再び光に包まれて
刀を構えた格好のまま、ぼくはただただ立ち尽くしていた。
どうやって攻撃すればいいのか、まったく頭に浮かばなかったからだ。
今度こそ、打つ手がない。
体で最も柔らかいだろう関節部分を攻撃しても、はね返されてしまった。残る弱点となると目くらいしか思いつかないけど、目を狙うと言うことは相手の顔の正面に立つと言うことで、ちょっと頭を動かされたら、ブレスの発射口である口の正面に立たされてしまう。今まさに、そうなってしまったように。かといって「投擲」程度の威力では、はたしてあの大きな目に傷をつけられるだろうか。多少の効果はあったとしても、ぼくが狙っている「目をつぶして、敵に大ダメージを与える」にはほど遠いだろう。
しかも、今ぼくが戦っているのは、クイーンアラネアのうちの一頭だけなのだ。もう一頭のクイーンアラネアとマザーアラネアは、戦いに参加してさえいない。何らかの奇跡が起きて、今の相手を倒せたとしても、それをあと二回、続けることができるかどうか。ぼくにはまったく、自信がなかった。
いったん、歩みを止めていたクイーンアラネアが、再びこちらに近づいてきた。
ぼくはアネットを背中にかばいながら、我知らず、じりじりと後退していった。さっと後ろを見ると、壁まではもう、わずかの距離しか残っていない。巨大な魔物は、目の前の獲物の最後の抵抗を楽しむかのように、ゆっくりと近づいてくる。
気がつくと、右目の視界が赤く染まっていた。額から垂れた血が、目に入ったらしい。血の滴はほおから首を伝って、胸にまで垂れ落ちてきた。だけど、ぼくには血をぬぐう余裕もなかった。刀を固く握りしめたまま、一歩また一歩と後ろに下がっていき、ついには壁の直前まで追い詰められた。
その時、ほんのりと白い光が、ぼくの目の前に灯った。
その光はすぐに実体化して、小さな女の子の姿になった。宙に浮かんだ女の子は、ぼくの姿を見て、大きく口を開けた。
「あ! ユージ、ユージ、たいへんよ。血が出てるの!」
フロルだった。彼女は、この場にそぐわない呑気な声を上げると、きょろきょろと周りを見回した。
「あれ? ここ、迷宮の一番深いところじゃない。しょうがないわねー。道を間違えたの? 石はちゃんと置いといたし、道をまっすぐ行けばいい、って教えてあげたのに」
「そのつもりだったんだけど、そうさせてはくれなかったんだよ」
ぼくは答えた。突然、目の前に現れた精霊を警戒したのか、クイーンアラネアは少し腰を引いて、首を左右にかしげるような動作をしている。少しだけ、時間が稼げたらしい。逃がしてくれるような雰囲気では、まったくないけれど。
あ、そうだ。
「フロル。精霊魔法は使えるようになった?」
ぼくが尋ねると、フロルはふふん、と胸を張るような格好をして、
「そうなの、よくわかったわね! ユージから魔力をもらって、よーく眠ったおかげで、やっと使えるようになってきたのよ。まだまだ、完璧じゃないけどね!」
「精霊魔法の中に、脱出用の魔法はないかな。例えば、ぼくたちを別の場所へ転移させる魔法、とか」
「転移の魔法? 転移陣のことかしら。できないことはないけど、あれって面倒くさいのよねー。陣を書くのが。それにあれ、精霊魔法じゃないし」
「じゃあ、この場にいる敵を全員眠らせる、なんてことはできない?」
「睡眠の魔法は妖精がよく使ってるみたいだけど、わたしは使ったことがないなあ。わたし、風の精霊だし。風と眠りって、あんまり関係ないから」
「そうか」
ぼくはうなずいた。ダメ元で聞いたんだけど、やっぱりだめか。っていうか、フロルって風の精霊だったんだな。いままで、あんまり気にしてなかった。
だけど、この能天気な精霊と話すことができたおかげだろうか。ぼくの心は、不思議なくらいに落ち着いていた。
「じゃあフロル、短いつきあいだったけど、これでお別れかもしれない。巻き込まれないでくれよ。フロルなら、霊体化していればだいじょうぶだと思うけど」
「え、お別れ? どうしてなの?」
フロルはきょとん、とした顔になったあと、ああ、と納得の声を上げて、
「ああ、あのアラネアね。うーん、たしかに大きいし、なんか歪になっちゃってて、気持ち悪いし。あ、そうか。こいつもユージの魔力が欲しくて、こんなことをしたのね。ユージの魔力、味が変わってるし、たくさんあるからおいしそうにみえたのよね、きっと」
と、変なことを言いだした。ぼくは「魔力」のステータスも高いから、魔力は多いはずなんだけど、味っていうのはよくわからない。そういえばフロルは、最初に契約した時も、魔力がコテコテしておいしいとか何とか、変なことを言ってたっけ。
「あれ? もしかしてユージ、助けて欲しいの? でも、わたしがしなくても、ユージのスキルならだいじょうぶだと思うんだけど?」
ぼくのスキルならだいじょうぶ? もしかしたら、蘇生スキルのことを言っているのかな。だけど、あれでは生き返ったとしても、虫のお腹の中だろう。そりゃあ、腹の中から敵を切り裂くのは、定番と言えば定番の手だよ。だけど、あんまりやりたくはないなあ。生き返っても消化液の中だと、すぐにまた死にそうだし。
それにその方法だと、アネットが助からない。
ちょっと待った。それ以前に、今の言い方だと──。
「フロル。ぼくたちを、助けられるの?」
「うーん、どうしよう。まだちょっと、ぎりぎりぐらいなのよね。本当はもう少し、のんびりしてたいんだけど。でも、しょうがないか。大切な契約者だし、いつも、魔力をもらってるし。ユージの魔力って、一度覚えたら、はまってしまう味なのよねー。
じゃあユージ、ちょっと待っててね」
そう言うと、フロルはぼくの前から離れて、ふわふわと中空へ浮かび上がった。クイーンアラネアとぼくを結ぶ直線上に。まるでぼくを守って、魔物に立ちはだかるかのように。
そして彼女の体は、再び光に包まれた。