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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第1章 1888(明治21)年小満~1888(明治21)年大暑
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抱っこ

 “授業”が始まって、20分ほど経っただろうか。

 私は、早くも、疲れていた。

 天皇(ちち)が、「授業にはこれを使うと聞いているから、用意させた」と言って、大きな黒板と白墨(チョーク)を用意してくれていたので、話自体は、スムーズに進められている。話を整理するために、自分用に講義のメモも作っていたしね。

 だけど、身体が5歳児の私には、黒板の位置が高すぎた。

 清とかロシアとか朝鮮とか、黒板に大きく地図を書いて説明したいのに、この身体では、黒板の真ん中にやっと手が届くかどうかだった。仕方がないから、堀河さんに抱っこしてもらって高さを稼ぎ、黒板をいっぱいに使って、説明をしていたのだけれど……。

「堀河どの」

 何回目かに、堀河さんに、抱っこを頼んだ時、伊藤さんが声を上げた。

「何度も増宮さまを抱き上げて、お疲れではないでしょうか。わたくしが交代しましょう」

(は?)

「ちょ、ちょっと待て!」

 抗議の声を上げたのは、戦場のカメラマン……ではない、山縣さんだった。

「お前に任せたら、増宮さまの御身(おんみ)に、何が起こるかわからん!わしが交代する!」

「何を言う狂介(きょうすけ)!この伊藤に、間違いがあるとでもいうのか?!」

「この女好きめ、ぬけぬけと。増宮さまの歓心を買い、あわよくば、自らの元に降嫁することを狙っているのであろう。いくら増宮さまが、愛らしくて美しいからと言え、それは許さんぞ!」

「ふ、増宮さまは愛らしすぎる。争奪戦が激しくなる故、わしの手元には置けぬ、高嶺の花だ。だが、……やはり愛らしくて、別嬪(べっぴん)ではないか!」

(なんだ、こいつら?)

 突然始まった舌戦を、私はただ見守るしかなかった。なぜ、政府高官が、私を抱っこすることを争っているのか、意味が分からない。

「まあまあ、お二人とも落ち着いて」

 伊藤さんと山縣さんの間に、黒田さんが割って入った。

「ここは、総理大臣の(おい)が、まず交代するということでどうじゃろうか」

「「ふざけるな!」」

 伊藤さんと山縣さんの叫びが被った。

「おい、総理に任せるくらいなら、俺が交代するぞ」

 更に、井上さんが横から乱入する。しかも、大隈さんも山田さんも西郷さんも大山さんも松方さんも、黙って右手を上げて、交代の意思表示をしているようだ。

(ほぼ全員かよ?!)

 堀河さんに抱っこされたまま、室内を見渡すと、天皇(ちち)皇后(はは)が場の様子に苦笑しているのがわかった。勝さんは、高官たちのくだらない言い争いを、ニヤニヤしながら眺めている。

 三条さんは、と言えば、

「ありがたや……増宮さまは、神仏が遣わした使いや……」

両手を合わせて私を拝んでいた。拝むな。

「ねえ、爺、私は、その……別嬪、なのでしょうか……?」

 小声で堀河さんに尋ねると、

「顔の造作が、完璧に整っていらっしゃいますし……控えめに言っても、お美しい、と思います。玲瓏(れいろう)と言うは、まさにこのことか、と」

と答えられた。

 そうなのだろうか?髪型が市松人形な時点で、もう、私、自分の顔は、あまり好きじゃないのだけれど……。

「そのくらいにしておけ、お前たち」

 天皇(ちち)が、両手を叩きながら言った。さすがに、場が静まる。

「えーと……じゃあ……希望者の方は、苗字のあいうえお順で……順番に1回ずつ、抱っこをお願いするということで……」

 おずおずと私は提案したが、メンバーの半分ぐらいが首をかしげていたので、「い、いろは順で!」と言い直した。

 意気揚々と、私の元にまずやってきたのは伊藤さんだった。なるほど、「いとう」なら、いろは順では、このメンバーの中で一番になる。

 だけど、私が説明しようとしていたところは、丁度、初代韓国統監がハルビンで暗殺され、それをきっかけに、日本が韓国併合を強行するという箇所だった。暗殺される当の本人に抱っこされながら、説明するとは思っていなくて……一応、初代韓国統監の個人名は伏せたけれど、伊藤さんなら察してしまったかもしれない。

 その後も、政府高官に、代わる代わる抱っこされながら、講義を続けた。

 だけど、非常に偉い人たちに「地図がかけないから、もっと右のほうに身体を動かして!」などと命令するわけにもいかないし、その場にいるメンバーが、政治的に失敗(やらか)した話を、そのまま個人名丸出しで話をするわけにもいかないし……。

 身体の疲れより、気疲れの方が激しかった。

 それでも、大正が終わり、昭和の時代の説明になると、この場にいる高官たちは、ほぼ亡くなっている。プレッシャーが取れたためか、満州事変や五・一五事件、二・二六事件のころに話が進むと、気分が乗ってきた。

「朕が最も信頼せる老臣を(ことごと)く倒すは、真綿にて朕が首を締むるに等しき行為なり」

「朕自ら近衛師団を率いて、これが鎮定に当たらん!」

という、二・二六事件での昭和天皇の有名な言葉は、完全にノリノリで言ってしまい、雰囲気負けしたのか、その場で私に最敬礼するメンバーが数人出てしまった。

 そして、太平洋戦争の開始、日本各地への空襲、沖縄戦、原爆の投下。

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す」

終戦の詔勅の下りでは、ほぼ全員が涙を流していた。

「それで、連合国軍が乗り込んできて、戦後の改革が始まっていくんですけど……これ、いったん話を切った方がよさそうですね……」

 すすり泣きの声が漏れる部屋を見渡して、私は言った。

「そのようだな」

天皇(ちち)も同意した。

「えーと、どなたか質問のある方は……」

 すると、意外にも、天皇(ちち)が「尋ねてもよいか」と言った。

「その……昭和天皇……というのは、朕の孫か?」

「はい、大正天皇の長男なので、そうなります」

「で、大正天皇というのは……嘉仁(よしひと)……つまり、明宮(はるのみや)だろうか?」

「えっと……皇室については、知っている事実が断片的なので、……明宮殿下の、生年月日を教えていただいてもよろしいでしょうか?」

 昭和天皇が亡くなったのは、1989年の1月だ。確かその時、90歳に近かったような気がするから、生まれたのは1900年前後だろうか。で、明宮殿下――この世界では、私の兄なのだけれど――が生まれたのが明治12年、つまり西暦1879年だということなので、

「多分、明宮殿下が、20歳ぐらいで結婚して、すぐに生まれた子供が、昭和天皇だと思います……それ以外の計算が成り立ちません」

 黒板の隅の方で、白墨で書きながら筆算して、私はそう答えた。

 ちなみに、明宮殿下と私以外にも、天皇(ちち)には何人も子供がいたらしいのだけど、全員死産か夭折してしまったとのことだった。これから天皇(ちち)に子供が生まれる可能性も十分にあるけれど、1888年の今から生まれた子供が、更に1900年前後に子供を作るって……戦国時代には前田利家の妻の松のように、13歳前後で出産という話もなくはないけれど……。

「ふむ……章子、皇統は、その、太平洋戦争の後も、保たれるのであろうな?」

「ええと……皇統って、天皇家が続くか、ということですよね……はい、大丈夫です。私の生きていたころは、昭和天皇のご長男に当たる方が、即位されています」

 ついでなので、終戦後に制定された日本国憲法と、GHQによる改革、サンフランシスコ平和条約が結ばれた後の国内情勢と諸外国との関係を、手短に説明した。さらに蛇足ながら、前世(へいせい)での譲位に関する出来事も説明した。

「まるで……夢物語のようだが……」

 伊藤さんが呆然としている。一同も、その言葉に頷いていた。

「いや、十分にありうる筋書きだと思うぜ、伊藤さん」

 ただ一人、余裕のある表情で口を開いたのは、勝さんだった。

「日本と清がドンパチやって、日本が勝ったら、他の列強が清に手を出して、かえって極東(このへん)の状況がおかしくなるのは、目に見えるぜ。あんたが殺されたのにいきり立って、朝鮮を併合したら、百年後に、日本が朝鮮に足を引っ張られるってのもさ」

「勝先生、せっかく伏せたのに、個人名を出すのは、やめてあげてください……」

 気遣いを無駄にされてしまい、私は頭を抱えた。

「むむ……」

 山縣さんが腕組みした。

 そこから、議論は白熱し、結局解散になったのは深夜だった、らしい。伝聞形にしたのは、身体が五歳児の私には、夜更かしが酷だったようで、途中で堀河さんに抱っこされて寝ていたからなのだけど……。

 ちなみに、私が眠ってからも「寝ている増宮を、誰が抱っこするか」で、両陛下(りょうしん)も含めて争っていた、と、翌朝、堀河さんから聞いた。あんたら、何やってんだ。

 ともあれ、その日から、少しずつ、私が知っている歴史と、今起こっていることが、ずれてきたことは確かだった。


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[一言] シリアスなのに、ロリコン
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