飽きと慣れ
迷宮の通路に、大きなクモが二頭、対峙していた。
どちらも体長は一・五メートルほど、ビッグアラネアと呼ばれる魔物だ。ちなみに、こいつはスモールアラネアとは別の種類の魔物、というわけじゃない。小さいものを「スモールアラネア」、人間と同じくらいの大きさまで育ったものを「ビッグアラネア」、人間の倍くらいの大きさのものを「グレーターアラネア」と呼んでいるだけだ。
まあ、出世魚のようなものだね。この迷宮のアラネアはすべて、一匹の変異種が生んだ子供と、その子孫だろうと言われている。だから当然、種類としては同じものなんだ。
さらに大きくなると、最大で十メートルくらいにまでなって、「クイーンアラネア」と呼ばれる。ここまでくると、ランクとしてはAランク相当の魔物だ。クイーンアラネアの変異種「マザーアラネア」となれば、強さはさらに上で……あんまり、というか絶対に、出会いたくない相手だ。
それから、毒液を吐き出して攻撃してくるものを「ポイズンアラネア」、それが大きくなったものを「レッドポイズンアラネア」というけど、これも同じ種だ。人間の子供でも、勉強が得意な子と運動が得意な子がいるように、アラネアにも肉体攻撃が得意なものと、毒攻撃が得意なものがいる、ということらしい。
毒攻撃が得意なものは、成長すると体に赤味が増してくるので、名前に「レッド」がつくそうだ。
さて、そのビッグアラネア二頭は、さっきからにらみ合うように、互いの頭を近づけていた。時々、カサカサと細かく足を動かして、微妙に位置取りを変えている。仲がいいのか悪いのか、まるで、社交ダンスでもしているかのようだ。そんな状態がしばらく続いたあと、両者はほとんど同時に、相手に向けて飛びかかった。
どうやらこの二頭、仲がいいわけではないらしい。たぶん縄張り争いか、そうでなければ相手を食べようとしているんだろう、ビッグアラネア同士の戦いが始まった。
両者は空中でぶつかり、一方の体が仰向けにひっくり返された。もう一頭のビッグアラネアは、一度着地すると再び跳躍して、相手の上に飛び乗った。そしてその体に、鋭い牙を突き立てようとした。
「アネットが上、ぼくは下のアラネアを狙おう。じゃあ、いくよ」
ぼくの合図に、アネットは黙ってうなずいた。そして二人そろって、手にしていた楕円形の石を、魔物に向けて思い切り投げつけた。
「投擲!」
「「グギギィ!」」
二つの石は、狙い違わずアラネアに命中し、魔物は苦悶の叫びを上げた。
迷宮探索は、三日目の朝──太陽がないのでわからないけど、体内時計の感じでは、朝──に入っていた。
これで二回、アネットと夜を過ごした(←変な意味ではない)ことになるけど、特に何の異常もなく、朝を迎えることができていた。最初は、ぼくが寝ている間にアネットに襲われないか(変な意味ではなく)、ちょっと心配だったけど、彼女にはそんなつもりはないようだ。まあ、いざという時には、フロルに止めてもらうつもりだったんだけどね。
この日も、ぼくたちはスキルで気配を消したまま、迷宮を進んでいた。この前の鑑定でわかっていたけど、アネットもぼくと同じく、隠密のスキルを持っている。迷宮脱出までどのくらいかかるかわからない現状、できるだけ戦いは避けたかったので、二人ともこのスキルをオンにしたまま行動することにした。
そうしたら、二匹のアラネアが争っている現場に出くわしたので、漁夫の利を狙って、その戦いに参戦することにした、というわけだ。戦いは避けたいけど、食事もしなければならないから。
ぼくたちは二人とも投擲のスキルがあるけど、アネットのそれは、ぼくよりレベルが高いらしい。投げた石は、クモの胴体と胸部をつなぐ部分に見事に命中して、体を守る外殻を壊し、肉をえぐった。攻撃を受けたアラネアは、傷から大量の黄色い液体を吹きだして、裏返しにひっくり返った。そのまま、ぴくぴくと足を痙攣させている。もしかして、あの一撃で決まったの? さすが、本職のアサシンだ。
ぼくの投げた石は、もう一匹のアラネアの腹部に当たって、大きな穴を開けた。投擲のレベルはともかく、筋力ならぼくの方が上だ。破壊力は勝っているだろう。それでも、こちらは即死とはいかなかったので、ぼくは小剣を手に魔物に駆け寄った。アラネアは起き上がることもできず、抵抗らしい抵抗も見せないまま、胴体を両断された。
「ギルドの資料で読んだとおりだ。この、胸と胴体の間の細くなっているところが、アラネアの急所みたいだね。切ると体液がどばっと出てくるのが、ちょっと嫌だけど」
ぼくはこう言いながら、アネットを振り返った。彼女は、裏返ったままのアラネアにナイフを突き刺して、念のためのとどめをさしていた。
戦いが終わり、手早くアラネアの解体を終えたぼくたちは、合計十六本の足だけを持って、魔物の死体から離れた。近くにいたら、死臭を嗅ぎつけた他の魔物が寄ってくるかもしれない。少し離れたところで再び隠密状態に入ってから、本日の食事に取りかかった。
当たり前だけど、メニューはアラネアの肉を焼いたもの、これ一品のみ。しかも調味料は無し。三日目にして早くも飽きがきてたけど、こればっかりはしかたがない。逆にアネットはクモにも慣れてきたようで、淡々とクモ肉を頬張っていた。飲み水の方は、生活魔法の『ウォーター』があるから、問題ないんだけどね。
ぼくは残った焼き肉を小さな布袋に入れ、小さなボディバッグ(マジックバッグだけど、今は普通のバッグとして使っている)の中にしまうと、同じく食事を終えていたアネットに尋ねた。
「アネット。この先は、どうしようか?」
「うん……そうだね」
アネットは、ぼくたちが座っている通路の前方に、視線をやった。その通路は、ここからしばらく行った先で、左右に分岐していた。
ストレアの迷宮も、基本的な構造は他の迷宮と変わらない。メインストリート的な通路が下に進むにつれて分岐していって、通路のそこここに、小部屋と呼ばれる広場がくっついている。ただし、その規模は、ルードの迷宮とは比較にならないくらい大きいようだった。
いや、これは迷宮自体の大きさではなく、今いる階層の深さの違いかもしれない。迷宮は、階層が深くなるほど広くなるらしいから。フロルの言った「とーっても深い」という表現は、残念ながら事実のようだ。
そして、この先にある分かれ道は、道の広さから見ると、どうやら小部屋への分岐ではなく、二本の通路の分かれ道らしかった。
「ボクはこの迷宮について、良く知らないからなあ。もともと、ここに入るつもりなんてなかったから。だから、どちらの道が正しいか、よくわからない」
「それはこっちも同じだよ。地図も持っていないし、見たことさえない」
そう答えたぼくだったけど、一応、対策みたいなものは考えていた。
実は今、フロルはこの近くにいない。当面、アネットに襲われることはなさそうだと思ったので、彼女には別の仕事を任せることにした。迷宮を出る正解のルートを、探しに行ってもらっているんだ。考えてみれば、この手があったんだよな。霊体化してしまえば、フロルには魔物も壁も関係ないから、わりと簡単に外への道を見つけることができるだろう。ただ、
<面倒くさいの! だいたい、道順がわかっても、全部覚えるなんてできないの>
とのことだったので、ぼくが持っていたまん丸い石を彼女に渡して(精霊特有の魔法があって、マジックバッグ風に、ものを収納しておくことができるんだそうだ。容量は魔力量によるので、たいした物は入らないらしいけど)、曲がり角ごとに、正しい方向に置いてきてもらうことにした。この石、武器としてはそんなには使う機会がなかったからな。一度だけ、役に立ってくれたけど。
<わかったの。でも、帰ってきたら、魔力を思いっ切り吸わせてもらうからね! 今までは、ずいぶん遠慮していたんだから>
フロルはそう答えると、すぐに姿を消した。なお、彼女とぼくは「リンク」というものがつながっているので、それをたどれば、ぼくのところに戻ることができるんだそうだ。
ただ、そのフロルがまだ帰ってきていないので、どれが正解のルートかは、まだわかっていない。アネットが言った。
「でも、迷宮を出たいのなら、上っていく方向に曲がるべきだろうね」
彼女の言葉に、ぼくもうなずいた。うん、普通に考えれば、そうなるよね。それで問題ないだろう。間違っていたら、そこで引き返せばいいんだし。
「そうだね。今までずっと、下る道だったからなあ。そろそろ上に行こうか」