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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第14章 1893(明治26)年秋分~1894(明治27)年清明
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閑話 1893(明治26)年大雪:ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリの場合

※セリフを一部修正しました。(2019年6月20日)

 グルジアに住むヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリが、在学している神学校の校長に呼び出されたのは、1893年の8月末のことだった。

「日本に……ですか?」

「ああ」

 椅子に掛けた神学校の校長は短く言った。

「それは、どうしてでしょうか?」

「日本にいるニコライ主教から、成績優秀な神学校の生徒を日本に送ってほしいという連絡があった」

 校長は満足げに頷いた。「しかも、君を指名されたのだ。わが校の名声のみならず、君の優秀さが外国にまで広まっているとは……誇りに思うぞ、ジュガシヴィリ君」

「それは光栄なことですが」

 日本、という国のことは聞いたことがある。ただ、シベリアの向こう、太平洋に浮かぶ島国で、ミカドと呼ばれる王が統治し、サムライという強い人種が住んでいるらしい……そんなことぐらいしか知らない。

「校長先生……私一人で日本に行くのでしょうか?」

 ヨシフの頭には、母のゲラーゼのことがあった。母が働いて貯めた金で、自分は神学校に通うことが出来ている。その母をグルジアに置いていくのには、抵抗があった。

「いいや」

 校長は首を横に振った。「破格の条件だよ、ジュガシヴィリ君。君のお母さんも日本に連れて行っていいと先方は言うのだ。しかも、日本までの旅費は二人分出すし、君のみならず、君のお母さんにも、向こうで生活していけるだけの資金は出すと言っている」

「何ですって」

 ヨシフは目を丸くした。

「母と一緒に行っていいのですか」

「もちろんだよ、ジュガシヴィリ君。それだけ、君の才能にニコライ主教がほれ込んでいるということだ。実は、君のお母さんにも話をしてみた。喜んで一緒に日本に行くということだよ」

 それを聞いて、ヨシフは頷いた。

「わかりました、校長先生。日本のニコライ主教の元で学び、ゆくゆくは、正教の教えを日本で伝道できるように努めたいと思います」

「うむ、君ならそう言ってくれると思っていた。君はわが校の誇りだ。堂々と、胸を張って日本に行きなさい」

 ヨシフの胸には、既に日本という未知の国への憧れがいっぱいに広がっていた。


 長い船旅の末、ヨシフが母と一緒に日本に着いたのは、12月の中旬のことだった。

 日本の首都・東京は、大きな街だった。

 その中に、一際大きな正教の大聖堂があり、ヨシフと母はまずそこに行き、神に祈りを捧げた。建設に当たっては、日本人たちの妨害もあったようだが、それも乗り越え、この東京の“スルガダイ”と呼ばれる一角に、つい2年前に建てられたそうだ。

(このサムライの国では、正しい神の教えが受け入れられつつあるのだ)

 素晴らしい国だ、という思いをヨシフは新たにした。

 母と自分のために用意された家に一度荷物を置いた後、ヨシフはこの国の主教、ニコライに呼ばれた。

「歓迎するよ、ようこそ日本へ、ジュガシヴィリ君」

 応接室に入ると、ニコライ主教はニコニコしながらあいさつした。その隣に、大柄な男性がいる。東洋人だろう、というのは、自分と母をグルジアから案内してくれた日本人たちに肌の色が似ていたので察しがついた。

「紹介しよう、この国の軍の大臣で、サイゴーさんという。実は今回の君の招致に関しては、この方が非常に骨を折ってくれた。全ての資金を出してくれたのもこの方だよ」

「ありがとうございます」

 自分を見ながら、愛嬌のある笑顔を浮かべているサイゴー大臣に、ヨシフはお礼を言った。

「なぜ僕を、日本に呼んでくれたのですか?」

 ヨシフのロシア語を、ニコライ主教が通訳して大臣に伝える。

「彼は昔、ご長男を病で亡くされた」

 ニコライ主教は、サイゴー大臣から聞き取った言葉を、ヨシフに伝え始めた。

「ちょうど、今の君ぐらいの年だった。そして、そのご長男は、僅か7才の時、たった一人でわがロシアに留学し、正教の洗礼を受けていた」

「7才で留学、ですか?!」

「日本には、“かわいい子には旅をさせよ”ということわざがある。我が子がかわいいならば、手元に置いて甘やかすのではなく、世の中に出して、世の辛さや厳しさを経験させるほうがよいという意味だ。サイゴー大臣はそれを実践された訳だ」

 ヨシフは、僅か7才で外国に留学した、サイゴー大臣の息子のことを思った。彼と比べ、自分は恵まれている。自分はもうすぐ15歳だし、それに、母が一緒なのだから。

「その息子さんが亡くなった時、葬送をどう行うかが問題になった。この国ではまだ古来の仏教や神道という宗教が強い。大臣の元にも、その方式で葬送を行うように、という圧力があったが、彼は“受洗しているのだから、息子の宗教で葬送をして欲しい”とキッパリ言いきって、私に葬送を取り仕切らせてくれたのだ」

「なるほど」

 ヨシフの返答が伝えられると、大臣は更に喋った。

「彼が亡くなってそろそろ10年経とうとしているが、天国の彼がどうしたら喜んでくれるだろう、と考えているうちに、ロシアから優秀な神学生を呼んで、日本で正教を広めてもらったらよいのではと思い付いた。そこで、ロシアの日本公使に依頼して、優秀な生徒を選んでもらったのだ」

「そうでしたか……」

 大臣の言葉を翻訳するニコライ主教に、ヨシフは頷いた。

「でも、“かわいい子には旅をさせよ”なのに、なぜ母の渡航費や、母の生活費まで出してくれたのですか?」

 ヨシフの疑問を主教から聞くと、大臣は悲しそうに目を伏せて、二言三言喋った。

「ご長男は亡くなるときに外国にいたから、大臣はその時、彼の側にいてやることが出来なかった。肉親と離れるのはとても悲しいことだ。だから、君のお母さんの面倒も見ることにした」

(なんと素晴らしい人だろう)

 ヨシフは感動した。自分が辛いことは他人に味わってほしくない、と思いやるその姿勢にだ。

「サムライは素晴らしいものですね」

 主教からその言葉を聞くと、大臣は苦笑いした。

「一概に素晴らしいとは言えない。サムライにも色々な者がいた。今ではサムライの格好をするものはいなくなったが、しかし、素晴らしい面は受け継がれている。私の従兄に軍人をしているものがいるが、彼は一人のサムライとして、主君に忠実に仕えている。身内として誇らしく、うらやましく思う」

「はぁ……」

「それなのにうちの四男は、あの方を怖がりおって……単に御活発なだけではないか。なぜあの素晴らしさが分からないのだ!全く情けない」

 突然大臣が愚痴り始め、ニコライ主教は戸惑いながらヨシフに翻訳すると、大臣に日本語で何かを言った。

「ああ……これは失礼」

 大臣は主教を介してヨシフに謝罪した。

「とにかく、君に日本で立派な司祭になってもらうことは、我が国にとっても是非とも必要なことだと考える。もし何か困ったことがあったら言いなさい。日本での親代わりとして、力になろう」

「ありがとうございます、大臣」

 新しい生活は、きっと希望に満ち溢れたものになるだろう。いや、きっとしてみせる。ヨシフの胸は勉学と信仰への熱い思いで一杯になった。




△△△




 ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ。

 後に日本で正教の司祭となり、日本での正教伝道に一生を捧げた聖職者は、こうして日本の土を踏んだ。

 しかし、彼に、もう一つの未来を歩む可能性があったこと、そして、それを知る者たちが、ジュガシヴィリ来日の裏で暗躍していたことについては、21世紀に入り、情報公開法に基づいて公開された日本政府の公文書は、一切沈黙していたのであった――。


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― 新着の感想 ―
[一言] 以前に書かれていた「悪い方のif(立場により見方は違うでしょうけど)」を知るからこそ平穏に対処できた、全員笑顔のインテリジェンス活動。 別の人が代わりになる可能性は否定できませんが、芽を一つ…
[一言] 代わりにレフ・ダヴィードヴィチ・ブロンシュテインが… 芳生おじさんよりは、ましなのかな?
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