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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第14章 1893(明治26)年秋分~1894(明治27)年清明
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面談と微行(おしのび)

 1893(明治26)年9月23日土曜日、午後2時。

「あっはっはっは!」

 花御殿の応接間に、勝先生の笑い声が響いていた。

 8月まで、毎週のこの時間帯は、ベルツ先生たち医科分科会のメンバーと話し合う時間だった。ところが、9月から兄が東宮御学問所で勉学を始めたのに伴い、私のスケジュールも変化した。

 まず、“梨花会”の開催が、第2土曜日の午後に固定された。もちろん、臨時の議題があればそれに関わらず開催するし、私と兄がいなくても開かれているようだけれど、とにかく、定期的に開催するのは第2土曜日午後、と決まったのだ。

 そして、東宮御学問所総裁の勝先生が、第4土曜日の午後に、兄の学習状況を確認するために兄と面談をすることになった。ただ、なぜか私もその席に呼ばれることになり、9月の第4土曜日の今日、こうして兄と一緒に勝先生に会っているわけだ。ちなみに、医科分科会とのメンバーの話し合いは、第2、第4以外の土曜日の午後2時からとなり、原さんが私と兄の将棋の相手をしに花御殿にやって来るのも、毎週土曜日の夕方になった。

「そうかい、橘からは報告を受けてたが……そんな顛末だったのかい、あの件は」

 勝先生がニヤッと笑う。

「はい……全く、自分のアホさ加減にあきれます」

 私は勝先生に答えると、ため息をついた。

「叩きのめされるまでは、梨花が勇ましかったのだがな」

 私の隣で、兄もニヤニヤしている。「あっという間に毛利にやられた時の梨花の顔と言ったら、なかったな」

「もー……兄上ったら……」

 私は唇を尖らせた。

 兄は9月から、月・水・金曜日の放課後に相当する時間に、ご学友たちと剣道の稽古をすることになった。そこに私も、華族女学校(がっこう)の授業を終えた後、合流することになった。ところが、ご学友たちときたら、やはり私にビビってしまったらしい。最初の稽古の日、甘露寺(かんろじ)さん、南部さん、従義(じゅうぎ)さん、徳川さんは、私にあっさりと負けてしまった。4人とも、普段、もうちょっと強いはずなんだけどなあ……。

 そして、剣の腕は私とほぼ同等の兄を運良く負かし、「私に勝てる者はいないの?」とため息をついた瞬間、最後に残っていた毛利さんが無言で飛び掛かって来た。同年代の男子にも、剣の腕では負けないつもりだけど、学習院の中でも剣道が強いので有名な毛利さんには敵わない。本気で立ち会われて、私はあっさりと彼に負けてしまったのだった。

「学友さんたちの中に毛利さんがいるって、知らなかったからさぁ……いるって知ってたら、あんなセリフ、吐かなかったよ……。流石、戦国大名の子孫よね」

 兄のご学友は、学習院の学生から5人が選抜された。学習院は皇族や華族の子弟がたくさん通学しているので、当然、兄のご学友は、全員華族出身者になった。

 毛利さんは、最後の長州藩主・毛利元徳(もとのり)公爵の息子さん。

 甘露寺さんは、公家出身の甘露寺義長伯爵の息子さん。

 南部さんは、盛岡藩の最後の藩主・南部利恭(としゆき)さんの息子さん。

 従義さんは、国軍大臣の西郷さんの息子さんだ。

 最後の徳川さんは、尾張藩藩主だった徳川慶勝(よしかつ)さんの息子さんで、私の前世の出身地・名古屋のお殿様の血筋なのだけれど……、だからと言って遠慮はしない。なぜなら、徳川さんも、他の4人も、小さい頃は私とお互い遠慮なく遊んだ仲だからだ。最近は、向こう側が全員、私にビビっているけれど。

「ま、ご学友全員には、勉強でも剣道でも、殿下がたには容赦しないようにと厳命しているからな」

「その方がよいです。でなければ、わたしを鍛えることにはなりませんから」

 勝先生の言葉に、兄は微笑した。御学問所に入ってから、兄は御学問所総裁の勝先生に、より丁寧な言葉を使うようになった。

「うん、その意気や良し、ですねぇ」

 勝先生は緑茶を啜った。「普段の勉強も、教えたり教えあったりされているようで」

「はい。フランス語や漢文は得意ですし、算術や理科系の科目は、誰に聞いてもどうしようもなかったら、梨花に教わっています」

 基本、兄は日曜日の夜から土曜日の昼までは、学友さんたちと御学問所に泊まり込むのだけれど、剣道の稽古がない火曜日と木曜日の夜には、私の部屋にやって来る。火曜日と木曜日に算術の授業があるので、みんなで考えて分からなかった宿題の解法を、私に聞きに来るのだ。その代わりに、私は華族女学校(がっこう)で出た宿題の作文を、兄に添削してもらう。他の科目も、それぞれが得意な分野を、他の者に教えあっているのだそうだ。

「へぇ。増宮さま、算術が出来るのかい」

 勝先生の言葉に、

「理数系の科目は得意ですよ。大学生の時に家庭教師の副業を始めた時も、本当は数学を教えるはずだったのに、何で日本史を教えることになったんだか……」

私はこう答えて、ため息をついた。日本史は、生徒に教えるために一生懸命勉強したけれど、それは歴史の解釈の仕方の一つを学んだに過ぎない。原さんと初めて会った時に、そのことを痛感させられた。

 すると、

「そうそう、それで思い出したぜ、増宮さま」

勝先生が私に声を掛けた。

「フランツ殿下の件なんかで忙しくて、全然話せなかったが……帝大の田中舘のことだ」

「田中舘先生?」

 今は寺野先生と二宮さんとともに、飛行器の実験に取り組んでいる。4月には習志野演習場で会って話した。

「田中舘に、“田中館から見た、戊辰の戦の話が聞きたい”って言ったのは本当かい?4月の末だったか、田中館が、原と、南部家の教育顧問をしてる歩兵少佐の東條(とうじょう)ってのと、連れ立っておれの所に来てよ。“増宮さまから、我が藩から見た戊辰の役の話をせよ、と命じられたが、どのように対応すればよいか、ご意見を伺いたい”と聞かれてな……」

「……はい」

 私は頷いた。「私が前世で学んだ歴史は、勝者の論理で彩られたもの。敗れた側がどんな思いで戦っていたかまでは知りません。今の時代だから、西南戦争ぐらいまでになるけれど、せめてその時代ぐらいまで、歴史を多角的に、深く学びたいって思ったんです。そうしたら、私が覚えている“史実”も、多角的に見直すことが出来るんじゃないかなって……」

「だから敗者の側にいた、田中館に話を聞きたい……ってなったのか」

「彼が盛岡藩の出身だと聞いたので」

「なるほどねえ」

 勝先生は微笑した。「榎本や原には聞かないのかい?」

「榎本さんは、私の前世のことを知らないでしょう。原さんは内務次官の仕事が忙しいから、煩わせたくないと思って……。余りに忙しくて、奥さんが離婚を申し出たって聞きましたし」

――()()も、愛のない結婚ではあったがな。前回よりもわたしが忙しい故、早々と愛想をつかされたらしい。まあ、その方が互いにとって幸せだろう。

 先週の土曜日、将棋を指しに来た原さんが、こう言って寂しそうに微笑していた。それもあるけれど、原さんから、いきなり戊辰戦争の話を聞いてはいけない。そんな予感がしたのが一番の理由だ。

「まあ、藩によっても立場によっても、色々と複雑な事情がある。おれはあの頃、日本の中で争ってちゃ、フランスとイギリスに国を分割されちまうと思って動いていたんだが……250以上あった藩が、全部そう思って行動してた訳じゃねえ。薩摩・長州を“幼帝を騙す君側の奸”って攻撃してた連中もいる……」

 勝先生は一つため息をつくと、苦笑した。「いいぜ。どこかで田中館から話を聞きなよ。何とか、手配するようにする」

「ありがとうございます。勝先生。でも、花御殿だと、大山さんや伊藤さんもいて、田中館先生も話しづらいかもしれないから、帝大で話を聞くのがいいかな、と思うんですけれど。緒方先生の研究室を見に行くという名目で帝大に行って、その時に会えば、大山さんにも伊藤さんにもバレないですかね?」

「どう小細工を弄したって、あの2人相手じゃバレるぜ、増宮さま」

「まあそうですけれど、“賊軍”の側の話が聞きたいって言ったら、余りいい顔をしないと思いますから。……気を遣ってるんですよ、これでも」

 勝先生に、私は苦笑いを向けた。「本当は、西南戦争の話も聞きたいけれど、大山さんや西郷さんに、辛い思いをさせちゃうかなと思うと……」

「優しいな、梨花は」

 兄が微笑する。

「別に、優しいという訳じゃないけど……」

 私は目を伏せた。西南戦争の時に大山さんが味わった辛さと絶望を、戦争を経験していない私が完璧に想像することはできないけれど、彼にもう、辛い思いはして欲しくない。

 と、

「ん、誰か来たな」

「ですね、内府」

勝先生と兄が言った。私も気配を捉えようと意識を集中すると、確かに、誰かが廊下を、この部屋に向かって歩いてくるのが分かった。この気配は……多分、大山さんだ。

「噂をすれば、かな?」

 首を傾げると同時に応接間の扉が開き、顔をのぞかせたのは、やはり大山さんだった。

「すげぇな、増宮さま。誰かまでは、おれ、分からなかったぜ」

 勝先生の声に、「すごい……とは?」と、大山さんはのんびりと言った。

「“噂をすれば”とも、聞こえたように思いましたが」

「……明日のお出かけの時に、どうやったら大山さんを出し抜いて動き回れるか、兄上と勝先生に相談してたの」

 私は大山さんに向かって微笑した。西南戦争のことを考えていたとは、彼には言わないことにした。「そのことを話していたら、あなたの気配がしたから、びっくりしたわ」

「武官長だ、というのを当てたのは、確かに素晴らしいが……」

 兄がクスっと笑った。「逃げる相手に、“どうやったら出し抜けるかを考えていた”と言う奴がいるか?梨花よ」

「だって、大山さんをごまかせる気がしないんだもん。もう降参する」

 私は下を向いて、唇を尖らせてみせた。どうやら、兄も私のお芝居に付き合ってくれるようだ。

「だから明日は、文房具と本を、お買い物して帰るだけ」

「そうしてください、梨花さま」

 大山さんは微笑んだ。「梨花さまと皇太子殿下に、同時に別々に動かれては、流石に(おい)も手が回りかねます」

 9月から、第4日曜日の午後は、兄と一緒に微行(おしのび)で買い物に出かけることになった。これは、勝先生と松方さんの発案だ。

――為政者になろうとするなら、実際に町中を歩いて、市井の様子を知っておく方がいい。

 勝先生はこう言い、

――生きた経済を知っていただくなら、まず実際に貨幣を使っていただくことです。出歩かれるのであれば、買い物をご自身の手でなさっていただくべきです。

松方さんが珍しく強く主張してお父様(おもうさま)を説得し、先々週の梨花会で、私と兄が微行(おしのび)で、定期的に買い物に行くことが決まったのだ。もちろん、買い物をする品目は、文房具や書籍に限られるけれど、状況を見ながら、買い物のついでに、芝居や相撲を見物に行ったり、東京の名所を見て回ったりしようか……という話を兄としている。

「分かってる、大山さん。前世では、一人で街を歩くなんて日常茶飯事だったけど、交通事情も前世とまるっきり変わってるから、思うように移動できないし、今生の私の立場もあるしね」

 私が微笑すると、

「そうですね」

大山さんも微笑して、

「色々とお気遣いをいただきまして、ありがとうございます」

と、私に一礼した。

(あー、これはもしかして……バレてる、かな?)

 思っていることを顔に出さないよう、頑張って微笑を続ける私に、

「以前から申し上げようと思っておりましたが……(おい)も逆賊の身内でございますゆえ、田中館先生から戊辰の役のお話を聞かれるのは、一向に気にしておりませんよ。梨花さまの歴史の理解の助けになりましょうから、(おい)のことは、どうか気兼ねなさらないよう」

大山さんは優しい眼差しを向けた。

「へっ、やっぱり、大山さんにゃ敵わねぇな」

 勝先生が両腕を組んだ。「その口ぶりだと、田中館がおれの所に来たことも知ってたみてぇだなあ。流石、中央情報院総裁だよ」

 勝先生の言葉に、大山さんは無言で微笑する。やはり、大山さんには、どう小細工を弄しても敵わないようだ。

「じゃあ、大山さんにもお願いしておくね。田中館先生の話は、帝大で聞きたいの。名目上は、緒方先生の研究室の視察ということにして、私が帝大に行く時に話をすれば、色々な人を刺激しないで済むと思うのだけれど……」

「伊藤さんも、“自分に気兼ねするな”と言うと思いますが……かしこまりました。手配いたしましょう」

 大山さんが私に一礼した。

「では、梨花は、その話の感想を俺に聞かせておくれ」

 兄が私に視線を向けた。「俺も聞きたいが……田中館先生が恐縮してしまうだろうからな」

「了解、兄上」

 私は兄に微笑して、頷いた。


 翌日、9月24日日曜日の午後。

「さて、探している本があるかどうか、なんだけど……」

 文房具屋さんで、ここ1か月で必要そうな量のノートや鉛筆を買った、微行(おしのび)中の私と兄は、本屋さんに向かって歩いていた。

「医学書か?」

 和服と袴姿の兄が、私の右手を引きながら尋ねる。いつもなら、大山さんが私の手を取るところだけど、今日は兄が私と手をつないでいる。別に、誰と手をつながなくてもいいのだけれど、

――皇太子殿下は、走ると誰も追いつけないゆえ、梨花さまがしっかり手を握って、走り出さぬように抑えてください。

と大山さんに頼まれてしまったので、仕方なく、である。その依頼主の大山さんは、私たちのすぐ後ろを歩いている。私たちについてきているのは彼だけのはずなのだけれど、……先ほどから、他の誰かにつけられている感じがするのは気のせいだろうか?

「ううん、医学書じゃなくて、森先生の本」

 つけられている感じがすることはおくびにも出さず、私は兄に答えた。

「森先生の本……ならば、医学書ではないのか?」

 不思議そうに言う兄に、

「あー、正確に言うと、医学者の森林太郎先生じゃなくて、文学者の森鴎外先生の本」

私はこう答えて、微笑した。

 ビタミンB1、ではなかった、ビタミンAについての論文を書き上げた森先生は、今は別のビタミンを抽出する計画を立てている。今は完全に、医学者としての道を歩いている彼だけれど、私と出会うまでは、“史実”と同じように、軍務の合間を縫って文学活動に勤しんでいた。その期間に日本語に翻訳した外国の文学作品や、自分で書いた文学作品をまとめて本にして、「水沫(みなわ)集」という題で先月出版した。森先生がビタミンAの論文執筆で忙しかったので、出版関係の事務は、森先生の弟さんや、東京専門学校の坪内先生が中心になって行ったらしい。

「それなら、森先生に頼んで、その本を持ってきてもらえばよいだろう」

「うん、私もそう思って、森先生に頼んだんだけど……」

 新聞広告も大きく出ていたので、手元に残っていたら持ってきてほしい、と、16日の医科分科会の会合の時に、森先生に頼んでみた。ところが、

――申し訳ありませんが、全て問屋に卸してしまいまして……。

森先生にこう言われてしまったので、この買い物の日に、本屋で「水沫集」を買うことにしたのだ。

「でも兄上、なんか森先生の様子、おかしかったんだよね」

「ほう?」

「私に“手元に本がない”って答えた時、顔が強張ってた気がして……。私から何か隠したいんじゃないか、って気もする」

「それならば、本は手に入れぬ方がよろしいのでは?」

 後ろから、大山さんが言った。

「そりゃそうかもしれないけど、大山さん、新聞広告まで出してたのに、今更隠すも何もないんじゃないかな?」

 私は後ろを向いて、大山さんに反論した。

「確かにそうですが……文学には、時として、その書き手の心情が現れるもの。梨花さまだからこそ、隠しておきたい心情があるのかもしれませんよ」

「……隠しておきたい私の黒歴史を、皆に広めちゃった人に言われたくない」

「梨花さまの場合は、隠しておかれると、こじらせて悪化させてしまいますから」

「確かにな」

 大山さんの言葉に、兄が忍び笑いを漏らす。

「むう……」

(その通り過ぎて、何も言えねぇ……)

 両頬を膨らませると、

「ほら、本屋に着いたぞ」

兄が右手で横を示す。なるほど、確かに店頭に、様々な本が並べられていた。

「あ、“女学雑誌”がある。“国民之友”も……確かに、ちょうどこの時期よね、発刊してたの。“ホトトギス”は……まだちょっと早いか。“吾輩は猫である”を読みたかったんだけどなあ」

 前世の教科書でタイトルだけ知っていた雑誌を目で追いながら、独り言を言っていると、

「“吾輩は猫である”?」

と兄が首を傾げた。

「ああ、多分“史実”では、もうちょっと後で出るんだと思う。夏目漱石という人が“ホトトギス”という雑誌に載せたんだけど、その“ホトトギス”自体がまだ無いみたい」

「ふむ」

「ただ、森先生が、医学に専念してるから、日本の文学史は、“史実”と変わると思うんだよね。森先生、“史実”では、医学者よりは文学者としての方が有名だったし……」

 森鴎外の本名が(もり)林太郎(りんたろう)で、軍医の仕事をやりながら文学作品を書いていたなんて、前世で歴史を勉強していた頃には全く知らなかった。

「そうか。しかしそれなら、この先、梨花が全く知らない作品が出てくる可能性があるぞ。それに期待したらどうだ?」

「そうねえ……」

 兄とひそひそと話していると、

「梨花さま、ありましたよ」

大山さんが私の肩を軽く叩いた。

「これでしょう」

 大山さんが差し出した本のタイトルは「美奈和集」だ。

「んー……本当にこれ、森先生の本?」

「間違いない。“鴎外漁史(ぎょし)著”と書いてある。漁史というのは、雅号の後に添える言葉だよ」

 兄が微笑みながら言った。「心配なら、奥付を見てみるといい。森先生の名前が書いてあるはずだ」

 大山さんから受け取った本を裏表紙から開き、奥付を確認すると、確かに「森林太郎」の名前がある。どうやら、タイトルを、同じ音の美しい漢字に変えて記したようだ。

「どうしよう、漢詩がある……」

 パラパラとページをめくった私は、顔をしかめた。兄は漢文が得意で、返り点や送り仮名がついていない白文でも読んでしまうことがあるけれど、私はそんな芸当はできない。

「どれどれ……ああ、本当だ。梨花は読めないか?」

「せめて、返り点が欲しい……」

 すると、

「よし、ではこうしよう」

と、突然兄が言い始めた。

「へ?」

「この本は60銭だから、半分ずつ金を出し合って買おう。俺が30銭出すから、梨花は残りの30銭を出せ」

「いいの、兄上?」

「ああ。だが、俺が先に読む。でなければ、梨花に漢詩の読み方を教えられないからな。俺が読み終わったら梨花に渡す。それで、梨花が分からない所にぶつかれば、俺に聞けばよいだろう」

「その方がよさそう……」

 私はため息をついた。森先生の作品は読みたいけれど、流石に、文章自体の意味が分からないとなれば、森先生に申し訳ない。ドイツ語の医学論文だったら、辞書を引きながら、何とか読めるだろうけれど……。

「読み終わったならば、是非ご感想を」

 大山さんが兄に言う。

「その方がいいな。梨花に読ませていいものか、武官長に相談しておくか。梨花に悪い影響を与えたくないからな」

「あの、言っておくけど、兄上。私、猥褻なシーンを読んでも、余り動じないよ?」

 流石に、性行為について一通りは知っている。

 すると、

「そうか。では、口付けを交わすような場面が出てきたら、どうだ?」

兄が悪戯っぽい笑みとともに言った。

「!」

 一瞬固まった私の右手を、兄が強く握った。

「……そう言えば、前世で小説や漫画を読んでる時も、キスシーンは無意識的に飛ばしてたや」

 私はため息をついた。もっと際どいシーンは、普通に読んでいたのだけれど……。そういえば、音楽も、「キス」や「口付け」という言葉が歌詞に出てくるものは、何となく避けていた。

「無理をするな、梨花。お前の傷に触れてしまうだろう」

「でも、いつかは乗り越えないと……。流石に、夫とキスしないってのもおかしいし……」

「分かっているよ。だから、徐々に段階を踏まねばな」

 兄は空いた右手で私の頭を撫でると、財布を出して、20銭と10銭の銀貨を取り出した。私もそれに倣って財布からコインを出す。

「では、これは、(おい)が代金を支払って参ります。難しい文学作品を子供が買えば、店の者に不審がられましょうから」

 私と兄から硬貨を受け取った大山さんが、帳場の方向に向かうと、

「ついでに名所見物を……と思ったが、今日は無理だな」

兄が苦笑しながら囁いた。「そこかしこに、警護の者がいるようだ」

「ああ……誰かが付いてきてる気はしてたけど……」

 私も苦笑した。どうやら、花御殿を出た時から、私たちを陰ながら警護していた人がいたらしい。

「5人はいる。彼らに迷惑をかけては気の毒だ。今日はこれで帰ろう」

「人数までは分からなかったけど、そんなにいたんだ……。他のどこかに行くにしても、事前に大山さんに相談してからだね」

 私は頷いた。横浜に行ったときも、児玉さんと山本さんが密かに付き添っていたのだ。確かに、兄と私の身に万が一のことが起これば、大変なことになるから、たとえ微行(おしのび)と言えども、護衛が付いてしまうのは仕方がない。

「どうなさいましたか、お2人とも?」

 気が付くと、私たちの後ろに、会計を終えた大山さんが立っていた。

「別に……どう頑張っても、あなたには勝てない、と思っただけ」

 私は大山さんに、本当に有能すぎる私の臣下に、苦笑いを投げた。

※ご学友に関しては、明治26年学習院初等科卒業者で揃えました。従義さんに関しては、読み方を「つぐよし」にするか「じゅうぎ」にするか迷いましたが、お父さんの名前を音読みにしたので「じゅうぎ」と読ませることにしました。


※東條さんは、これから出てくるかもしれない某氏の父親です。盛岡藩出身で、南部家の顧問のようなこともしていたようなので、名前を出しました。なお、原さんの離婚は、実際には1905(明治38)年です。


※「水沫(美奈和)集」ですが、実際には1892(明治25)年に出版されています。値段については、同じ出版社が1893(明治26)年に出した「血染の釘」という小説の最初の方についていた広告が出典です。ただし、拙作の森先生は、1890(明治23)年の年末以降、章子さんに引きずられて医学方面にリソースを振っているので、発刊が遅くなったという設定にしました。

あと、実際の「水沫集」に載っている「黄綬章」(1891年3月発表)、「文づかひ」(1891年1月発表)、「埋木」(1890年4月から1891年5月発表)、「折薔薇」(1889年10月から1892年8月発表)は、拙作の世界線では発表されていない、もしくは発表されていても時期が遅くなった可能性が高いです。作品の発表時期に関しては、岩波の鴎外全集の註と「鴎外研究年表」を参照しましたが、誤認があるかもしれません。申し訳ありません。

そして、章子さんが「漢詩が……」と言ったのは、収録されている「於母影」の一部です。


※「女学雑誌」は1885(明治18)年から1904(明治37)年まで、「国民之友」1887(明治20)年から1898(明治31)年まで発行されていました。「ホトトギス」発刊は1897(明治30)年です。


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