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サハー

作者: 小椋智大

この世を愛する必要はない

この世に溢れるものはすべてが虚構だ


 我々が生活している現世界のことを教祖様は「サハー」と呼称しておりました。

 サハーは我々の生きている具体的なこの世界の事であるが、この世界は人々に認識されることで成り立つ世界であるのです(教祖様によりますと、「見えるもの」はもちろんですが、現象のような不可視なものも認識の対象となります)。逆に言えば、認識されなければ、それは存在しないということなのです。素粒子が発見されるまでは、素粒子は存在しなかったことになります。しかし、素粒子の存在は科学者によって認められ、それは無事世界に属するものの仲間入りをしたというわけです。

 サハーは本来、あらゆる「可能性」に充ちた世界なのです。しかし、「空間」や「時間」の概念を世界の中から見出したことで、「可能性」の幅が益々縮小されていったのです。科学が「魂」の存在を否定したことで、「幽霊」の存在を頑なに否定するようになったり、「歴史」を狩猟・採取の時代から発展を遂げてきたと規定したがために、「オーパーツ」の存在について閉口したりと、「可能性」を排除するようになってしまったのです。

 この世界は「机」のようなものです。机の上が「世界」であり、抽斗の中味が「可能性」です。抽斗の中から現れたさまざまな現象が、すでに机上で形成された常識(認識)にそぐうものならば迎合し、そぐわないものならば排斥する。それが今の世界サハーの絡繰りなのです。

 そもそも、サハーは認識に従って存在する世界ですので、認識しているのはその表面だけなのです。林檎という「もの」の認識はしているものの、その本質を理解してはいないということです。では、林檎の本質とはいったい何でしょうか? これを理解するためには「修行」を積み、死後の世界「ニルヴ」に行くことで知ることができます。

 話を戻します。「もの」を認識する際、「表面」のみを認知してしまうということは、その「もの」は虚構なる存在であったと言うことができます。サハーが認識に従って存在する世界だと前に述べました。認知する「もの」がすべて虚構だということは、サハーに溢れる「もの」すべてが「虚構」であるということ他なりません。サハーに溢れる「もの」すべてが本質のない表面上のものに過ぎないということなのです。それなのに、あの「もの」は科学的に認められ、あの「もの」は非科学的なので無視するといった意味のない区別を行っているのは愚の骨頂であると言えることでしょう。あらゆる「可能性」に充ちた世界ですが、どんな「可能性」が顕在化したとしても、結局はがらんどうの「虚構」の存在であるので、我々はそれに対し、どんな声をあげようが、もはや意味がないのです。

 次に少しだけニルヴについてお話をしておきましょう。

 ニルヴとは主体が中心にいて、その主体の思惟や意思によって影響を及ぼすことのできる世界のことです。それは「小さな世界」を意味するものではありません。主体は客観的世界の中心にいて、主体がその客観的世界に確実に影響を及ぼすことができるのです。しかし、その「客観的世界」が全人類の知覚を通じて構築された世界で、つまりは「サハー」であるのです。そう。ニルヴはサハーの中心に位置する世界なのです。しかし、それはニルヴがサハーに内包されているということではありません。ニルヴはサハーの表側に位置するのです。サハーは虚構に溢れた世界ですので、そちらは「裏側」に属する世界です。

 先ほど、ニルヴを「主体は客観的世界の中心にいて、主体がその客観的世界に確実に影響を及ぼすことができる」世界だと述べ、その「客観的世界」をサハーだと言いましたが、厳密に言いますと、その「客観的世界」はサハーではありません。サハーに横溢する「もの」はすべて「虚構」で、更には時間を経てもそれは「虚構」のままですが、「客観的世界」に存在する「もの」は初めこそ「虚構」ではありますが、主体の働きかけによって、「虚構」から「真実」に変化するのです。「働きかけ」というのは「正しい認識」をすることです。これは「ヴィパシ」によって可能になります。ヴィパシとはいわゆる瞑想のことです。「もの」を「心の目」で見通し、「本質」を見極めようとすることなのです。これによって、「客観的世界」に溢れる「もの」をすべて「本質」を持った「もの」に変化させることが可能なのです。

 ニルヴはサハーで気付き得なかった「もの」の本質を確かに捉えるための「答え合わせ」の場なのです。真実・真相を知ることで、サハーで犯した罪などを反省する場なのです。しかし、ニルヴはすべての人間が行ける世界ではありません。サハーにおけるすべての「もの」が「虚構」であることを確かに認識し、「修行」を積んだものだけが行ける特別な場所なのです。

 

参考…フッサールの現象学



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