情熱的な行動
ちょっと急用を思い出したとマリオンに告げ、ぼくは食事のほとんどを残したまま、店を出た。フロルの後をついて、街の中を走る。フロルのやつ、家をすり抜けて飛んで行くものだから、時々見失いそうになってしまった。
<なにしてるのユージ、急ぐのよ! 早くしないと、溺れてしまうの>
と急かされたけど、そんなこと言われたって、人間には壁抜けなんてできないんだよ。
そうして走っているうちに、ちょっと疑問が湧いた。この街に、そんな川なんてあったっけ? もちろん、小さな川やドブ川なんかは、いくらでもある。けど、女の子が落ちて溺れそうになるような大きさの川には、ちょっと心当たりがなかった。人間って意外と浅い水でも溺れてしまうとは言うけど、そんな水深ならレオあたりでも、簡単に助けられるだろうし。
ところが、フロルに案内されて着いた先は、水辺ではなかった。地面にマンホールのような大きな穴があって、フロルはその上に浮かんで、ぼくを待っていたんだ。そのフタは開けられていて、中には下へと降りる急な階段があった。フロルに続いてそこを降りていくと、10メートルほど下った先に、広い踊り場のような場所になっていた。階段はもう少し続いているけど、その先は水に沈んでいる。踊り場のすぐ横に、地下の川が流れていたんだ。
踊り場の上には、さっき別れたばかりの男の子が、呆然とした表情で立ち尽くしていた。
「レオ! どうしたんだ」
ぼくが声をかけると、男の子はこっちを振り向いた。
「あれ、ユージ、どうしてここに……」
「そんなことより、ユーリは?」
こう聞くと、レオは急に泣きそうな顔になって、
「落ちちゃったんだ! 隠してあった遊び道具を出そうとしてたら、何か水に落ちる音がして。振り向いたらもう水に浮いてて、あっという間に、あっちのトンネルに流されて行っちゃって……」
「そもそも、どうしてこんなところに来たんだ」
「どうしてって、ここは近所のやつらと、よく遊びに来るんだよ。でも今日は、来てみたら誰もいなくて、それでしばらく待ってようかと思って……」
そうか。ここはたぶん、地下の河川を管理するために作られた出入り口なんだろうけど、子供たちにしてみれば、まさに秘密基地みたいな場所だもんな。子供のたまり場になっても、おかしくはないか。けど今はそんなことより、
「ユーリが落ちてから、どのくらい経つ?」
「どのくらいって、たぶん、まだ2、3分くらい」
「ここみたいな、地上と川をつないでいる場所って、他にないのか?」
「ううん、ここ以外には知らない」
「わかった。後を追いかけてみる。おまえは階段を上がって、上で待ってろ」
「え、でも──」
「ここにいたって、何もできないだろ。いいか! 水に飛び込んだりするんじゃないぞ。今から飛び込んでも、追いつけやしないんだから」
ぼくはレオに何度も確認をした。一人助けるだけでも面倒そうなのに、レオまで水に入られたら、やってられないからね。そうして、階段を駆け上がった。
もちろん、ぼく自身も水の中に飛び込むつもりはなかった。ユーリに追いつくには、地上を走って先回りするしかないだろう。ただやっかいなのは、ここみたいな出入り口が、少なくとも近くにはなさそう、ってことだな。
<フロル、あの子が今、どこにいるかわかる?>
<うーん、わからないけど、追いかけてみるの>
<たのむよ。そうだ。フロルの場所がわかるように、例の方法で知らせて>
<ああ、あれね? わかったの>
フロルはそう答えると、左側のトンネルの中に入っていった。
ぼくはすぐに、地上に出た。最初の問題は、地下の川がどこを流れているかだな。下で見た限りではトンネルはまっすぐに伸びていたけど、その後でどう曲がっているかがわからない。そこでまず、ぼくは毎度おなじみの、あのスキルを使った。
「探知」
スキルの結果が、即座に脳裏に浮かぶ。ただし、ここは都会のど真ん中だ。あまりにもたくさんの反応が返ってきて、どれがユーリでどれがフロルなのか、見当がつかない。それに探知スキルでは、地下の構造を知るなんてことはできないから、川の位置もわからないままだ。けれどこの点については、ぼくに考えがあった。
「あ、きた」
探知の反応の中に、ぽつん、と小さな点が現れた。やがてそれはすっと消えてしまい、しばらくするとまた、復活した。その反応は明滅を繰り返しながら、ぼくから遠ざかっていく。間違いない、これがフロルだ。
どういうことかというと、フロルが、実体化と霊体化を繰り返しているんだ。霊体化している間は、探知には引っかからない。そのため、実体、霊体と変わっていけば、点滅という独特の反応になって、他と区別できるというわけだ。
フロルとぼくは念話で話すこともできるけど、ある程度以上離れると、念話はつながらなくなってしまう。そこで、フロルが何か合図をしたいと思った時には、この方法を使ってくれ、と話してあった。最初にフロルと出会った時も、探知の反応が明滅していたのが、きっかけだったよね。
これを思いついた時にはいい方法だと思ったんだけど、ぼくが探知を使っていないとダメだから、実際にはあんまり使い道はなかった。けど今回、初めて役に立ってくれた。
フロルらしき反応は、かなりのスピードでまっすぐに進んだ後、別のもう一つの反応のそばまで来ると、速度を落とした。そのまま、それに寄り添うように、ゆっくりと動き続けている。どうやら、ユーリを見つけたらしい。けど、早く助けないとまずそうだな。フロルの隣の反応、ちょっと弱々しくなっているし。
地上を走っていたぼくは、既にフロルたちの位置には追いついていた。けど、ユーリを助けるには、それより前に行かなくてはならない。ここまで、フロルたちはほぼまっすぐに進んでいたから、この後もしばらくは、そのまま行ってくれるとして……。
この先は、スラム街だった。それも、スラムの中でも外れの、ほとんど住民がいない場所だ。ちょうどいいところに、見るからに崩壊寸前の掘っ立て小屋があるな。あそこにしよう。ドアを開けると、思った通り人が住んでいる気配はなく、床板もなくて地面がそのまま床になっていた。ぼくはマジックバッグに手をつっこみながら、急いで土魔法を発動した。
「間に合ってくれよ……」
地面に魔力を流して、穴を掘っていく。とりあえずはスピード重視で、小さな穴を。ストレアの迷宮でもやったことのある、それなりに慣れた作業だったんだけど、フロルたちの反応がだんだん近づいてくるものだから、ちょっと焦ってしまった。けど、どうやら川の深さまでは穴が掘れたかな……あれ? 最後の最後で、何か固い物にぶつかった。そうだ、さっき見た感じでは、川のトンネルは自然のものではなく、土木工事で作ったような、ちゃんとしたものだったっけ。しかたがない。
「《サンドアロー》」
土魔法で土の矢をぶち込んでやると、何発目かで、矢が水に飛び込む音が響いてきた。フロルたちがこの下を通り過ぎる前に、穴を貫通させることができたようだ。よかった。間に合ったのもそうだけど、水の音がしたってことは、この下に川がある、と言うことだからね。
息つく間もなく、ぼくは次の作業にとりかかった。
「操糸術」
予めバッグから出してあった糸車から、するすると細い糸が伸びていく。糸が地面に掘った穴を下っていくと、しばらく行ったところで、横に押されるわずかな力を感じた。どうやら、水まで届いたらしい。そのあたりで、糸をぐるりと大回しにして、大きな輪っかを作る。探知スキルの方に意識を戻すと、二つの反応はもうすぐそこまで近づいてきていた。頼むぞ……上手く引っかかってくれよ……。探知の反応と、輪の位置が重なったところで、ぼくは思い切り糸を引き絞った。
「よし! 手応えあり!」
術で操っている糸に、大きな重みを感じた。後は、うまく陸に上げるだけだ。あ、その前に、掘っておいた穴を広げておかないと。獲物を落とさないよう注意しながら、改めて土魔法を発動し、人が通れるくらいの大きさの穴にする。そうしてから糸を引っ張り上げると、穴の中から、ずぶ濡れの女の子が姿を現した。
<さすがユージね。よくできましたなの!>
ユーリに続いて、フロルも穴の中から出てきた。ぼくはとりあえずユーリを床に寝かせ、彼女の顔と胸に、ぼくの顔を近づけた。探知の反応があるんだから、まだ生きているとは思うけど、呼吸と心音は確認しておかないと。あれ? 心臓は動いてるけど、息をしているかどうかが、よくわからないな。しかたない、念のため人工呼吸をしておくか。これもストレア迷宮で経験のある、マウスツーマウスをしてあげると、少女は一発で息を吹き返した。よしよし。ぼくの人工呼吸も、少しは上手になったみたいだね。
ぼくは掘った穴を埋め戻してから、ユーリを抱えてボロ小屋を出た。最初の穴の方へ戻っていくと、向こうの方からレオが歩いてくるのが見えた。周りをきょろきょろ見回しながら、どこにいったらいいのかわからないという感じで右往左往している。けど、ぼくたちを見つけると、一目散にこちらに駆けてきた。
「ユーリ!」
少年の呼びかけに、少女は目を覚ました。地面に下ろしてあげると、彼女は自力で立ち上がって、兄の元へ歩いていく。レオは涙ながらに、妹の体をがっしりと抱きしめた。
ふう。どうやらこれで、一件落着かな。
涙の再会の後、レオは改めてぼくに頭を下げて、礼を言った。ユーリはいつもどおり、彼の後ろ側に立っている。と、彼女は急に意を決したような表情になって、兄の元を離れ、とてとてとぼくの方に近づいてきた。
「ユージ、さっきはありがとう。それでね……」
なんだか言いづらそうにもじもじしているので、ぼくは頭を下げて、彼女の顔に近づけてあげた。するとユーリは小声で、
「さっきのことなんだけど……」
「さっきのこと?」
「うん。ユージが、とっても情熱的なのはわかったけど……。
でも私……気になっている人がいるの。だから、ユージの気持ちには応えられない。
ほんっとうに、ごめんなさい!」
ユーリはぺこりと頭を下げると、小走りにぼくから離れて、兄の体の後ろに隠れてしまった。