閑話 1893(明治26)年寒露:「我が君」と「なう」
「いいですよ」
内務大臣の山縣有朋が我に返ったのは、その答えを聞いた時だった。
「は……?」
「あの、だから、一緒に馬で遠乗りに行きましょう、ということなんですけれど」
怪訝な顔をして彼の前に立っているのは、今上の第4皇女、実質的には長女である、増宮章子内親王だ。幼い頃から愛らしく美しかった彼女だが、成長するにつれて、その美しさには、ますます磨きがかかっていた。
「は、はあ……」
戸惑いながらも頷く山縣内相に、
「変な山縣さん。“馬に相乗りして、遠乗りに行こう”と誘ったのは、山縣さんじゃないですか」
内親王は、少し頬を膨らませながら言った。その仕草もまた愛らしく、相好を崩しそうになるのを山縣内相は必死に耐えた。
(い、いかん……)
内親王本人を目の前にしていなければ、しっかりしろ、と自分の頬を叩くところだ。
山縣内相は、先月、長年連れ添った妻の友子を亡くした。そのことを聞いた内親王は、兄の明宮嘉仁皇太子とともに、弔問のために侍従を派遣し、葬儀にも侍従を参列させてくれた。
――本当は、微行で、葬儀に参列したかったのだけれど……。ごめんなさい、山縣さん。
10月14日の梨花会が終わった後、わざわざ内親王は山縣内相の側まで歩み寄り、こう言って一礼した。華族女学校の授業が終わった後に来たのだろうか、桃色の無地の着物に海老茶色の女袴を付けた彼女は、ランドセルを手に持っていた。
――いえ、そんな……お心遣い、痛み入ります。
頭を下げる山縣内相に、
――そんなことないです。フランツ殿下の来日の時には、山縣さんにはとても迷惑をかけてしまったから……。
内親王は苦笑いを見せた。
8月のフランツ・フェルディナンド殿下の来日の際、彼の挨拶を受けた内親王は気を失って倒れた。幸いすぐに意識は戻ったものの、療養に入って面会謝絶となり、見舞いに行きたくても行けぬ葛藤に、山縣内相は心身を苛まれた。
そして、内親王が倒れた原因が、前世での手ひどい失恋の記憶によるものだと、伊藤枢密院議長と大山東宮武官長から聞かされた山縣内相は号泣した。内親王が不甲斐ないと思ったわけでは、断じてない。初めて出会った頃に見られた自信の無さが次第になくなり、お転婆なところが目立ってきた彼女の奥底に、繊細な優しい心があると知ったからである。
そんな彼女の心の傷を、何とかして癒して差し上げたいと思うのに、倒れた翌々日には、彼女はアール・ヌーヴォー式のドレスに身を包み、いつもよりもいっそう気品ある美しい姿を見せ、「我が心の弱さがゆえに、要らぬ心痛を与えてしまった」と、花御殿に駆け付けた山縣内相に頭を下げたのである。その気高さといじらしさに心を打たれ、彼女が花御殿を発った後、山縣内相は男泣きに泣いたのであったが……。
と、
――ところで山縣さん、ちゃんとご飯は食べています?
増宮内親王は、山縣内相に向かって、突然こんなことを言った。
――は……?
――山縣さん、神経性の胃痛になったことがあったから、奥様を亡くした辛さで、胃痛が再発してないかと心配で……。
内親王の言葉に、山縣内相は軽く頭を下げた。仕事が思うように進まず、胃腸を痛めていたのは、3年前の年末だ。それでも、内親王の笑顔を見ていれば痛みは消えたし、その直後に、農商務省にいた原敬が、次官として内務省に転属してからは、仕事が非常に円滑に進むようになり、自然と胃痛は解消された。
――ご心配をかけ申し訳ありません。大丈夫です。どうかご安心を、増宮さま。
山縣内相が答えたにも関わらず、
――そう?睡眠もちゃんと取れてます?趣味もできてますよね?
増宮内親王は、心配そうな表情で彼に食い下がった。
――だ、大丈夫です。眠れてもおりますし、趣味も、ええ……。
内親王の視線を真っ向から受けた山縣内相は、思わず顔を赤くした。
――山縣大臣の趣味と言えば、作庭と和歌と、馬であったか。
内親王の側に立っていた皇太子が言った。
――はっ……それと、槍や謡や仕舞なども、少々たしなみますが……。
山縣内相は改まった声で、皇太子に相対した。「“史実”より遥かに立派にご成長あそばされている」と、東宮大夫を兼任している伊藤博文枢密院議長が太鼓判を押す通り、14歳の皇太子は、年の割に大人びて、学業や武術の成績もよく、立ち振る舞いも堂々としている。日嗣の皇子として申し分ない成長ぶりを見せる皇太子に、山縣内相の頭は自然と垂れた。
――槍かぁ……。大山さんも昔やっていたって言ってたっけ……。
「大山さん」という内親王の言葉に、山縣内相の胸が微かに騒めいた。
大山東宮武官長は、内親王と君臣の契りを結んでいる。彼女にとっては、思いがけなくも結んでしまった君臣の契りだが、今では大山武官長に心を許し、全幅の信頼を置いているというのが、傍らから見ていると本当によく分かる。
(仕方ない……大山どのには敵わぬ……)
西南の役以降、その身に溢れる才を封じて、自らを西郷隆盛のような将器たらしめんと己に課していた大山武官長。その呪縛を解いて、才を揮うことも、軍の大将たることも、そのどちらも並立できる器に生まれ変わらせ、西南の役で彼が受けた痛みから、彼を本当に立ち上がらせたのは増宮内親王だ。彼女が「あなたなりのやり方で、天皇陛下と皇太子殿下に仕えよ」と命じて、大山武官長と君臣の契りを結んだ瞬間、自分の負けは決まったのだ。そう山縣内相は思う。
――あ、でも、大山さんも忙しいから、なかなか馬術を教えてくれなくて……。先月の末に馬が届いたんだけど、大山さんとの都合がつかなくて、一人じゃまだ、全然馬に乗れないんですよね。慣れてもいないし……。
――すまんな、梨花。俺が余り馬術を見てやれなくて。
皇太子がため息をついた。
――ううん、しょうがないよ。兄上だって勉強があるもの。
そう聞いて、“では、遠乗りにお連れしましょうか”とでも、思わず言ってしまったのだろうか。気が付けば、内親王は、手に持ったランドセルから予定帳を取り出して、ページを繰っていた。
「いきなり明日、は無理ですね。明日は、微行でお買い物に行く予定になっているんです。来週の土曜日だと……ああ、午後2時に、東京帝大の緒方先生の研究室を見に行って、夜は兄上と参内して、お母様と昌子さまと房子さまと、お夕飯を一緒に食べる予定で……」
「皇后陛下と、ですか?」
「ええ、お父様は、来週の土曜日から、国軍の大演習で行幸するから、お母様が寂しがられて。勝先生と黒田さんと西郷さんも供奉するし、大山さんも観戦武官で大演習に出張しますから……。それで、微行のお買い物も、明日に変更になったんです」
「なるほど……」
(大山どのが、増宮さまの側からいなくなるのか……)
山縣内相は、慌てて首を左右に振る。なんということを考えているのだ。大山武官長がいない隙に……などという、不埒な考えをしてしまった己を、山縣内相は叱り飛ばした。
「山縣さん?どうしたの?」
再び心配そうな表情になった内親王に、山縣内相は頭を下げる。
「失礼いたしました。なんでもございません」
「そうですか?山縣さん、さっきから、なんか変……本当に大丈夫ですか?」
「はい、本当に」
そう言って、山縣内相は真面目な表情を作った。
「じゃあ、遠乗りに行くの、22日の日曜日の午後はどうですか?」
「それがよろしゅうございましょう」
いつの間にか内親王の側に来ていた大山武官長が、内親王に答えた。
(本当に敵わぬな……)
動揺していた最中とはいえ、彼の気配に気づけなかった。まあ、向こうは、勘の鋭い皇太子相手に盗み聴きをやってのけたこともあるから、仕方がないことではあるのだが。
「ですが、時間は朝がよろしいかと。山縣さんであれば安心ですが、朝の方が、警護がしやすいゆえ」
「確かに。人が少ないですし、その方が馬を駆けさせやすい」
山縣内相が頷くと、
「じゃあ、22日の朝で決定ですね。よろしくお願いします、山縣さん」
増宮内親王は予定帳を閉じながら言った。
「はっ」
頭を下げた山縣内相に、
「わたしの大事な妹を、よろしく頼むぞ、山縣大臣」
皇太子の声が降ってきて、山縣内相は更に一段、頭を下げた。
10月22日日曜日、午前8時。
変わった形の青色のスカートを穿き、花御殿の玄関に現れた増宮内親王は、何故か少し浮かぬ顔をしていた。
「いかがされました。もしや、わしと遠乗りに行くのは、本当はお嫌で……」
顔色を変えた馬上の山縣内相に、内親王はハッとしたように目線を向けた。
「ご、ごめんなさい山縣さん!ちょっと、別件で悩んでしまって……山縣さんと遠乗りに行くのは、全然嫌じゃないんですよ。私だって、兄上と城跡を巡るために、一刻も早く馬に慣れないといけないから」
「そうですか」
山縣内相は胸を撫で下ろした。
「じゃあ、山縣さん、馬に乗るから、手を貸してください」
そう言うと、内親王は山縣内相の馬の側に置かれた踏み台に上った。山縣内相の手を借りて馬の背によじ登ると、彼のすぐ前で鞍に跨がる。自然、内親王の身体が山縣内相の腕の中にすっぽりと入り、山縣内相は胸が高鳴るのを感じた。
「そのスカートは……」
照れ隠しでもするかのように、山縣内相は咳払いをすると、内親王に質問した。
「ああ、ディバィデッド・スカートと言うの。イギリスの最新流行ですよ。花松さんが作ってくれたんです」
内親王は、自分の穿いたスカートの布を、軽く摘まんでみせた。
「さようですか」
(まだご存知ないのか……当然ではあるのだが)
微かに胸が痛む。内親王に事実を告げるのは、皇太子が成人した時、と決まってはいるが、彼女がそれを知った時に、繊細な心をまた痛めてしまうのではないか。そう思うと、自分の腕の中にいる内親王が哀れで、たまらなく愛おしく感じた。
「……お似合いです」
胸の中の葛藤を出さぬよう、慎重に声を掛けると、内親王が微笑む気配がした。
「ありがとうございます。本当はズボンの方が楽なんだけれど、女らしい服装にも慣れないと」
「ですな。大山どののおっしゃる淑女も目指さなければなりませんし。8月の時のドレスは、本当にお似合いで、いつにもまして気高くあらせられました」
「あの時は、何かおかしかったんです。兄上が手を取ってくれた時から、心がふわふわして……」
内親王は苦笑すると、「じゃあ、馬を走らせてください。お願いします」と、肩越しに山縣内相を見た。
花御殿から馬を馳せて着いたのは、上野にある不忍池だった。
「前世でも来たことがあるけれど、変わっているのかいないのか、良くわかりませんね……」
池の水面を覆う蓮の葉を眺めながら、増宮内親王は山縣内相の腕の中で呟いた。
「そうですか」
「ええ、国立博物館……多分、今の帝国博物館のことだと思うけれど、そこで城郭関連の展覧会をやっていたから、そのついでに不忍池に来たんです。その時、お父様の小竜景光が、博物館の別の場所で展示されていて……懐かしいですね。物心ついて、初めて参内して書庫に入った時、お父様が忘れていった小竜景光を見つけて、抜いて眺めていたんです。そこにお父様が来たから、“死刑になる!”って思って慌てました」
「死刑など……ある訳がないではないですか。陛下はあの直後、“章子が、近付いても逃げなかった”と、とてもお喜びでしたよ。それに、増宮さまは大事な内親王殿下であらせられますゆえ」
「まあ、そうですけど、中身は平民ですから……」
内親王はそう言うと、山縣内相を見上げた。
「ねぇ、山縣さん」
「なんでしょうか」
山縣内相が答えると、
「山縣さんは、辛かったり、恨みや怒りや悲しみを抱いたりした時、どうやってその気持ちを収めますか?」
内親王は、山縣内相が思いもよらなかった質問をした。
「は?」
「昨日から、色々考えていて……兄上やお母様にも聞いてみたけど、結論が出なかったんです。私は、前世ではそれがうまくできなかったから、よくわからなくて……」
(恋が破れた折りのことか……)
前世で内親王が経験し、繊細な心を固く閉ざしてしまう原因にもなった失恋。その痛みから立ち上がったように見えても、まだ傷は深いようだ。
(何とかして、お慰めしたいものだが……)
目を伏せると、
「ねえ、山縣さんは、そんな時どうします?」
内親王は山縣内相に更に尋ねた。
「わしですか……」
山縣内相は少し考え込んだ。
「歌を詠むでしょうか……」
「和歌ですか……」
内親王はため息をつく。「和歌は、作ったことがないんです。やらなきゃいけないのは知っているけど、百人一首みたいな凄い和歌なんて作れないし、短冊に書くのも、行書が上手く書けないからダメだし……」
「最初から、巧い歌を詠もうと思わずともよいのです。わしとて、巧い歌を詠んでいる訳ではありません。単に、心に浮かぶことを歌にして、徒然に書き記しているだけです。短冊に書くのも稀でございますし」
「心に浮かぶことを、徒然に、ですか……短文ブログみたいなものかしら」
「ぶろぐ……?確か、通信技術の発展に伴って出現する、“いんたーねっと”というもので現れるという表現形態でしょうか?」
「そうですね。例えば今の状況を表すなら、“山縣さんと相乗りなう”かしら?」
「な、なう?」
「英語の“now”から来た言葉だと思うけれど、今何かをしている、という意味になるかしら。だから、“今、山縣さんと相乗りしています”ってことですね」
「なるほど……」
頷く山縣内相に、
「ねえ、話が逸れちゃったけれど、……山縣さん、他には?他には何か、そういう感情を収める方法はありますか?」
増宮内親王は重ねて質問した。
「他に、ですか……」
山縣内相は、自らを振り返って考えてみた。
亡くなった妻が元気だった頃は、彼女と喜びも悲しみも分かち合っていたと思う。妻が体調を崩してからは、その役割を、貞子という、芸者上がりの女に求めるようになった。それに、養子の伊三郎やその家族、自分のただ一人の実子となってしまった松子、それらの親しい者の顔を見たり、話したりすれば心は慰められる。
「家族の者と話して、心を慰めることもあります。しかし……」
言い淀んでしまった。
「どうしたの?」
内親王が、肩越しに山縣内相を見上げると、次の瞬間、ハッとしたように目を軽く見張った。
「ごめんなさい……奥さまのこと、思い出させてしまったんですね。許してください」
悲しそうな眼をして、頭を下げた増宮内親王に、
「違います!」
山縣内相は、思わず大きな声を出してしまった。
「増宮さまを見ても、心が慰められるのです」
すると、内親王はキョトンとした。
「私を……?山縣さんと家族でもない、こんな私を見て?」
首を傾げる美しい内親王に、
「こんな、とは何ですか」
山縣内相は強く言った。「以前にも申し上げましたが、いい加減、御自身のご麗質に気付いていただきたいものです」
「うーん、お母様にも言われるのだけど、わからないんですよね。前世の容姿と比べられたら分かるかもしれないけど、前世と髪型が違うから、比べるのが難しくて……」
「比べられなくても結構です。わしにとっては、美しく愛らしいお方ですし、それに、例えそうでなくても、……お心をお慰めしたいお方であるのは変わりありません」
「そうですか……」
一瞬口にしようとしてしまった“愛おしい我が君”という言葉は、内親王に届いてしまったのだろうか。それとも、届かずに済んだのだろうか。確かめる術は無かった。
「あー、でも、モノの見方は一つじゃないから、私にとってそうじゃなくても、山縣さんにとっては、そうなのかな……うーん、何か納得できない……でも、髪を切って確かめたら、伊藤さんに怒られるしなあ……」
山縣内相の腕の中の増宮内親王は、何やらブツブツと呟いていたが、やがて、山縣内相を見上げて、微笑しながらこう言った。
「山縣さん、ありがとうございます。私の心を、慰めたいと言ってくれて……。何か、お礼の品を贈る方がいいと思うけれど……」
「あ、いや、礼などは、増宮さま!」
山縣内相は、慌てて首を左右に振った。「……礼を示す品などは、要りませぬ」
そう、礼は要らない。ただ、愛おしい我が君が、心から、ずっと笑顔でいられればそれでいい。
すると、
「あ、そうだ!」
内親王の声が、不意に明るくなった。
「山縣さんが、私をずっと見ていてくれればいいんですよ!」
「!」
思わず固まった山縣内相に、
「だって、そうしたら、山縣さんの辛さや、恨みや怒りや悲しみが癒えるんでしょ?」
内親王は悪戯っぽく微笑んだ。
「だから、辛いなら、苦しいなら、……私をずっと見ていて下さい、山縣さん。それが私のお礼です」
(ああ……)
内親王の微笑みと言葉とが、山縣内相の心に沁みていく。
この方は、何と美しく、何と賢く、何と優しい心をお持ちなのだろうか。
……守らなければならない。
今は内務大臣を拝命している身ではあるが、一介の武弁として、この愛おしい我が君を。
山縣内相の目から一滴、涙がこぼれ落ちた。
△△△
20××年。
短文ブログ全盛の日本で、「“なう”、明治時代に既に使われていた?」というニュースが配信された。
そのタイトルに、初めは「フェイクニュースだろう」という反応ばかりであったものの、近代史の研究者が、山縣有朋が桂太郎に宛てて書いた新発見の手紙に、「“なう”という言葉を増宮さまから教わった。“今~している”と言う意味で、言葉の末尾に付けて使うらしい」という意味の文章があったことを、きちんと根拠を示して説明する映像が配信されるに及び、大きな反響を呼んだ。
しかし、近代史研究者たちの中で一つの謎とされていた、山縣有朋の「我が君」が……政治活動の余暇に多数の和歌を残した山縣有朋が、特に、最初の妻の友子と死別した明治26年秋以降の和歌の中で、“守りたい”と強い想いを寄せる「我が君」と呼ぶ人物が誰なのか――。研究者たちも、明治26年当時満10歳に過ぎなかった内親王を、山縣の「我が君」の候補にあげる発想を持っていなかったため、新資料をもってしても、その結論は出なかったのである。




