ヤバそうな感じが
うーん。ちょっと、警戒しすぎだったのかもしれない。
よく考えたら、ぼくの実際のステータスは、そのへんの騎士よりも強いんだった。ただ大きいだけの敵なら、そんなに怖くはないのかも。それなら、そろそろこっちからも反撃しようと、ぼくは前に踏み込んだ。
その刹那、なんだかゾワっとするような、ヤバそうな「感じ」が頭の中を走った。
ぼくはとっさにコースを変えて、左に転がる。それとほとんど同時に、グレーターアラネアの口から大きな白い塊が吐き出され、ぼくがいた位置にべちょっ、と張り付いた。
「なんだあれ、蜘蛛の糸か?」
どうやらそのようだった。こいつ、おしりじゃなくて口から糸を吐き出すんだな。口から塊まで、細ーい糸が引いていて、見ていてなんか気持ちが悪い。直感を信じて良かったよ。そういえば「直感」のステータスも、そんなに悪くはないんだっけ。
すぐさま立ち上がったけど、息つく暇もなく、アラネアが次の塊を吐き出してきた。それをよけても、また次の塊。ぼくは後ろに下がりながら左右によけつづけたけど、地面のそこら中に、ネバネバの粘液が散らばってしまった。
このままだと、ちょっとまずいな。あの粘液に足を取られたら動けなくなりそうだし、足下に注意を払って粘液をよけながら戦うのは、ちょっと難しそう。それはグレーターアラネアだって同じだろうけど、あの重量があれば、少しくらい足を取られても平気なんだろう。自分の体の大きさという強みを生かした作戦、ってことなのか。
それならこっちは、敵の弱点を突くことにしよう。
「《ファイアーウォール》」
「グギギ……」
ぼくは火魔法を詠唱して、炎の壁を作った。アラネアの弱点は、火属性だ。ぼくの火魔法はそれほど強力ではないし、クイーンアラネアくらいの大物になると、並大抵の炎では通じないらしい。それでも、クモの糸を焼いたり、相手を牽制するくらいなら、ぼくの魔法でも十分だろう。実際、炎に触れた粘液は派手に燃え上がり、グレーターアラネアはうなり声を上げて、少し後ずさった。ぼくはすかさず追撃する。
「《ファイアーウォール》!」
今ある壁の少し前に、もうひとつの炎の壁ができあがった。
ぼくは炎の壁を動かすことはできないけど、二つの魔法を同時に発動することはできる。生活魔法でも、さんざん練習してきたからね。続いて、手前側の壁を消して、残った壁の向こう側に、改めて作り直した。そしてまた、手前の壁を消して……を繰り返せば、壁を動かしているのと同じようなものだ。「魔力」のステータスが高いからか、魔法の連発もそれほど苦にはならなかった。
こうして、地面の粘液をつぶしながら、炎の壁を進めていった。それほどの火力ではないはずだけど、本能的に火を恐れるのか、グレーターアラネアは一歩、また一歩と後ろに下がっていく。とうとう、小部屋の隅に追い込むことができた。
さて、最後の詰めをどうしようかと考えていると、相手もこのままではじり貧とみたのか、動きを起こしてきた。炎の壁を割って、前に突進してきたんだ。頭部は炎に包まれていて、蜘蛛の糸は吐けそうもない。その意気や良し、いざ尋常に勝負! とぼくも突っ込んでいこうとしたけど、その瞬間、再び頭の奥の方がゾワっとした。
「っ、縮地!」
ぼくはとっさに身をかがめながら、縮地スキルを発動した。何かの物体が頭の上を飛び去っていくのを感じながら、一瞬でグレーターアラネアの腹部の下を通過。その勢いを利用して、魔物の腹を大きく切り裂いた。そうして敵の背後に出ると、すぐさま振り向いて、大きな背中に飛び乗った。そして背中の上から、アラネアの急所である胸部と腹部のつなぎ目に、剣を深く突き刺した。
「これで、とどめだ!」
そのままぐりぐり剣を動かすと、傷口からアラネアの体液が大量にあふれ出した。グレーターアラネアは激しく暴れまわり、ぼくを押しつぶそうとするかのように、仰向けにひっくり返った。そうなる寸前、ぼくは魔物の背中から飛び降り、急所にもう一太刀入れようと、剣を振りかざした。
「今度こそ、とどめ──痛っ!」
真横からの体当たりを受けて、ぼくは突き飛ばされた。素早く地面を転がり、体勢を立て直して剣を構える。ぼくの目の前にいたのは、スモールアラネアだった。体中傷だらけで、前の足は二本とも折れ曲がっている。遅れてもう一匹やってきたが、こちらはさらに傷がひどく、腹部がぱっくりと二つに割れた上に、数本の足が切断されていた。
スモールアラネアたちは、グレーターアラネアを守るかのように、ぼくの前に立ちはだかった。が、当然ながら、そんな状態ではぼくの敵ではなかった。ただの二太刀でこの二匹を退けて、再度、グレーターアラネアに近寄った。グレーターアラネアはひっくり返ったまま、起き上がることもできていない。急所にぐさりと剣を突き刺すと、アラネアはびくりと震えた後、次第に足の動きが弱々しいものになって、やがて力尽きた。
その死体の横には、最後に飛び出してきた二頭のスモールアラネアが、並んで倒れていた。
「こいつら、母親を守ろうとしたのかな。それとも、何かテレパシー的な指令を受けて、こっちに来たんだろうか」
後ろを振り返ると、少し離れた地面の上に、べったりと黒い粘液がこびりついていた。アラネアの体液とも、蜘蛛の糸とも違うようだ。さっき縮地をする直前に、頭をかすめたやつだな。これ、なんだろう? 少しかがみ込んでみると、強烈な刺激臭が鼻をついて、思わず顔をのけぞらせてしまった。
「これって、もしかして毒液?」
そうか。毒攻撃が得意なのがポイズンアラネアで、得意でないのがグレーターアラネア。けど、「得意ではない」だけで、「できない」わけではないんだな。同じ種類の魔物なんだし。毒消しはあるけど、こんな粘ついた毒液だと、一度浴びたら、拭うだけでも大変そうだな……次からは、気をつけよう。
あれ? そういえば、アネットはどうしたんだろう?
あわててあたりを見まわすと、彼女は地面に片膝をつき、小剣を杖がわりにして、なんとか立っている状態だった。
「どうした? ケガでもした?」
ぼくが驚いて駆けつけると、アネットは片手を上げて、
「大丈夫。ちょっと、息が切れただけ」
改めて彼女の全身を見たけれど、確かに彼女はハアハアと息をしているだけで、ケガをしているところはなかった。
「ごめん。一人に任せるには、数が多すぎたかな」
「最初のうちは、楽に倒せたんだけどね……そのうちに息が上がってきて、最後の二匹は取り逃してしまった」
「数は力、ってやつか。ぼくは広範囲をせん滅できる魔法なんて持っていないし、確かに集団で来られたら、厄介だな」
「まあ、通路で鉢合わせした個体と戦うだけなら、それほど問題はないだろう。今みたいに小部屋のボスを攻撃するのでもなければ、集団で襲いかかってきたりはしないだろうし」
アネットの息が整ったところで、改めて小部屋を探検した。
すると、部屋の奥に蜘蛛の糸でできたベッドのようなものがあり、その中に数十個の卵が産み付けられていることがわかった。最初、グレーターアラネアが動かなかったのは、これを守っていたためかもしれない。ベッドは二枚がけになっていて、その二枚の間に卵が産み付けられていた。ベッドはけっこうふかふかで、なんだか寝心地がよさそうだった。
ちょっと迷ったけど、卵はそのままにしておいた。べつに壊しても良かったんだけれど、今すぐに敵対して、襲いかかられるわけでもないからね。
この日の二回目の食事は、グレーターアラネアの足だった。グレーターアラネアのもも肉は、どういうわけか、鳥肉に近い味がした。