Cafe Shelly 盗人の心
今日の成果。現金二万八千円、それに小銭が少々。あとはゲーム機と指輪が三点。まぁこのくらいにしておくか。それにしてもしけてやがんな。ま、あまり一度にたくさん盗んでしまうと、すぐに足がついてしまうからな。
ゲーム機は別のやつを通じて、中古屋に売り飛ばす。指輪は質屋行き。これもオレではなく別のやつに頼んで現金にする。そいつらには手間賃として三割ほど渡す。
これがオレの日常。えっ、オレがなにをやっているのかって?まぁ、まともな仕事ではないことはおわかりだろう。ともかく、オレは今日の報酬の現金を手にして、いつもの飲み屋に足を運ぶ。そこに集まる連中は、オレと同じ商売をやっている連中。さらには飲み屋のオヤジも半分は同業者みたいなものだ。
「よぉ、サブちゃん。きょうはどうだった?」
「ま、しめて三万弱ってとこか。シゲさんは?」
「オレは五万円ってとこだな」
飲み屋では今日の成果報告から入る。そしてどこが狙い目なのか、どういった手口がいいのか、さらには防犯カメラやセキュリティの情報などが飛び交う。その情報が次の仕事につながっていく。
「ところでチーボーが捕まったらしいな」
「えっ、チーボーが?どこでヘマやらかした?」
「チーボーのやつ、欲に目がくらんじまってよ。金庫に手を出しちまったんだと。これがセキュリティシステムに引っかかって御用になったんだよ」
ったく馬鹿なやつだ。オレらの盗み方は欲を出さないことが鉄則。家によっては盗まれたことすら気づかないような金額やものを頂戴するようにする。チンケな空き巣がオレらの家業なのだから。
盗んだ金はどうするのか?こういったことをやっている連中にろくなのはいない。飲むか競馬につぎ込むか。まぁ大体の奴らはその程度だ。けれどオレは違う。
盗んだ金を元手に、ちょっとした投資をやっている。今流行りの仮想通貨ってやつだ。最初はこいつをやれば儲かるなんてうまい話に乗っかって、結局損をしてしまった。横にいるシゲさんなんか、馬で百万単位の大損をしたこともあるくらいだが、オレはそこまで損はしなかった。
けれどこのままじゃ悔しいから、必死になって勉強して今に至る。仮想通貨ってやつは長期で見ないと儲けられるものではない。またリスクを分散させておかないといけない。今はまだ儲けらしい儲けはねぇが、どれか一つでも当たれば一気に大金持ちだ。
見てろ、オレはそのうちインテリな金持ちになるんだから。
「サブちゃん、この前ちょっとおもしれぇところ見つけたんだけどよ」
シゲさんが新しい情報を出してきた。オレたちはこうやって盗みに入りやすい家やセキュリティが固い家の情報を回しあい、お互いの収益を高めあっている。
「どんなところだ?」
「これがさ、家じゃねぇんだよ」
「じゃぁどっかの会社か?」
「いや、店だ。喫茶店」
めずらしいな。オレはあまり会社や店には盗みに入ろうとは思わない。だいたいのところがなんらかのセキュリティを施しているからだ。防犯カメラは当たり前。今ではセキュリティ会社と契約をしているところも多く、簡単には入れない。しかも現金を置いているところも少ない。
「セキュリティが甘いのか?」
「あぁ、まずカメラはねぇ。セキュリティ会社との契約もやってねぇ。鍵は入り口に一つだけ。夜になると誰もいねぇし、かといってその店がある通りは夜も人がいてもおかしくはねぇ」
「でもよ、こっちが置いてなきゃ意味がねぇだろ」
オレは人差し指と親指で円を作る。もちろん、金の意味だ。
「あとはそこなんだよ。でよ、この前閉店間際に探りをいれてみたんだよ。そしたら貸し金庫に寄るようなことはしてねぇ」
「じゃぁ、現金を持ち歩いてる?」
「おそらくな」
「でもよ、強盗はやべぇぞ。さすがにリスクが高い」
持ち歩いている現金を横から奪う、なんていう危ない橋は渡りたくない。オレたちはあくまでも空き巣。もしシゲさんがその金を奪い取るという案を出してきたのなら、オレは乗らねぇ。
「いやいや、もちろんそんなあぶねぇことはしないよ。もうちょっと探りを入れてぇんだよ。その喫茶店、朝早くから夜七時まで営業してるってのはわかったんだ。ってことは、現金を家に持って帰ってどこかのタイミングで銀行に入れているはず。その間、家に保管しているのだったらそっちが狙い目かなと思って」
「なるほど。逆に店に保管しているのだったら、そっちを狙えばいいってことか」
「そう、そのとおり!」
「でもよ、家でも店でも、金庫に入れられちまったらアウトだぜ」
オレはさすがに金庫破りをするほどの腕はねぇ。
「ちっ、ちっ、ちっ。オレを誰だと思ってるんだ。どんな鍵でも開けてしまう、キーハンターのシゲだぜ」
シゲさん、ニヤリと笑う。つまりオレにシゲさんの手伝いをしろ、ということか。
「じゃぁ、オレにこれだけくれよ」
オレは四本指を出した。これは四割という意味だ。
「バカ言うな。実行するのはオレだぜ」
シゲさんはそう言うと、指を二本突き出してきた。つまり二割ということだ。まぁ、そうくるのは想定内のこと。
「こっちは顔を出して調査するんだぜ。危険度が高まっちまうわ」
オレがそう言うと、シゲさんは渋々指を三本出す。
「よし、それでいこう。じゃぁ早速その店の場所を教えてくれ」
交渉成立。シゲさんが店の場所を教えてくれる。早速明日行ってみるとしよう。
とまぁ、こんな感じで空き巣同士の情報を交換しながら、毎日の仕事の場所を決めているのがオレたちのやり方。できるだけ足がつかないように、行動範囲も結構広い。けれど、シゲさん情報の喫茶店は街なかにある。しかも、この店からそんなに離れていない。
たまには近場もいいか。それに、たまには酒じゃなく旨いコーヒーものんでみたいものだ。
盗人の朝は意外に早い。といってもオレだけのことかもしれないが。オレは盗人ではあるが自堕落な生活はしたくない。朝は六時に起きて健康づくりのためのウォーキングを一時間ほど行う。
「おはようございます」
道ゆく人にこちらから声を掛ける。すると相手からもお早うございますの声が返ってくる。その中でいつもオレが歩き始めるとジョギングですれ違う中年男性がいる。
「おはようございます。今日も元気そうですね」
いつも顔を合わせているせいか、彼は必ずこうやって私に一言添えてくれる。盗人からするとあまり顔を知られたくないのだが、不思議と彼に対しては心をひらいてしまう。
「えぇ、あなたもいつもがんばっていますね」
「ありがとうございます。では!」
そう言って彼は走り去っていく。オレもあんなふうに元気でいたいものだ。
「さてと、例の喫茶店にでも行ってみるか」
午前十時を回ったところで、そろそろ行動を開始する。あまり目立った客になってはいけない。かといって、混雑している時間帯は避けたい。そう考えてこの時間を選んだ。
「えっと、ここか」
スーツ姿でシゲさんから渡されたメモに書かれてあるところに到着。カフェ・シェリーか。道には手書きの黒板の看板が置いてある。そこにはこんな言葉が書かれてあった。
「信じるから人は期待に応えてくれます」
信じるものは救われるってか。でもこの世の中、何を信じりゃいいってんだよ。オレオレ詐欺や投資詐欺、その他もろもろ人を騙して儲けようというやつらがゴマンといるのに。オレに対してもそうだ。一見すると普通のサラリーマン。けれど、その正体は空き巣なんだから。
まずは周りを見回す。確かにシゲさんが言うようにセキュリティは甘そうだな。カフェ・シェリーはこのビルの二階にあるのか。ビル自体にも監視カメラはついていない。だが、通りにはカメラがある。けれど通りの端の方を歩けば死角になりそうだ。
ビルに入り階段を上がる。通りから階段を上がるところは丸見え。ってことは見張りが必要になりそうだ。そんなことを考えながら店の扉の前に到着。そしてドアを開ける。
カラン・コロン・カラン
カウベルの音。この音にはちょっと驚いた。まぁ夜であれば音を聞く人もいないだろうが、ここは注意が必要だな。
「いらっしゃいませ」
すぐに女性の声が聞こえる。続けて
「いらっしゃいませ」
低い男性の声が別方向から聞こえる。どうやらウエイトレスとマスターの声といったようだ。だが、次の瞬間
「あ、あなたは」
その言葉にビクッとした。盗人はこういう言葉に弱い。オレの正体を知っている人がいるんじゃねぇかと思ってしまうからだ。だが、声の方向を向いたときにオレ自信もまさか同じ言葉を吐くとは。
「えっ、あなたは」
なんと、店のカウンターに立っていたのは毎朝すれ違うジョギングの中年男性であった。これにはさすがに驚いた。
「マイ、ほら、よく話している、朝すれ違う方だよ」
「えーっ、あなたがそうなんですか。はじめまして、妻のマイといいます」
「あ、は、はじめまして。えーっ、お二人はご夫婦なんですか?」
またまた驚いた。マスターの方はどうみても四十代半ば、私と同年代の中年だ。それに対してマイさんと名乗った女性はどう見ても二十代。しかもけっこう美人だ。
「ははは、年の差婚ってやつでね。マイに負けないように、体力づくりで毎朝ジョギングしているんですよ」
マスターは笑いながらそう言う。改めて見ると、愛想がよく気の良さそうな人だな。
こりゃ、この店に盗みに入るのはやめたほうがよさそうだ。確かにセキュリティは甘い。簡単に盗みに入ることはできるだろう。けれど、さすがに顔を知った人のところで盗みを働くのは気が引ける。
「あ、お名前を聞いていませんでしたね」
「あ、私ですか?私は…」
一瞬躊躇した。思わず本名を名乗るところだった。ここは偽名を使わなきゃ。
「私は右松三郎といいます」
本名はもちろん違う。だが、全く違う名前を名乗ると、呼ばれたときにすぐに反応できないので似た名前を使うことにしている。そもそも盗人仲間にも本名は伝えていない。
「右松さん、ですね。お仕事は何をされているのですか?」
「あ、仕事は普通のサラリーマンですよ。今日はたまたま商談があって時間が空いたので、喫茶店にでも寄ろうかと思って入ったらあなたがいてびっくりでした」
つじつまあわせの嘘をつく。バレてないよな。ちょっとドキドキしながらではあったが、幸いマスターはニコニコしながら私の顔を見てくれている。おそらく大丈夫だ。
「そうですか。ぜひうちの自慢のオリジナルブレンドを飲んでください。きっと驚きますよ」
「じゃぁ、それを一つお願いします」
そう言いつつも、仕事柄の癖なのかつい店内を見回して物色を始めてしまう。店の広さはそれほど大きくはない。今私が座っているカウンターが4席、真ん中の丸テーブルに3席、窓際の半円型のテーブルに4席。十人も入れば満席か。純喫茶であるため、メニューもコーヒーばかり。それほど客単価が高いとは思えない。せいぜい五百円からよくて千円程度だろう。
「これだと一日の客数が五十人としても、稼ぎは3〜4万円程度か」
ふと頭の中で計算。それが三十日としても、一ヶ月の売上はよくても百万円。利益なんてかなり低い。ちょっと盗みに入るのは申し訳ないな。
「ところで右松さんは、毎朝歩いているのは健康づくりのためですか?」
「え、えぇ。本当はマスターみたいにジョギングするのがいいのでしょうが」
突然質問されて、ちょっとドギマギしてしまった。あわてて返事を返したが、そこは大丈夫だろう。
「右松さんってご家族は?」
「恥ずかしながらこの歳まで独りなんですよ。ま、見ての通りの中年ですから。もうそこは諦めてます」
「そんなことはないですよ。私だってまさかこんな歳でマイと結婚できるなんて思わなかったですから」
「あれ、思わなかったんだー。いっつも言っていることと違うじゃない。右松さん、マスターはいつもみんなに、思ったことはかならず叶うんだぞ、なんて言っているんですよー」
ウエイトレスの奥さん、マイさんが笑いながらそう言う。
「ははは、まぁ人生には思わぬ出来事も起こるもので。はい、おまたせしました、シェリー・ブレンドです」
なかなか賑やかな夫婦だな。歳の差をあまり感じさせないのがいい。
「じゃあ、早速いただきます」
運ばれたコーヒーを鼻に近づける。あれっ、コーヒーってこんなにいい香りがしたっけ?
続いてコーヒーを口の中に入れる。苦味と酸味、そしてコクが広がる。うん、うまい。
だが、次の瞬間、子どもの頃の光景が頭に浮かんできた。あれはまだオレが小学校の低学年の頃だったと思う。おふくろからこっぴどく叱られたことがあった。
確かあれはお金がなくなったとかじゃなかったかな。やたらとおふくろにこっぴどく叱られた記憶がある。
「またお前は嘘をついてごまかそうとする。正直に言いなさい!」
確かにオレは小さい頃、嘘つきだった。というのも理由がある。我が家は母子家庭で、おふくろは他の男に頼るような生活をしていたため、いつもオレは一人ぼっちだった。だから嘘をついておふくろの関心を引こうとしていた。そんなことを繰り返していたから、オレが本当のことを言っても信じてもらえなくなった。
結局、お金は当時おふくろが付き合っていた男がおふくろの財布から盗んだんじゃなかったかな。けれど、あのときにオレはこう思った。結局本当のことを言っても、誰も信じてもらえない。だからオレは人を信じないし、人のものを奪ったほうが楽だって。そのあたりからオレの盗人人生が始まった気がする。
けれど、オレは本当は信じてもらいたかった、自分のことを。あのとき、おふくろがオレのことを信じてくれれば、別の人生を歩んでいたかも。
「お味はいかがでしたか?」
マスターの声でハッとした。そうだった、オレは今喫茶店にいるんだった。
「あ、いや、なんだか昔のことを思い出してしまって」
「差し支えなければ、どんなことを思い出されたのかお聞かせいただいてもよろしいですか?」
本当は人に話すような過去ではない。けれど、このお店とマスターの雰囲気、そしてなぜだか話さなければという気持ちにさせてくれたコーヒーの味にオレは身を委ねた。
「実は小さい頃、おふくろにこっぴどく叱られたことがあって。オレがおふくろの財布からお金を盗んだっていうんだ。我が家は母子家庭で、おふくろは男に貢がせて生活費を稼ぐような生活をしていたから。オレはおふくろには愛されていなかった。だから、普段から嘘をつくようになっていて。そのせいで、オレが盗んだんじゃないと訴えても、おふくろはオレのことを信じてくれなかった…」
「なるほど、そんな体験があったのですね」
マスターはオレの言葉をそうやって受け止めてくれた。たったそれだけのことなのだが、気持ちが落ち着く。
「結局、金は当時おふくろがつきあっていた男が盗んだってのがあとからわかったんだけど。そんなことはどうでもいいや」
「どうでもいい、といいますと?」
「オレはそれ以来、おふくろを信用できなくなった。だから一人で生きてきた。そうか、そうなんだよな。でもオレは、オレは…」
なぜだか涙があふれてきた。オレが本当に欲しいのは、自分を信用してくれる人。自分のことを信じてくれる人。そして、オレ自信が信用して、信じてあげることができる人。そういう人が欲しい。
「右松さん、大丈夫ですよ。あなたが今欲しいと思っているものは、必ず手に入りますから」
マスターが優しく微笑みながらそう言ってくれる。他の奴らにそう言われると「そんなことあるわけねぇ」と反発してしまうところだが、なぜだかこのマスターに言われると言葉がスーッと心に入ってくる。
「あ、ありがとう。ふぅ、こんな話をしたのは生まれて初めてだ。なんだかスッキリしたな」
「右松さんの心の奥に潜んでいた、モヤモヤの塊が少しは小さくなったでしょうか?」
「えぇ、おかげさまで。しかし不思議なコーヒーですね、これ。飲んだ瞬間は美味いって思ったけど。その後に昔のことが急に頭に浮かんできて」
「はい。このシェリー・ブレンドには魔法がかかっているんです」
「魔法?」
「はい、魔法です」
魔法ってなんだ?
「コーヒーというのはもともと薬膳として使われていたものなのです。しかも、相手の状態によって効果が変わるんです。たとえばコーヒーを飲むと眠れなくなる、なんて一般的には言われていますよね?」
「まぁ、確かに。カフェインが入っているからでしょう?」
「はい。しかし、眠れない人がコーヒーを飲むと睡眠薬にもなっていたんです。つまり、飲んだ人の状態によって効果が変わるのがコーヒーだったんです」
へぇ、初耳だ。コーヒーってそんな効果があったんだ。
「シェリー・ブレンドはその効果がさらに強くて。飲んだ人が今欲しいと思っている味がするんです。人によっては、欲しいと思った光景が頭に浮かぶこともあります」
欲しいと思った味、だと?ってことは、さっきオレが感じたあの光景、あれをオレが欲しがっているということなのか?
「右松さんの場合、昔の光景が出てきたということは、その当時に感じていた想い、お母さんから信じてほしかったという想いが満たされていなかったのではないか。それが今も続いているのではないかと感じました」
おふくろから信じてもらいたい。そんなこと、考えもしなかった。が、あの出来事が今のオレをつくったのは間違いない。
「信じてもらいたい、か。確かにオレは誰からも信じてもらっていないし、誰も信じていないかもしれないな」
ボソリと本音が出てしまった。盗人なんて仕事をしていれば、周りの誰も信用なんかできない。盗人仲間はいるが、いつ裏切られるかはわからない。だから、一緒に飲んでいても心から気を許しているわけではない。
「右松さん、失礼なことをお聞きしますが今お母さんは?」
「あぁ、おふくろはどこかで生きているとは思うけど。高校を出て一度就職してから、ずっと会ってないな。あのおふくろから逃げ出したくて、わざわざ遠くに出てきたし。何度か電話はしたことはあるけど、電話料金が払えなくなったのか通じなくなっちまったし」
「ご実家にはお帰りにはならないのですか?」
「実家と言ってもアパート暮らしだったから。引っ越しも何度か経験したから、今どこに住んでいるのかも知りませんよ」
「そうなんですね。では今でもお母さんのことを許すことができない、ということですか?」
「許す、か。そんなことも考えたことなかったですね。私の中では、おふくろはもう存在していないものとして扱っていますよ」
おふくろのことを思い出すなんて、ホント何年ぶりだろう。
「右松さん、実際にお母さんに会うことはしなくてもいいんです。ただ心の中でお母さんを許してあげないと、おそらく一生今の気持ちを引きずったまま生きていくことになるでしょう」
マスター、今までは笑顔をオレに見せていたが、急に真面目な顔つきになりそう言い出した。そのギャップに、事の重大さを感じる。
「おふくろを許す、ですか。でもどうやって?心の中で許しました、と言っても何か変化があるわけじゃないし」
これはマスターの意見に反論しているのではない。許すと言っても、どんなことをすれば許したことになるのか、それがさっぱりわからないのだ。
「私がおすすめするのは、手紙をかくことです」
「手紙?おふくろの居場所もわからないのに?」
「実際に手紙を出す必要はありません。けれど、本当に出すつもりで手紙を書いてみるのです。すると心に変化が現れますよ」
「手紙ねぇ…」
手紙なんて、もう何年も書いていない。というか、そんなものを書いた記憶がない。そのくらいオレは世間から遠ざかったところで生活をしているんだな。
「わかりました。ここはマスターを信じて試してみますわ」
「書いたらどんな気持ちになったのか、ぜひ教えてくださいね」
結局この日はマスターに言われたとおりの行動を起こすことになる。喫茶店からの帰りに文房具屋に寄って、便箋とペンを買う。そして家に帰り、机に向かってペンを走らせる。
「拝啓っと。で、その次に何を書くんだっけ?」
拝啓ってやつから始めるということだけはなんとなく覚えているが、そこから先に何を書けばいいのか全然思いつかない。書きたいのはおふくろが子どもの頃にオレにやったことを許すってことなんだが。頭の中には思い描けるけれど、いざ文にしようとすると出てこないものだな。
そんなことを考えながらゴロゴロしていたら、いつの間にか夕方になっていた。今日はどうすっかな。いつもの店に行くか。それとも家に置いているつまみと酒で済ますか。いや、なんだかそれもめんどくさい。結局、拝啓から一文字も進まずに眠りにつくことになった。
翌日、いつものように早起きをしてウォーキングへ向かう。きっとマスターとすれ違うことになるだろう。そのときに手紙のことを聞かれるに違いない。正直に書けなかったことを伝えてみるか。そんな事を考えながら街を歩く。
「おはようございます」
すれ違う人と挨拶。いつもはオレから声をかけるのに、今日は逆になった。
「おはようございます!」
マスターだ。いつものようににこやかに笑いながらオレに近づいてくる。
「あ、おはようございます」
「あれっ、なんだか元気がありませんね?」
「いやぁ、昨日はあれからおふくろへの手紙を書こうと考えていたんですけど。手紙なんて何年も書いていないから、どう書けばいいのかさっぱりわからなくて。それで悩んでいるんですよ」
「なるほど、手紙の書き方がわからない、か。今日、お時間ありますか?」
「えぇ、まぁ」
「それならぜひお店においでください。一緒に考えませんか?」
「は、はぁ」
「何時でもいいですけど、お客さんが少ないのは昨日いらした午前中くらいの時間かな。ここだと私もゆっくりお相手できますから」
「わかりました。では今日も伺わせていただきます」
なんだか気がついたら、またカフェ・シェリーに足を運ぶことになった。まぁいい、一人で悩むよりは早く解決しそうだし。ホント、気のいいマスターだな。あんなにいい人のところに泥棒が入っちゃいけないな。あのお店には盗人が入らないようにしてあげないと。
そう思いつつ、店の光景をもう一度思い出す。入り口は一つ。扉を開けるとカウベルが鳴る。これは防犯にはなるな。
そういえばお店のお金はどうしているのだろう?毎日の売上はそんなに多くはないだろうから、きっと現金は持って返っていると思う。となると、あのお店に入って盗めるような金目のものはそんなにないはず。でも、防犯意識は持っておいてほしいな。そのことを忠告しておくか。
あれ、オレ何を考えているんだろう。今までどうやったら空き巣に入ることができるか、そればかり考えていろんな家を観察してきたのに。どうやったら盗まれなくなるのか、なんてことを思ったのは初めてだ。どうしてこんなふうに考えるようになったんだ?
それはきっと、あのマスターのせいだ。あんなにいい人を困らせたくない。恩を仇で返すようなことはしたくない。って、盗人のオレがそんな事を考えるのかよ。なんだか笑ってしまうな。
ここでふとおふくろの顔が浮かんだ。恩を仇で返す、か。確かにおふくろはオレに対してはとてもいい母親とはいえなかった。オレのことなんか見向きもせずにいた。が、オレを育ててくれたことは間違いない。なんだかんだ言いながら、飯は食わせてくれていた。男に頼った生活だったが、おふくろ自身も決して贅沢はしていない。きっと生きていくのに必死だったに違いない。
そもそもオレが空き巣になったきっかけは、一人で生きていくためだった。一度は就職したものの、長続きはしなかった。どうやって金を稼ごうかと思ったときに、ふと盗みに入ったのがきっかけ。以来、空き巣で生計を立てていくのが当たり前の生活となった。
でも、どうして盗みに入ろうと思ったのか。これはあきらかにおふくろの影響だ。自分も生きていくのに必死だった。まさにおふくろの生き方そのものじゃないか。ということは、オレはおふくろに反抗しながらもおふくろと同じことをやっていたことになる。
なんだか複雑な心境になってきたぞ。そんなことを考えていたら十時になっていた。そろそろカフェ・シェリーに行かないと。オレは慌てて家を出た。
カラン・コロン・カラン
「こんにちはー」
「いらっしゃいませ。あ、右松さん、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
マスターがにこやかな顔でオレを出迎えてくれた。
「あれ、奥さんは?」
「あぁ、マイなら銀行と買い出しに行っています」
なるほど、この時間に銀行に行ってお金の出し入れをやっているのか。おっと、いかんいかん。盗みに入るのではなく、盗まれないためのアドバイスをしないといけないんだった。
「右松さん、まずはコーヒーを一杯飲みませんか?」
「そうですね。じゃぁまたあのコーヒーをお願いします」
「かしこまりました」
マスターの言われるがまま、オレはコーヒーをオーダーした。いや、マスターから言われる前にこのコーヒーは飲みたかった。今オレは何を求めているのだろう。その答えが知りたかった。
「ところで手紙の件、まだお悩みですか?」
「えぇ、まぁ。頭には書きたいことがなんとなく浮かぶんですけど。いざ文字にしようと思うとどうすればいいのかわからなくて」
「まぁそうですよね。普段そういったものを書かない人にとって、いざ思いを文字にしろと言われても難しいものです」
「マスターはどうなんですか?」
「私ですか?実はブログなんていうのをやっていまして。そのおかげで頭に浮かんだものは文字にできるようになりました。普段から書き慣れるとそうなるんでしょうね」
「なんだかうらやましいですね。さぁて、どんなふうに書こうかな」
「で、今回おすすめの方法があるので、シェリー・ブレンドを飲んだらお教えしますね」
おすすめの方法か。どんなのだろう。ちょっと楽しみになってきたな。
「おまたせしました。シェリー・ブレンドです」
早速シェリー・ブレンドを手にとる。うん、この香りだ。そして期待を込めつつその黒い液体を口に流し込む。そして目をつぶる。
すると、頭の中で凄い勢いで文字が走り出した。いや、オレが文字のトンネルの中にいて、凄い勢いでそこを飛んでいるんだ。けれど、あまりにもスピードが早すぎてオレの思考が追いついていかない。
が、ふと見るとその文字の中に「これだ!」というものを発見した。その文字だけ光り輝いている。その光を一つ見つけたら次の文字も見つかる。すると今度は次々と光り輝いている文字を見つけることが出来はじめた。ここでオレは目を開けた。
「いかがでしたか?」
「文字が見つかった。それをつなげば文章になるのか」
なんとなく口にした言葉。そうか、そうすればいいんだ。最初から文章を書こうとしていたから書けなかった。最初に文字をいくつか見つけて、それをつなげていけば文章になるんだ。そのことに気づいた。
「いやぁビックリだなぁ。右松さん、まさに私がお伝えしたかったやり方ですよ。心の中でこれだっていう気持ちや感情の言葉を紙に書き出して、それを並べてつないでいけば文章になるんですよ」
マスターは驚いた表情を浮かべてそう言った。
「じゃぁ、マスターが教えたかったやり方を、このコーヒーが教えてくれたってことですか?」
「はい、そうなっちゃいますね。じゃぁ早速やってみましょう」
そう言うとマスターは紙と鉛筆を出してくれた。
「あまり考えずに、お母さんに対して伝えたいことを紙に書き出してみましょう」
オレは言われるがままに自分の心の中にある思いの単語を紙に書き出した。最初は恨み、つらみ。そして同情。そのうち感謝の言葉がで始めた。これは自分でも意外であった。
「じゃぁ次に、伝えたい順番に番号を振ってみましょうか」
これは自分が書き出した順になる。子どもの頃に感じていた恨み、つらみ。そして今思えばそれは生きていくために必要だったのだということに対しての同情の想い。それを今なら理解できるということから、育ててくれてありがとうという流れになった。
「どうですか、これなら手紙が書けそうになりましたか?」
「はい。なんとなく文章が思い浮かびました」
「あとは家に帰って書いてみて下さい。ここじゃ落ち着いて書けないでしょうから」
「いや、家よりもここの方が書けそうだ」
そう言ってオレはバッグからペンと便箋を取り出した。なんだか書けそうな気になっている。
先ほど書いた単語を眺めると文章が浮かんでくる。それをもとに手紙を書き始めた。最初の拝啓、なんてのはすっ飛ばす。いきなり自分が今まで抱いていたおふくろに対しての不平不満、愚痴といったものになった。が、それに対して理解できていること、同情していること、そして今では感謝していること。こういった流れで手紙を書き終えることができた。
「できた…」
「お疲れさまです。今どんな気持ちですか?」
「なんだかスッキリしました。おふくろに対してこんなことを思っていたんだって、あらためて自分の気持ちがわかりましたよ」
「それはよかった。じゃぁ、これからどう生きていこうと思いますか?」
「どう生きていく?」
「はい。自分の心と向き合うために、残ったシェリー・ブレンドを飲んでみませんか?」
これからどう生きていく、だなんて。マスターはひょっとしたらオレの正体を知っているんじゃないか?そして改心させようとしているんじゃないか?いや、そんなことはないだろう。
そう思いつつも、マスターの言った通り冷めてしまったコーヒーを口の中に放りこむ。すると、意外な味がした。
苦くない。甘い。そしてうまい。砂糖は入れてないのに。どうしてだ?
「甘い。これは何を意味しているんでしょうか?」
「甘く感じましたか。右松さんはどうお考えですか?」
「どうって…意外な味でした」
「それをご自身の人生に当てはめると、どうなりますかね?」
オレの人生に当てはめると。意外な人生ってことなのか?つまり、今の盗人の生活から抜け出すってことなんだろうか。
「普通、コーヒーって苦いって思うじゃないですか。でもそれを甘く感じたってことは、今の人生が苦いものだとしたら、甘い人生を送るってことになるんでしょうかね?」
「右松さんがそう信じれば、その通りの人生になりますよ」
「そう信じれば、か。じゃぁ今までオレは何を信じて生きてきたんだろう」
マスターの言葉で自分の半生を振り返った。オレは今まで人を信じられなかった。誰もが敵だと思って生きてきた。だから人に雇われるだなんてまっぴらごめん。自分一人で生きていく。それがオレの人生だった。
でも、今は少し違う。目の前にいるマスターの言葉は信じられる。だから今ここにいる。人を信じるのも悪くはない。うん、むしろそうした方が居心地がいい。
「マスター、なんだかオレの人生が変わりそうな気がしてきたよ。いや、これは変わる。きっと変わる」
「右松さん、よかったですよ。これで右松さんもお仕事がはかどりそうですね」
いや、仕事をはかどらせちゃいけないんだ。もうオレは昔の自分とは違う。人をだまして、人から金を盗む仕事なんかやっちゃいけないんだ。
「いや、もう今の仕事から足を洗いますよ。まっとうに人生を生きていかなきゃなぁ」
「えぇっ、そうなんですか?まぁ今のお仕事がなんなのかはわかりませんが。私は右松さんがこれから発展していくことを願っていますよ」
「マスター、ありがとう。ところでちょっと気になっていたことがあるんですけど」
「はい、どのようなことでしょうか?」
「このお店の防犯のことなんですが…」
オレはお店の防犯のここが危ないという話をマスターに聞かせた。するとマスターは真剣に耳を傾け、ときおりメモを取りながら大きくうなずく。そして一通り話を終えた後、こんなことを言い出した。
「いやぁ、とても助かりますよ。こういったアドバイスは素人じゃわからないことが多いですからね。ありがとうございます」
こんな感じでお礼を言われたのって初めてのような気がする。こうして言われると、とても気持ちがいいものだな。
「ただいまー」
このとき、マイさんが帰ってきた。
「マイ、ちょうどいい時に帰ってきた。今右松さんからこのお店の防犯についてアドバイスをもらったところなんだよ」
「へぇ、どんなこと?私にも教えて」
マイさんはエプロンをしながら興味深く私に近寄ってきた。私のことを信頼してくれているんだな。そんな人たちに対して空き巣なんてやっちゃいけない。そう思いながら、先程マスターに話したことをマイさんにも話してみた。
「すごーい。右松さんって防犯の知識が豊富なんですね。そういったお仕事をされているんですか?」
「うぅん。あまり詳しくは言えないけど。でも、これからこれを仕事にしてもいいな」
「うん、絶対に喜ばれますよ。最近空き巣が多いって聞きましたから。あ、せっかくだからこのお店で防犯セミナーってやってみませんか?」
「このお店で?」
「はい。時々日曜日の午前中にコーヒー教室とかやったりするから。常連さんに声をかけてみますよ。もちろん、謝礼は出しますよ。大した額じゃないけど。いかがですか?」
「オレみたいな人間でもいいんですか?」
「右松さんみたいな人だからいいんですよ。ぜひお願いします」
なんだか妙なことになってきたな。でも、人から頼られるってなんだか嬉しい気がする。
「右松さん、頼りにしていますよ」
頼りにされる。盗人仲間から仕事の手伝いということで頼りにされたことはあるが、それは自分の利益のためである。こんな風に人のために頼りにされるなんて初めてだ。ちょっとワクワクしてきた。
「わかりました、やってみます。オレにこんなチャンスを与えてくれてありがとうございます」
「人って、頼りにされるとすごく頑張ろうって気持ちになれますよね。それも相手を信頼してこそのことなんです。信頼すれば、相手は必ず期待に応えてくれます。私たちはこうやって協力し合いながら生きていけるのですから」
マスターの今の言葉は胸に突き刺さった。今までのオレはなんだったのだろうか。盗人として働き始めたのは、自分の親を信頼しなかったから。そして周りを信頼しなかったから。だから自分一人で生きていこうと思っていた。そのせいでオレは人から物を盗むことで生計を立てていた。今となってはそんな自分が恥ずかしい。
これは神様がオレに更生のチャンスを与えてくれたんだ。こんな人のいいマスターやマイさんに出会わせてくれたのも、オレにとっては大きな意味があるんだ。だからこの縁を大切にしなければ。オレは生まれ変わるんだ。
こうしてオレは盗人から足を洗うことにした。じゃぁどうやって食べていくのか?実はここからが面白い展開となった。
早速カフェ・シェリーでの防犯ミニセミナーを開催したところ、これが評判となり。ウチの自治会でもやってくれ、こっちの商店街でもやってくれと依頼がきて。それをまた無料のボランティアでやったところ、個別に防犯の相談が来るようになった。
これもボランディアでと思ったら、自治会長さんから「それはお金を取りなさい」とアドバイスされて。じゃぁということでお金をとって個別相談に応じるようになったら、これが仕事になってしまった。
ということで今のオレの肩書きは「防犯アドバイザー」である。その噂が噂を呼び、今度はなんと警察の方から依頼が来るようになった。今まで警察から逃げ回っていたオレが、警察からお金をいただいて活動をするなんて未だに信じられない。
「右松さん、大繁盛ですね」
あれからカフェ・シェリーに足を運ぶことも忘れていない。何しろオレの人生を変えてくれたところなんだから。だが、まだ心の中でどうしてもくすぶっているものがある。この胸の内をマスターに話さずにはいられなくなった。そこで、今日話そうと決心した。
「マスター、あなたのおかげで私は生まれ変わることができました。本当にありがとうございます」
「どうしたんですか、あらたまって。右松さんがそうありたいと思ったから、そうなっただけのことですよ」
「いえ、違うんです。実はマスターにだけはオレの今までやってきたことを話しておきたくて」
そう言って一呼吸置く。自分の事実を伝える時だ。だが、マスターはこう言ってきた。
「右松さん、あなたが過去にどんなことをしてきたのかは私は知りません。けれど、私は今の右松さんを信用しています。ですから、過去の自分はもうどこかへ置いてきてください。これからの自分と向き合って生きていきましょうよ」
「マスター…」
オレはそれ以上言葉にすることができなかった。マスターはオレのことを信用してくれている。盗人であったオレのことを。
「私思うんです。例え相手が過去になんらかの罪を犯していた人であっても、今はきちんと改心していればそれで問題ないと。今、信用しているからこそ、その人のために何かをしてあげようと思える。そしてその人はきっと、いや間違いなくその信用に応えてくれる。だから私は右松さんを信用しています」
その言葉に涙があふれてきた。
今までこんなに人から信用されたことなんてなかった。盗人仲間は仲間と言いながらも、お互いがお互いの利益のためだけに動いていた。だから心を許したことなんて一度もなかった。
こうしてオレは「人を信用すること」の大切さを知った。オレを信用してくれる人がいる。信用してくれるから、防犯に対しての仕事を依頼してくる。だからオレはその信用に応える。自分が持っている知識を目一杯働かせて、目の前の相手に大切なことを伝える。
けれど、残念なことにそれは盗人仲間を敵に回すことになる。だが不思議なことに、盗人仲間は私の周りから自然と遠ざかっていった。というか、この地域の防犯意識が高まりすぎて仕事にならなくなったようだ。トンと姿を見なくなってしまった。行きつけだった居酒屋もいつの間にか潰れてしまった。
これでいい、これで。オレは新しい仲間と新しい人生を歩み始めたのだから。信用できる人たちと一緒になって、信用できる仲間づくり、地域づくりをしていこう。
ところでオレの本当の名前だが…まぁ今の右松三郎が定着したから、このままでいいかな。オレ自身もこの名前にしてから、運が向いてきたし。本名は謎のままで過ごすことにしよう。
<盗人の心 完>