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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第14章 1893(明治26)年秋分~1894(明治27)年清明
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将棋の時間?

 1893(明治26)年12月9日土曜日、午後5時。

「主治医どの」

 原さんが、私の居間に入るなり、私を呼んだ。

「何ですか、原さん?」

 テーブルの上に将棋盤と駒を置いた私は、原さんの方を振り向いた。

「確かめたいことがある」

 原さんは椅子に腰かけ、鋭い視線を私に投げた。

(あー、これじゃ今日は、将棋はなしかな?)

 毎週土曜日の夕方、原さんは私と兄の将棋の相手をしに、花御殿にやってくる。彼はまず、兄と対局してから、私と大山さんが待ち受ける私の居間に現れる。純粋に将棋を楽しむこともあるけれど、私と大山さんと原さんの密談の場に変わることもある。どうやら今日の原さんは、将棋より密談がしたいようだ。

「ちょっと待って。お茶を淹れてきます」

 私が立ち上がろうとすると、

「いえ、梨花さま」

大山さんが私を右手で制した。

(おい)が持って参ります。その方がよろしいでしょう」

(え……?)

 いつもは、この3人で居間にいる時は、お茶は私が淹れる。自分の身の回りのことは、可能な限り自分でやることにしているからだ。自分の部屋でお客様をもてなすので、お茶は私が淹れる。それが当然だと思っているし、大山さんも原さんも止めないのだけれど……。

(大山さん、どういうつもり?)

 私は立ち上がった大山さんを見上げた。大山さんは私の視線に気づくと、いつもの優しく暖かい目でじっと私を見つめ、

「それでは行きますが……さて、いつもは梨花さまにしていただいているゆえ、勝手がわかりませぬなあ」

と、のんびりと言った。

「は?」

 ちょっと待ちなさい、と声を掛ける間もなく、大山さんは部屋から出ていってしまった。

「あの様子では、わたしが話したいことは見通されているようだ。流石、知恵者の弥助と言ったところか」

 大山さんの背を視線で見送った原さんが苦笑して、右手で銀髪を掻き上げた。

「私は見通せていませんけれど……大山さんがわざわざお茶を淹れに行ったということは、私だけで聞く方がいい話ですか?」

「わたしはどちらでもよかったが、話しやすいように気を遣っていただいたのだろう」

 原さんは一度言葉を置くと、

「会津中将……いや、会津宰相が5日に亡くなったのは知っているか」

と尋ねてきた。

「会津宰相……ああ、松平容保(かたもり)さんですね」

 危うく、蒲生氏郷と答えかけてしまったけれど、6日の新聞に松平容保さんの死亡広告が出ていたから、文脈からして容保さんの方だ。

「一度会いたいと、兄上とも話していたのだけれど、体調を崩しているから今は難しいと勝先生から聞いて、その直後……もっと早く、行動を起こすべきでした」

「なに……?」

 原さんの視線が更に鋭くなった。「やはり、あなたの差し金か?」

「は?差し金?」

「とぼけるな。今日の会津宰相の葬儀に、陛下が侍従を差し遣わした。皇后陛下も、皇太后陛下もだ。侍従の派遣は、あなたが働きかけたのか、と聞いているのだ」

「!」

 私は目を見開いた。

「じゃあ、勝先生……!」

「ふん、やはりあなたか。憎い真似をする」

 腕組みして苦笑する原さんに、

「ちょっと待ってください。あなた、勘違いしているから、最初から話を聞いてください」

私は慌てて両の掌を振った。

「そう言うなら聞いてやろう」

(本当に、陸奥さん(せんせい)に似てるなあ……)

 偉そうな原さんにため息をつきながら、私はいきさつを説明し始めた。

 松平容保さんの死亡広告を見つけた6日は、ちょうど剣道の稽古日で、稽古が終わった後、兄とそのことについて話した。

――葬儀に人を出す方がいいかな、兄上?

――俺もそうしたいが、俺も梨花も、容保侯とは全く接点が無い。先方に不審がられてしまうかもしれない。困ったな……。

 私の問いに兄は考え込んだけれど、

――お母様(おたたさま)か内府には相談したいが……。自由に動けるのは内府の方か。とにかく、急いで手紙を届けさせる。

と言ってくれた。

 すると翌日の夜、兄がこの部屋に来て、2人で西園寺さんの宿題をしているところに、勝先生が現れた。

――火急に相談の向き、って手紙に書いてありましたが、会津侯のことでしょう、殿下?

 人払いしたのを確認すると、勝先生はこう言った。

――その通りです。せめて弔意を表したいのですが、わたしも梨花も、容保侯とは接点が全くありません。どうしたらよいかと思い……。

――その気持ちだけで十分ですぜ、殿下。

 勝先生は兄にニヤッと笑った。

――殿下がたも、おれたちも、心は一緒です。どうぞ、おれたちを信じて、ご心配なさらないように。

「……と勝先生が言い残して去ったんです。そこから私も兄上も、何もしていません。だから、7日夜の時点で、侍従さんを派遣することは決まっていて、だから勝先生はああ言ったんじゃないかなと思うんですけれど……」

 私がそう言うと、原さんは、

「なるほど、内府か……」

そう言って、大きく息を吐いた。「維新前後は色々とあったが、やはり内府も元を正せば旗本。幕府側で戦った勢力のことは、気に掛けていたか。“史実”では、やりたくても絶対にできなかっただろうな」

「ええと、ちなみに“史実”だと、勝先生ってどうなっていたんですか?」

 原さんに尋ねると、

「この頃には、目立った役職にはもうついていないはずだ。内大臣も、三条公が亡くなった後は、明治大帝が崩御されるまで、徳大寺侍従長が兼任していた」

と答えられた。

「と、徳大寺さんが兼任……そんなことできるんですか?」

 今、勝先生は結構忙しい。お父様(おもうさま)の仕事を補佐しているし、東宮御学問所の総裁だから、そちらの業務も担当している。

(御学問所の総裁は無いだろうけれど、侍従長と内大臣を兼務なんて……滅茶苦茶忙しいんじゃ……)

 そう考えていると、

「明治の御代なら出来た」

原さんは短く言って、更に付け加えた。

「内大臣という役職は、非常に特殊でな。職務や権限の範囲もあいまいで……要するに、時の陛下と内大臣との信頼関係のみで全てが決まるという、そんな役職だったのだ。元々が、初代総理大臣になれなかった三条公を遇するために作られたような役職ではあったから、当然ではあるのだが」

「ええと、つまり、名誉職みたいなものだったんですか?」

「その通りだ。三条公が亡くなった後、空席にしておくわけにもいかず、明治大帝は徳大寺侍従長を内大臣にした……というより、適任者がいないから、徳大寺侍従長に内大臣という役職を預けておいた、というのが正確だろう。徳大寺侍従長は、自分は絶対に政治に関与しないと決意していたから、内大臣を預けるにはうってつけの人物だった訳だ」

「確かに、徳大寺さんは、お父様(おもうさま)にすごく忠実に仕えている印象があります」

 私は頷いた。すごく真面目な人なので、徳大寺さんが西園寺さんの実の兄だと先日知って、びっくりしてしまったのだけれど。

「しかし、明治大帝が崩御され、皇太子殿下が即位された時に、補佐役を付けなければならない、という声が上がって、内大臣という役職が急に表に出てきた。桂もやったことがあるし、大山閣下もなさったことがある。わたしが死んだ時の内大臣は松方どのだったな」

「はあ……」

 “史実”の兄は、桂さんや大山さんや松方さんと、信頼関係を築けたのだろうか。そんな疑問が頭をよぎった瞬間、

「本当に分かっているのか?」

原さんがじろりと私を見た。

「分かったつもりだけれど……つまり、内大臣という役職は、やろうと思えば、政治の全てに首を突っ込むこともできるし、全く口を挟まないこともできるということですか?」

「ああ、珍しく出来たな。大磯での伊藤さんとの特訓が生きたか」

「あれ、特訓じゃなくて拷問でしたよ……」

 ため息をつくと、

「さて、思わぬ方向に話が逸れたが、会津宰相のことだ」

原さんが話を元に戻した。

「確か“史実”では、会津宰相が亡くなった時、宮中から人は派遣されていないように思う」

「え?」

「記憶違いかもしれない。皇太后陛下が、体調の優れぬ会津宰相に牛乳を贈ったという話は聞いたことがあるが」

「そうだったんですか……」

 私は目を伏せた。

「しかし、主治医どの」

 原さんが私を呼んだ。

「今回は内府が動いたからよかったが、内府の反応が違っていたら……会津宰相に冷淡で、“人など出さなくてもよい”と言ったら、主治医どのはどうしていた?」

「そうですねえ……」

 私は両腕を組んだ。「勝先生に抗議はしたでしょうね」

「それでも内府が、なお冷淡だったら?」

「私がお葬式に行ったと思います。学校からの帰り、侍従さんを振り切って、人力車を捕まえて葬儀場に行きましたね、多分」

「な……」

 原さんが口を開けたまま固まった。それに構わず、私は言葉を続けた。

「だって、私の勝手な想像だけれど、お父様(おもうさま)を想ってくれたところは、容保さんも、大山さんたちと変わりがないもの。ただ、意見が違って、悲しいけど、勝ち負けが付いてしまっただけです。お父様(おもうさま)を想ってくれたのなら、一言、霊前にお礼は言うべきだし、きちんと弔うべきだと思います」

「何、だと……?」

 原さんが目を見開いた。「まさか、知っているのか?!」

「知っているって、何をですか?」

「その、わたしが読んだ……」

「待って!」

 何か言おうとした原さんに、私は叫んだ後、小声で言った。

「大山さんの気配が……」

 迂闊だった。話に夢中になって気づかなかったけれど、急に彼の気配が濃くなった。すぐそばにいる。もしかしたら、ずっと話を廊下で立ち聞きしていたのかもしれない。

 と、障子がすっと開いた。

「失礼致します、梨花さま」

 廊下に、3人分の茶を載せたお盆を持った大山さんが立っている。

「茶を淹れて参りました」

「ああ、ありがとう。出すのは私がする」

 大山さんがテーブルにお盆を置くと、私は立ち上がって、まず原さんの前に、ついで大山さんの前にお茶を出した。

「お話を続けていて、よろしかったのに」

 大山さんの側から離れようとした瞬間、彼が小声で言った。

「急にあなたの気配が濃くなったから、びっくりして、つい。でも……、そうね、やましいことを話していた訳ではなかったから、話を続けてよかったわね。大山さんこそ、急に気配が濃くなったけれど……一体何があったの?」

「主治医どのは、気配が読めるのか」

 原さんが、私たちの会話に入ってきた。どこか呆然としているような印象も受ける。

「何となくですけれど。剣道を続けている成果かもしれません。でも、読めないこともあります。先日はそれで、私の黒歴史を聞かれてしまって……」

「前世の失恋のことか。まあ、しょうがないだろう。生きていれば、辛い恋の経験が一つや二つ、あってもおかしくない」

(原さんにしては、意外な反応だなあ……)

 明日は雪、いや、空から石でも降って来るのではないだろうか。手厳しいセリフが飛んでくることを予想していた私は、少し拍子抜けした。

「こちらがしくじらなければ、梨花さまなど、まだまだ軽くあしらえますよ」

 大山さんがニッコリ笑う。「先ほどは、梨花さまの立派なご成長ぶりに驚いて、ボロを出してしまいました」

「はあ、そうですか……」

 確かに、大山さんの言う通り、気配を読むことに関しては、私はまだまだ修行不足だ。

「ま、いいか。容保さんの話に関しては、今日はこのぐらいでいいですか、原さん?」

「あ、ああ……」

 原さんは首を縦に振った。


「ところで、西園寺さんの宿題とはなんだ?」

 原さんは将棋盤を横にどけた。やはり今日は、将棋は無しで、話を続ける気らしい。私も、将棋を指す気分ではなくなってしまっていた。

「ああ、日本語の表記や文法の問題です。ある程度は出来たんですけれど……」

 私はため息をついた。

 文部次官に就任した西園寺さんは、「国民への教育は、是非とも推進しなければならない」と、就学年齢に達した児童の小学校入学を奨励し、就学率を男女ともに100%にするという目標を立てた。

――義務教育の期間……せめて、尋常小学校の授業料は、公立の学校では無償にしたい。それに、帝国大学も、京都だけではなく、増宮さまの時代のように7校にできれば。差し当たっては、東北と九州に設置することを目指したいです。女子にも高等中学校、いや、高等学校に改称する予定ですが、高等学校や帝国大学への門戸を開きたい……。

 西園寺さんは先月の末、再び花御殿にやって来て、私と兄にこう力説した。ちなみに、西園寺さん自身、若い頃に塾を設立したり、法律学校で教鞭を取ったりしていて、元々、教育には関心が高かったそうだ。

――しかし、増宮さまの話を聞いておりますと、義務教育を普及させるにしても、今の日本語の表記は難し過ぎて、教育の普及を阻んでしまうのではないかと思います。これでは、立憲政治にも、国力増強にも必要な、教養ある市民の育成は出来ません。

――確かに、漢字も私の時代より多いし、書き言葉は話し言葉とかけ離れているし……単語は無理にしても、文法は話し言葉に近づけたいですね。

――それはお前が楽をしたいだけではないのか、梨花?

 苦笑しながら指摘する兄に、

――違うよ、兄上。私は今後の日本の国力増強を考えて、この際、日本語は私の時代の文法に近づけてしまうべきであると……。

本気になって言い返したら、

――わかっているよ。お前は前世で、日本語を専門に扱う部署ではないが、大学を卒業している。高等教育を受けたお前がそう言うのであれば、やはりこの時代の日本語は難しいのであろう。

更に真面目に兄に返されてしまった。

 すると、

――そこで、増宮さまにお願いがありまして。

西園寺さんがニッコリ笑った。

「“増宮さまの時代の文法や仮名遣い、使われていた漢字について、文書に取りまとめていただきたい”って言われてしまって……それで今、必死にまとめているんです」

 それで、兄が読み終わった森先生の“水沫集”に、まだ取り掛かれないでいる。

「なるほどな」

 私の話を聞いた原さんは苦笑した。「で、その文書は出来ているのか?」

「まだ清書はしていませんけれど、兄上にも協力してもらって、大体は」

「見せてみろ」

「え?だけど原さん、私の時代の文法は分かるんですか?」

「口語体の文法なのだろう。主治医どのとわたしの話す言葉はそんなに変わらんし、それに、新聞の論文を日本で初めて口語体で書いたのは、わたしなのだぞ。新聞社の社長をしていた頃は、仮名遣いの改革や使用漢字の制限についての論説も書いたし、総理大臣になった時、臨時国語調査会を設置して、常用漢字の制定を依頼したのもわたしだ」

 原さんはドヤ顔で胸を張った。

「梨花さま、原どのの言う通り、文書を見せてあげて下さい。(おい)も読みとうございます」

 大山さんも微笑しながら言う。

「拒否する選択肢はなさそうですね……」

 私はため息をついて立ち上がり、棚に置いてあった文書を原さんの前に置いた。

「ふむ……漢字は、漢字で書かないと意味が取れないというもの以外は、なるべく省く方向か。常用漢字が2000字程度……。日本語の文章を横書きするときは、欧文と同じように左から右へ……。合理的だな」

 紙をめくりながら、原さんは呟いている。

「仮名遣いは……棒引きではないが、極力発音に近づける、か。多少違うが、わたしが新聞社時代にした改革とほぼ同じだな。役所の文章も口語体で表していた、と。なかなか急進的だな」

「あー……やっぱり原さんの感覚でもそうなりますか……」

「いや、わたし自身はこれに賛成だがな。ただ、今の口語体の書き言葉は発展途上だ。わたしが死んだときも、役所の文書は文語体だった」

「そう言えば、太平洋戦争終戦の玉音放送も、文語体でしたね……」

「日本が敗戦した後のGHQの改革で、仮名遣いや日本語の表記も変わったのではないでしょうか?」

 大山さんが横から指摘する。

「ああ、その可能性はありそう……」

 私はため息をついた。日本が敗戦して、一体どれだけの多くのものが急激に変化させられてしまったのだろう。もちろん、変えられてしまったものの前の姿が、全て良いとは限らないけれど、改悪されてしまったものもあるのだろう。私は変化を受けた後の産物を、疑いもせずに、ただ一方的に摂取するだけで……。

「うーん、文法とか仮名遣いって、本当は専門家に聞くべきことですよ。鴎外先生に……って、ダメだ、今の森先生、完全に医学者だからなあ……」

 先週、森先生が、ビタミンAについての自分の論文が載った最新の「ドイツ医事週報」を持ってきてくれた。ビタミンAを“新しい栄養素である”と発表した森先生の医学者としての評価は、国内でも海外でも急上昇している。ちなみに、北里先生のペニシリンの論文も、先月届いた「ドイツ医事週報」に載せられていた。

「だな。まさか、森鴎外が、脚気の栄養欠乏による発生説の急先鋒になるとは思わなかったが」

 原さんがニヤリと笑った。

「今は、ビタミンC、じゃない、ビタミンBの発見に取り組んでいますからね」

 医科分科会のメンバーで話し合った結果、ビタミンAの研究はいったんこれで区切りをつけることになった。一歩進めてビタミンAの合成までやりたかったのだけれど、日本で今ある技術ではどうも不可能そうだし、玄米食や麦飯の摂取によって、脚気の発生も抑えられるという証拠は与えられたからである。その代わり、今度は別のビタミンを発見することにした。目標は、不足により壊血病を発生させてしまう、前世(へいせい)でいうビタミンCである。昔は、長い航海をしている船でよく発生した。柑橘類の摂取が予防に有効なのは、経験的に分かっているようだけれど、なぜ有効なのかまではハッキリしていないそうだ。

「とりあえず、この冬は温州ミカンを大量に仕入れて、そこからビタミンを取り出すことにしました。レモンやライムからも、同じビタミンを取り出せればいいですけどね」

「ビタミンもいいのだが……主治医どの、結核の方を、特に抗結核薬の方にも注力していただきたいと」

 原さんが、ずいっと私に身体を近づける。

「あー、あなたの先生のことですね……」

 陸奥さんは先月末、ハワイに向かって出発した。日本の冬に当たる期間はそこで過ごして、ハワイに対する工作をしつつ、のんびり過ごすそうだけれど……。

「今臨床試験をやっている抗結核薬が上手く行って、あとはリファンピシンを発見できるか、化学合成で出来る抗結核薬を作れればいいんだけれど……」

 恐らく、今臨床試験が進んでいる抗結核薬は、前世(へいせい)では、アミノグリコシド系かポリペプチド系に分類される抗生物質の一つだと思う。耐性菌を発生させないで結核を完治させる確率を上げるためには、もう少し性質の違う抗結核薬が欲しい。

「そのために、高橋さんにも、ヨーロッパ各地の土壌を持って帰ってきてもらったのだろう?」

「ええ、違う土地の土壌なら、日本とは違う放線菌がいて、リファンピシンが発見できる確率が上がると思ったので」

 リファンピシンも確か、放線菌から発見されたという話を聞いたことがある。

「リファンピシンと、今試験している抗結核薬で併用療法をすれば、結核完治の確率は上がります。リファンピシンが見つかれば、ハンセン病にも使えるし。あとは、グルコスルホンナトリウムかあ……」

 ハンセン病も、前世(へいせい)では多剤併用療法がスタンダードだった。本当は、リファンピシンのほかに何か1剤加えたい。大風子油に効果がある、とはベルツ先生にも言われたけれど、前世の祖父から“注射がとても痛くて、グルコスルホンナトリウムが発売されたら、それにとって代わられた”と聞いたことがある。大風子油から有効成分を取り出せて、それを製剤化できればなおいいけれど、できればグルコスルホンナトリウムを合成したい。

「あとはハンセン病、……他の病気もだけれど、正しい知識に基づいた、正しい対処法を普及させないと。昔は病気になってしまうと、非合理な理由による差別を受けてしまって、それで苦しんだ人が大勢いたって、じーちゃん、いや、前世の祖父が言ってましたから」

「そうだな。そこは、感染症予防法でしっかりやらせてもらった。先日国会を通過したが」

 原さんが頷いた。

「病気の解明や医薬品の開発もだけれど、疾患に対する正しい知識の普及、衛生状態の改善、国民の栄養状態の改善、それに必要な食糧増産や農地の改良、農作物の品種の改良、インフラの整備、それから、食糧増産に必要な肥料を作るための、オストワルト法とハーバー・ボッシュ法の開発かあ……本当に、やることは次々に出てきますねえ……」

「そうだな。だが、まずは陸奥先生のためにも、抗結核薬の実用化に全力を挙げてもらいたい。研究者と資金が不足なら、山縣を説得して、可能な限り内務省から回す」

「わかりました。石神先生にも、北里先生経由で聞いてみます。それにしても、……原さん、陸奥さんが本当に好きなんですね」

「当たり前だ」

 原さんはムスッとした。「主治医どのは、陸奥先生に“関税自主権を回復してもらいたい”と言ったそうだな。わたしも同じ気持ちだ。“史実”では小村の仕事だったが、この時の流れの中では、是非とも陸奥先生にしてもらわなければならぬ」

「ですね」

 私は先日、陸奥さんと相対した時のことを思い出した。豊富な経験、鋭い観察眼、深い考察……私が彼に勝てるのは、医学の知識ぐらいしかない。完全にやられてしまったけれど、あの才能は、日本のために揮ってもらわないと困る。

「陸奥さんに鍛えられる時間が長くなるように、私も、できることをやります」

 そう答えると、

「自覚しているようだな」

原さんはニヤリと笑った。

※官報も明治天皇紀も確認しましたが、松平容保さんの葬儀に勅使等が派遣された記録は残っていませんでした。他の文献にあるかもしれませんが……。従って、拙作では「実際には、松平容保さんの葬儀に宮中から人は派遣されていない」という筋で書いています。ご了承ください。


※原さんがドヤ顔しながら言っていること……実際に本人が、大正9年の談話で“新聞紙の論文を口語体で書いた最初の者は、私である”と断言しています。(原敬記念館のリーフレット“原敬の足跡”から引用しました。元は「ROMAJI」第15巻11号から引用されているようですが、元文献に当たれませんでした)大阪毎日新聞に載ったという原さんの一連の論説(「漢字減少論」「ふり仮名改革論」など)は、当該新聞のデータベースを検索できておらず未見です。

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