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ひまわりと夏の女神様

作者: 蒼伊紺

 中学生の時に行った旅行先で、白いワンピースを着た黒髪の女の子に出会った。麦わら帽子を手で抑え、柔らかな風を受けて白いシフォンがはためいていた。女の子の白い肌に夏の光が反射して、その姿は輝いていた。だから僕はこう言った。

「君は、夏の女神様なの?」

 そうしたら女の子は、怪訝な顔をして、首を振った。

「女神様はもっと、清いでしょうね」

 

 そんな青春らしい眩く白い夏の思い出を抱えた僕は、都会のビル群に囲まれながら日々を過ごしていた。僕は社会人である。社会人の僕はそれなりのルックスを盾に、そこら中の女の子と遊んでいた。その中でいっとうお気に入りの子、あわよくば恋人になれたらなんて思っている彼女は真っ白な肌と黒髪が特徴的な女の子だった。職業は知らない。大学生のようにも、高校生のようにも見える女だった。所詮上部だけの関係だから、僕たちは互いのことを話さない。行為が終わったら少し寝転んで、微睡をともに漂うだけ。その時に見える、白いシーツに包まれる彼女はまるで絵画の中の女神のようだということが、僕にわかる彼女についての唯一のこと。

 その日、僕たちは少しおかしかったようだ。それが飲み過ぎた酒からくる頭痛のせいなのか、はたまたこの茹だるような夏の暑さのせいなのか。とにかく僕たちはおかしくて、いつもは少し目を瞑ったら何も言わずに解散するのに、その日は一緒に花畑に行ったんだ。電車を乗り継いで一時間半ほどだったと思う。あたり一面に黄色いひまわりが咲いている、田舎町の花畑に。いかにも若い女の子やカップルが好きそうな、幻想的な花畑だったのにも関わらず、そこに人はいなかった。きっとその場所が一日に一本しか電車が来ないような、寂しい限界集落だったからだろう。僕たちはその夜どこに止まるかも考えずに、携帯と充電器、500mlのペットボトルの水を一人一本持って、そこにやってきた。彼女は白いワンピースを着ていた。花畑に向かっている途中、どこからともなく現れた婆さんがそれでは暑いだろう、と彼女に古い麦わら帽子を与えた。彼女は小さく頭を下げて、それを被った。なんだか、見覚えのある彼女の姿だった。

「ねぇ、もしかして、君はやっぱり女神様なんじゃない?」

「それは違うな。女神様って、もっと清い存在でしょう」

 その言葉を聞いて、僕はハッとした。僕はあの青臭い夏の日と同じ言葉を言った。白いワンピーシウをはためかせて、眩しそうに空を見上げていた麦わら帽子の女の子に投げたものと、同じ言葉を。彼女は、あの時と同じように返した。坊主頭で泥だらけの、中学生に向けたように。

「ねぇ、もしも僕が前に君と会ったことがあるって言ったら、君は気持ち悪いと思う?」

「そうね、少し」

「そうか、なら伝えるのはやめにしておこう」

「でもね、私は夏の暑くて仕方ない、焼け切れてしまいそうな日に白いワンピースと麦わら帽子をかぶるのが好き。そうして空を見上げると、誰かの記憶に残るから。印象的でしょう? こんな、いかにもな女」

 悪戯っぽい笑みだ。

「どうして、誰かの記憶に残りたいの?」

「私がここにいるっていう、存在証明かな」

「なるほど。それなら君は、少なくとも僕が中学二年生の頃からはしっかりと存在していることになるね」

「あら、私があなたの記憶の中にいるの?」

「そうだよ。白いワンピースと麦わら帽子の、黒髪の女の子」

「それは私じゃないかも」

「そんなわけはないよ。僕には、あの女の子が君だっていうのがはっきりわかるんだ」

 彼女は何も答えずに、ただ声をあげて笑った。あははと響くその笑い声が、ひまわり畑の向こう側まで、空の入道雲に届きそうなほどに遠くまで飛んだ。

「ああ、おかしい」

「何がおかしいのさ」

「私があんまりにも気取ってて、あなたの言葉遣いは詩的すぎて」

「そうかい?」

「そうだよ! いい歳した大人が、女神様みたいだなんて言って、中学生の頃の美化された思い出をなぞって女の子を口説こうとしているんだから! しかもその口説こうとしている相手は、誰かの記憶に残りたいだなんて厨二じみたことを言ってるイタい女なんだよ。ああ、おかしい!」

「いいじゃないか。クサくたって、イタくたって」

「クサい、って自分でわかってたんだ」

「君がそう言ったんだろう」

 まるで馬鹿げた会話だ。今まで己のことなどひとつも話さなかったというのに、僕たちは一体どうしてしまったというのだろう。時刻はだんだんと夕暮れ時に近づいていって、昼間の白い光と夕暮れの茜が混じった、なんとも言えぬ色の光がひまわり畑を照らしていた。その光は、とても綺麗だった。

「ねぇ」

「なぁに」

「太陽の光が、綺麗だと思わないかい?」

「そうだね」

  彼女が立ち上がった。ずっと尻は地面につけず、しゃがんでいたのだろうか。その白いワンピースに、土は一粒だってくっ付いてはいなかった。

「やっぱり、君は綺麗だよ」

「ありがとう。それじゃあね」

「え?」

「ありがとう。さようなら」


 ふと、あたりを見回した。先ほどまで僕たちを囲んでいた背の高いひまわりは、みんな下を向いている。ひまわりは太陽の方向を向いて咲くというが、この畑のものは違うのだろうか。項垂れているひまわりというのはなんだか不気味で、気味が悪かった。それらから逃げるように、僕も視線を地面へと向けた。するとそこに、古びた麦わら帽子が置いてあった。いったい誰のものなのか、わからない。けれどどうしてだか、僕の脳裏には白いワンピースを着て麦わら帽子を被った、黒い髪の女の子の姿がちらついて仕方がなかった。顔はわからないけれど、確かに覚えている。地面を見たまま、僕はその女の子は誰なのかずっと考えていた。随分と、太陽の光が似合う子だった。太陽を見れば、何か思い出すかもしれない。そうして僕は顔をあげて、ずっと、彼女について考えていた。

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