天眼(てんげん)と剃刀(2)
※地の文を一部修正しました。(2019年6月15日)
「随分と、乱暴な言葉を使われる」
私が居間の障子を閉めると、やや茫然としながら陸奥さんが言った。
「ごめんなさい、興奮して、つい。元々平民ですから、お姫様のように振る舞うのは慣れていないんです」
「ほう。8月に、フランツ殿下を芝離宮に訪ねられた際は、本当に素晴らしいプリンセス振りだったと、青木大臣が感心していましたが」
「あの時は、何かおかしかったんです。心がふわふわして……。それに、その前に倒れたから、外務省に迷惑をかけてしまいました。本当にごめんなさい」
「いえ……」
首を左右に振った陸奥さんから、また咳が漏れる。
「で、陸奥さん、胸郭の形も確認したいから、申し訳ないけれど、上半身の服を脱いで下さい。確認したら、胸の聴診と打診もします」
私が本棚に置いてある自分の聴診器を引っ張り出している間に、陸奥さんは素早く上半身の衣服を脱いでいた。正面から見ても、特に胸郭の変形は見当たらない。
(ばち指もなさそうだし……頸静脈も怒張してない……チアノーゼもないし……)
「じゃあ、聴診しますね」
聴診器の耳管の先を耳に押し込むと、陸奥さんのそばに近づいて、チェストピースを陸奥さんの胸に当てる。陸奥さんは最初戸惑ったようだけれど、私の指示に従って、息を吸ったり吐いたりを繰り返してくれていた。
(んー……目立った所見はないけど、聴診の技量はベルツ先生たちより劣るからなあ。自信がないや)
「陸奥さん、咳ってどのぐらいの期間続いてます?」
胸部の打診をして、リンパ節の触診をして、ついでに浮腫が無いことも足を触って確認してから尋ねると、
「数年……いや、十数年になるかもしれません」
と陸奥さんは答えた。
「熱が出ることがありませんか?」
「確かに、時折は」
「あ、あの……痰が出たり、それに血が混じったりすることもあります?」
すると、シャツを着ようとした陸奥さんが、目を伏せた。
(この反応……まさか、陸奥さん自身も、もう知ってる……?)
「陸奥さん、日本語以外の言葉は喋れます?私は英語も多少話せますけれど」
「盗み聞きのご心配ですか」
陸奥さんはシャツを着ながら微笑した。「無駄ですよ。伊藤閣下もいますし、高橋君も英語が得意だ」
「ああ、それに、大山さんもいました……」
大山さんと伊藤さんが盗み聞きしているだろうから、せめて会話が判らないようにしようと思ったけど、無駄な努力になってしまうようだ。
「おっしゃりたいのは、僕が結核に罹患していると言うことでしょう?」
陸奥さんの言葉に、私は黙って頷いた。
「殿下の御推測通りです」
「……どうして、私の言いたいことが分かったんですか?」
「殿下が、結論をおっしゃるのを躊躇っておられた」
そうなのだ。結核は、この時代ではまだ命取りの病気なのだ。だから、陸奥さんにどう告げようか、考え込んでしまった。
「誰かに聞かれている可能性も知りながら、平然と言うところを見ると、政府高官は大体知っているのかしら?」
「恐らくは。僕にハワイに行けと言う命が下ったのも、療養を兼ねて、ということなのかと、勝手に解釈していました」
陸奥さんは上着を羽織った。
「本当は、身体を壊さないように療養して、と言いたいけれど、そうもいかないんですよね……?」
「その通りです。ハワイの独立を保たせられるのは、どう考えても僕しかいません」
(すごい自信だなあ……)
ため息をつきながら、
「陸奥さん、何とか、抗結核薬が製剤化できるまで待っててください」
私は言った。
「こうけっかくやく……?」
「結核菌を殺す薬です」
「なっ?!」
陸奥さんが目を見張った。
医科研の石神先生が見つけた有望な放線菌……その分泌物から抽出できた物質は、やはり結核菌に効くことは分かった。前世のどの薬剤に相当するかは分からない。ただ、らい菌には効かないことが分かったから、リファンピシンではない。
「人に対する臨床試験は終わっていません。それに、私の時代では、抗結核薬を何種類も同時に使うのがスタンダードでした。そうじゃないと、耐性菌が生じて、抗結核薬が効かない、より治りにくい結核菌が生まれてしまうので……。でも、私、あなたを助けたいんです。それで、ハワイの独立も守ってもらいたいけど、あなたの手で、日本の関税自主権を回復してもらいたいんです」
「これは、大きな話になりましたな……」
陸奥さんは顎髭を撫でた。
「しかし殿下、西南の役に加担して、獄に繋がれた僕に、なぜそこまで肩入れされますか?」
陸奥さんはジロリと私を見た。何となく、値踏みをされているような、そんな感じも受ける。
「そんなことがあったのは知らなかったけれど……でも、“上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし”じゃないですか?」
私がこう言うと、陸奥さんは弾かれたように頭を下げた。
「それは、五箇条の御誓文ではないですか。殿下の時代でも残って……?」
「歴史の事実として勉強するし、転生してからちゃんと勉強しました。中身は平民でも、私は今生ではお父様の子ですから」
私はため息をついた。「今年の1月に、伊藤さんにずっと政治や外交の話を聞かされて思ったんだけど、結局、この国の政治の根本って、五箇条の御誓文に帰結するところが多いんじゃないかなって。もちろん、私の勝手な解釈だけど……ただ、あなたが獄に繋がれていたことが、私のあなたに対する評価に悪影響を及ぼすことはない。私にとってあなたは、心を一にする人だと思います。それに、たとえ心が違っても、同じ目的を達成するために、協力することはできると思っています」
私は微笑した。
「なるほど……」
陸奥さんも微笑した。「未熟ではあるが、面白い方だ。その天眼が政治や外交で使えるようになれば、僕も殿下をどんな駒として扱うか、考え直さなければならない」
「あの、陸奥さん?さっきも言ったけれど、私、そんな力はないですよ?」
「例えとして言ったのですよ」
私の抗議にも動じず、陸奥さんは静かに言った。「少なくとも、医学に関しては、殿下は真実を的確に見通すことがお出来になる。それは、殿下がお持ちの、未来の医療知識に助けられている面は大きいでしょうが」
「……」
「しかし、得た真実をどう扱うかに関しては、失礼ですが、まだまだ殿下は未熟です。それは先ほど、“医者として前世で働いたのは3ヶ月”とおっしゃった所からも推測できましたし、僕に結核のことを告げるのを躊躇ったのでも分かりました」
(鋭い人だなぁ……)
私はため息をついた。転生してから、医科分科会のメンバーではない人に、自分の医師としてのスキルに未熟な部分があることを指摘されたのは初めてだ。天眼、全てを見通す眼……それを持っているのは私ではなく、陸奥さんだろう。
「殿下、あなたは将来、どうされたいのです?修業を積めば、医師としても、名声を得られるほどにはなりましょうが……」
陸奥さんが私に尋ねた。
「医学開業試験に合格して、医師免許は取りますよ。それで、上医を……国を医す、上医になりたいです。お父様の命令でもありますけれど」
「なるほど、“旧来の陋習”を、自ら破りに行かれる訳ですか」
陸奥さんが引いたのは、やはり五箇条の御誓文の言葉だった。「面白い。皇族が医師になられるのも初めてのことだが、上医を目指すとなれば……」
「あなたが言う通り未熟ですから、本当になれるかは分からないけれど、でも、やってみなければ分からないでしょう?」
「確かにそうです」
陸奥さんはニヤリと笑った。「面白い。本当に面白い。何枚もの駒の動きが、いや、その性質までも変わっている。そしてその駒たちが、恩讐を超え、一糸乱れず、真に日本のために動いている……。憲法発布以降、僕の頭の中の夢想以上に、現実が小気味よく動いていましたが、それがなぜなのかは考えもしなかった。ですが、今日殿下に会うことができて、ようやく分かりましたよ。本当は、殿下という駒が盤上にあったこと。そして、その駒が、他の駒の動きや性質まで変えてしまうことが」
「いや、私、政治の世界で、そんなことまでした覚えがないです……」
“史実”の話は梨花会の皆にはした。けれど、それは一方的なモノの見方に過ぎない。
「さっき私と伊藤さんが話した通りで、“史実”を元に色々考えて、実際に政策を立てて実行したのは、私ではなくて“梨花会”の皆です。確かに、医学の世界では、私が色々と手出しはしているけれど……」
「自覚されていないのですか。その方がいいのかもしれませんが……しかし、大山の性質を変えたのを自覚していないとは言わせませんよ?」
「あの、陸奥さん」
カチンと来た私は、眉を跳ね上げた。「私はもともと平民だから、あなたが私のことを呼び捨てにしても、私に無礼な態度を取っても、一向に平気だし、咎めるつもりもありません。けれど、大山さんのことを呼び捨てにしたり、ぞんざいに扱ったりするのだけは、彼の主君として許さない」
「これは、失礼いたしました」
陸奥さんは恭しく、私に向かって頭を下げた。
「しかし、なるほど、“主君として”ですか。彼だけが、殿下の前世の名を口にしていましたから、何か特別な関係にはあると思いましたが……君臣の契りを結んでおられたとは」
「!」
私は息を飲んだ。
(吐かされた……)
隠しているつもりはなかったけれど、陸奥さんはあっさり真実を私から得た。こうなると、大山さんのことを呼び捨てにしたのも、私と彼とが“特別な関係”にあることを確かめるための策の一環だったのかもしれない。
「はい、……ニコライ皇太子が来日した時に結びました」
私は素直に頷いた。多分、この人には、大山さんとは別の意味で、隠し事は出来ない。例え何かを隠そうとしても、様々な角度から言葉のボールをぶつけて、真実と自分の間にある壁を簡単に壊し、隠されたことを白日の下にさらしてしまうだろう。
(そういえば、大山さんの雰囲気が変わったのって、君臣の契りを結んだ後……)
「おや、どうやら思い当たりましたか。駒の性質が変わったのは、その事例だけではないのですが、全てを指摘するのはやめておきましょう」
陸奥さんは澄ました顔で言った。どうやら、私の微妙な表情の変化を読み取ったらしい。それには触れずに、私は気になったことを彼に確認することにした。
「あの、陸奥さん、私や大山さんだけじゃなくて、他の政府の高官……例えば、伊藤さんや黒田さんまで、駒にしています?将棋やチェスじゃないんだから、人を駒にするのは……」
「駒ですよ」
陸奥さんは言い切って、また咳をした。「時勢に対処するのに、内閣はどのように動くべきか、あるいは内閣を壊して新しく作るべきか、議会はどの議員を使ってどう動かすべきか、世界の中でこの国はどうあるべきか、そして世界をどのように動かすべきか……僕は常にそれを考えています。一体僕の頭の中で、黒田内閣が何回倒れ、何人の総理大臣がその後を襲ったのだろう。数えるとキリがありません。だから本当は、こんな病にかかっている暇などないのですよ」
「頭の中に、とんでもない将棋盤を持っているんですね……」
陸奥さんに、こう返すのが精一杯だった。
剃刀……“史実”で陸奥さんはこう評されたけれど、その通り、恐ろしく頭がいい。彼は鋭い感覚で情報を深く収集して、情勢を分析しては、頭の中でシミュレーションを繰り返し、何通りもの答えを導き出し、変幻する時勢に対処するのだろう。
(だから、全てを見通せるように見えて、的確な対応策も取れるように……え?)
突然、頭の中で、何かがつながったような感覚がした。以前にも、同じような感じを覚えたことがある気がする。それがいつのことだったか、思い出せないうちに、
「まだ殿下が、それをお持ちで無いだけですよ。一流の政治家と自負する者であるならば、持っていて当然でしょう」
陸奥さんが言った。
(つまり、自分は一流の政治家であると言いたいわけか……)
どことなく、陸奥さんは原さんと似ている。自信たっぷりで、偉そうな所が、だ。
(そりゃ、原さんが“先生”って呼んでるんだもんね。先生に弟子が似るのは、ある意味当然かな……)
「とりあえず、あなたには敵わない、というのは分かったけれど……私の心は変わりませんよ」
私は苦笑しながら言った。「あなたの持ち時間は、西暦2018年の医療知識を持つ医者として、何としてでも増やします。それがこの国のためだと思いますから」
「ご厚意、ありがたく受け取っておきます、殿下。僕としても、今も面白い駒である殿下が、将来どんな駒に成るか、僕の頭の中でどんな動きをするか、見届けたいですからね」
陸奥さんはニヤリと笑った。




