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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第12章 1893(明治26)年立春~1893(明治26)年清明
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御料牧場(1)

 1893(明治26)年4月6日、木曜日。

 前日、習志野演習場の砲兵学校の建物で一泊した私たちは、無事に千葉県にある御料牧場に到着した。

 千葉県、と言っても広いから、御料牧場がどのあたりにあるのか、よく分からなかった。住所は遠山村三里塚、と言われたのだけれど、恐らく、私の生きていた時代には、村の名前が市町村名に残らなかったのだろう。全くイメージが湧かなかった。宿泊する建物に入ってから、大山さんに周辺の地図を見せてもらって、

「成田山が、比較的近くにありますね」

と説明され、やっと納得することができた。

(成田空港のあたりか。空港建設の反対運動が起きたって聞いたことがあるような……もしかして、未来で、御料牧場の敷地を利用して、空港ができたのかな?)

 思い付いたことを大山さんに言おうとしたけれど、やめた。大山さんの隣に、皇太子殿下と、皇太子殿下の侍従さんがいたからだ。

(うにゃあ……)

 私は少し、イライラしていた。

 結局、今日になっても、皇太子殿下が私の前世のことを知っているのか知らないのか、全く確信が持てなかった。確かめようにも、殿下の隣には、常に侍従さんがいるから、私の秘密に関わる話が全然できない。そして、大山さんに、殿下に私の前世のことをどう話したらいいかを相談したいのだけれど、大山さんと二人きりになる機会も全くない。

(どっちにも話せないって……この状況、もどかし過ぎる……)

「章子、いかがした?」

 不意に皇太子殿下に声を掛けられ、私はハッとした。

「何やら、苛立っているようだが」

「あ、ああ、何でもありません、兄上、はい……」

 慌てて、首を左右に勢いよく振る。

「そうか。ニワトリを世話している章子のことだから、さっさと羊や牛と遊びたいのかと思ったが」

「ああ、それだったら、雌鶏が見たいです。花御殿のニワトリ小屋で、採卵はしていませんから」

 私はニッコリ笑って、こう答えた。花御殿のニワトリ小屋のニワトリは、全て雄鶏なので、ニワトリの採卵は見たことがないのだ。ちなみに、森林太郎先生が担当しているビタミンB1の抽出の方は、少しずつ進んでいる。米ぬかのアルコール抽出物を、脚気のニワトリに白米と一緒に与えると、脚気症状が治り、また、米ぬかの水抽出物を、脚気のニワトリに白米と一緒に与えると、脚気症状が治る、というところまでは判明した。

――しかし、アルコールと水に溶ける、というだけでは、該当する物質が多数あります。あと1つか2つ操作を加えて、出来る限り純粋なビタミンを取り出したいものです。

 先週の土曜日、森先生はこう言っていたけれど……。

「そういえば、章子のニワトリ小屋のニワトリは、全て雄鶏なのだった。それならば、雌鶏も見たいだろう」

 皇太子殿下が頷いた。「わたしは牛や羊が見てみたい。幼いころ、駒場の農科大学で見たことはあるが、ここほど広々とした敷地では飼っていなかった。伸び伸びと暮らしている様は、いかがであろうか。それから、馬にも思う存分乗ってみたい。この広い敷地を駆け回れば、さぞ気持ちがよいだろう」

「ほどほどにお願いいたしますよ、殿下」

「分かっているよ、武官長。……そうだ、章子も馬に乗ってみるか?」

「わ、私がですか?」

 突然の皇太子殿下の言葉に、私は思わず自分を指さした。

「乗ったことはないのか?」

 私は、皇太子殿下の質問に、何度も首を縦に振った。今生では、馬に乗ったことはないし、前世でも、もちろんない。というか、前世で馬を見る機会は、今生以上に無かった。

(せいぜい、牧場でちらっと見たぐらいだよなあ……競馬は行ったことがなかったし、乗馬クラブなんて入ってなかったし……お父様(おもうさま)や山縣さんや西郷さんは、馬に乗るって言ってたけれど……)

 思い返していると、

「女性の乗馬は、イギリスの上流階級では、たしなみの一つですよ」

私に向かって大山さんが微笑した。「ヴィクトリア女王も、乗馬をなさっています。皇后陛下もお乗りになりますよ」

「お、お母様(おたたさま)が?!」

 それは知らなかった。

「婦人は横乗りが多いのであったか」

(よ、横乗り?)

 馬に横に乗るって、一体どういうことだろう?戸惑っていると、

「しかし、残念です」

と大山さんがため息をついた。

「は?」

「もし増宮さまが馬を操れるようになれば、ここから佐倉城や(もと)佐倉城の城跡まで、馬の遠乗りのついでに、ご案内できるでしょうに。佐倉城は歩兵連隊の駐屯地ですから、訓練のご見学もできますし……」

 何?

「佐倉城と……本佐倉城……?!」

 どちらも、前世で行ったことがある。佐倉城は、曲輪の跡がよく残っていたし、本佐倉城は、土塁や空堀の遺構が素晴らしかった。

(あの良質な曲輪や土塁の遺構が、ここのすぐそばにあると……!)

「馬が操れるようになれば、佐倉城にも本佐倉城にも行けるの?!」

「はい、天候さえよければ」 

 大山さんはにっこりとほほ笑んだ。

「大山さん、私、頑張る。頑張って馬に乗れるようになって、佐倉城と本佐倉城の遺構を、思う存分探索する!」

 私は右手を勢いよく上に伸ばして宣言した。

「なるほど、かしこまりました。では、乗馬の練習をなさらなければ」

「ええ、もちろんよ。佐倉城と本佐倉城のためなら、いくらでも練習する」

「しかし、増宮さま……乗馬の練習をなさるのであれば、野外活動服に着替える方がよろしいと思いますが」

「そうねえ……」

 大山さんの言葉に、私は、自分の着ている服を見直した。今日は紫の矢羽根模様の着物に、海老茶色の女袴だ。この格好で、木登りも鬼ごっこもできるけれど、乗馬は初めてだから、より動きやすい格好の方が無難だろう。もし、御料牧場の近くに城跡があったら、探索できるかもしれないと思って、念のためにコスプレ衣装……じゃない、野外活動服を持ってきておいて正解だった。

「じゃあ、どこか部屋を借りて、着替えてくるね」

「では、その間に、馬の準備をするように申し付けておきましょう」

「お願いね、大山さん。ふふふ、待ってなさい、佐倉城に本佐倉城……楽しみだなあ……」

 前世で見た城跡の光景を思い浮かべ、うっとりする私に、

「章子は、本当に城が好きだな」

皇太子殿下が笑いかけた。


 野外活動服に着替えると、馬の厩舎に案内された。

「色々な種類の馬がいるな」

 厩舎の中をざっと見渡した皇太子殿下が言う。いつの間に履き替えたのか、靴が黒いロングブーツに変わっていた。

「これはサラブレッドで、あちらにいるのはアラブ種か。向こうにいるのは、我が国の在来の馬のようだが」

「おお、流石は皇太子殿下!」

 皇太子殿下の言葉に、御料牧場の職員さんが驚いている。

(んー……どれがどれなのか……)

 私は首を捻った。馬の種類はサラブレッドぐらいしか聞いたことがない。あと、日本の固有種の馬が、前世(へいせい)では、何種類か残っているのは知っているけれど……。

「外国産の、大型の馬を輸入して、我が国の馬と交配し、我が国の馬を良質なものに改良するのが目標です。さすれば、西洋の騎兵とも対等に渡り合えるでしょう」

 別の職員さんが、私に説明してくれる。

「はあ……」

(それって……やり過ぎたら、純粋な日本固有種の馬が、絶滅しちゃうんじゃないかな?)

 種の多様性を残すという意味では、純粋な日本固有種の馬に残ってほしい。だけど、軍事目的に馬を使うということも考えるのならば、ある程度、日本の馬と西洋の馬が交雑するのは仕方ないのか。

(だけど、自動車や自転車が発展すれば、馬は今ほど日常生活には関わらなくなってしまうし、そうなったら、わざわざ交雑して、日本の馬を大きくする必要はなくなるだろうし……)

 いろいろと考えていると、

「章子?」

皇太子殿下が私を呼んだ。

「どうした。難しい顔をして、考え込んでいたが」

「な、何でもないです」

 慌てて返すと、わざと、とびっきりの微笑みを作ってみる。

「そうか。先ほど、馬を選んでしまったが、構わなかったか?」

「馬を……選んだ?」

「何を不思議そうな顔をしている。馬に乗る練習をするのだろう」

 皇太子殿下は、私に向かって微笑した。

「今、馬具を付けてもらっている。もう少し待て。……章子、そのコートは脱ぐ方がよい。馬に刺激になってしまうかもしれぬ」

「あ、はい」

 私は、皇太子殿下の指示に素直に従って、ジャケットとスラックスだけになった。

 馬の準備が出来たというので、厩舎の外に出ると、馬具を付けられた栗毛の馬が一頭、待機していた。

「章子がその服装だし、まず馬に慣れればならぬから、跨って乗ってよいだろう。章子、馬に触ったことはあるか?」

 私は首を横に振った。

「よし、では一緒に、馬を撫でてみようか。おいで」

 皇太子殿下は私の左手を掴んで、馬の前に連れて行く。

(馬って、近くで見ると大きいなあ……)

 馬車を曳いている馬も、鼻息が感じられるほど近くで見たことはない。

「よし、よし」

 馬の鼻の上を、皇太子殿下が左手で撫でる。

「ほら、章子も撫でろ」

 殿下の声で、私も、馬を撫でてみる。

「そんな恐る恐る撫でずとも大丈夫だ、章子」

 皇太子殿下が、私の方を振り向いた。「馬も章子の気持ちを察してしまうぞ。……恐れるな。この馬は、きちんと章子のために動いてくれる」

「は、はあ……」

 私は曖昧に頷いた。その横で、「頼んだぞ」と、皇太子殿下が馬の鼻の上をまた撫でた。

 馬の横には、いつの間にか、踏み台が用意されている。皇太子殿下が踏み台に上ると、ひらりと馬に跨って、

「ほら、章子」

と、鞍の前を軽く叩いた。

「へ?」

「章子は馬が初めてゆえ、今日はわたしの馬に乗せる。こちらにおいで」

 皇太子殿下はまた鞍の前を軽く叩いて、私に微笑んだ。

「増宮さま」

 大山さんが私を見て、励ますように頷く。

(んー、初めてだけど、……仕方ない、佐倉城と本佐倉城のためだ!)

「了解です、兄上」

 私は踏み台に上り、皇太子殿下の手を借りて、鞍に跨った。

(視線、高っ!)

 明らかに目の位置が、普段よりも高い。

「うん、これでよい」

 私のすぐ後ろで、皇太子殿下が頷く気配がした。殿下の声を、こんなに近い距離で聞いたことは、今までにほとんどない。

「大きめの鞍を用意させて正解だったな」

 いつの間にか、手綱を握った皇太子殿下の両腕で、私の身体は挟まれていた。

「よし、では行くぞ」

 殿下がそう言った瞬間、急に視界が揺れた。


(はい?!)

 突然激しい上下動が始まったのは、馬が走り始めたからだ。それを理解するのに、十数秒かかった。

(う、馬の上って、こんなに揺れるの?!)

 初めての感覚に、私が身を固くした瞬間、馬の走る速さが、心なしか上がった気がした。

「章子、力を抜け!」

皇太子殿下が叫んだ。

「俺に身を預けて、身体の力を抜け!」

「は、はいっ!」

 言葉通りに、皇太子殿下に寄り掛かると、

「そのまま、ゆっくり深く呼吸をして、脚の力を抜け!」

今度はこう言われた。

(え?!それ、落馬しちゃわないかな?!)

 疑問に思ったとたん、

「心配するな、俺がついている。俺を信じろ!」

私の耳元で、力強い声がした。

「……はいっ!」

 私は皇太子殿下に身体を預けたまま、思いっきり息を吐いた。可能な限りゆっくりと息を吸い、細く、長くを意識して息を吐く。

(大丈夫、殿下がいる。殿下がついてる……)

 ゆっくり呼吸をしながら、頭の中で繰り返す。

「よし、いい子だ」

 気が付くと、馬の動きが止まっていて、皇太子殿下が馬の首筋を撫でていた。

「……すまなかったな」

 皇太子殿下が、私の顔を覗き込むようにして言った。「操作の方法を伝えぬままに、馬を動かしてしまったゆえ、お前を怯えさせてしまった。それを馬も感じ取って、余計に混乱したようだ」

「へ……?」

「俺は馬に止まるように合図していたのだが、お前が身を固くして、脚に力を入れてしまって馬の腹を締めたゆえ、それを馬は、進む合図だと思ってしまったようだ」

「え……馬って、脚で合図して動かすものなんですか?!」

 前世で、競馬のニュースをテレビで見た時、確か騎手が鞭を使っていたような気がするんだけれど……。

「脚も使うし、手綱も使う。声や鞭を使うこともあるが」

「そうなんですね……」

 実際に馬に乗ってみなければ、全く知らずに終わっただろう。

「では、もう一度馬を動かすからな。お前は俺に身体を預けて、力を抜け」

「はい」

 私が頷くのを確認すると、皇太子殿下の身体が少し動いて、馬が前に進み始めた。

(ほえー……)

 ようやく、上下の揺れにも慣れて、周りを見わたす余裕が出てくる。私たちがいるのは、一面の野原だ。掘り返したような跡や畝もないから、もともと、牧草地なのかもしれない。遠くの方に、常緑樹の林が見えるのは、スギだろうか、松だろうか。

(枝ぶりからして、松かなあ……。ところどころ、薄桃色なのは……)

「ほう、桜が咲いているようだ」

 皇太子殿下が嬉しそうに呟く。「近くまで行こう。馬の速さを上げるぞ」

「は、はい」

 私が返事するやいなや、馬の足音のリズムが変わって、速度が上がる。晴れているとは言え、4月初旬の風はまだ少し冷たく、両頬に微かに切られるような感覚が走る。でも、皇太子殿下に預けた背中は、暖かかった。

(殿下も、ずいぶん大きくなったなあ……)

 初めて会ったのは、4年前の2月だ。それからずっと一緒に暮らしているけれど、最近は皇太子殿下が急速に大人びてきて、本当に頼もしく思える。対する私は……この4年で成長したのだろうか?身体は大きくなったけれど、精神的に成長しているのかどうか。

(特に、女性らしさ、ってやつか……どうやったら身に付くのかなあ)

 考えていると、遠くだったはずの松と桜の林は、桜の花の一つ一つがくっきり見えるほどに近くになっていた。

「三分から五分咲き、と言ったところか。しかし、これも風情がある」

 馬を止めた皇太子殿下が、微笑する気配がした。

「はい、……綺麗です」

 (めいじ)未来(へいせい)、品種自体は、改良が進んで変わっているかもしれない。けれど、やはり桜の花は、時代が違っても美しい。

 と、手綱を持った皇太子殿下の両腕が、私の前でほんの少し交差して、私は皇太子殿下に後ろから抱きかかえられるような格好になった。

 そして、

「梨花……」

殿下は私の耳元で、囁いた。

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[一言] 兄から妹への「心臓が停まりそうな」告白。
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