つかの間の共闘
「ストレア迷宮? ここが迷宮の中だって?」
暗殺者の質問に、ぼくはうなずいた。
「さっき、ぼくたちは滝壺に落ちただろ。あの滝壺、滝からどんどん水が入ってくるのに、出て行くのは小さな川しかなかった。どうやら、地下を流れる川ができていて、滝壺に落ちた水の大部分はそこを流れていくらしい。伏流水、っていうのかな。そしてその川が、ストレア迷宮の中につながっていたんだ。
どうやらぼくたちは、その川を流されて、ここに出てしまったらしいね」
「だけど、どうしてここが迷宮だと言い切れるんだ?」
「周りを見てごらんよ。暗いけど、見えないことはないだろ? 光が入ってくる穴なんて、どこにも無いのに」
暗殺者は、はっとした表情で顔を上げた。
「……そうか。『発光石』か」
あたりはほの暗いけれど、完全な暗闇にはなっていない。光の入り口がないのに、わずかに光がある。それは、周りの壁が光っているからだった。迷宮に特有の発光石。なんていうか、あまりにもおなじみの景色だったので、ぼくもすぐには気づくことができなかった。
「ついでにいうと、そこに転がっている魔物も、ついさっき襲ってきたやつだよ」
「アラネアか。どうやら、ここがストレア迷宮であることは、間違いないみたいだな」
「だから、お願いというのはね。ぼくと一緒に戦って欲しい、ってことなんだ。迷宮を脱出するまでの間でいいから、共闘しないか? いったんは休戦ということにして」
ぼくは、以前よりはかなり強くなったと思う。単に魔物と戦うだけなら、一人でもそこそこ戦うことはできるだろう。
けど、ここは迷宮だ。しかも、地図もなく、どんなレベルの魔物がいるのかもわからない。魔物の大半はクモなんだろうけど、それにしても、どの程度の強さかは知らない。脱出まで何日、下手をすると何週間、何ヶ月かかるかわからないんだ。そんなところからたった一人で脱出するのは、とても難しいだろう。
特に問題なのは夜だ。寝ている間は誰でも無防備になるし、眠らなければ、どんな強者でも倒れてしまう。「探知スキルつけっぱなし」の裏技も、数日くらいならなんとかやれるけど、それ以上はきつい。あれも、寝不足にはなるからね。フロル? うーん、どこまで協力してくれるのかなあ。あいつが魔物と戦う、なんてところ、想像できないし……。
という理由から、ぼくは暗殺者に対して、こんな提案をしたんだった。だけど、この提案を聞いた暗殺者は、何かうさん臭いものでも見るような顔になった。
「共闘だって? さっきまで、殺し合いをしていた相手と?」
「殺し合いといっても、君は誰かから頼まれただけで、ぼく個人に恨みがあるわけじゃあないんだろ。仕事でぼくを襲っただけだ。その仕事を、迷宮にいる間だけ、とりあえず棚上げにしてくれないか、と言っているんだ。
だって、このままだったら、共倒れになるだけだよ。まず確実に、二人ともここで死ぬ。今、自分がどこにいるかさえわからないんだ。魔物だらけの迷宮を、たった一人で抜け出すなんて無理だよ。それを避けるには、協力するしかないんだ」
こう言うと、彼女は黙り込んでしまった。
ここは、一つの賭けだった。こいつがもし、自分が死んでも任務だけは果たす、なんてタイプの暗殺者だったら、こんな提案は無意味だ。答がイエスであろうとノーであろうと、結局は戦いになって、最後には二人とも死んでしまう。でも、仕事が暗殺者だからといって、そういう人間ばかりとは限らないだろう。例えば、何かやらなければならないことがあって、そのためにこの仕事をしているような人だったら、この話に乗ってくれるはずだ。
黙ったままの暗殺者に、ぼくはもう一押ししようと、
「難しく考えなくてもいいんじゃないかな。仕事をするにしても、生きて帰ってから、やったっていいんだろ。ぼくを殺したいのなら、迷宮を出てから、改めて狙ってくれればいい。もしそうなったとしても、少なくとも二人のうちのどちらかは、生きられるんだし」
「君は、そうなったら自分が生き残るだろう、と思っているわけかい?」
「いや、『少なくとも』だよ。二人とも生きていたっていいんだから」
ぼくは首を振った。この際だから、ぼくを暗殺するという仕事は、失敗したことにしてくれてもいいんじゃないだろうか。実際、今のところは間違いなく、失敗しているんだし。そうしてくれれば、二人とも生きていられるんだ。
依頼に失敗した暗殺者は自らの命であがなう、なんて設定の小説かマンガを、読んだことがある気がする。けど、実際にはそんなこと、しないんじゃないだろうか。だって、そんなことをしていたら、暗殺者なんて職業はすぐに絶滅してしまう。暗殺の成功率が8割あったとしても、月にわずか1件の仕事をするだけで、1年たてば20人中19人くらいは死んでしまう計算になるんだから。暗殺の技術を仕込むのだって、簡単なことじゃないはずだ。現場が厳しい仕事ほど、人には優しくなければならないのだ。
……まあ、元の世界のとある国には、「ブラック企業」という、その原則があてはまらない職場もあったけど。
「だけど君だって、ボクを殺そうとしたじゃないか。さっき先に攻撃をしたのは、君のほうだった」
「それは、そっちが襲ってくるのがわかったからだよ。ぼくも君に、恨みなんてない。これまで会ったことさえないんだから。それに、もしも君を殺したいのなら、今やってしまえばいいんだからね。
君だって、このまま死ぬより、生きるチャンスがあった方がいいだろ?」
暗殺者は眉をしかめて、拘束された自分の体を顧みた。
「……だけど、いいのかい。君なら、一人だけでも脱出できるんじゃないか。さっき戦ってみてわかったけど、君、本当はかなりの腕前だろ? その上、一度死んでも、生き返ることができる特殊能力持ちだそうだし」
え、この子、蘇生スキルのことを知っているの? そうか。暗殺の依頼主から、情報として伝えられていたんだな。一度死んだ後、もう一度殺せ、と。すると、依頼主は蘇生スキルの詳細を知っている人物、となるんだけど……誰だろう。山賊は、そんなこと知らないよな。でも、わざわざ殺し屋を雇ってまでぼくを殺したい人間なんて、山賊がらみ以外には考えられないんだけど。
「さすがに無理だよ。生き返るって言っても、その瞬間は眠っているような状態だからね。もう一度殺されるのが落ちだ。
それに、ここは迷宮の中でも、かなり深い場所みたいなんだ。どうしてそれがわかったかは、秘密だけどね」
これは、フロル情報。フロルのことは教えるつもりはないので、情報源は伝えなかったけど、暗殺者から突っ込まれることはなかった。冒険者に秘密があるのは常識で、聞かれても答えないのが当然だからね。
「もしかしたら、ボクは途中で裏切るかもしれないよ」
「それはしかたがないかな。この共闘は、『迷宮を出られるめどが付いた時』までの、時限付きのものになるだろうから。そのめどを読み誤って攻撃されるとしたら、それはぼくのミスだ」
ぼくの答を聞いた暗殺者は驚いたような顔つきになった。そして少し考え込んだあと、こう聞いてきた。
「……もしも、その申し出を断ったら?」
「ぼくはこのまま、立ち去ることにする。申し訳ないけど、君はそのままだ。命を取ることはしないけど、ロープをほどいたり、ナイフを返したりしたりはしない。ぼくが危なくなるからね」
「それって、ぼくを殺すと言ってるようなものじゃないか」
暗殺者は苦笑すると、
「なら、しかたがないね。協力するよ」
「え、いいの?」
「ああ。そうする方が、依頼を達成する可能性は高そうだからね」
暗殺者はにっこりと微笑んだ。意外にかわいらしい笑顔に、ぼくはちょっと、ドキッとしてしまった。
ぼくから提案しておいてなんなんだけど、実を言うと、こんなに簡単にOKしてくれるとは思っていなかった。断れば命がないんだから、合理的に考えれば、それ以外の選択はない。それでも、ついさっき、命がけで戦った直後なんだ。何かわだかまりのようなものがあっても、おかしくはなかった。
あ、そうか。「命が安い」ってことは、「命がけで戦った」ことも安くなるのか。だから、仲直りも簡単になるのかもね。
「ありがとう、助かるよ。じゃ、ちょっと待ってて」
ぼくは暗殺者に近寄って、手足を縛っていたロープをほどいた。念のため、急に襲ってきたりしないか用心をしながらだったけれど、相手はそんな素振りはみせなかった。彼女が身を起こしたところで、ぼくは右手を差し出した。
「じゃあ、これからしばらくの間、よろしくね」
暗殺者も黙って手を出し、ぼくの手を握った。ちなみに、この世界にも「握手」はあったりする。武器を握るはずの手を出すという行為が、友好の意味合いを持っているからなのか。それとも、過去に召喚された勇者による、文化汚染の一つだろうか。
「ところで、君の名前は?」
「名前?」
「お互いを呼ぶのに、名前を知らないと不便だろ。戦いの時、連携する必要があるかもしれないんだから。あ、ぼくはユージ。もう知ってるかもだけど」
「……アネット」
「それは本名なの? それとも、仕事用の偽名?」
少しの間を置いて、暗殺者はこんなことを言った。
「ボクたちに、本名なんてないよ」
この後、ぼくはアネットから取り上げておいたナイフを、彼女に返した。ただし、まだ完全に信用しているわけでもないので、一本だけ。全部渡して、投げナイフをポンポンと投げてこられたら、厄介だからね。アネットはやや不満げな顔をしたけど、文句は言わなかった。ただ、ぼくがナイフの一揃いを持っているのを見た彼女は、急いで自分の体をまさぐった。お腹、太腿、そして最後に自分の股間に手をあてた彼女は、キッとぼくをにらみつけた。
「……エッチ」
「あ、はい、すみませんでした」