甘い生活、の続き
こうして、アネットとの旅が始まった。
ストレアの迷宮以来、久しぶりの二人旅だ。なんだか、あの時に戻ったみたいな感じがする。ストレア迷宮でも、発光石の光しかない暗い道を、こうして二人で歩いていたんだよね。あの時との違いは、ここが狭い迷宮の道ではなく、見渡す限りの広い大地であること。そして、ぼくとアネットは慎重に周りを確認しながら進むのではなく、この真っ暗な世界を急いで進もうとしていることだ。
あー、それにしても。
昨夜のぼくは、どうかしていたかもしれない。
だって、ねえ。こんな、周りに何があるかわからない異界の中で、あんな事をしてしまうとは……。振り返ってみると、普通の神経ではなかなかできることではないよな、と思う。しかも、はるか遠くからは魔力の衝突が生んだ揺らぎが伝わってきていて、フロルが今も一生懸命、ラールと戦っているのがひしひしと感じられるというのに。
けどその一方で、だってしかたないじゃないか、とも思った。久しぶりにアネットに会えて、本当にうれしかったんだから。それに、昨日は彼女の方が、なんていうか積極的だったような気がする。一緒のテントで寝たい、と言いだしたのは向こうの方だしね。あ、待てよ。あれはもしかして、本当に「寝たい」だけで、深い意味はなかったりのかな? いやいや。そんなまさか。でも、こういうことを女の子のせいにするのはあんまり良くないって、何かで読んだこともある気がするし……。
ま、やってしまったことはしかたがないよね。前を向いて、進んでいくことにしよう。
進むと言えば、ぼくたちは二日目から、走るのはやめることにした。
最初は朝から走ろうとしたんだけど、アネットに怒られたんだ。
「そんな無理をしたら、いざという時に戦えなくなるでしょ!」
って(なお、この旅の目的である闇の大精霊との戦いについては、昨夜のうちに話してあります)。確かに、ぼくの目標はあの魔力の元にたどり着くことではなくて、そこでラールと戦い、勝つことだった。空間を揺るがすほどの魔力の持ち主を相手にするんだから、こちらがベストのコンディションで臨まないと、たぶん相手にもならないだろう。
それに、フロルからは1週間という期間を示されていた。目的地までの距離とかかかりそうな時間、戦う相手の力について、一番知っているのはフロルなんだ。余り早く着きすぎて、まだ弱り切っていない敵と遭遇するのも、かえってまずいかもしれない。初日の走りで、ある程度距離は稼げたと思うから、ここからは体力を温存しながら行くことにしよう。
今はかなり速めの早足、くらいのペースで進んでいる。これくらいなら、アネットも楽について来れるみたいだしね。それでも、普通に歩くのに比べたら、5割増しくらいの速度で進んでいるんじゃないかな。
食事も、ちゃんと取っている。
アネットにも話したとおり、ここに来るまでの街で、おいしそうな食事を大量にストックしていたんだ。フロルから予め、長丁場になりそうだと聞いていたからね。そういえばアネットは、携行食糧などの食べ物も、テントと一緒に置いてきてしまったらしい。どうするつもりだったのかと聞くと、
「これを食べるんだよ」
と、親指の先ほどの大きさの、黒い丸薬のようなものを見せてくれた。「兵糧丸」というのだそうだ。あー、そういえば元の世界にもあったよね。忍者が食べるやつ。天井裏に忍んでいる間、これを口に入れて、飢えをしのぐんだったっけ。だけどこれって、たしか食欲や渇きを「我慢する」ためのもので、これを食べていれば栄養補給もだいじょうぶ、というものではなかったはず。そもそも丸薬では、水分の補給は全く期待できないし。いや、こっちの世界のそれには、そういう魔法的効果もあるのかもしれないけど、どっちにしろ、おいしくはないでしょう。普通の食事よりも。
というわけで、ぼくは毎食、アネットの分の食事も出してあげた。最初、ユージに悪いよ、と渋っていたアネットだったけど、最後には折れて、一緒に食べるようになった。実際、そのくらいの余裕はあるしね。いざとなれば、マジックバックには大量の携行食糧も入っているんだし。
食事をとって、ちょっと休憩して、トイレに行ってから、早足で歩き出す。うん、規則的な生活。アネットの言うとおりにして良かった。長丁場なら、無理するよりも絶対にこの方がいい。ちなみにアネットは、食事の後は必ずトイレに行くようにしているらしい。言われてみれば、この方が合理的だ。トイレに行こうとしたら敵発見、なんてことになったら、我慢しながらの戦いになってしまうからね。尿意なら最悪、我慢しないという選択もあるけど、便意だとまずい。たとえ戦いに勝ったとしても、人間としての尊厳を失ってしまう可能性もあるんだから。
それからもちろん、睡眠もちゃんととるようにしている。
……すみません。ちょっと嘘をつきました。
正直に話してしまうと、毎晩、あれをしているんです。あれ、っていうのは、いわゆる夜の営みのこと。寝るのは、それが終わった後だ。なんて非常識な、といわれるかもしれないけど、ぼくはもともと、この世界の常識なんて知らないし。というか、非常識なのは、どっちかというとアネットの方なんだよ。いや、これはほんとに。さすがのぼくも、この世界で毎日というのはまずいのでは……とも思ったんだけど、毎回押し切られている。ぼくは
「でも、寝ずの番はしないと危険だよ」
とも言ったんだけど、アネットは
「ユージは心配しなくていい。ボクがやるから」
と、譲らないんだ。まあ、そんなことを言われて抱きつかれたら、ニヤニヤしてうなずいてしまう時点で、ぼくも同罪なんだけどね。まああれです。いろいろとご意見はあるでしょうが、愛があればいいのだ!
と、思っておこう。
それでも、何もしないというのはさすがにまずいので、いつもの「探知スキルつけっぱなし」の裏技は使っていた。するとある日の真夜中(太陽はないけど、時計が示す時間によると真夜中)、一つの反応があった。と言っても、敵らしきものが近づいてきたのではない。アネットが、テントを抜け出していたんだ。そしてスキルの探知範囲の外まで出ると、しばらくして戻ってきて、ぼくに横から抱きついて、再び目をつぶった。
探知の範囲は、あまり広くすると余計な反応で目が覚めてしまうので、半径100メートルくらいにしている。それでも、けっこう広い範囲を索敵しているんだけど、もしかしたらアネットは、その外にいる敵に気づいたのかもしれない。それで、本当に一人だけで、対応しに行ったのかも。やっぱり、スキルのレベルとは別に、実戦で磨いた探知の技的なものがあるんだろうな。心配になるから、そんなことはやめて欲しいんだけど、
こんな生活が、5日ほど続いた。
決して長い日数ではなかったし、ぼくらがいるのは死者が現れる異界だ。テントから一歩外に出れば、揺らぎのようなものが渦巻いている。しかも、それが日に日に強くなっていくのが感じられていたんだ。大きな目で見れば間違いなく、異常そのものな状況だっただろう。それでも、後になって思い返してみれば──。
それはとっても、甘い生活だった。