もう一つのエピローグ (2)
「あなた、見たことがあるの。ユージのお友だちの人よね!」
突然の出来事に呆然としていた美波だったが、この言葉でようやく我に返った。
彼女の目の前にいるのは、おそらく「精霊」と呼ばれる存在だろう。美波も、話では聞いたことがあった。透明な羽根を持ち、小さな人形のような姿で空を飛ぶ。普段は目に見えない幽体で暮らし、実体化することもできるが、ヒト族などの前にはほとんど姿は現さないらしい。しかも、ヒト族の言葉を話していることからすると、それなりに高位の精霊ではないかと思われた。そんな精霊が、どうして自分の前に現れたのか。
だがそれよりも、美波には気になることがあった。
「ヒト族には『死者の国』って呼ばれてるんだっけ。たしか、あそこに行った時に──」
「あなた、ユージ君を知っているの?」
相手の言葉をさえぎって、美波は尋ねた。
この精霊は「ユージ」という名前を口にした。ユージこと夕島研二は、美波たちと一緒にこの世界に召喚されたうちの一人だ。
ビクトル騎士団長の死の責任を問われて王城から追放されたが、その後、ストレア迷宮の踏破者として一躍、名を上げた。そして、その功績を買われて一ノ宮たちと一緒にグラントンの迷宮に潜り、そこで命を落とした……
はずだったのだが、「死者の国」の調査をする最中、美波は生きている彼と再会することになった。まさに波瀾万丈の異世界生活を送った、元クラスメートだった。
ユージと再会したすぐ後に、美波たちは彼と別れ、死者の国を出ていた。死者の国への入り口である「裂け目」は、それからさらに大きくなっていったが、しばらくすると拡大を停止し、逆に縮小し始めた。そして1ヶ月もしないうちに、跡形もなく消滅した。裂け目の周囲は大地が掘り返されたようになってしまったが、大部分は農地か野原だっため、人的な被害はほとんどでなかった。
ただ、死者の国調査のために裂け目の中に入った冒険者パーティーの一部が、行方不明となっていた。そして、冒険者ギルドは把握していないが、ユージもまた、美波が死者の国で別れて以来、再び行方不明となっていた。そこへ、ユージの名を知る精霊が現れたので、美波は尋ねずにはいられなかったのだ。
彼女の問いに、精霊はうんうんとうなずいて、
「もちろん、知ってるのよ! 何度も何度も、危ないところを助けてあげたんだから」
「あなたがユージ君を助けた?」
「そうなの。まあ私も、最初に一回だけ、助けてもらったことはあるんだけどね。けど助けた回数は、私の方が多いんだから!」
精霊はこう言って、得意そうに胸を張った。どうやら、この精霊はユージに助けてもらったことがあるらしい。おそらくはそれを契機に、彼と一緒に旅を続けたのだろう。そうでなければ、ユージを何度も助けることなど、できないだろうから。そしてその旅は、少なくとも死者の国までは続いていたらしい。だとすると、
「ユージ君は今、どうしているんですか?」
この精霊は、その後のことも知っているのではないか。そう思うと、美波はこの質問も、せずにはいられなかった。もしかしたら、良くない答が返ってくるのかもしれない。いや、精霊がユージの元を離れていることを考えれば、その可能性が高いのだろうが……。
だが、この問いに対する答は、彼女にとって驚くべきものだった
「ここにはいないのよ? だって、私たちで送り返してあげたから」
「送り返した? どこへです」
「どこって、名前はわからないけど……あ、ユージは、『ニッポン』って言ってたかもしれないの」
「ニッポン? 日本ですか! ユージ君は、日本に帰ることができたんですか? いったいどうやって!?」
美波は思わず叫んでしまった。突然の大声に、精霊はおびえたような表情になった。が、美波が重ねて尋ねると、空中で後ずさるという器用な真似をしながらも、なんとか説明してくれた。
それによると、精霊の友人である、ラールというもう一人の精霊が、ユージの魂を「この世界に召喚される前の姿」に戻した。その上で、魂を含む存在全体を「異界」である死者の国から外に出したのだという。そうすることで、まるで川の水が上流から下流に流れるように、「それがあるべき世界」、つまり元の世界へ戻っていくらしいのだ。
おびえさせてしまったためか、それとも元々、説明があまりうまくないのか、ところどころで何度も聞き直さなければならなかったが、だいたいはこういうことらしい。
ただ、美波としては、精霊の言葉に「~と思うの」という表現が多いのが気になった。そこで、その点を問いただしたところ、
「たぶんだけど、うまくいったと思うのよ! あの後、ユージがこっちに戻ってきた『感じ』はしないから。ラールも、そう言ってたし!」
一転して、精霊は自信満々の表情で断言した。話を聞く限りでは、ユージの送還はラールが主導して行い、送還の仕組み自体も、ラールが考えたもののようだ。そういった分野の、専門家みたいなものだろうか。この子(精霊の実際の年齢はわからないが、見た目や振る舞いからは、幼い女の子にしか見えない)にはそこまでの信を置けそうにないが、その友人の精霊がすることなら、信じてもいいのかもしれないな、と美波は思い直した。
そうか。ユージ君は、日本に帰ることができたのか。よかった、と美波は思った。あんなに苦労していた彼なんだから、そのくらいのご褒美はあってもいいだろう。
先ほどの説明によると、ユージは召喚直前の姿で、召喚直前の時空に戻っていくらしい。記憶なども、召喚直前のものになる。ということは、この世界での出来事などは、忘れてしまうことになる。美波やクラスメートたちがどうして姿を消し、今はどうしているのか。できればそれを、元の世界の人に伝えてほしかったのだが……。
それでも、たった一人であっても元の世界に戻れたのは、喜ぶべきことだ。
ただ、その思いの横には、幾ばくかの羨望と、後悔があった。聖女の白河を含め、同級生の誰もが焦がれていた、元の世界への帰還。それをなすすべが、あったというのだから。しかも美波は、帰還の鍵となる死者の国という場所に、入っていた。私もユージ君と同じように、元の世界に戻ることができていたら……。
美波は首を振って、その思いを打ち消した。そんなことを考えても仕方がない。絶好の機会は、もう過ぎ去ってしまったのだ。死者の国へ通じる裂け目は、もう一年以上も前に、閉じてしまったのだから。
だが、小さな子供のようにしか見えない精霊が、ここでまたもや、爆弾を投下した。
「あ、そうだ。あなたはどうするの?」
「どうする、とはどういう意味ですか」
「あなたもユージと同じ、マレビトなのよね。やっぱり、ニッポンってところに帰りたいの?」
「え! 私も帰ることができるんですか!?」
美波は再び、大声を上げてしまった。そんなことができるのか! いや、世界の理そのものとも言われる精霊であれば、可能なのかもしれない。これはビッグニュースだ。早く、玲奈や松浦たちにも、教えてあげなくては──。
だがその直後、
「あ、よく考えたら、ダメかもしれないの」
この言葉に、美波は文字どおり、がっくりと膝をついてしまった。
まさしく、思いっきり上げてから落とされた格好で、喜びも大きかっただけに、失望もひとしおだった。いやいや、さすがにそれはないでしょう……。美波は、恨みがましい視線を精霊に向けた。そんな彼女を見て、精霊はあわてた様子で、
「あ、でも、できないってわけじゃないのよ。ラールにまだ、それだけの力がたまってない、ってだけだから。ラールがもう少し大きくなったら、できると思うの。絶対なの!
だからね。できるようになったら、また教えに来てあげるから!」
早口にこう言うと、精霊は現れた時と同様、突然に姿を消した。
しばらくの間、美波はしゃがみ込んだ格好のまま、精霊がいた空間を、ただただ見つめていた。だが、そうしていても何も起きず、誰も戻っては来なかった。たっぷり一分以上の時間がすぎたところで、美波はようやく立ち上がった。そしてくるりと後ろを向き、家への道を戻り始めた。
さきほど上ってきた坂道を下りながら、美波は精霊との会話を反芻していた。
話の最後の方はよくわからなかったが、「力がたまっていない」とは、ユージを送還したため、魔力のようなものを使いきってしまった、ということだろうか? おそらくは、そうなのだろう。この世界に召喚された時も、老齢の魔術師が似たようなことを話していた気がする。その力が元通りになるには時間がかかるから、力がたまったら、もう一度教えに来てあげるよ、という意味だったのだろう。
問題は、「大きくなったら」だ。この言葉からすると、力がたまるまでには、かなりの時間がかかるらしい。
いつ来てくれるのか確認しなかったのは失敗だったな、と美波は思った。「また来る」とは言っていたが、これがヒト族なら「それほど長い時間をおかずに」というニュアンスがありそうだが、精霊ではそうとも限らない。なにしろ彼らには、定まった寿命などないのだ。もしかしたら数年、へたをすると数十年後に来ることが、「また来る」であってもおかしくはない。
それでも、生きているうちに精霊と再会できるのなら、問題はないかもしれない。元の世界に戻ったら、召喚された時の状態、つまり高校生に戻れるのだ。そうなれば、元の世界で、元通りの生活をやり直すことが──。
そこまで考えたところで、美波ははたと気がついた。
私は、地球への帰還を、本当に望むのだろうか?
元の世界へ戻るということは、この世界での人生を捨てる、ということだ。いや、自分が消えたとしても、それまで行ってきたこと自体は、なくならないのかもしれない。だが、自分の記憶からは消えてしまうことになる。本当に、それでいいのだろうか。
もちろん、かつての文明的な生活に、未練がないわけではなかった。それに、地球には家族もいるし、クラスの外の友だちもいる。戻りたくないわけがない。だが、こちらの世界にも、夫という人ができたのだ。数年、数十年が経てば、友人や家族はもっと増えているだろう。その時、私は……?
あ、そうか。
またもや唐突に、美波は気がついた。
この世界での経験がリセットされ、年齢がまき戻って、元の世界での生活が始まる。これは一種の、異世界転生だ。この場合、「転生先の異世界」は、美波にとっての「元の世界」になるけれど、仕組みとしては異世界転生と違いはない。記憶は継承されないらしいが、転生もの好きの友人から、そんなパターンの小説もあるよ、と聞いたような気がする。
元の世界では、美波は転生ものの小説は、あまり読んではいなかった。なんとなくだが、現実逃避のように思えたのだ。たぶん、今の生活に不満があるから、転生の物語に憧れてしまうんじゃないだろうか。転生とか、タイムリープとか、そういう物語に。小説も映画もマンガも、そうしたものはどれも多かれ少なかれ、現実逃避の側面はあるのだろう。けど、これはちょっとストレートすぎて、ちょっと格好悪いな……そんなふうに考えていたのだ。
だが、美波の行うことになる選択は、彼女が格好悪いと考えていた物語を認めるかどうか、と同じ意味をもつらしい。
美波は思った。
ならば私は、この世界で、精一杯に生きていこう。
「異世界に転生したい」なんて、絶対に思ったりしないように。
実は作者自身も、その格好悪い人間だったりします。転生よりは、タイムリープがいいかな。異世界に行っても不便だろうし、チートがなければ詰まりそうだし。でもタイムリープも、例のバタフライ効果というやつで、そううまくは行かないかもしれないな。ということで、「バタフライ効果なしのタイムリープ」でお願いしたいです。
まあ、やり直しなんて望まないように生きていければいいんだけど、なかなかそうは行きませんよね。取り返したいけどもう取り返しは付かないことなんて、たくさんある。まだ取り返しの付く人は、美波のように、一生懸命に生きて下さい。
さて、今回唐突にエピローグを付け足したのは、一種の宣伝だったりします。本作はカクヨムにも掲載していますが、あちらには「サポーター限定公開」という仕組みがあり、そちらに本作の外伝を載せることにしたのです。興味があるかたは、カクヨムの作者ページ、「近況ノート」をのぞいてみてください。