだった。もちろん回復役なんていないから、うかつにケガもできない。
まあ、ぼくに限って言えば、隠してあるステータスは高めだしいろんなスキルも持ってるから、わりと楽勝だったりするんだけどね。
ゴブリンの死体を眺めていた新田が、いまさらのようにつぶやいた。
「死んだら消えて、ドロップ品になるわけじゃないんだよな」
「そりゃそうだよ。生き物だもん」
地面に転がっているのは、間違いなくヒト型の生き物だった。だけど、彼らを殺すことには、それほどの忌避感は覚えなかった。輪郭はヒトの形だけど、どうみてもヒトとは違うからだろうか。
「今日の戦いは良かったぞ。特に、魔物の存在にいち早く気がついたのが良かった。気がついたのは、三回ともケンジだったか?」
「ぼく、昔っから耳だけはいいって言われるんですよ」
珍しくジルベールにほめられたぼくは、適当な嘘をついた。実際には、「探知」のスキルを使っている。あんまりやりすぎると疑われそうだから、次からは控えめにするかな。
「言うまでもないことだが、先制攻撃は重要だ。逆に、不意を突かれたら、それだけで苦しい戦いになる。おまえらレベルでは、即座に全滅してもおかしくはないだろう。他の皆も、常に気配を探るのを忘れるな」
「わかりました。それでですな、ジルベール殿。わたくし、今の戦いで魔力が底をついたようでして、そろそろ限界かと思うのですが……」
「それでは、今日はこのあたりで撤収するとしよう。と、その前に魔石をとっておけ。たいていの魔物は、心臓の近くに魔石を持っている。依頼達成の証も忘れるなよ。ゴブリンだと、左の耳だったな」
「げえ、やっぱ、やらないとダメか……」
黒木がうめいた。殺すのはわりとだいじょうぶだったけど、解剖となると、話がちょっと違ってくる。一応はヒトの形をしている死体の心臓に刃物を突き立てて、中をえぐっていく作業は、なかなか慣れるものではなかった。
ぼくたちが無言で作業を行っていると、ジルベールがつぶやいた。
「それにしても、少々おかしいかな」
「おかしいとは、何がでしょうか?」撤収と聞いて、少し元気がでてきた大高が問い返した。
「三度もゴブリンを見つけたことが、だ。山の中を少し歩いただけで、一日に三回だぞ? しかも、ここは村からそう遠くない。たまたま、運が良かっただけかもしれないが……」
ジルベールは首をひねりながらいった。
「念のため、報告はしておくか」