それが当たり前な世界
「なあなあ、この子、誰?」
入ってくるなり、大声を上げたのは黒木だった。新田と大高も、メイド服の可愛らしい子に目が吸い寄せられている。ルイーズが、黒木たちに自己紹介した。
「ルイーズと申します。今日から、このお部屋を担当させて頂くことになりました」
「え、そうなの? おれたちの担当ってこと?」
新田もうれしそうな声を上げた。さっきルイーズにも説明したとおり、この部屋は武術組三班の四人が寝泊まりしているからだ。ちなみに、他の班は基本二人一部屋、勇者・聖女とそのパーティーは特別扱いで一人一部屋なんだけど、ぼくらは「部屋が足りないため」といわれて、四人で一つの部屋に押し込められていた。
勇者組なんて、ぼくらとは住んでいる建物自体が違って、ワンランク上の棟に住んでいるらしい。差別だよね。
ルイーズは、はい、よろしくお願いしますと返事をすると、ポーションの空き瓶をカゴの中に入れ、カゴを持ち上げた。ドアに向かい、「それでは失礼します」と一礼して出て行こうとする直前、
「あ、ケンジ様」
ルイーズはぼくを振り返って、
「あの……たいへんでしょうけど、がんばってください」
そして、扉は閉ざされた。
なんか一瞬、いい雰囲気になったような気がしたんだけどなあ……。
などと、(たぶん)自分勝手な回想をしていると、黒木が肘でぼくを小突いてきた。
「何だよ、あのかわいい子。ユージ、あんな子に看病してもらってたのか?」
「確かに、かわいかったな。この城のメイドさんはきれいな人がそろってるけど、かわいさではトップクラスかもしれねえ」新田も口をそろえる。
「あんな子に面倒みてもらえるんなら、俺も気を失ってみようかなあ」
黒木が馬鹿なことを言う。大高はふんと鼻を鳴らして、何も言わなかった。あ、こいつは元の世界でも、女性が苦手だったっけ。
「面倒はみてもらったのかもしれないけどさ。さっきまで、ずっと気を失ってたんだから、ぜんぜん記憶にない。
だいたい、おまえらが気を失う必要なんてないだろ。これからはこの部屋を担当してくれる、って言ってるんだから」
「ま、それもそうだな」
「ところでさあ。ぼくはどうして、気を失ったんだっけ?」
ぼくの質問に、騒いでいた二人が急に静かになった。
「おまえ、覚えてないのか?」
「練習試合をしていて、急に首が痛くなったとこまでは覚えてる。でも、どんな感じで何をやられたのかが、まったくわからないんだ」
「そうか」
ちょっと間を置いて、新田が答えた。
「矢田部のやつ、剣で思い切り突きを入れたんだよ。おまえの首を狙ってな。たぶん、その前に見た一ノ宮の試合に影響されたんだと思うけど、もしもあれが当たっていたら、間違いなく死んでいたと思う。首の骨がつぶされて、な。それくらい、容赦のない突きだった。
おまえは首を動かして、なんとかかわしたように見えたけど、その直後に、首から大量の血が噴き出した。そして、そのまま倒れたんだ。
どうやら、完全には剣をよけきれていなくて、首の皮とその下の血管を切ったらしい。木の剣だから、切ったと言うよりも裂いた、って感じかな。かなりの出血だったから、たぶん、頸動脈ってやつがやられたんだろう。すぐにポーションをかけたら血は止まったけど、あのままだったら、出血だけでも危なかったんじゃねえかな」
「そして、そのまま訓練場から運び出されていったわけです」大高が言葉を継いだ。
「そうか……」
「でも、おかげで助かったぜ。あのあと、やっぱこの訓練はやばいって話になって、昨日までと同じ打ち込み訓練になったからな。それも、ちょっと短めに切り上げてくれたし」
黒木が、お調子者っぽい口調でつけたした。暗めの雰囲気になったので、こいつなりに気を使ったんだろうか。新田もそれに乗って、
「明日からどうなるかは、まだわからんけどな。今日は矢田部がやり過ぎただけで、訓練としては、対戦形式のほうが身になりそうだし」
「まあそうなったら、またユージに出てもらうとするさ。そうだ、その時はどっかで赤いペンキみたいなものを借りて、首に塗りつけておく、なんてのはどうだ? 相手もびびるだろうし、ちょっとは悪いことをしたと思って、手を抜いてくれるかもしれない」
「血ぐらいでびびるな、実戦ではそこら中が血だらけだぞ、なんてジルベールに怒られそうだけどな」
二人のやり取りが続いている。
しかし、頸動脈か。どうりで、タオルについていた血の量がやけに多いと思った……新田の言うとおり、下手をしたら、死んでたな。ポーションというものの性能が良くて、ほんとに助かった。
さらに話を聞いてみると、その様子を見た黒木や宇藤たちはもちろん、ぼくに傷を負わせた矢田部本人も、憑き物が落ちたような顔つきで青くなっていたらしい。
「しっかし、いくらなんでもやり過ぎだよな。矢田部のやつ、二班になったからって、調子に乗ってるんじゃないか?」
「たかが二班のくせにな」
「あの後、青くなったのもダサいよな。あんなになるなら、最初っからやらなければいいのに」
「彼は、いろんなことをため込んでいそうですからなあ。それが爆発したのかもしれません」
「見るからに、友達少ないっぽいしな」
「だとしても、それをこっちに向けるなってんだよ。男なら下じゃなくて上の方、一班のやつらに向けろっての」
「なあ。それにしても、おかしくないか?」
ぼくは、いつもの調子に戻って無駄話を続ける三人に、こう問いかけてみた。
「おかしいとは、なにがですかな?」
「矢田部のことか? だからあいつはさ、調子に乗って、たまってたもんを爆発させて、それで──」
「そうじゃなくてさ。ぼくたち、なんで元の世界に帰りたいって言わないんだろう」
大高たちは、一瞬、虚を突かれたような表情になった。
「──いや、何言ってんだよ。帰りたいなんて当たり前だろ。だからおれたち、あんな訓練をしてるんだろ。帰るためには魔王を倒せ、って言うんだから」
「そうじゃなくてさ。なんて言うか、気持ちの話だよ」
「気持ち?」
不思議そうな顔で、黒木はおうむ返しをした。
「うん。魔王を倒さないと帰れない、だから訓練をしなきゃ、はわかるよ。あいつらにそう言われたし、帰る方法なんて他になさそうなんだから。
だけど、クラスメートは全部で二十四人もいたんだぞ。一人ぐらいは、家に帰りたいって泣き叫んだり、戦うなんて嫌だと部屋にこもったりしても、おかしくないはずだ。そんな人が一人もいないのが、逆におかしいだろ?」
「いやそれは、魔王を倒すためにはやむを得ないというか──」
自分も訓練に乗り気だった新田はこう言ったが、大高はうんうんとうなずいて、
「なるほど。召喚された直後には訓練を嫌がっていた人もいましたが、すぐにそんな話はしなくなりました。たしかに、愚痴にでもそんなことが出ないというのは、少々妙かもしれませんな。一ノ宮君など、教官と一緒になって、周りの生徒を叱りつけていましたし」
「あいつは、自分が強いプレーヤーとわかって、調子に乗っているのかもしれないけどな」ニヤニヤと笑みを浮かべながら、黒木も口をはさむ。
「おかしいのは、ぼくたちも同じだ。訓練を終えてこの部屋に戻ってからも、誰に見張られているわけでもないのに、家に帰りたいなんて話、あんまりしたことがないよね」
「まあな……。いや、だけどそれは、おまえもだろ? おまえだって、そういう話をしたこと、ねえじゃねえか。おまえ自身はどうなんだよ」
「いや、ぼくはちょっと、帰りづらい事情があってね……」
新田に問い返されて、ぼくは少し口ごもった。
姉が結婚して家を出て以来、ぼくの家は、ぼくと母親の二人で暮らしていたんだけど、昨年に母が再婚して、三人暮らしになった。母が一人で奮闘していた食料品店は、今は夫婦で仲良くやっている。以前なら、ぼくは学校から早めに帰って、夕食前の忙しい時間帯には店を手伝ったりしていたんだけど、今はそれもなくなった。三人もいたら、かえって窮屈になってしまうからね。
それにあの二人、とっても熱々なのだ。再婚相手は母より年下。母はぎりぎり三十代で、肉体的にもまあ若いと言える歳なんだけど、再婚してからは一層若返ったなあと感じる。そんな二人+一人が、店舗兼住宅の狭い家で暮らしているのだ。
いや、悪いことじゃないよ。それに、義理の父となった人も、ぼくを邪慳にしているわけではない。仲良くやっている方だと思います。だけどやっぱり、なんとなく、家には帰りづらいと感じてしまうのも、しかたがなかった。
実はもう一つ、 これとは別の理由もあるんだけどね。これは、今話してもしかたがないというか、話さない方がいいだろう。
というわけで、ぼくは母のことだけを、手短に説明した。黒木はふーんと言ったあと、
「だとしてもさ、帰りたいと思わないっ、てほどでもないんじゃないの?」
「そのとおりですな。そして、ここで私自身を顧みてみますと確かに、帰りたい、という気持ちが弱いように思えます。となると、これは──」
「おれたちが洗脳されている、とでも言いたいのか」
新田は不愉快そうに眉をしかめた。が、大高は難しい顔で腕を組んで、
「ありえないことではないでしょう。言葉を理解する魔法、なんてものまであるのですからな。頭の中をいじるのも、わけはないのかもしれません」
「でもさ、おれたちはそこまで変になってないんじゃないの? この筋肉バカはともかく、オレもユージも大高も、訓練に乗り気には見えないぜ」
「人によって、洗脳への耐性みたいなものがあるのでしょうか。たとえば、その人の精神力が強いと効きにくい、とか」
「おれたちって、精神力が強いのかね? 戦闘力は駄目みたいだけど」
「あるいは、戦闘では使い物にならないので、洗脳する必要もないと思われたのかもしれませんな」
「おれたち、洗脳でも落ちこぼれてんの? 勘弁してくれよー」
黒木が大げさな声をあげ、ぼくは笑い声を上げそうになった。そして気がついた。
ついさっき殺されそうになったばかりというのに、ぼくはまったく気にしていない!
確かに、洗脳されているかのようなみんなの態度や、さっきの矢田部の様子については、なんだかおかしいと思っている。だけど、矢田部がぼくを殺そうとしたこと、ぼくが危うく殺されかけたことそれ自体には、ほとんど嫌悪感を覚えていないんだ。まるで、人が人を殺し、人に殺されるのが、当たり前のことであるかのような……。
ぼくだけではなく、大高たちもそうだ。考えてみれば、クラスメートが死にかけたことを、その直後にジョークで笑いに変えようとするだろうか。
これがはたして、洗脳なのかどうかはわからない。だけど、ぼくたちもやっぱり、少しずつおかしくなっているのかもしれなかった。