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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第13章 1893(明治26)年立夏~1893(明治26)年立秋
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閑話 1893(明治26)年小暑:始動

※地の文を一部修正しました。(2019年5月10日)

 1893(明治26)年7月15日、土曜日。

 江戸城の跡に建てられ、1888(明治21)年に落成した、天皇陛下のおわす宮殿は、同年に発せられた宮内庁告示により「宮城(きゅうじょう)」と呼ばれている。その一室で、大きなテーブルを囲み、十数人が椅子に座っていた。

「……以上が、福島中佐からの報告となります」

 一人だけ椅子から立っている小柄な男が、手に持った紙をテーブルに置くと、一礼した。将官であることを示す肩章の星が、窓から差し込んだ午後の日差しを浴びて、キラリと光る。

「やはり予想通りか……」

「というよりは、わしの記憶している“史実”通りだな、シベリア鉄道に関しては」

 隣り合って腰かけていた、黒いフロックコートの男二人が頷き合った。

「このままでは、“史実”通りに、明治37年に全線完成か……」

 同じくフロックコートを着た大柄な男が、そう言って腕を組んだ。

「妨害しますか?」

 小柄な将官の隣、歩兵中将の礼服を着た男が、微笑しながら提案する。いつもは愛想を感じさせる微笑に、今は何とも言えぬ凄みが漂っていた。

「してもよかろうが、その妨害工作のために、工事に従事している囚人たちの間で、共産主義革命が起こってしまっても、それも面白くないのう」

 やや大柄な男が、顎を撫でながらのんびりと返す。

「面白くないどころか……それがきっかけになって、レーニンやスターリンが早く世に現れてしまったら、世界にとって大きな災いになりましょうな」

 斜め向かいに座った男が、重々しく頷きながらこう言うと、

「ええ。それで、あの方が心を痛めるような事態になってしまうなど……耐えられるものではありません」

その前に座を占めている男も、そう言って瞑目した。

「せやけど、難しいねえ。対露戦は」

 上座の方に座っている紳士が、薄ぼんやりと笑みを見せる。「相手に勝たんとあかん、せやけど、相手の政治体制がぐらついてしまうほど勝ち過ぎたらあかん。暴力的な革命も起こさせたらあかん、という……」

「ですよねぇ。だけど、やるしかない。未来のためにも」

 紳士の言葉にかぶせるように、恰幅の良いフロックコートの男が言った。

「その通りです。増宮殿下がおっしゃるような未来が来るとすれば、彼の国での暴力的な革命により我が国の国民が影響を受け、政府や皇室に対して、暴力的な革命を起こそうとする可能性もあります」

「次官閣下のおっしゃる通りです。それで時の陛下のみならず、増宮さまのお心が傷つけられるようなことになれば……!」

 末席に連なっていた白髪の男と、海兵の将官も立て続けに発言する。

「分かってる、分かってるさ」

 紳士の向かいに座った、縮れ毛の老人が、一同を見渡しながら宥めるように言った。

「全く、お(めぇ)ら、本当に増宮さまのことが好きだな。おれもだけどよ」

「当たり前でしょう、勝先生」

 紳士の隣にいる、黒いフロックコートの二人組のうちの一人が、真剣な表情になった。「以前にも申し上げましたが、かようにご聡明で、美しいプリンセスがいらっしゃればこそ、この伊藤の人生に、大いに張りが出るというものでございます。輔導主任で……輔導主任で本当によかったと、昨年の交通事故以来、それをかみしめているのですぞ!」

「そろそろ、わしに輔導主任を代わってほしいものだが、……ただ、冒険旅行にかこつけて、ロシアの内情と、将来の危険人物を探ってくれた福島中佐の努力を無にするわけにはいかない」

 伊藤枢密院議長の隣に座った山縣内務大臣が、そう言って薄く笑う。

「それに、増宮さまの“史実”の記憶もな。ご自身は“一方的な解釈に彩られているし、歴史も変わっているから、もう役に立たない”とおっしゃっているが、どうしてどうして、事実だけをうまく掘り起こせば、こうして宝の山が出てくるという訳だ」

 井上農商務大臣が、腕組みして付け加えた。

「レーニン、ことウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ……それがペテルブルグ。スターリン、ことヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリが、グルジアの神学校に在学中か……増宮さまが本名も覚えていてくださって、本当に助かったな」

「ああ、権兵衛。レーニンの方は、例のヴェーラ女史に聞いたら、“もしかしたら、兄を知っているかもしれない”と言っていた。ただ、レーニンは、ヴェーラ女史の脱獄には関わっていないようだ。関わった者と、女史と一緒に脱走した者は、全員逮捕されているが」

 下座に並んで腰かけている山本国軍次官と児玉参謀本部長が、互いの知識を確かめ合っていると、

「おい、権兵衛」

上座の方から、西郷国軍大臣が、顎を撫でながらのんびりと声を掛けた。

「はっ」

「その、スターリンというのは、神学校での成績はどうだ?優等生なのか、劣等生なのか」

「かなり成績は優秀だと、福島から聞いております。今のところはまだ、共産思想に染まった形跡はないと……」

 すると、

「よし、それなら、日本に呼べ」

西郷国軍大臣は短く言った。

「あ、あの、閣下?日本に呼べとは……?」

 珍しく、狼狽えた表情を見せる山本国軍次官が尋ね返すと、

「決まっとる。スターリンを日本に呼ぶのだ」

国軍大臣はもう一度、はっきりと言った。

「は?!」

「西郷さん、それはいったいどういう……」

 騒然とする一同の中で、

「なるほど……」

従理(じゅうり)のこともあって、か……」

児玉参謀本部長と大山中央情報院総裁のみ、静かに頷いていた。

「そうだ、弥助どん」

 国軍大臣は、隣に座っている従兄に視線をやった。「スターリンを、お茶の水のニコライ主教の下で修業させる。あそこは神学校もあるから、そこで学ばせて、正教会の真面目な司祭にするのだ。学費は(おい)が出す。正教の洗礼を受けた、従理の供養の意味も込めてな」

「つまり、スターリンが共産思想に染まりさえしなければ、十分に歴史は変えられるだろう、ということですかな?」

「その通りじゃ、松方さん。後の世の惨禍を防ぐために、その原因となる者を今から消しておく……。ただ、消すと言っても、色々方法はあるだろう。それに、増宮さまが、今から我々がやろうとしていることをお知りになった時……どう思われるかと考えてな」

「後の世の幾十万、幾百万の死を防ぐために、たった一人とはいえ、命を奪ってよいか……それで心を痛められる、と」

 西郷国軍大臣の左隣にいる山田司法大臣が、こう確認する。

「ああ、それは……増宮さまやったら、その一人を含めて、全員を助けたい、そう思われるやろなあ……」

 三条実美公爵が、ため息をついた。「甘いなあ。せやけど、あのお方は医者やし、お転婆でも心根はお優しいし、そう思うのは、しょうがないのかなあ……」

「そのために、我々がいるのではないですか」

 大山中央情報院総裁は静かに言った。「梨花さまに足りないところは、我々が補う。そして陛下と皇太子殿下と、梨花さまを支えると」

(ちげ)えねぇ」

 その隣に座っていた勝内府が、ニヤリと笑った。「増宮さまも、増宮さまなりに頑張ってる。増宮さまに言われて、産技研の豊田の作ったヘアゴムとゴム紐、だっけか?あれ、日本だけじゃなくて、外国でも、かなり評判がいいみたいだな」

「海外での特許料と、製品の売り上げで、少なくとも万単位のカネを稼いでいますね」

 井上農商務大臣が、ニヤリと笑った。「それだけじゃない。滅菌手袋にアセチルサリチル酸、アセトアミノフェンに血圧計……一つ一つがそれと同等か、それ以上の利益を叩き出している。真珠も半円の養殖なら成功したし、増宮さまが、なぜか貝の手術や養殖の方法までご存じだったから、あと1、2年もすれば、真円真珠の養殖にも成功するだろう」

「“真珠を使った宝飾品には全く興味がなかったが、アコヤ貝の手術は面白かった”というのが、輔導主任としては、いささか頭が痛いですが」

 伊藤枢密院議長が、苦虫を噛み潰したような表情で、額を右手で押さえた。

「しかし伊藤さん、それで国家の財政が潤うのですから、まずはそちらを喜びましょう。それに、北里先生のペニシリンもある。エックス線装置も完成が近いという。流石、吾輩の命の恩人。吾輩だけではなく、世界の人類を救い、そして国庫を潤すとは……」

 長身の身体を折り曲げるようにして座っていた大隈逓信大臣が、腕組みをしながら頷いた。

「無線もある。飛行器やら迷彩服やらの軍事関係のモノは、さすがに特許申請をするわけにはいかないが……発想は列強と並ぶ、いや、もしかしたら、列強以上に、時代の最先端を行ってるかもしれない」

 満足げに頷く井上農商務大臣に、

「しかし、時代の最先端を行く発想があっても、それを実現させる我が国の技術には、限界がありますな」

松方大蔵大臣が、重々しい口調で指摘した。

「ええ。目下の問題は、合成ゴムとプラスチックですか……その提携先も、考えなければなりませんね」

 原内務次官の銀髪が、日差しを受けて一瞬きらめいた。「つい先日、別件で産技研に行ったとき、藤岡所長に現状を確認しました。ドイツの文献を参考にして、フェノール樹脂の産生には成功したものの、工業化となると、我が国が今持っている技術だけでは難しいのではないか、と……」

「考えるまでもないよ、原君。提携先は、イギリス一択だ」

 伊藤枢密院議長が言った。「あの皇帝(カイザー)に、新しい素材を渡すわけにはいかんよ」

「そうだな、伊藤さん。それから、あれも、提携先はイギリスしかねぇ。この間、増宮さまが大山さんに教えてくれた……ええと、何だっけ?」

 首を傾げた勝内府に、

「ハーバー・ボッシュ法とオストワルト法ですか」

大山中央情報院総裁が助け舟を出す。

「そう、それだ。まあ、その一件でも、増宮さまが、ちっとは分かってきたっていうのが見えたからよかったんだけどな。産技研に直接言わずに、まず大山さんに言ったんだろう?“もしかしたら、肥料だけじゃなくて、爆薬が出来るかもしれないから”って……」

「なるほど、軍事的な均衡を変える可能性もある技術と判断されたゆえ、自重されたのですか」

 桂中将がしきりに頷いた。

「それだけ、成長されたということでしょう」

 中央情報院総裁は言った。「時々、ヒヤリとすることはあります。先日は、電球のフィラメントにタングステンが使われていると、例の会合でおっしゃって……幸い、誰も気付かなかったようですが」

「危ないですなあ。今の電球のフィラメントは、竹製ですのに。これはやはり、義理の兄として教育しなければ」

 三条公爵の上座に座った、有栖川宮威仁親王が呟く。

「だからこそ、例の会合の時には、大山さんを増宮さまの側に置くと決めたのではありませんか」

 伊藤枢密院議長が横から話に入った。「森、北里、三浦と、ドイツ帰りの人間が揃っている。ベルツ先生の通訳役など、本当はもう必要ないのだ。それでも未だに、大山さんにあの会合に出てもらっているのは、増宮さまの医学の知識を、行政として最短の方法で具現化させる道筋をつけるため。そして、増宮さまからこぼれる、医学以外の未来の知識を得るためだ。しかし、はあ……例の会合が始まって、そろそろ3年になるが、このままでは、大山さんがいる真の目的に、一生お気づきにならぬやも……」

「お言葉ですが、伊藤さん」

 大山中央情報院総裁が、片方の眉を跳ね上げた。「輔導主任でありながら、梨花さまを見くびっておられるように見受けます。ご聡明な梨花さまが、それで終わるはずがないでしょう」

「確かにな。おれたちが鍛えて伸ばせば、そのぐらいは気づくようになるだろうよ」

 勝内府が言う。「ただ、おれたちがレーニンを殺したってことは、増宮さまに感付かれないようにしねぇとな。……万が一増宮さまにバレたときは、おれが首謀者だって言ってくれて構わないぜ。その頃には、おれは御陀仏になってるだろうからな」

「勝先生……何を言われるか。この山縣とて、罪は引き受ける覚悟でおりますのに」

「さよう、勝先生一人に、罪を被せる訳にはいきませんな。歴史の流れに逆らえずに、同じような思想が別の人間から出てきてしまえば、人一人殺しただけになりましょうが……それでも、やる価値はありましょう。この松方も、共に罪を負いましょう」

 山縣内務大臣と松方大蔵大臣が口々に言うと、残りの一同も黙って頷く。

 と、

「わたしも、卿らと共に罪を負う」

上座から、少年の声が響いた。

「で、殿下……」

 末席で、原内務次官が立ち上がった。

「歴史の流れには逆らえぬかもしれない。しかし、それで他の大勢の命が救われ、わたしの愛しい者が、心を痛めないで済む可能性があるのなら、それにわたしは賭けたい。卿らの罪は、わたしの罪でもある。……それでよい、罪は一生背負う。愛しい者を守るためならば、わたしは鬼にもなる覚悟なのだから」

 並々ならぬ決意の籠った言葉に、一同が一斉に頭を垂れる。

「殿下、そのお気持ちだけ、もらっておきますぜ」

 勝内府が苦笑した。「日嗣(ひつぎ)皇子(みこ)を汚すわけにゃ、いかねぇんですよ。ですから、そのお気持ちだけで十分。それでおれは、笑って死ねますや」

「その話をするのは、まだ早いだろう。内府は、わたしを鍛えると言ったではないか。鍛える前に死んでもらっては、わたしが困るのだ」

「……これは、参りましたな」

 頭を垂れる勝内府の前で、

「陛下は、なんぞありますか?」

三条公爵が上座を振り返る。

「……ふん、朕の言いたいことを、嘉仁が言ってしまった」

「は……恐れ入ります」

 明宮嘉仁親王が、軽く頭を下げる。居並ぶ高官将官たちも、それに倣って上座に向かい、最敬礼した。

「将来的には、毛沢東やアドルフ・ヒトラーもどうするか、考えなければならないが……」

「フランクリン・ルーズベルトもな。セオドア・ルーズベルトも、“史実”のわしが死ぬ頃には、日本を排除する方向に動き出していた……」

 山縣内務大臣と伊藤枢密院議長が、言葉を交わして考え込む。

「ハワイは何とか、暫定政府の樹立などされずに済んでいるが、まだまだ女王陛下は難題を抱えていらっしゃる。アメリカでは既に不況が起き始めている。共和党のマッキンリーが、経済問題の解決を訴えて大統領選に勝つ状況になれば、アメリカが、またハワイ併合に向かって動きかねませんな」

 松方大蔵大臣のつぶやきに、

「ああ、そんなことなど、到底許されることではない。ハワイ王国自身が力を付けるまで、我々で何とか、アメリカの世論を操作して時を稼がねば」

大隈逓信大臣が頷く。

「すると、小次郎には、まだまだ頑張ってもらわねぇとな。まあ、ハワイにいる方が、身体を休めるのにちょうどいいらしいから、療養がてら、ちょいちょい行ってもらおうか」

 ニヤリと笑った勝内府に、

「勝閣下」

児玉参謀本部長が声を掛けた。「レーニンの件ですが……殺さずとも、ヴェーラ女史を使って、制御する手はあるか、と」

「そうか……よく考えれば、彼女は“人民の意志”の最後の生き残り。しかもシュリッセリブルクから脱走して未だに捕まらず、ロシアの革命家たちの中では英雄視されています。……いい考えだ、源太郎。試す価値はあるかもしれない」

 山田司法大臣が、児玉参謀本部長に頷く。

「ふむ……」

 伊藤枢密院議長は、右手で顎を撫でた。「その一人を含めて、全員を助けたい、か……。甘い。甘いが、医者であらせられる故、仕方がありませぬかな」

「じゃあ、試してみるか、俊輔?」

「だな、聞多。だが……危険な兆候が見えたら、即刻消す。場合によっては女史も消さねばならないかもしれない。どちらにしろ、その場合は、増宮さまに、くれぐれも気取られぬように、な」

 ガラス窓から差し込む陽光が、一様に頷く一同の表情に、濃い陰影を作り出していた。

※レーニンの兄……アレクサンドル・ウリヤノフは、ヴェーラ・フィグネルが所属していた組織“人民の意志”のメンバーで、1887年にアレクサンドル三世の暗殺を計画しますが逮捕、処刑されています。


※西郷さんの長男・従理さんは、7歳の時にロシアに渡り、正教の洗礼を受けています。ですが、1884(明治17)年、10歳の時に、アメリカで腸チフスにより死去。たまたま大山さんが欧米視察の途上でアメリカにおり、従理さんの死去前日に彼を見舞ったそうです。


※フェノール樹脂は1907年にベークライトによって工業生産されましたが、フェノール樹脂自体は1872年にドイツのバイエルによって発見されています。


※そして、なぜ梨花さんがアコヤ貝の手術の方法を知っていたか……おそらく、次の話で語れると思います。


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