パンの耳でなに作ろう
小さなランプの光に照らされているのは、大きな調理台と流し、コンロ、オーブンのような機械、食器棚、さらに奥の部屋へつながるらしい粗末なドアだった。ざっと見た限りでは、残り物や食材のたぐいは見当たらなかった。
「ねえ、ここの調理器具は、どうやって使うのかな。薪や炭なんかじゃないよね」
「はい、コンロもオーブンも魔道具ですね。火の魔石はそれほど高価ではないので、食堂ではよく使われています」
ルイーズは答えた。ちょうど、元の世界のガスコンロのような感じで使うらしいので、ちょっと安心した。火をおこすところからやるのは、素人には荷が重いからね。後の始末もたいへんそうだし。
「よし、じゃあみんなで、食えるものを探そう」
ルイーズにも加わってもらって、ぼくたちは手分けをして厨房の捜索を開始した。
およそ十分後、それぞれの獲物が調理台の上に並べられた。けど、たいした成果はないようだった。
「何にもなかった。あったのはバターとか調味料みたいな粉とか、あとはこの、よくしらない野菜だけだった」
「俺は見つけたぞ。ほら、卵。とりあえず六つだけもらってきたけど、もっとたくさんあった」
黒木は白菜のような野菜を一つ、新田は皿の上に並べた卵を台に乗せた。卵はニワトリの卵より少し大きめで、色も青みがかっている。あれ、割ったら中身はどんな色なんだろう。
「塩漬け肉の大きな塊がありましたけれど、あれはたぶん、そのまま焼いたらしょっぱすぎるでしょう。塩抜きをしないとダメでしょうな」
「ぼくもおんなじ。塩抜きってたしか、けっこう時間かかるんだよね。まあ、しかたないか。冷蔵庫がなければ、生肉なんておいておけないからなあ」
肉は持ってくるには大きすぎたので、大高とぼくは何も持っていなかった。と、茶色い袋を手にしていたルイーズが、おずおずと片手を上げて
「あの……冷蔵庫なら、あると思います」
「え、あるの? と、その前に、その袋は何?」
「これ、パンの耳です」
「パンの耳? なんでそんなものがあるの」
「騎士様の食堂では、サンドイッチというものを作るそうでして、その際、使わない耳だけが残ってしまうんです。捨てるのももったいないので、むこうの食堂の調理をしている人が、こちらに持ってきてくれます」
サンドイッチはぼくらの世界のサンドイッチと同じもので、昔の勇者が伝えた食文化だという。片手で食べられるこの食事は、仕事や遊びに忙しい官僚や貴族に好評で、こちらの世界でも受け入れられたのだそうだ。そういえば、元の世界のサンドイッチも似たようなことがきっかけで作られた、と聞いたことがあるような。
「パンの耳って、何か料理に使うの?」
「料理に使うというより、配られたパンだけだともの足りない人が、これももらって食べているみたいですね」
「あー、そうか。パンの方は、残ってなかった?」
「すみません。残っていませんでした」
ぼくはちょっとがっかりした。でも、もの足りないからパンの耳まで食べてるっていうのに、パン自体が残っていることはないんだろうな。
「そうか。それで、冷蔵庫があるって本当?」
「冷蔵庫というのは、食べ物を冷やしておく入れ物のことですよね? それならあります。この厨房の奥に、もう一つ小部屋がありまして、そこに大きな箱のようなものがあるんです。あれが冷蔵庫だと思います」
ぼくたちはまたぞろぞろと、ルイーズの後について移動した。奥のドアを開けると、その向こうは小さなテーブルと椅子が置かれた狭い部屋だった。テーブルの上にはケトルやコップ、タオルといったものが無造作に置かれていて、どうやら料理人たちが一休みするためのスペースらしい。ルイーズはドアのすぐ横に置かれた、一メートルほどの高さの箱を指さした。
「これなんですけど……あってますか?」
「おー、なんか、それっぽい」
と黒木が言った。。
それは家庭用の冷蔵庫ではなく、どちらかというとアイスや冷凍食品を入れるための、ショーケースのような形だった。ただし、電気コードなんてものはついていない。これもおそらく、魔石とやらで動いている魔法の機械なんだろう。上部についた引き戸(ガラスではないので内部は見えない)を少し開けると、中から冷たい空気がもれてきた。
あ、そうか。この世界にはゴム製のパッキンなんてなさそうだから、冷気を逃がさないためには、この形の方がいいのかな。
「おお、本当に冷えておりますな」
「では、オープン!」
開かずの金庫の前にいるようなノリで、黒木が引き戸を全開した。だけど、もしかしたらこいつの言葉が、フラグになってしまったのかもしれない。冷蔵庫の中は、がらんとしていた。調理済みの料理やすぐに食べられそうな肉、パンなどは見当たらず、大きな甕のような容器が一つ、置いてあるだけだった。
その容器の蓋を開けてみると、中には白い液体が残っていた。顔を近づけてみると、嗅ぎなれた匂いが鼻に届いた。
「牛乳みたいだな、これ」
「牛乳って、この世界にもあるのか?」
「ええと、これは牛を飼っている農家の方がいて、その乳を絞って、毎朝お城に届けてくれるんです。とっても栄養がある飲み物だそうですけど、あまり好きでない人もいて。それで少し、残っているんでしょうね」
ルイーズが説明する。ヨーロッパで牛乳が一般に飲まれ始めたのは、実はそんなに昔ではない、って話をテレビでみたことがある。もしかしたらこれも、かつての勇者の置き土産かもしれない。この世界=中世ヨーロッパではないから、違っているかもしれないけど。
と、何か見つけたのか、新田が急に冷蔵庫の中に手を突っ込んだ。
「ちょっと待て。他にも何かあるぞ」
そう言って、牛乳の甕を手前の方向にずり動かす。すると、その陰に隠れるように、小さめの瓶が二つ、置いてあるのが見えた。取り出して中身を調べてみると、片方に入っていたのは黄金色のどろりとした液体。もう片方には、少し灰色がかった、粒の大きめな粉、というか結晶だった。新田は液体を人指し指ですくって、口に運んだ。
「これ、ハチミツじゃねえか?」
「それとこちらは、砂糖ですな。色は真っ白ではありませんが、間違いなく砂糖の味です」
もう一つの瓶の中身を確かめていた大高が、うなずきながら言った。ぼくはルイーズに聞いた。
「ハチミツや砂糖か。これって、こっちの世界でもよく使われてるの?」
「いえ、私は使ったことがありません。見たことならありますけど。たぶん、高級品なのではないかと思います」
「じゃあ、どうしてこんなところにあるのかな。それに、ハチミツも砂糖も、冷蔵しておく必要なんてないと思うんだけど」
「おそらく、ですけど……」
ルイーズは少し言いよどんでから、
「騎士の方々が使われる厨房のコックさんから、こっそりわけてもらったのではないでしょうか。砂糖とハチミツって、とっても甘くておいしいんですよね? それで、ここのコックさんたちが、自分たちも欲しくなって──」
「ああ、なるほど。確かに、騎士用の食堂なら、高級なものが使われていそうですな。そこのコックが、自分たち用に少し失敬してしまう、というのもありそうなことです。彼らと、こちらに勤めているコックの間でつきあいがあれば、おまえらだけずるいぞ、となっても不思議はありませんな」
「それで、口止め料代わりに少し分けてもらったってことか。じゃ、この砂糖とハチミツは、おれたちが使ったっていいよな。もともと、ガメてきたものなんだから」
黒木は二つの瓶を抱えて、部屋を出ていった。ぼくたちも彼に続いて、厨房に戻る。調理台に乗っている獲物を見てみると、卵、パンの耳、ハチミツ、砂糖。ここには持ってきてないけど、牛乳もある。塩漬け肉と白菜は、使いづらいのと使いどころがなさそうなので、ちょっと除外。
この並びを見た正直な感想はというと、
「食材、少なくない? ここ、台所だよね」
「食材の倉庫は、別のところにあるんです。そちらは、部屋全体が冷房の魔道具になっていて、たくさんの野菜やお肉が保管されているそうです」
「んじゃ、そっちに行ってみる?」
「いえ、それは騎士の方が使われる食堂の横にあります。本来はそちらの厨房用の倉庫で、それを、こちらの厨房が間借りしているそうなんです。ですからあの倉庫には、鍵がかかっていると思うのですが……」
ルイーズの説明に、ぼくたちは一様にがっかりした顔になった。そもそも、騎士用の食堂に入れないから、ここに来たんだ。たぶんだけど、食堂よりも倉庫の方が、管理は厳重だろうし。
「うーむ。そうなると、卵を目玉焼きにして、パンの耳にハチミツをつけて食べる、くらいですかな? 少々、寂しいですが」
「少々って言うか、けっこう寂しいだろ。あとは牛乳を飲んで……砂糖はどうしようか」
「パンの耳を揚げて砂糖をまぶす、ってのも聞いたことがあるぞ。うまいかどうかは知らないけど」
新田が、おばあちゃんの知恵袋みたいな事を言った。しかし、大高は難しい顔で、
「揚げ物はちょっと、ハードルが高いですな。誰か、作ったことのある人はいますか?」
全員がかぶりを振った。ルイーズも、少し恥ずかしそうに、小さく首を振る。まあ、メイドだからといって、全員が料理ができるってわけでもないよな。
と、ここでぼくには、思いついたことがあった。
「じゃあさ。フレンチトースト、なんてどう?」