呪霊の正体
「うっ…ひぐっ……うぅ…っ……」
「いい加減泣きやめ。見ているこっちが陰鬱になる。」
「う、うぅ……酷いですぅ…誰のせいで泣いてると思ってるんですかぁ……」
「全ては汚れと悪臭のせいだ。つまりお前がばっちいのが悪かったのだ。」
「ばっちいとか言わないで下さいぃぃ……」
人差し指で眼鏡をクイッと上げながら、反省の色など欠片も見せずに堂々と言ったのける青年。
そして彼の前に蹲って啜り泣く白いTシャツを着た女。
「あんな所やそんな所まで触られましたぁ……もうお嫁にいけないですぅ……」
「大袈裟な女だな。世の女達など、そのほとんどが結婚相手以外に処女を捧げているのだ。強姦したわけでもあるまいし……そもそも妖怪女が結婚など気にしていて良いのか?」
「だから私は妖怪じゃないですってばぁ…」
「なら何だ?お前は何者だ?」
青年の問いに、女は一瞬で涙を引っ込めた。
そして無駄に整った容姿でドヤ顔をし、無駄に豊満な胸を張る。
「ふっふっふ……よくぞ聞いてくれました。私は、かつて凄惨な暴力の果てに壮絶な死を遂げた悲劇の女性の怨恨によって作られた……呪恨の霊なのです!!」
「何だ、ただの幽霊か。」
「何でそぉいうこと言うんですかぁぁぁ!?」
鼻で笑う価値すら無いと言わんばかりの無表情な青年の冷たい言葉に、女は再び滂沱の涙を流して絶叫した。
「恨み辛みを持った霊魂など大して珍しくもない。ホラー気取りのバラエティー番組で幾らでも取り上げられているだろう。」
「でもでも、本物ですよ!モノホンの霊ですよ!呪っちゃうんですよ!!」
「何にせよ、お前が不潔な女である事に変わりはない。その時点でお前の存在は罪だ。」
「不潔じゃないですぅ!もう綺麗ですぅ!!」
「それは俺が散々に洗ってやったからだろう。」
「そ、そうでしたぁ……」
女が崩れ落ちて再度膝を抱える。
「……それで、お前が幽霊だという事はわかった。名はあるのか?」
「名前……私の元になった女性の名前はありますが、私という存在の固有名詞はないです…」
「元になった女性?お前はその死んだ女とやらの死後の姿ではないのか?」
「似てるけど違うんです…その女性の怨念が形作った思念体が、これまで呪ってきた人達の血肉を食らってこの姿になったんですぅ。」
「ふむ?……つまり、お前は死んだ女の怨念そのものであり、恨みを晴らしている内に体を待つようになった…と?」
「そういう事です……飲み込みが早くて凄いです。頭が良いんですねぇ。」
「まぁな。」
青年は照れる事も誇る事もなく、至極当然の事だというように頷く。
事実、彼の頭脳は人より明らかに優れていた。
「お前には固有の名がないんだな。」
「そうなりますねぇ。」
「ならば、お前を生み出した女の名は?」
「ーーーです。」
女が口にした名を聞いた途端、青年は不快そうに顔を顰めた。
そして憐れむような目を女に向ける。
「そうか……お前はあの事件の……」
「えっ!し、知ってるんですか!?」
青年の言葉に女は目を見開いた。
「四十年ほど前の話だが、調べれば詳細なところまで簡単に見つけられる。当時、世間に衝撃を走らせた凄惨な事件だったらしいからな。」
青年は虚空を見つめた。
1980年代に起きた女子大生下水道遺体遺棄殺人事件。
一人の女子大生が複数人の少年達に拉致監禁され、一ヶ月以上に渡って拷問ともいえる暴行を振われ続け、衰弱死した後に遺体をバラバラに刻まれて下水道に遺棄された事件だ。
その内容だけでも凄まじいものだが、この事件が知られているのは暴行の凄惨さだけが理由ではない。
この事件の犯人達は全員未成年であり、裁判を受けて少年刑務所にて懲役を受けたのだが、この少年達は全員数年以内に死亡しているのだ。
しかも夜中に突然全身から血を噴き出して発狂したり、庭で運動中に無数の鴉から襲われて全身を啄まれたり、原因不明の奇病により何日も謎の激痛に見舞われたり……死の原因も異常なものであった。
その為、ネット上では殺された女の呪いだと言われ、今なお有名な話となっている。
特に青年のようなオカルトマニアならば、間違いなく全員が知っているであろう。
というような話を青年が女にすると、女はぽけーっと口を開けて惚けた。
「ほぇー……そんなに有名なんですかぁ……」
「…まるで他人事だな。」
「まるでというか、私は彼女と同じようで違う存在ですから。」
「ふむ…クローンのようなモノかと思ったが、違うのか?被害者の記憶はないのか?」
「記憶というよりは知識といった方が正しいかもしれないです。事件の事はアルバムを見てるような感じで思い出す事ができます。」
女は吐き気に耐えるように苦々しい顔をした。
「む、すまん。思い出したい事ではなかったな。」
「えっ……い、いえ大丈夫ですよ。そこまで鮮明に思い出せるものでもないので。無理に思い出そうとすると、バグが走ったみたいになるんですよ。おそらく彼女にとってそれほどまでに記憶したくない事だったのでしょう。当たり前ですが。」
青年が素直に謝った事に女が目を丸くする。
彼女は青年がそんな気を遣える人間だとは思っていなかったようだ。
「……お前が何者かはわかったが、何故あのビデオから出てきた?」
「んー……それが正直よくわからないんですよねぇ。私という怨念が作られた時は、自我とよべるものはありませんでした。憎悪と復讐心だけの存在だったと思います。」
「ふむ…」
「復讐を終えてからの事は何となく覚えてるのが、そこが自我の芽生えだったんだと思います。でもその時はまだ怨霊としての本能が強くて、色んな所を彷徨って例の事件の犯罪者達と同じような汚れた魂を持った人を見つけては、呪い殺してた記憶があります。」
昼食は唐揚げ定食を食べた、くらいに気楽な感じで誰かを呪い殺した話をする女に、青年は背筋が凍ったように感じた。
目の前の存在が、能天気に見えても怨霊である事を彼はこの時認識したのである。
「それから……何か変な人に会った気がします。」
「変な人?」
「笠を被ったお坊さんみたいな人です。その人に何かをされて、気付いたら別の世界みたいなとこにいて……その世界は暗くて狭くて冷たくて……たまに光が入ってくるんです。でもその光を見たらいつも意識を失って……たぶん、何かのきっかけで怨霊としての本能が自我を押し潰しちゃうんだと思います。意識が戻った時は、いつも誰かを殺した感覚がありました。」
「きっかけ、か……あのビデオの再生がそれなのかもしれないな。呪いのビデオ…いや、恨み辛みの塊である怨霊が出てくるのだから、呪恨のビデオとでもいおうか。ともかく、このビデオを再生した人間はお前に襲われるという事だな。」
「そういう事…なんですかねぇ。」
女からすれば心当たりはあれど自覚はない事。
これまた他人事のように首を傾げた。
「今のお前からは、とても誰かを呪い殺すような感じがしないんだが。」
「怨霊の本能が眠ってるみたいです。意識が戻った時には、貴方に怒られてましたぁ。」
女がショボンと肩を竦める。
その様子は青年は何とも言えない気持ちで眺めた。
そこで彼は、改めて女の風貌に気を向ける。
歳の頃は20代前半といったところだろうか、平均より身長はやや高い方である。
細すぎない肉つきのスラッとした体、恐ろしく白い肌、青年が貸したTシャツの胸部を押し上げる豊満なそれ。
目鼻立ちの整った小顔に深い真紅の瞳、そして腰下まで届く長い黒髪。
青年は滅多に人を褒めるような事はしないが、そんな彼が素直に認める程度には、女は美人であった。
彼女がモデルや女優だと言われたら、大抵の人間は欠片も疑う事はないだろう。
「な、何ですかぁ……?」
女が警戒するように自らの肩を抱く。
まだ洗い足りないとか言われるのではないかと恐れているようだが、その頬は赤く染まっており、他人が見れば期待しているようにも見えるような表情だった。
「いや……何でもない。それより、お前はどうすれば消え……成仏する?」
「言い換えてもあんまり変わってないですぅ!?ていうか成仏させるんですかぁ!?」
「怨霊を成仏させずにどうしろと…?ビデオの中に帰るのか?あのビデオはもう廃棄するし、お前がどうなるかはわからんぞ。」
「い、いえ、あそこはもう嫌ですけど……」
「ならば成仏しかないだろう。」
「うぅ……ほ、ほら、私をこの家に住まわせるとかいかがです?もれなく美女の膝枕され放題がついてきますけど。」
「いらん。」
青年がばっさりと切り捨て、女は膝から崩れ落ちた。
「お前を家に置いておくなんて、そんな危険な事できるわけないだろう。いつ襲われるかわかったもんじゃない。」
「そ、それは大丈夫です!今は完全に自我が覚醒してますし、外部から何かしらの力が働かなければ本能が起きてくる事はありません!」
「何の根拠があって言っているんだ?」
女の堂々とした態度に青年は首を傾げた。
「なんとなくわかるんです。言葉にするのは非常に難しいんですけどぉ……」
「それを俺に信じろと?」
「う、うぅ……だめですかぁ?」
「……ふむ、仮にお前の言葉が真実だとしても、この家に置く理由はないな。これから自我を持って存在できるなら、どこにでも好きなところへ行けば良いだろう。」
青年の言葉に女が肩を震わせる。
そしてソワソワと挙動不審な態度を取り始めた。
「い、いやそのぉ……私が出てきたのは貴方にも責任がありますしぃ……外に行ったところで何をすれば良いのか……私幽霊みたいなものですし。」
「……何か隠してるか?」
「ぴぇっ!?い、いえいえいえいえ、何でも無いでごじゃいましゅよぉ……?」
あからさまに動揺する女に、青年が詰め寄った。
「もう一度聞く。何か隠してるか?返答次第では風呂場に「言いますっ!言いましゅからぁぁぁ!!」……うむ。」
青年は頷き、裁判官のような瞳で女を見詰めた。
その視線に女は観念したように俯く。
「そ、その……実は私、貴方から離れられないと申しますかぁ……」
「む?………何故だ?」
「いやぁそのぉ……これは怨霊としての本能がやった事でしてぇ…決して私が望んだ事ではないというのをわかっていただきたい所存でしてぇ……」
「……おい、早く言え。」
「ぴえっ!?えっと、その、だから、つまり……うぅ………」
要領を得ない女の言葉に青年が苛立ち、恐れた女が意を決したように叫んだ。
「わ、私!貴方を呪っちゃいましたぁ!!」
「………は?」




