1...災いの始まり
そこはとある奥地の集落だった。
世界は分断していて国と言う物が血縁単位でバラバラの時代。
いつからそこにあったのかもわからない。
その集落では西暦を数える概念すら存在して居なかった。
獣の生皮が至る所に無造作に干されていた。
蝿やウジが湧いていても誰も気にする者もいない。
その集落は落雷による大規模な森林火災に見舞われ、その後も大洪水により農作物までやられて手に負えないほどひどい飢饉に見舞われていた。
「長老!今年生まれた子供は全て殺せと言うのは正気で言っているのですか!?」
キセルを咥えて煙を室内に充満させた皺だらけで痩せ細った老人に、若い夫婦が子供を腕に抱いて詰め寄っていた。
「火災に水難、ぬしらの子が生まれてからと言うものこの村は災難続きじゃ。食わせる糧にも限りがあるでなあ。」
それに。
長老がシワを深めてジッと赤ん坊を睨め付けた。
布に包まれた赤子の瞳が薄らと開き、横目で長老を眺めている。
その瞳は年端も行かぬ赤子にしては奇妙なほどはっきりと対照を捉えていた。縦長の瞳孔に白眼がちの金色の瞳。赤子の口元には薄らと相手を小馬鹿にするような笑みが浮かんでいた。
それが栄養不足による被害妄想の錯覚だったのかはわからないが、長老は不愉快げに顔を顰め、キセルの灰を打ち落とした。
「ぬしらの子は忌み子やもしれん。生み落とした直後から災害が二度も続いておるんじゃ。子はまた生めばええが村が滅びれば事じゃからのう。」
良心の呵責が少しはあるらしい長老の言葉は柔らかかった。
しかしそれを聞いた夫婦の夫は悔しげに膝を叩き、妻は我が子を抱き締めて泣き崩れていた。
何故だろう。何故捨てられたんだろうか。
自分の何がいけなかったのか。
赤ん坊は蝋燭の灯りと共に木箱に詰め込まれて、ごめんねごめんね、許してくれ、と呟く夫婦に見守られて川に流されていた。
夜空がとても綺麗だった。
マングローブの木々が生い茂った川を下流に向かって流されていると何かがにょろりと近づいてきた。
大きなワニの瞳が水面から僅かに覗いていた。
あ、食われる。赤子が恐怖に身をすくめる間もなく木箱ごと赤子は噛み砕かれていた。
「はあ、びっくりした。生まれてすぐに死ぬとか、売られた方がマシじゃないのか?」
赤ん坊はどう言う訳だか死んだはずなのに死んでいなかった。
四つん這いのワニの体で陸まで移動するとグッと力を込めてワニの硬い皮膚を破った。
食われたせいなのか赤ん坊はワニと同じ体積になって、ワニの方は分厚い皮だけを残して中身がスッポリと消えていた。
「美味しかった。キミは最高だったよ。」
ポンポンとワニの皮の頭部の部分を撫でるように叩いた。
少年は血塗れになった自分の姿を水面に映し、自身の手足を眺めた。どう言う訳か成長していた。
年齢は18ぐらいだろうか。こんな姿では誰にも拾ってもらえないだろう。いい歳だし、庇護対象にはなれない。
自分には新しい両親が必要だった。
「やっぱりこの肉返すよ。捨て子は捨て子らしくしないと…」
自分の体についた成人体の体を服を脱ぐように脱ぎ捨てて、ワニの皮の中にぎゅっぎゅっと収めて、背中に跨って裂け目を撫で撫でと撫でるとワニの体がボコボコと蠢いた直後に元通りに修復された。
自分はどうやらエイリアンだったらしい。
ワニは回復すると逃げ出すように赤ん坊を背中から振い落として川へと潜っていった。
四つん這いぐらいしかできない赤ん坊の体で、人を求めてハイハイしているとまた茂みから飛び出してきた別のワニに赤ん坊は一口で丸呑みにされていた。
赤ん坊の体でこの森を脱出するのは難しいことに気付き、またワニの中身を奪って成人の姿になった青年は、中身のないワニの皮を引き摺って歩き出した。人里に行きたかった。
歩いていると自分と同じ年代ぐらいの若者が川に飛び込んで遊んでいた。女性達も布を巻いたまま川で身を清めていた。
何処かにその人間達の村があるのかもしれない。
ワニの皮を引き摺って歩いて行くと見覚えのある集落を見つけた。
青年は塀に干してある布を捲り取って頭からスッポリと包むように身に纏うと集落の中央にある土造りの村長の家に潜り込んだ。
持ってきたワニの皮に自分の成人体の肉体を脱いで詰め戻しながら村長の帰りを待った。
夕方ぐらいになると村長が狩りから戻って家に入ってきた。
焚き木の側に座ってまたキセルを咥えて煙を燻らせている。
赤ん坊はそれをジッと眺めながら、ワニの皮の破れ目を手で塞いで命を吹き戻した。
バシンとワニの背中を小さな手で叩くとワニは村長に向かって突撃するように走り出し、大口を開けて襲い掛かった。
「ぐわああああっ」
村長が肩から噛みつかれて血を撒き散らしてドタンバタンとデスロールを受けていた。
若い村人達が槍を持って駆けつけた時には村長は頭から腹部までワニに飲み込まれて生き絶えていた。
「「村長!」」
「川の悪魔め!よくも村長を!!」
屈強な若者達が身を戦慄かせてワニに向かって槍を構えて突撃し、ドスドスとワニへと無数の槍を突き立てていた。
ワニを無事に討伐した村人の中には赤ん坊の父親も混ざっていた。
村長を取り囲んで嘆く村人達の元に赤ん坊は這い進んで行った。
「この赤ん坊は…!?」
「わ、私の息子だ!まさか、そんな…生きていたのか!?」
信じられないと言った顔で父に抱き上げられ、「これは神の起こした奇跡だ」そう祝福されて村の一員として迎えられた。
両親の元に戻って十数年の歳月が流れた。
子供はジャーキーと名付けられた。
安定した暮らしの中では奇妙な能力を使う気にもなれず極力人に溶け込んで暮らしたかった。
だが食人村の奴らが狩りに出ていた仲間を数名弓で射殺してジャーキーをも殺して捕らえて食料として連行して行くため止むを得なかった。火にかけられ焼かれた肉を奴らは村人総出で貪るように食べていた。
結果ジャーキーの体はどうなったかと言えば、増えた。
皮を破って出てみると、そこには無数の自分が居た。
それは別々の意識を持つ自分なのではなく、意識はジャーキーの物一つなのだが複数の体がそこにあると言う状態だった。
つまりジャーキーが右手を動かせば奴らも同じように動かす。
全員で全く同じ動きをするのだ。
別に仲が良いわけではないのだが殺到する。
ジャーキーは小便一つ一人ではたすことができない状態に陥り、自身のやりたいこととは真逆の行動をとるようになった。
行きたいと思っても自分には戻るよう指示して、ぎこちなく動くことしか出来なかった。意識と体の動きを別に動かすと言うのは非常に難しかったがそれは複数の自分の人格を作ることで解決した。
このキャラはこう動くしこのキャラはこう動くと言った感じだ。
それを続けているとどの肉体が自分の本体なのかも分からなくなった。
複数の自分がいてチグハグに意識を共有している。どれが本当の自分なのかがわからない。
ジャーキーは自分の奇妙な肉体に慣れてくると一体以外全ての自分の体を食人村に残して生まれ育った村に帰ることにした。
そこで幸せに暮らしていた。食人村の自分達も多分同じ動きで同じように生活していたのだろう。
だが村に戻ったジャーキーは裏腹で真逆な行動を取ることが癖になっていた。やりたいことも出来なくなり、食人村の自分を村に戻して代わりをさせなければ生活すらままならなかった。
村一番の凄腕の狩人の武勇伝を聞きに行きたかったが行けなかった。コレがやりたかったが出来なかった。アレがやりたかったが。
想いだけが粒子のように飛び散って別の自分に入り込んだりしていた。ジャーキーの肉体の神秘に気付いたある村人がいた。
最初はジャーキーと同じ顔をした暗い奴が、村人と仲良くしているジャーキーの後ろで窓から手を出して飯をねだっている姿を垣間見たからだ。村人とは仲良くしていたジャーキーが声に呼ばれて振り返った時には氷のように凍てついた顔をしていた。
家に帰るとジャーキーは棒を持って自分と同じ顔をした何かを殴っていた。お前は嘘ばかりだと。正直に生きて夢を叶えたオレを羨むなと怒鳴り散らしていた。
お前のせいで、お前がいるせいでオレは嫁さんすら貰えないのだと、そう暴言が飛び交っていた。
お前が障害者だからオレの遺伝子は劣っていると見做された!と。
村人はサーモンという名前だった。
ジャーキーを幼少の時から知っていて共に育ったのだが、食人村に拉致られる事件をきっかけにジャーキーは変わってしまったのだ。
暗くオドオドとして常にDJのような手の動きをして何もしなくなっていた。行きたいけど。やりたいけど。それが口癖になっていた。村での重要度が下がり存在感が消えてきた頃、またジャーキーが豹変した。今度は明るくハキハキと物を言い頼れるような雰囲気でリーダーシップを発揮し始めた。
だがそれは本物のジャーキーではなかったのだ。
根暗のジャーキーが家に引き篭もっていた。
サーモンがジャーキーの存在が二つに増えていると気付いたのは少し上記で記した姿を見た為だった。
そして村の中でもサーモンの感じた異変は人伝に伝染して行った。
ジャーキーは2人いる、そう囁かれ始めた。
「そいつ、誰かに押し付ければ良いんじゃねえの?」
サーモンは苦悩する爽やかジャーキーを見兼ねてそう提案することにした。根暗のジャーキーは今し方、爽やか(自称)ジャーキーにひどい折檻を受けてグッタリと横たわっていた。
「自分のとこの澱みを他人に預けんのか?残念ながら一家にそれは1つだよ。2つはいらない。」
「あっこの村八分の家はコイツみたいなの3人以上居るけど、一家に一つならありゃどう言う訳なんだ?」
「いらねえなら殺してやろうか?てか捕んなよ人ん家の、とって殺すな。いや、そいつ以外を殺すってのも奇妙な話しだよな。つーか、お前が死ねよ。」
段々と事情を知る人数が増えて、うちの引き篭もりの話になっていった。
「もぬけの殻にして突っ返すんじゃねえよ。てか村単位で搾取考えてるとか何考えてんだ。その澱みはお前のだろ。食った責任があるんじゃねえのか?」
「てか帰れねえよ。どうすんだよ。オレはあの村の人間を名乗るなと言われたぞ。捨て子確定とかふざけやがって。」
「誰のせいだ!?」
村中に澱みは飛び火状態で広がって行った。
「もうしゃあねえから殺しちまうしかねえだろ。みんな心を鬼にしてやって足抜けするしかねえと思う。オレみたいに。」
「はあ?お前ふざけんなよ。お前がやったのはうちのだろ。テメーはマジで良い加減にしろよ。憐れんだツケがコレとか。テメーのは回復したからってテメーが食って澱ませた奴らをこっちに押し付けて来んなよ!」
「オッケーじゃあこれ以上食えねえように閉めるわ。そんでオレが食う。」
「ふざけんなこっちに回せ!テメーは食い潰して灰になっても殺し続けてんじゃねえか!」
「じゃあテメーの灰を回復させて食わせれば良いのか?どうせまた誰かに食われちまうのにな。バカだから。」
「テメーがバカにしかやんねえのはそう言う訳かよ!ふざけんな!」
「支配ってそう言うもんじゃねえの?残念だけど?」
「とりあえずオレに来る奴に食わせろよ。間違いだとしても疑うんじゃねえ。」
「お前の灰に食わせても良いけどオレの洗脳下でも良い?回復して煩くならねえようにじわじわ死ぬようにちょっとずつ食わせるわ。」
「もうダメ耐えられない殺す!」
「あ、えんがちょが出たぞ!」
「よしよし、やっちまえよ。お前はオレが保護してやるよ。村の留置所じゃ足りねえかも。」
「てか留置所ダメ。差別収容推進してるし、回復して労働できるツテがないと殺される。」
「もう前の村に帰りたい。」
「あの村の竜がお前はいらねえって言ってるぞ。」
「混じったらもう信用されねえんじゃねえの?」
「いや、オレは血縁を信じるぞ!」
「だが竜はお前を信じねえから渡ったらお前は死ぬしオレらと切ったらお前の兄貴が死ぬ。竜はお前の姉ちゃんのマンコ食って最近は金銭まで巻き上げてるみてえ。」
「竜と姉ちゃん別れさせろよ。それか竜の勝利を信じてオレらを切るかじゃねえの?」
「関わりたくない…!」
「ならそれなりの満足に甘んじてろよ。」
程なく引き篭もり談義は終了した。
爽やかジャーキーはと言えば、自分の体を上から下まで安全圏に置いて、時折り気に入らない自分に折檻を加えて人のせいにしていた。
サーモンが見たところ基本的に村人と言うのは何もしていなかった。竜にさらい上げられた村人とサイボークのような労働党に抱き上げられて舞台装置のような働き手になるかの二択だった。
サーモンは爽やかジャーキーにくっついていたがジャーキーの暴力の過激さには目を覆いたくなった。
「今日のノルマ、達成してないよね!それくらいの内職やっとけって言ったはずだよなっ!」
バチンと鞭が根暗のジャーキーの背にとんでいた。
すると不可解な現象が起きた。根暗のジャーキーが打撃を受けると村人の中の何処かが激しい夫婦喧嘩を勃発させるのだ。
夫や妻やまたは子供が犠牲になる案件が増加した。
サーモンの身内も何故か例外ではなかった。
どれだけ遠く離れて居てもその鞭は届いて人を狂乱に陥れていた。
ジャーキーとサーモンは全く関係がないはずだが根暗のジャーキーが心を掴んだ村人によからぬことをさせているらしかった。
SMは日増しに過激さを増して、サーモンの創作意欲を掻き立てた。しかしサーモンではどうにも実践が伴わないものしか生み出せずにいた。視点が傍観者になりがちでそれがつまらなくて本場に飛び込んでみたものの鞭は痛すぎたし、打つのも気が引けた。
「痛ーい!ホント鞭打つの下手すぎ!逆に痛いわ!」
村の女の子を誘ってSMに興じてみるが全くもって遣り甲斐を感じなかった。ジャーキーは夢中になって居たがこれが楽しいのだろうか。サーモンにはさっぱりわからなかった。
女の子に駄目だしを受けたので同性で再チャレンジしてみても結果は変わらなかった。一応にみんなジャーキーの方が小慣れていると言う。そりゃあそうだろう。自宅にプレイ相手がいるのだ。
村の警備兵がアイツを逮捕でもしない限り、この経験値の差は埋まらない。
サーモンはこの村はいつかジャーキーに乗っ取られて秩序を無くすんじゃないかと心配だった。
だからサーモンもある程度できるようになって仲間を集められるぐらいになりたかったが。
サーモンは自分の家族すらどうすることも出来なかった。
サーモンの家庭内はいつもひっくり返って喧嘩の嵐が耐えなかった。きっと爽やかジャーキーが根暗のジャーキーを打ち据えまくってるせいで延々と飛び火が続いてるのだと思った。
サーモンは家族がしんどかったが家族が好きだった。
パチパチと家の外で焚き木をしながらサーモンは夜空を見上げていた。丸い土造りの家に自分の部屋などなかった。
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