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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第12章 1893(明治26)年立春~1893(明治26)年清明
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男装の姫君

※呼び方ミスを訂正しました。(2019年4月13日)

(な、何で彼女がここにいるの?!)

 私の前に立っている、青色を基調とした洋装の彼女を見て、私は愕然としていた。

 ヴェーラ・ニコライエヴナ・フィグネル。ロシアの先帝、アレクサンドル2世の暗殺に関わってシュリッセリブルク要塞に収監されたが、革命勢力の残党が要塞を爆破したために脱走し、日本にやってきて、ニコライ皇太子の暗殺を目論んだ本人である。彼女を「二条城の東大手門を、油で汚損しようとしている怪しからん人間」と思い込んだ私によって、計画を阻止され、最終的には日本の警察に捕まえられた。そのはずなのだけれど……。

 驚いたのは、向こうも同じらしい。私の顔を見た瞬間、彼女の目が丸くなった。

「なっ……あの時のサムライ?!」

 意外にも、彼女の口から飛び出したのは、流暢な日本語だった。

「誰が侍じゃ!」

 反射的に私はツッコむ。「馬鹿(たーけ)!」と、前世でもめったに使わなかった名古屋弁が出そうになったのは、ぐっと飲み込んだ。多分、この場にいる誰にも通じないだろう。

 と、彼女の手を取っていた大山さんが、彼女から離れて私に歩み寄った。

「失礼いたします」

 私の横に立った大山さんは、そう声を掛けると、私を横抱きに抱え上げた。

(ちょっ……?!)

 突然の“お姫様抱っこ”に、私が全く反応できずにいると、

「腕を、(おい)の首に回していただけますか?」

大山さんが私に指示した。慌てて私は、両腕を大山さんの首の後ろに掛けた。自然、私の身体は、大山さんに密着するような格好になる。

「ご心配なさいませぬよう」

 大山さんが、私の耳元に口を寄せて囁いた。

「どういうことか、説明して」

 私も小さな声で返した。

「あの事件が、公式には無いことになったのは分かってる。それでも、彼女のやろうとしたことは、日本の法律では重罪になることよ」

「その通りです。しかし、確か、原に初めて会った前日でしたか、梨花さまが(おい)におっしゃったこと、覚えておいでですか?」

「!」

――彼女を使って、何か仕掛けるの?

 大津事件の後の“梨花会”の会合で、彼女のことが全く話題に上らなかったので、大山さんにそう尋ねた。その時には、大山さんは明確には回答してくれなかったけれど……。

「実際に()()()()まで、彼女も暇だろうと思いまして」

 大山さんは微笑した。「以前、スイスの大学で医学を学び、卒業する寸前だったとか。診療に従事したこともあるそうです。今回の調査には、うってつけの人材とは思いませんか?」

「た、確かにそうだけれど……」

 私はこう答えた後、大山さんに反論した。

「けれど、私のせいで、目的が達成できなかったから、私に対しては恨みがあるでしょう。そんな人を、私に近づけて大丈夫なの?万が一、私が危害を加えられたら、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)や皇太子殿下もだけれど、大山さんが……」

 未熟な私のことを、主君として、大切に思ってくれている大山さんだ。万が一、私が彼女に傷つけられたとすれば、後がどうなるか、……想像するだけでも恐ろしい。

(おい)を気遣っていただいて、ありがとうございます」

 大山さんが囁く。「ですが、心配はご無用です。“梨花会”の面々や、両陛下とも協議して決めました。どうか、(おい)を信じてくださいませ」

 大山さんは、私の目を覗き込んだ。彼の優しくて、暖かい眼差しは、やはりいつもの通りで、私の波立った心は、穏やかな凪に変わっていった。

「わかった。大山さんの言葉だから信じる。彼女を、調査のメンバーに加えましょう」

「御意に」

 と、

「大山サン、いつまでそのサムライと話してるの」

ヴェーラ・フィグネルが、少し苛立ったように話しかけた。

「だから、私は侍じゃないってば」

「そうですよ。私の夫の、ご主君様です」

 桃色の洋服に身を包んだ、背の高い日本人女性が、こう言ってヴェーラ・フィグネルにほほ笑んだ。「あんなこと、私にもしたことがないですもの。相手がご主君でなければ、私、妬いてしまいますわ」

「大山さんの主君……え、じゃあ、あのサムライが、新聞で“絶世の美少女”って書かれている、あの章子内親王なの?」

 ヴェーラ・フィグネルは、呆れたような表情になった。

「冗談を言わないで、捨松(すてまつ)サン。男の服を着てるじゃない」

(わ、悪かったなあ……)

 ムッとした次の瞬間、「梨花さま」と、大山さんが耳元で、なだめるように囁いたので、私は必死に心を落ち着けた。

「あの、大山さん、あちらの日本人の女性の方は……」

 私が尋ねると、

「ああ、(おい)の妻です」

私を“お姫様抱っこ”したままの大山さんは、こう答えた。

(大山さんの奥さんって……)

「お、大山さん、下ろして!地面に下ろして!」

 慌てて叫んで、地面に立たせてもらうと、私は大山さんの奥さま……大山捨松さんの所に駆け寄った。

「大山捨松さまでいらっしゃいますね?章子と申します。ご主人には、いつも大変お世話になっております」

 帽子を取って、深々と頭を下げると、

「ねえ、捨松サン、この子、本当に皇族なの?」

ヴェーラ・フィグネルがため息をつきながら言った。

「全然威厳なんてないし、しかも、この子、女じゃないでしょ?」

(うぐっ……!)

 真正面からズバリと言われてしまうと、流石にきつ過ぎる。私は唇を引き結んで、うつむくしかなかった。

「エリーゼ、そんなにいじめちゃダメよ」

 激しく落ち込んだ私を見かねてか、横から捨松さんが止めに入ってくれる。

(エリーゼ?)

 首を傾げた私の前で、

「捨松サン、わたしは事実を指摘してるのよ」

“エリーゼ”と呼ばれたヴェーラ・フィグネルが反論する。

「しかし、今の物言いは、増宮さまに対して、無礼ではないですか」

 三浦先生が一歩前に出て、彼女に話しかける。珍しく、眉根を寄せていた。

「ああ。殿下に対する侮辱ととらえるべきか……」

 ベルツ先生も厳しい声を彼女に掛ける。気が付けば、大山さんが私のすぐ前にいて、彼女から私を守るように立っていた。

「……ごめんなさいね、日本語の言い回しに慣れてないの」

 ヴェーラは一つ息を吐くと、仏頂面で謝罪の言葉を口にした。

(いや、絶対、日本語に慣れてるだろ……)

 私は心の中でツッコミを入れた。

「それなら、早々に慣れていただきたいと思います」

 三浦先生は硬い表情のままでこう言った。「……失礼ですが、お名前は?」

「人に名前を聞くなら、まず自分から名乗りなさい」

 不機嫌そうに言うヴェーラにめげず、

「これは失礼しました。私は三浦謹之助と申します」

三浦先生は自己紹介して、一礼した。

「エリーゼ」

 ヴェーラがぶっきらぼうに答えた。「エリーゼ・シュナイダー。スイスの生まれよ。医学の勉強をしたことがあるの。よろしく」

 つまり、エリーゼ・シュナイダーというのが、ヴェーラの偽名という訳だ。なるほど、確かにこの日本に、脱走したアレクサンドル2世の暗殺犯がいるとバレたら、国際問題になりかねない。

(だけどこれ、忍城址の探索どころじゃなくなったなあ……)

 せっかく立てた計画がおじゃんになることがほぼ確定し、私は盛大にため息をついた。


 忍町の最寄りの吹上(ふきあげ)駅から忍町までは、人力車に分乗して移動した。

「元気ないわね」

 私と一緒の人力車に乗ったヴェーラは、私に声を掛けた。

(あんたのせいだよ……)

 私は黙ったまま、心の中でヴェーラに返答した。

 上野からの車中で、大山さんとヴェーラが、今までのいきさつを説明してくれた。

 京都で捕縛されたヴェーラは、“梨花会”内での協議の結果、ロシアに身柄を引き渡さず、日本国内で密かに身柄をかくまうことになった。それで、ニコライ皇太子暗殺未遂事件は、事件そのものが無かったことにされて、“梨花会”の手で闇に葬られたのだ。

 そして、ヴェーラは「スイスからやって来た、子供たちの家庭教師」という触れ込みで、大山さんの家に居候することになった。中央情報院総裁の大山さんの家なら、ロシアの息がかかった者も絶対に入り込めない、という判断によるものらしい。フランス語・ドイツ語・英語に堪能なヴェーラは、大山さんのお子さんたちにフランス語とドイツ語を教えながら、アメリカの看護師の免許を持っている捨松さんに、日本語と看護学を教わった。日本での暮らしにも慣れたころに、コホート研究の話が出て、大山さんがヴェーラに参加を打診した、という訳だ。

 今後、ロシアの南下政策の矛先が、朝鮮に向くことは十分に考えられる。そうなれば、日露間、ないし清露間で戦争が起きてしまうだろう。

――となれば、ロシア国内の革命勢力には、頑張っていただきたいと思いまして。もちろん、暴力的でない革命で。

 微笑する大山さんに、

――方法はなんにせよ、あなたたちのミカドが、皇帝(ツァーリ)の専制政治を打ち砕いてくれるのを手伝ってくれるのだから、わたしとしてはありがたいわ。

ヴェーラは冷めた表情で答えた。

(けど、それって上手く行くのかな?)

 “史実”の日露戦争では、日本はロシアの革命勢力と接触し、様々な工作活動をしていたと、伊藤さんにも原さんにも聞いた。ただ、それは、ロシア革命の発生にも影響を及ぼしたはずだ。

(ロシアがソビエトになっちゃうとして……“史実”のソビエトで起こった、ホモドロールとか大粛清とか……絶対、そんなこと起こさせたくない)

 他にも、ナチスのホロコーストや、中国の文化大革命……他国のことだから、どこまで防げるか分からないけれど、人間が尊厳を踏みにじられて無残に死んでいくような事態は、なるべくなら阻止したい。もちろん、戦争そのものも、だ。“授業”では、そういった大量虐殺が伴う事件にも触れたけれど……。

(流石に、“梨花会”の皆も日本のことで手一杯だろうし、そこまでは無理かなあ……)

 私がため息をついた時、

「少しはしゃべりなさいよ」

ヴェーラが無表情のまま、言った。「大山サンの家族以外の人と話すのは久しぶりなの。あの夫婦が二人一緒にいると、英語とフランス語しか出てこなくて、日本語の練習にならないのよ」

(どういう夫婦だよ……)

 私は右手で額を押さえた。もちろん、捨松さんが、アメリカに留学したことは知っているから、英語の方がしゃべりやすいということはあるかもしれないと思うけれど……。

(毎度のことだけれど、本当に大山さんには絶対に勝てない……)

 そう思っていると、

「喋らないなら、わたしから話すけれど……章子はどこで英語を覚えたの?」

ヴェーラが話しかけてきた。列車の車内では、私をどう呼ぶか迷っていたようだけれど、どうやら、彼女は私を、呼び捨てにすることに決めたようだ。まあ、それならそれでいい。

「ええと……伊藤さまに習いました」

 本当は、前世での学習の賜物だけれど、そこは黙っておくことにした。

「伊藤……ああ、女好きと新聞に書かれている枢密院議長ね」

 ヴェーラが言う。

「あの……なんで、そんなことを聞くんですか?」

 恐る恐る尋ねると、

「あの時、章子が英語で叫びながら、わたしにぶつかってきたからよ」

ヴェーラはそっけなく返した。「“貴重な歴史的文化財に何をする!”って英語でサムライが叫ぶから、訳が分からなかったわ」

「はあ……」

 私は曖昧に相槌を打った。

「でも、あなたと大山サンには感謝をしているの」

 突然ヴェーラの口からこんな言葉が出てきて、私は抱えたランドセルを思わず落としかけた。

「なんで驚くのよ」

「い、いや、だって、あなた、私のことを恨んでいるんじゃないかと……」

 私はランドセルを抱え直しながら言った。

「恨んでいるんだったら、とっくに殴ってるわ。けど……本当に、皇族らしくないわね、あなた」

「ほっといてください。そもそも、私は医者になりたいから、一般的な皇族とは違う人生を歩むんです。皇族らしくなくても、しょうがないじゃないですか」

「そう、……大山さんが言ったことは本当だったのね」

 ヴェーラの冷めた声に、私は首を傾げた。

「京都で捕らえられた後、わたしの話を聞いた大山サンが言ったわ。“私の主君は医師を目指している。主君は、医者は、人を傷つけるために剣を振るうことはできない、と言った”……ってね。それで気が付いたの。わたしは、本当は、人を殺したいんじゃなくて、医者として、人を助けたかったんだって」

(あ……)

 そう言えば、京都で大山さんと君臣の契りを結んだとき、そのようなことを大山さんに言った。無我夢中だったから、正確には覚えていないのだけれど……。

皇帝(ツァーリ)の専制を打ち砕くための、考えうるあらゆる手段がすべてダメで、わたしも、わたしたちの仲間も、皇帝(ツァーリ)を殺すしかないと思って殺したけれど……何も変わらなかった。かえって国民への弾圧はひどくなっていった。それでも、ニコライを殺せば、何かが変わると思ったけれど……でも、ニコライを殺していたら、わたしは、医者としての自分を殺していたでしょう」

 ヴェーラはため息をついた。「章子と大山サンは、医者としてのわたしを助けてくれた。だから、今は、感謝はするけれど、恨みには思っていない」

「そう……」

 私は答えながら、頭では別のことを考えていた。医者ですら、目的を達成するために、人を殺害することを厭わなくなってしまうロシアの今の状況は、一体どれほどひどいのだろう。

(後で、誰かに確かめないと……)

 そう思っていると、忍町の市街に到着して、人力車が止まった。


(おお……やっぱり水路と沼が多い!)

 人力車から下りると、私は辺りの風景を見渡してにんまりした。前世でも忍城址には行ったけれど、こんなに水路や沼は残っていなかった。“浮き城”……豊臣軍の水攻めに遭ったとき、忍城はそう呼ばれたとも聞いたけれど、前世(へいせい)の忍城址を知っている私にとっては、今の状態でも十分に“浮き城”に思える。

 街の様子を見ながら歩いて、忍公園まで行った。忍公園は、忍城址の一部を利用して設置されたものだ。時刻はちょうど正午ごろになっており、ここでお弁当を広げることにした。

「ねえ、捨松サン、店の看板に書いてあった“たび”って……和服を着るときに使うもの?」

 ヴェーラが焼き魚をつつきながら、捨松さんに尋ねた。彼女は、器用に箸を使いこなしていた。

「そうよ。エリーゼも、和服を着てみたらいいと思うわ」

 捨松さんが微笑む。とても明るくて、素敵な笑顔で、見ている私も、何となく心が浮き立つような心持ちになる。

「あ、ベルツ先生も三浦先生も、こちらのビスケットはいかがです?私が作りましたの」

 捨松さんはカバンから箱を取り出して、ベルツ先生と三浦先生に勧める。

「ほう……これは素晴らしい、三浦君、いただこうか」

「はい、ベルツ先生」

 二人が同時に箱の中に手を伸ばした。

(すごいなあ……)

 私は、捨松さんをじっと見ていた。列車の中でも、彼女は三浦先生とベルツ先生と、上手くコミュニケーションをとっていた。そして、私が大山さんとヴェーラの話を聞いている間に、今回の調査の細かい段取りを、3人でまとめてしまったのだ。その手順は、忍公園に着くまでに聞いたけれど、ほぼ間違いはないように思えた。

 おまけに、気配りも上手で、料理もできて、立ち振る舞いは美しい。

(どうやったら、こんな素敵な女性になれるんだろう……)

 ボーッと捨松さんを眺めていると、

「どうしたの、章子?」

ヴェーラが私に声を掛けた。

「別に」

 素っ気なく答えると、

「捨松サンみたいになるにはどうしたらいいか、って思ってたんでしょう」

ヴェーラは私の思っていることをあっさり言い当てた。

「でも、サムライが医者になるのはともかく、サムライが女になるなんて無理よ。あきらめなさい」

「さ、侍じゃないもん……」

 私はこう返すのがやっとだった。さっきから、ヴェーラの発言は、私のトラウマを的確に抉っている。

(うう……、やっぱこの人、私に恨みがあるんじゃ……)

 と、

「そんなことはないでしょう」

大山さんが割って入った。

「我が国には、侍のように戦った女性も、たくさんおります」

「確かにそうね」

 私は言った。「巴御前でしょ、それから、戦国時代なら、立花誾千代(ぎんちよ)、井伊直虎、妙林尼(みょうりんに)……」

 すると、

「おや、増宮さまは、この地にゆかりの甲斐姫のことは、ご存知ないのですか?」

と大山さんが首を傾げた。

「いや、流石に知ってるわよ。忍城攻防戦で、すごく有名だから」

 甲斐姫は、安土桃山時代の忍城主・成田氏長の娘だ。小田原征伐で、豊臣軍が忍城に押し寄せた時、自ら鎧を纏って戦い、敵を討ち取ったとも伝えられる。前世(へいせい)では、この忍城の戦いを題材にした映画もあったけど、見る機会がなかった。

「甲斐姫は武芸に長じ、東国一の美女という誉れも高かったとか……」

 大山さんはニコリと笑った。

「トー・ゴク・イチ?」

 初めて聞く言葉だったらしく、ヴェーラが首を傾げた。

「ええと……東日本で一番?」

 私の言葉には首をひねったヴェーラだけど、大山さんが外国語で何かしゃべった言葉には、得心が行ったように頷いた。

「ああ、なるほど、わかったわ。要するに、章子みたいな女性だったのね」

(どこがどうなったら、そういう理解になるんだ……)

 私はため息をついた。確かに、橘さんのおかげで、少しずつ剣の腕は上がって、同年代の男子にも、剣道の試合では、滅多なことで後れはとらないけれど……。

「増宮さま、最後、彼女がどうなったかはご存じですか?」

 大山さんが私に尋ねた。

「小田原城が落ちたから、城主の命令で開城して退去したことまでは知ってる。その後って……ごめんなさい、ちょっと忘れちゃったわ」

(おい)も、太閤記でしか、読んだことはありませんが……豊臣方に降伏した成田家一同は、蒲生氏郷に預けられます。そして、当主の成田氏長は、客将として氏郷に協力するのですが、その出陣中に、蒲生氏郷の配下が反乱を起こし、甲斐姫の継母を殺してしまったのです」

「はい?」

 私は首を傾げた。その話は初耳だ。

「激怒した甲斐姫は反撃に出ます。200人余りいる敵に対し、手勢は20人にも満たなかったのですが、散々に敵を打ち破り、反乱を起こした氏郷の配下を討ち取りました」

(なんだよ、その武力チート姫君……)

 私は口をあんぐり開けてしまった。

「何、その化け物女……」

 ヴェーラも呆れている。「で、何?まさかまだ、続きがあったりするの?」

「豊臣秀吉の側室になったのですよ」

 大山さんは静かに言った。

「言われて思い出した。確かに、そうだったけれど……」

 豊臣秀吉には、淀君をはじめ、側室がたくさんいたはずだ。

「だけど、そんな勇猛な女性って、秀吉の好みだったのかな?」

 一般的に、男勝りで、しかもデキる女は、男性から敬遠されると思うのだけれど……。

「彼女の口利きで、父親の氏長が新しく領地を得て、大名に復帰しています。そのことから見ても、淀君ほどではなくても、少なくとも秀吉に軽んじられはしなかったのは間違いないでしょう」

(うわあ……)

 私は頭を抱えた。太閤秀吉の側室なら、その当時考えられる、最高に近い“玉の輿”だろう。勇猛で鳴らした女性が、それに乗れるなんて……。

「ですから、(おい)は思うのです。武勇に優れていることと、淑女(レディ)であることとは、十分に並び立つと」

 大山さんは、私を正面からじっと見つめた。あのいつもの、優しくて暖かい目だった。

(あ……)

――あなた様のご性質を過度に矯めることなく、その御名の通りに美しくお育て申し上げ、“上医”にするのが我々の役目です。ですから、あなた様らしく、できることを、少しずつでもおやりになればよいのです、梨花さま。

 いつか、大山さんは、私にこう言っていたけれど……。

(今のまま、私らしく成長していっても、私は美しく、淑女(レディ)らしく……それこそ、甲斐姫のようになれる、と……大山さんはそう言いたいの?)

 そこまで考えを進めて、私は軽く首を左右に振った。ありえない。お転婆だの、女らしくないだの言われる私が……。

 すると、大山さんが微笑して、左手を私に差し出した。

「エスコートさせていただきたく存じます。城跡を、一緒に巡りましょう」

「え……?」

「何を躊躇われておいでですか。増宮さまには、この手を取る資格が十分にございます」

 大山さんは微笑んだまま、私の目を覗き込んでいる。優しくて暖かい光が、瞳の奥で揺れて、私を捉えて離さない。

「男装でも……」

 私は口を開いた。「男装の姫君でも、構いませんか?」

「無論でございます。例え男装されていようと、あなた様の美しさが損なわれることはありませんよ」

「……本当に、大山さんには敵わないな」

 私は苦笑した。

「では、よろしくお願いします」

「御意に」

 差し出した私の右手を、大山さんは優しく握る。

「大山サンは、章子に甘すぎるわ」

 冷たい声で言うヴェーラに、

「主君をお慰め申し上げるのも、臣下の務めにございますれば」

大山さんは振り向きざま、澄ました顔で言った。

 大山さんに握られた右手が、なぜだかとても暖かく感じた――。

※wikiにはヴェーラさんは薬学部に在籍していたと書いてあるのですが、彼女の自伝(「遥かなる革命 ロシア・ナロードニキの回想」)には、医学を勉強していたと書かれており、拙作ではこのような解釈をさせていただきました。(流石にロシア語の原文には当たれていません……)


※1927(昭和2)年に発行された「新修忍の行田」のとじ込みの忍町の地図と、現在の行田市中心部の地図を見比べると、昭和初期ではもう少し、沼地や水路が残っていたようです。行田市の市史を見れば、少しはっきりするのでしょうが、手が回りませんでした。申し訳ありません。


※(2020年3月22日追記)「淀君」の呼称につき、差別的意味合いがあるのではないかというお問い合わせをいただきました。主人公は現時点でそこまで深く呼称について考えることはないだろうと思い、敢えてこの表記のままとさせていただきます。ご了承ください。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 主人公の自己評価(特に容貌の)が低すぎ、周りの意見を頑なに受け入れようとしないのが気になります。呪いの市松人形というのも自分がそう思いこんでいるだけで、平成と明治の価値観の違いについて…
[一言] 何故?主人公の自己評価が徹底的に低いのか意味がわからない。それらしい理由は記載されていたが理由づけとしてはかなり弱すぎる。ここまで自己評価が低すぎると主人公としてはひくつすぎるし、凄まじく頭…
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