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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第13章 1893(明治26)年立夏~1893(明治26)年立秋
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お化粧包囲網(2)

※呼び方ミスを修正しました。(2019年5月30日)

「済んでる?」

 私は少し首を傾げた。

「大山さん、主語を明確にして。何が済んでいるの?」

 私は声を尖らせた。この医学的に完璧な勝利に、大山さんは文句を言いたいのだろうか?

 すると、

「ですから、その、梨花さまの肌に対する刺激性の確認試験が、です」

大山さんが静かに答えた。

「はあ?」

 私は眉をしかめた。「大山さん。言っておくけど、伊藤さんの方法では、化粧品の刺激性の確認試験としては不十分。だって、皮膚症状が出たかどうか、確認をしていないんだもの。それに、私、化粧品の刺激性の確認試験に協力した覚えなんて、これっぽっちもないわよ?それなのになぜ、私の肌に対する刺激性の確認試験が終わっているなどと言うの?」

 私はそう言うと、ため息をついた。大山さんらしからぬ言葉だ。やはり、医学のことは専門外だから、私の論理が分からなかったのだろうか。もう一度説明するために口を開こうとした瞬間、

「梨花さまは、昨年、産技研を視察なさった時のことを、覚えていらっしゃるでしょうか?」

大山さんが私に質問した。

「ええ、覚えているわよ。大山さんの義兄(おにい)さんや田中館先生や豊田さんたちに、私の時代の技術のことを話して、その後、一通り施設の見学をして、豊田さんがヘアゴムを献上してくれたわね」

(何のつもりよ、一体……)

 大山さんに答えながらも、私はイライラしていた。なぜ、こんな質問をするのだろうか?

「その後、梨花さまの手に湿疹や水疱などが出現しましたでしょうか?」

「いいえ、そんな記憶はないけれど……」

「そうですか。(おい)も、注意して梨花さまの手を観察していましたが、特に問題はなかったように思います。梨花さまの目からも問題なければ、間違いなく問題はないでしょう」

「大山さん……あなた、一体何が言いたいの?」

 私は大山さんを睨み付けた。「あなたの言い方、わざと核心を避けている感じがする。言いたいことがあるなら、ハッキリ言ってちょうだい」

 すると、大山さんは微笑して、こう言った。

「いえ、長谷部先生の研究室で、白色塗料を手に塗られたのに、皮膚に病変が現れなかったのだ、ということが言いたいのですよ」

「白色塗料……?」

 そう言えば、長谷部仲彦先生の研究室で、白色塗料の試し塗りをするのに適当なものが無くて困っていたら、大山さんが、「手に塗ったらどうですか?」と提案してくれて、手に白色塗料の試し塗りをしたけれど……。

「!」

「本当ですか!」

 大山さんの言葉を聞いた伊藤さんと原さんが、うつむかせていた顔を上げた。

「あの白色塗料は、酸化亜鉛が主成分ですよ、梨花さま」

「?!」

 大山さんの言葉に、私は目を見開いた。

 酸化亜鉛。それは、さっき原さんが言った、産技研で開発させた白粉の主成分ではないか。

「ちょっと待って……じゃあ、長谷部先生は、白色塗料じゃなくて、白粉を研究してたってこと……?」

「さようでございます」

 大山さんは、また私に微笑みかけた。「つまり、梨花さまの肌に対する、酸化亜鉛の刺激性の確認試験は、済んでいることになります」

「そんな……!」

 私は茫然とした。「じゃあ、あの試し塗りの時に、試す場所が全然なかったのも、大山さんが“手に塗ったら”って言ったのも、……全部、策だったと言うの?」

「はい」

 大山さんは頷いた。「梨花さまはベルツ先生たちと、様々な疾患のお話をされています。その話を脇で聞いていれば、自然と(おい)にも、医学の知識が付いてまいります。確か、免疫やアレルギーのことについてもお話になっていたと記憶していますが」

 そう言えば、ベルツ先生たちに接触性皮膚炎の話をしたのは、確かに産技研の視察に行く前だ。免疫学の話をした時に、アレルギーについて話して、その時に更に、接触性皮膚炎の話を付け加えたのだ。

「そのお話を聞きましたゆえ、長谷部先生と図って、刺激性の確認試験をしていただいたのです。大切な御身に使っていただく化粧品に、万が一のことがあってはなりませんから」

「おお……、流石大山さんだ!」

 伊藤さんの顔が上気していた。

「素晴らしいです、大山閣下。まさか、我々の知らない所で、そのような策を立てておられたとは……ふふふ、これで主治医どのも、屈服せざるを得ないだろう」

「ちょっと待った、原さん」

 ニヤリと笑う原さんに、私は即座にツッコミを入れた。「その白粉は、クリームを付けた上につけるんでしょう?クリームの方の確認試験が済んでなければ、安全とは言えないわよ!」

 すると、

「梨花さま、手を拝借致します」

大山さんが突然、私の右手を掴んだ。

「?!」

「ふむ……お綺麗な手です。どうですか、伊藤さん、原どの」

 大山さんは私の右手をテーブルの上に置くと、伊藤さんと原さんに示す。

「その通りだな、大山さん。相変わらずお美しい」

「ああ……特に荒れているようにも見えないな」

「あなたたちに見てもらわなくても、花松さんにも“綺麗になった”ってお墨付きをもらってますよ。ここ2か月ぐらいは、ベルツ先生が処方してくれたクリームを毎晩塗っているから……」

 私が伊藤さんと原さんに言うと、

「ほう、毎晩ですか」

と大山さんが言った。

「そうよ。そうするようにベルツ先生にも言われたから……」

 私が答えると、大山さんはまた微笑した。

「なるほど。……では、こちらも済んでいますね」

「こちらも……?」

「化粧をされる時に使うクリームですよ」

(?!)

 目を見開く私に、

「今お使いになっておられるクリームは、手の保湿にも使えますが、顔につけても問題がないもの。それを長谷部先生と相談して、ベルツ先生に調合していただきました。そして、花松どのとベルツ先生に頼んで、一芝居打ったのですよ」

大山さんはニコニコしながら言った。「“荒れていない手を荒れていると言い張るのは心苦しかったですが、幸い、信じていただけました”と花松どのが言っておられましたな」

「そんな……」

 私は6月の出来事を思い出した。確かにあの時、ニワトリ小屋から戻って来る私を、花松さんは玄関で待ち受けていた。

(やっぱり本当は、私の手は荒れてなくて、クリームの確認試験をするための計略に、まんまと乗せられたってこと?!)

「梨花さまは、ご自身が女性らしさに欠けていると気になさっておられますがゆえ、花松どのが“手が荒れている”と強く言えば、かえってその言葉を信じると踏んでおりました。つまり、梨花さまの肌に対する、クリームの刺激性の確認試験も終わっていることになります」

 冷静に私に告げる大山さんの言葉に、

「素晴らしいぞ、大山さん!」

伊藤さんはほとんど泣き出しそうになっていた。

「ええ、流石、“知恵者”と言われたお方。……さて、いい加減、観念したらどうだ、主治医どの?」

 原さんは、まるでテレビの時代劇のヒーローが言いそうなセリフを吐く。ニヤニヤしながら私を見るさまは、肉食獣が、自分の一撃で絶命寸前の獲物を、舌なめずりして見ている光景を連想させた。

(くそおおおお……)

 私は奥歯を噛み締めた。実際、絶体絶命の状況だ。医者にしか展開できないはずの完璧な論理を、逆に大山さんに利用されて、私の逃げ場はなくなってしまっている。

「なんで……なんで女が化粧しなきゃいけないのよ……。武士だって化粧をしたでしょう?!いつ首を取られて、首実検をされてもいいように……」

「そのような昔の話……、今の世の中では通用しませぬな。現在男性が化粧をする習慣のない西欧諸国と、同じような礼儀作法を取らなければ、我が国が西欧諸国に並んでいないと、侮られることになります。ですから、陛下にも公家風の化粧をやめていただいたのに」

 私のボヤキに、伊藤さんが胸を張って返す。

 と、

「恐れながら、梨花さま」

大山さんが私に向き直って、背筋を伸ばした。「ご立派な“上医”になられるためには、淑女(レディ)としての振舞いを身に着けていただかなければなりません。化粧は淑女(レディ)の重要な嗜みの一つです。今回梨花さまは、“上医”になられる第一歩として、淑女(レディ)として、フランツ殿下に会っていただかなければなりません。騙すような形になってしまったのは、大変申し訳ありませんでしたが……どうか、事情を斟酌していただきますよう」

(くっ……)

 最敬礼する大山さんを見て、私は口を閉じてうつむくことしかできなかった。彼の言いたいことも、彼の思いも、すごく……すごくよく分かるし、それに……。

「どうだ、首尾は?」

 不意に、障子が開く音がして、私は顔を上げた。

「あ、兄上?」

 居間の入り口に立った兄は、伊藤さんに微笑を向けた。

「は……一時はこちらが追い込まれましたが、もう少しで説得できるかと」

 伊藤さんが兄に最敬礼した。

「そうか。議長が追い込まれるとは、相当手強かったようだな。……梨花の気持ちは分かるが」

 兄は頷くと、私に真剣な眼差しを向けた。

「梨花、俺は化粧をしたお前が見たいぞ」

「?!」

 目を瞠った私に、

「今でも十分に美しいが、化粧をして更に美しくなったお前は、“上医”として本当に頼もしくなるのだろうな」

兄はそう言ってほほ笑んだ。

(ああ……大山さんにも、兄上にも、そう言われたら……)

「わ、分かったわよ!」

 私は兄から視線を外した。

「お化粧すればいいんでしょ、すれば!」

「おお……!」

 伊藤さんが感激の面持ちで叫んだ。「化粧をしていただけると!」

「本当はしたくないけど……でも、しょうがないでしょ!大山さんにも、兄上にもそう言われちゃったら……」

「はは、そうかそうか」

 兄はうつむいた私の側に歩み寄った。

「でも、本当に特別な時にしか、しないからね!肌に負担を掛けたくないし!大体、華族女学校(がっこう)の中等科のお姉さま方ならともかく、この年でお化粧するのもどうかと思うし!」

 下を向いたまま叫んでいる私の頭を、

「よしよし」

兄は優しく撫でた。

「辛かっただろうに、よく決心した。流石、俺の妹だ」

「撫でても、何も出ないですよ、兄上……」

「それでいいよ。お前が側にいるだけで、俺は心強いのだから」

 私は顔を上げた。視界に、兄の顔が飛び込む。頼もしいその瞳の光は、先ほどからの衝撃の連続で、傷つき疲弊した私の心を、優しく包み込んでくれた。

(心強いのは、私の方だよ、兄上……)

 私は兄の瞳を見返して、ほんの少しだけ、顔に笑いを浮かべた。

※もっと細かく言ってしまえば、顔料が原因の接触性皮膚炎が生じるのも、無い可能性が無いわけではないですし、化粧品の連用によって、アレルギー性の機序が成立して皮膚炎が生じる可能性もあるのですが……。今回は省略させていただきました。ご了承ください。

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