仮縫い
1893(明治26)年7月15日、土曜日。
本当は、ベルツ先生たちとの会合がある日だけど、今日はベルツ先生と三浦先生が、大学で会合があって来られなくなったので、会合は中止になった。それで、もともと会合の後にする予定になっていた、フランツ殿下の来日の時に着るドレスの試着を、午後2時からすることになった。
「まだ仮縫いですから、これから仕上げなければなりませんが……お綺麗ですわ」
花松さんは、私がドレスを着るのを手伝いながら、ニコニコしていた。
「はあ……」
花松さんのされるがままになっていた私は、曖昧に頷いた。ミントグリーンの絹のドレスの裾は、床に擦れてしまうほど長い。スカート部分には、白いレースで立体的に作った花が、いくつか縫い付けられていた。ウエストは、ドレスと同じ素材で作った布のベルトで締める。後ろに大きな蝶結びを作ると、ベルトの上に並べられた白いレースの花が前で咲いた。
肘まである袖は、少し膨らんでいる。袖口にはもちろん、豊田さん製のゴム紐が入っていて、やはりその上にも、白いレースの花が飾られていた。このゴム紐、ショーツやブラジャーだけではなく、靴下を止めるガーターリングにも使われている。このゴム紐を使ったガーターリングを輸出してみたところ、欧米で飛ぶように売れているそうだ。
「では、手袋をはめていただいて……」
白い手袋を持った花松さんが、私の右手を取って、ほっとしたように頷いた。
「ああ、よろしゅうございました。手が荒れていたのも、すっかり綺麗になりましたわね」
「そう?」
私は首を傾げながら言った。「もともと、荒れているように見えなかったけれど……」
すると、
「いいえ、荒れておりましたよ、増宮さま」
花松さんは真剣な表情で私を見た。「手をたくさん洗うからですよ。実験は止めませんけれど、荒れた手はベルツ先生が処方してくださったクリームで、しっかり治してくださいましね」
「はい……」
私は渋々頷いた。
先月のことだ。森先生が5月末に持ってきた米ぬか抽出物の水溶液が、脚気ニワトリの症状を改善させた一方、抽出物を取り去った後に残った溶液は、脚気ニワトリの症状を改善させない……という素晴らしい結果が出た。「これでビタミンB1が抽出できた!」と、ベルツ先生たちと興奮しながら、ニワトリ小屋から花御殿に戻ったら、玄関で待ち受けていた花松さんが突然私の手を掴んで、
――ああ、手が荒れていらっしゃるわ……。
とため息をついたのだ。
――そう?ニワトリを世話して、手をたくさん洗っているから、しょうがないと思うけれど……。
私が言うと、花松さんが珍しく声を大きくして、
――それでは、増宮さまが余りにもおかわいそうです!
と抗議した。
――このように荒れた手では、増宮さまが下女のようなことをなさっているのかと、皆に思われてしまいます。実験やニワトリのお世話は止めませんが、恐れ多くも、増宮さまは内親王であらせられるのですから、それにふさわしく、ご自身の身体を扱っていただきとうございます。
最敬礼する花松さんに、私は戸惑ってしまった。ぱっと見、自分の手が荒れているようには、私にはどうしても思えなかったのだ。けれど、女性らしさが大分欠けている私の目には、手荒れなどしていないように見えても、花松さんにとっては、手荒れが目立ってしょうがないのかもしれない。
自分の手を見ながら考え込んでいると、ベルツ先生が横から、
――では、私が何か、処方を出しましょう。
と言い、翌々日に、小さな平たい缶に入ったクリームを持ってきてくれた。前世の祖父から、「昔は手荒れに“ベルツ水”というのを使っていてだな……」という話を聞いていたので、ベルツ先生が持ってきたのが液体で無くてクリームだったのに少し驚いたけれど、私の手には、“ベルツ水”より、クリームの方が合っていると判断したのだそうだ。以来、毎日お風呂上りにクリームを手に塗るようにしていたけれど、その甲斐あって、花松さんのお眼鏡にかなう手になったらしい。
「じゃあ、花松さん、手袋をください」
私が花松さんから手袋を受け取った瞬間、障子一枚隔てた廊下から、侍従さんが私を呼ぶ声がした。
「大山捨松さまと、エリーゼ・シュナイダーさまがいらしておりますが……」
(このタイミングで、ヴェーラがくるって……)
ドレス姿を見られたら、間違いなく、皮肉の一つや二つは降ってきそうだ。
「ドレスの試着中だから、待っていただけるように伝えてもらえますか?」
障子は閉じたまま、侍従さんに答えると、
「それが……」
侍従さんは一瞬口ごもった。
「そのことはお伝えしたのですが、“それならば、是非ドレス姿を拝見したい”とお二人ともおっしゃっておられまして……」
(くっそー……)
捨松さんはともかく、ヴェーラは絶対確信犯だ。待つように、と重ねて伝えようとした瞬間、
「わかりました、こちらにご案内してくださいませ」
花松さんが侍従さんに答えてしまった。
「ちょっ……!」
止める間もなく、侍従さんがここから立ち去る気配がした。
「は、花松さん……。誰かにこの姿を見られるなんて、恥ずかしいですよ……」
「あら、いいじゃありませんか。大山さまに、ドレスを見ていただきましょうよ。さ、手袋をはめてくださいな」
私の抗議を物ともせず、花松さんはにっこり笑った。
(いや、捨松さんはいいんだけど、そのお付きが……)
肘まである手袋をはめながら、反論の言葉を探そうとした矢先に、廊下で複数人の足音がして、障子が開いた。
「まあ、本当にお綺麗……!」
捨松さんは、私の姿を見るなり顔を輝かせた。
「普段は和装だと、主人に聞いていたものですから……でも、ドレス姿も本当に……本当に素晴らしい……!」
「あー、あの、捨松さま、落ち着いてください……」
感激の余り、泣き出さんばかりになっている捨松さんに、私は冷静に声を掛けた。
一方、
「な……サムライが、プリンセスに……」
捨松さんの隣にいたヴェーラは、私を見て目を丸くした。
「男が女の服を着るなんて、日本は、何と恐ろしい国なの……」
ちょっと待て。
「だから、私は男じゃないってば」
私は眉を思いっきりしかめた。
「そうです。あなたのお国では存じ上げませんが、我が国では不思議ではないことですわ」
花松さんが私の横で、ヴェーラに反論する。
「我が国では、天照大神が、海原を追放された須佐之男命を高天原で迎えられた時に、髪を男子の髪型である角髪に結われています。神功皇后が三韓征伐を行われた時も、やはり髪を角髪に結われています。それから、日本武尊が熊曾建を討たれた時も、少女の格好をなさっておられますし……。それに、かつてヨーロッパでは、ジャンヌ・ダルクという男装の女性が剣を取って立ち上がり、フランスの危機を救ったと、皇后陛下から伺ったことがあります」
確かにそうだ。でも、ジャンヌ・ダルクはカトリックだし、ヴェーラが信じているのは多分ロシア正教だし……宗派が違うけれど、そこは大丈夫なのかな?
「それに、我が国には、“とりかへばや物語”という、男女が入れ替わる物語もありますし、“南総里見八犬伝”の八犬士の中には、女装していた人物もいますし……」
花松さんは、指を折りながら、異性装をしている人物が出てくる事例を次々挙げていく。
(てか、花松さん、詳しい……。流石、元々お父様に仕えていただけあるわね……)
「それにほら、エリーゼ、歌舞伎や能の役者さんは、全員男性よ?確かに、私も留学時代にこのことを言うと、不思議がられましたけれど」
捨松さんも援護射撃する。正確に言うと、元々歌舞伎は、出雲の阿国のような女性によって演じられていたはずだ。それに、私の時代には、子供なら女性でもプロの歌舞伎に出ていたし、プロの女性能楽師さんもいた。けれど、この場にいる全員が、私の前世のことは知らないので、敢えて黙っていた。
「とりあえず、分かったわ。まあ、ロシアのエカチェリーナ2世にも、男装したという話があったし……」
ヴェーラは渋々、という感じで頷いた。
「ところで、捨松さま、今日はどうしてこちらに?」
気を取り直して、捨松さんに私が質問すると、
「そうでした。私はエリーゼに付き添うついでに、主人が増宮さまに借りていた本を、お返しにあがろうと……」
捨松さんは手に持ったカバンを持ち直した。そう言えば、大山さんに先日、シャーロック・ホームズシリーズの最新作が掲載されている「ストランド・マガジン」を貸していた。
「私は、日本語で言う“暇乞い”って奴よ」
ヴェーラが素っ気ない口調で付け加えた。「来月、忍に移るつもりで」
「ああ、そうか、コホート研究ですね……」
私は頷いた。地元や行政との調整も終わり、調査方法も決まり、来月から忍でのコホート研究を始めることになったのだ。ヴェーラは現地調査の統括をすることになっている。その際、何らかの肩書が必要だろう、ということで、彼女は先月、東宮侍医の一人に任命されていた。もちろん、実際には東宮侍医の業務はしていないけれど……。
「一人で暮らすんですか?」
「いいえ、大山サンが、2、3人、書生さんを付けてくれるって。要らないっていったんだけど、心配だからって言われたわ」
「そうですか」
ヴェーラの言葉から、裏の事情が少し見えた。大山さんのことだ、恐らくその“書生さん”とやらは、中央情報院の職員なのだろう。ヴェーラの護衛をしつつ、共産思想を広めないように監視するのだろうか。
(まあ、ロシアの脱獄した革命家を匿ってるなんて知れたら、日露関係が一挙に悪化しかねないもんなあ……)
そんなことを考えていると、侍従さんが、4人分の紅茶とお茶菓子を持ってきてくれた。
「あー、立ち話もなんですから、皆、座りましょうか」
声を掛けて、一同に椅子を勧める。私も椅子に座ろうとしたけれど、うっかりドレスの裾を踏んでしまって、よろめきかけた。
「全然慣れてないじゃない。……もしかして、ドレスを着るのが初めて?」
ヴェーラが冷たい声を浴びせてくる。
「ええ。首元の感覚にも、ちょっと慣れないです……」
私は露出した鎖骨を、右手で撫でた。前世では、この辺りまで露出しているトップスも普通に着ていたけれど、今生では初めてだから、何となく違和感がある。
「スカートを、横から腕でペチコートごと支えるようにして動けばいいのよ」
ヴェーラは素っ気なく言った。「といっても、ペチコートも、広がっているものじゃないものみたいだから、腕で支えるのは難しいかしら。まあ、このスカートの形の方が、章子には合っているけれど」
「詳しいですね……」
「娘時代には、ドレスを着て、舞踏会にもよく出ていたのよ」
ヴェーラはカップを手に取って、紅茶を一口飲んだ。
「あら、これは?」
椅子に座った捨松さんが、テーブルに置いてある小さな木箱を手に取った。先ほど、御木本幸吉さんから献上されたものだ。
「ああ、それ……」
産技研の研究の成果を、簡単に他人に見せていいかどうか迷ったけれど、研究のテーマは公表されているはずだから、捨松さんとヴェーラが見ても問題ないだろう。
「御木本さんが養殖した真珠です。どうぞ、ご覧になってください」
微笑して木箱の蓋を開けると、「産技研の研究が、成功したんですね!」と、捨松さんは両手で口を押えた。
「え……話を聞いて、そんなこと、出来っこないと思っていたのに……」
ヴェーラも、木箱の中の5粒の半円形の真珠を見て、目を丸くしている。
「まあ、日本の底力ってやつですかね?」
私は曖昧に微笑した。
7月11日に、御木本さんが三重県の英虞湾で養殖しているアコヤ貝から、5粒の半円真珠が発見された。この日付に関しては、“史実”通りのはずだ。そして、“史実”では、真円真珠の養殖に成功したのは、20世紀に入ってからなのだけれど……。
(それが早まるのか……)
実は、昨年の7月に産技研に行ったとき、御木本さんに、真珠の養殖方法や、アコヤ貝の手術の方法を、一通り教えてしまったのだ。なんでそんなことを知っていたかというと、前世の中学生時代の社会科見学で、真珠を扱っている博物館に行き、養殖方法や手術の方法まで、持ち前の記憶力を駆使して覚えてしまったからだ。同級生たちは、展示物ではなく、ミュージアムショップの真珠の宝飾品に群がっていたけれど、私はそういう類のものに全く興味が無かったので、集合時間ギリギリまで、アコヤ貝の手術の映像を繰り返し見ていた。
(まさかそれを、御木本さんに教えるなんて思ってなかったからさあ……)
――増宮さまの教え通り、春にアコヤ貝の手術は終えましたゆえ、来年の末には結果が出るでしょう。再来年の春には、増宮さまの首を、真珠で締めてごらんに入れます!
先ほど、半円真珠を献上しにやって来た御木本さんの、得意満面の笑顔を思い出して、私はため息をついた。今も宝飾品の類には、全く興味はないけれど、御木本さんが作ったものとなれば、“産技研の産物は、使えるかどうか試す”と宣言した以上、身に付けない訳にはいかない。
「それで、こちらは、ネックレスか何かに加工なさるのですか?」
「それがですね、大山さま……。増宮さま、これを全部、上野の帝国博物館に寄贈するっておっしゃるんですよ」
捨松さんの質問に、花松さんが困った表情で答えた。
「まあ、そんな、もったいない!お使いになればよろしいのに」
捨松さんは少し顔をしかめた。
「そうはおっしゃいますけれど、捨松さま……日本初の養殖真珠ですよ。私が見るだけではなくて、皆に見せるべきですし、後世の日本人にも残すべきものだと思います」
私は真面目な表情になって力説したけれど、
「とか言って、宝飾品を付けたくないだけでしょ、あなたの場合」
ため息をつくヴェーラに、ズバッと切り捨てられた。
(うぐ……)
「ですわよねえ」
花松さんが我が意を得たり、と言わんばかりに激しく頷く。「帝国博物館に、ということでしたら、御木本さまは増宮さまにこれを献上なさらなかったと思いますのに。増宮さまに使っていただきたいから、御木本さまはこちらにお持ちになったのですよ」
「だけど花松さん、これ、今回できた真珠の全部ですよ?全部私が使うなんて、そんなもったいないことできませんよ……」
すると、
「じゃあ、全部は使わなければいいのですよね?」
捨松さんがニッコリ笑った。
「へ?」
「例えば、2粒を耳飾りに使って、残りの3粒を帝国博物館に寄贈するというのはいかがかしら、増宮さま?」
「ああ、それはいい考えですわ、大山さま!」
捨松さんの提案に、花松さんが目をキラキラさせている。
「いいんじゃないの?指輪にしたら、あなた、日本刀で斬り合う時に弾みで壊すわ」
冷たい声で言うヴェーラに、
「廃刀令が出て、何年経ってると思ってるんですか……」
私は呆れながらツッコミを入れた。
「でも、指輪をお作りになる方が、いいかもしれませんわねえ……」
花松さんがこう言って考え込んだ。
「どうして?」
私が尋ねると、
「外国の方の中には、あいさつの際に指輪に接吻をされる方もいらっしゃると聞きましたから……」
花松さんはこんなことを言った。
「は……?!」
私は思わず立ち上がった。「そんなのイヤ。絶対いや。そんな破廉恥で汚らわしいことをされるなら、指輪なんて絶対作りません」
「古風ねえ。恋愛には奔放だと思っていたけれど」
ヴェーラが無表情に言う。
「ふざけたことを言わないでください。あいさつでキス、じゃない、接吻するですって?!日本の女子として、到底、受け入れられるものではありません!」
私は右手を握りしめて、力強く断言した。
「ですが、外賓の方がそういった挨拶をされることもありますよ?その時はどうなさるの?」
捨松さんの言葉に、私は少し考え込んだ。直近で来る外賓は、もちろん、8月に来日される、オーストリアのフランツ殿下だけれど……。
「……オーストリアって、そういう習慣がありますかね?」
「オーストリアですか……どうだったかしら。エリーゼ、知ってます?」
「ああ、来月、オーストリアの皇族が来るんだっけ……ちょっと分からないわ。でも、大丈夫じゃない?まさか、子供にはキスしないでしょ」
「ですよねえ」
私の身体、まだ10歳だしなあ……。
と、
「あ、そうそう、増宮さま」
捨松さんが、テーブルの上に雑誌を置いた。
「主人から、馬に乗る練習をされる予定だとうかがって……」
「あー、そうなんです。まだ、馬は届いていないんですけれどね」
4月に御料牧場に行ったとき、兄に「馬に乗る練習用に、牧場から馬を連れて帰れ」と言われて、厩舎で馬を一頭選んだ。岩手県産の雌馬を選んだから、牧場の職員さんにも、兄にも大山さんにも驚かれたけれど、兄と大山さんには、在来の馬と西洋の馬の交雑を進めていくのなら、せめて私の手元で、在来の馬の保護をしたいということを話して納得してもらった。だけど、繊月――私が選んだ馬の名前だけれど――は、横乗りでの調教をしていないということで、それを終えてから、9月に花御殿にやって来ることになっていた。
すると、
「そうですか。それなら、まだ間に合いますわ」
捨松さんはこんなことを言った。
「間に合うって……何がですか?」
私が首を傾げると、
「思い付いたことがありまして、これを持ってきましたの」
捨松さんは雑誌のページを開いた。英語の文章の横に、いくつか、スカートの絵が載っている。
「ええと、これ、服のカタログですか?」
「ええ。divided skirtの」
捨松さんは、素晴らしい発音で答えた。流石、10年以上アメリカに留学していただけある。
「分かれた……スカート……?」
「このスカート、2本の足に分かれていますのよ」
「「「え、ええ?!」」」
私も花松さんもヴェーラも、驚きの声をあげて雑誌を覗き込んだ。
「だってこれ、どう見ても普通のスカート……」
「ここ数年は、イギリスで“合理服運動”というものが出てきまして、こうやって、女性もはける、一見普通のスカートにしか見えないズボンのような服も着られていますの。この服は、日本の男性の袴を参考にしたそうですよ」
「へー……」
もしかしたらこれは、前世でいう、キュロットスカートの前身のようなものだろうか?ただ、服飾の歴史に関しては、私は全く詳しくないから、想像でしかないのだけれど。
「大山さま、この服の型紙、お持ちではないですか?」
花松さんが目を輝かせながら捨松さんに聞いた。
「持っておりますよ。附録で付いていましたから」
「貸していただけませんか?」
「花松さん、型紙を借りてどうするの?」
「決まっているじゃありませんか」
私の質問に、花松さんは胸を張った。「増宮さまの“でぃばいでっど・すかーと”を作ろうかと」
「ええ?」
私は目を瞠った。
「花松さん、そんな……野外活動服があるから大丈夫ですよ……」
「いいえ、同じ活動的な服ならば、かわいらしい物の方がよろしゅうございます」
「そうですか?私は、あの野外活動服みたいな、シンプルで動きやすい服装が好みなんです。この服だと、裾が絡まっちゃったりするんじゃないかな……」
すると、
「野外活動服って、3月に着てた奴?あの服はビックリしたわ」
ヴェーラが腕組みして、呆れたように言った。「同じ動きやすい服なら、こっちの方がいいんじゃない?少なくとも、私はビックリしないで済むわ」
それを聞いて、
「ほら、ごらんなさい」
花松さんは珍しく強く言った。「増宮さまは、もう少し、ご自分の身体を大切にして、美しく装うことを覚えなければなりませんよ。ですから、わたくし、“でぃばいでっど・すかーと”を作らせていただきます。増宮さま、お召しになってくださいませね?」
「えー……」
私が唇を尖らせると、
「そうですか。それでは、皇后陛下に、どうすればお召しいただけるか、相談させていただきましょう」
花松さんは微笑しながらこう言った。
「……わかりました、花松さん。着ます」
私は渋々頷いた。お母様の耳に入ったら、皇居に呼ばれて、様々な方向からたっぷり説得されてしまいそうだ。伊藤さんまでそこに加わってしまったら、大変なことになる。
「へえ……“女牛若”にも、恐れる人がいるのね」
無表情に言うヴェーラに、
(そんなの、たくさんいるわよ……)
私は心の中で返した。
※ベルツ水……グリセリンカリ液という名前で現在は売られています。少量の水酸化カリウムに、グリセリンやアルコールを加えて作ります。
※この時期、サイクリングの普及に伴って、西欧では1850年代に考案されていたブルーマー服が復権し始めます。その10年ほど前、イギリスで作られた「合理服協会」がディバイデッド・スカートを考案しています。日本の男袴に影響を受けたディバイデッド・スカートのデザインもあったようです。(以上、日置久子著「女性の服飾文化史」より)ブルーマー服でもよいかとも思いましたが、日本に入ってくるのはもう数年後なので、ディバイデッド・スカートにしてみました。