お父様(おもうさま)と私
※「輔導主任と私」と本話と2話同時にアップしています。(2019年4月4日追記)
※セリフの一部を修正しました。(2019年4月7日追記)
「えっと……目を閉じろって……」
私は戸惑った。単に、誕生日プレゼントを渡すだけなら、そんなことをしなくていいだろう。
「……あ、分かった。サプライズ的な何か、ですか?」
「さぷらいず、というのは、よくわからないが……」
私の言葉に、天皇が少し首を傾げる。
「ああ、ごめんなさい、多分英語です。日本語で言うと、不意打ち……かな?スペルは、ええと……」
「ごちゃごちゃとうるさい」
天皇の声に、苛立ちが混じった。
「も、申し訳ありません!」
慌てて立ち上がった私は、天皇に最敬礼した。
「いいから、口も目も閉じておれ、章子。それで、頭を上げて、背筋を伸ばして立て」
はい、と返事しそうになったのを呑み込んで、ギュッと目をつむった私は、その場に直立した。
「よいか、朕がよいと言うまで、目も口も開けるなよ」
(い、一体何をされるの?)
まさか、平手打ちでもされるのだろうか?だけど、最近、天皇に叱られるようなことをした覚えはない。
(もしかしたら、大磯で城跡を探索したのが、陛下の気に障ったのかな……)
考えていると、不意に、人が私に近付く気配がして、私は身を固くした。私のすぐそばまでやって来たその人は、私の前から、1つにまとめた私の後ろ髪を後方にかき上げて、私の首周りに両腕を回した。私の首の後ろで、指を頻りに動かしている、と思ったら、不意にその気配が私から離れた。
「伊藤」
珍しく、天皇の少し困ったような声が聞こえた。
「これは、どうするのだ?」
「ああ、これですか……こうするのです」
伊藤さんが、何かを弄っているようだ。薄目を開けて、様子を確認しようと思った瞬間に、
「まだだ、章子」
天皇の厳しい声が飛んだ。「まだ、良いとは言うておらん。目も口も閉じておれ。よいな」
私は頷く代わりに、天皇の言い付け通りにした。
また誰かが、私のすぐ前にやって来る。
一体誰なのだろう。首を傾げようとしたら、束ねた私の後ろ髪が、再び後方に向かってかき上げられた。首の周りに、誰かの腕がまた回される。そうして、先ほどと同じように、私の首の後ろで、指が頻りに動く気配がして、
「ふむ」
本当に、至近の距離で、天皇の声がした。
(?!)
私は、叫びそうになったのを必死に堪えた。目を開けていれば、目を真ん丸にしていたところだ。さっきから私に近づいて、髪をかき上げたり、腕を首に回して何か弄っていたりしたのは、天皇だったのか。
(陛下……一体、私に何をしてるの?!)
思う間もなく、天皇の気配が私から離れた。
「堀河」
「はい」
今度は、爺の気配が私に近づく。けれど、それは私のすぐそばまではやっては来ず、私の5、60センチくらい前で止まった。
「よし……章子、目を開けてよいぞ」
目を開けた私は、目の前から発せられる眩い光に、思わず顔を伏せた。
(うわっ!)
視界が真っ白に灼け、私は顔を伏せて目を閉じた。前から出ているこの光は、一体なんだろう?電燈だろうか?それとも、カメラのストロボだろうか?
「どうした、章子」
天皇の声がする。
「あの……眩しくて……」
答えると、「そんなに言うほどか?」と、天皇が首を傾げる気配がした。
「陛下……恐らく、光の反射の加減かと。位置を調整いたします」
爺が言って、私に半歩近づいた。
「申し訳ありませんでした、増宮さま。これでいかがでしょうか。お顔を上げてください」
爺の言葉に、私は恐る恐る顔を上げ、目を開けた。先ほどのような眩しさは無い。
爺が持っているのは、手鏡だった。ちょうど、私の首のあたりが映り込んでいる。空色の着物の襟の間に、何か光るものがある。どうやら、先ほどの光は、これが発生源だったらしい。
「これ……!」
首から下げられた銀の鎖の先には、親指の先ほどの大きさの銀色の五弁の花が5つ、並んで咲いている。それぞれの花芯には、キラキラ光る小さな透明な石がはめ込まれていた。
(同じだ……)
前世で、祖父と父から、10歳の誕生日に贈られたペンダント。流石に、このペンダントの方が、少しデザインが古めかしい気がするし、花の数は違うけれど……モチーフは同じだ。
「増宮さま?」
爺が私を心配そうに見た。「涙が……」
「む……やはり、気に入らぬか……」
天皇の少し暗い声に、
「ち、違います、陛下!」
私は慌てて首を横に振った。
「同じ……だったから……」
「同じ、とは?」
伊藤さんが私に尋ねる。
「私……前世で、10歳の誕生日の時、同じようなペンダントを、祖父と父からもらったんです。花の数は一つだけだったけれど、5枚の花びらの花をあしらったデザインで、花の真ん中に、これと同じような、模造品のダイヤモンド……金剛石がはめ込まれていて……」
伊藤さんに答えた私は、天皇に向き直った。
「でも、どうして?私、この話は、転生してから誰にもしていません。……なんで、なんで同じなんですか?」
「そなたの、前世の名にちなんだからであろうよ」
天皇が静かに答えて、微笑した。「美子が仕立てた、その着物の柄もだが」
「私の……梨花という名前に……?」
「名前に“花”が使われているから、花がよい。朕もそう思ったし、そなたの前世の祖父君も父君も、そう思ったのであろう」
天皇は、椅子に再び座ると、両腕を組んでニヤリと笑った。
「女らしいからと言って、死蔵したら許さぬぞ。それは、産業技術研究所の御木本が、細工師と一緒に図案を作ったのだ」
「御木本さんが?!」
今は“史実”と同じく、三重県の志摩半島で、アコヤ貝を使った真珠の養殖実験に取り組んでいるはずだけれど……彼がアクセサリーのデザインって、一体どういうことだ?
「何を驚かれておられますか」
伊藤さんが私に微笑みかける。
「真珠の養殖は、我が国の重要な産業となりえます。我が国で養殖された真珠の価値を高めるために、真珠を使った、魅力的な宝飾品を作ることは、外貨を獲得できる有力な手段となります。そのためには、美しい図案も重要です」
「た、確かにそうですけど……」
何とか攻撃の糸口を見つけようとする私に、
「そなた、“産技研”で開発した技術の産物を、使えるかどうか自分で試してみると言ったそうだな」
天皇の声が飛んだ。「大山から聞いたぞ。……まさか、“産技研”の御木本の努力を自ら試さずに、無駄にするとは言わないだろうな?」
(う!)
私は、反論の言葉を飲み込むしかなかった。
「わ……わかりました。付けますけど……流石に、和服にペンダントは、あまり合わないんじゃ……」
すると、
「ドレスを仕立てましょう」
横から伊藤さんがすかさず提案した。
「伊藤さん、仕立てても、着る機会がないでしょう?今、私の身体は成長期だから、今作っても、1、2年もすれば小さくなってしまいますよ」
「いいえ、大丈夫です。この8月に、オーストリアのフランツ・フェルディナント殿下が来日されます。オーストリアの皇帝陛下の甥ですな」
「ふ、フランツ・フェルディナント殿下って……」
まさかとは思うけれど……1914年に、サラエボで殺された人かな?
「恐らく、“授業”で増宮さまがおっしゃっておられた、暗殺をきっかけにして、第一次世界大戦が発生した、まさにそのご当人と思いますが……先方から、“増宮さまに是非会いたい”という要望があったのですよ。ですから、皇太子殿下と一緒に、会っていただきます。その時に、ドレスと一緒に、そのペンダントを付けていただきましょう」
(ええええええ!)
伊藤さんの微笑が、悪魔の微笑に見える。こんな微笑を、先週大磯で何回も見たのだけれど、やっぱり慣れるものではない。
「ちょ……ちょっと待って、伊藤さん。これ、使ってる宝石だって、模造品でしょ?国賓相手に、それは……」
辛うじて反論を試みた私に、
「その花芯の石は、朕が持っていた、本物の金剛石だが」
天皇の声が無常に突き刺さった。
(う、うひゃああああああ!)
私は頭を抱えた。本物のダイヤモンドを使ったペンダントなんて、小学生が持っていていいものなのか?!
(その前に……私が宝石にふさわしくないんですけど……)
「陛下……ちょっと待ってください……理解が追い付かなくて……」
私が狼狽えながら声を出すと、
「陛下と呼ぶな!」
天皇が、私をジロリと見て叫んだ。
「もっと、他に言い方があるやろ!」
「へ?」
突然、京言葉になった天皇に、私はキョトンとした。
「でも、陛下は陛下だし……前世のじーちゃん、じゃない、祖父が、“天皇皇后両陛下には、敬意を払わねばならない”って、事あるごとに孫の私たちに……」
すると、
「ああ、もう……!」
天皇は、左手を頭にやった。手の中で、前髪がグシャリと潰される。
「あのな、前世の記憶があるのはよう分かる。それに、そなたの前世の祖父君の教えもよう分かる。せやけど、朕とそなたは、今生では親娘やないか。そやのに、赤子の時から、そなたは誕生日に参内する度、朕が近づくと泣きわめくし、歩けるようになると、遠くに逃げてしまうし……美子と堀河に、朕の香水のせいやと言われたから、香水は使うのをやめて、風呂も苦手やけど、毎日入るようにして……」
(ど、どうしよう……)
ツッコミを入れたいところがたくさんあるのだけれど、それよりまず、京言葉で話す天皇が、怒っているのか愚痴っているのか、私にはよくわからない。
(大体、今生で赤ちゃんだったころのことなんて、全然覚えてないのに……)
「そなたが“地図が見たい”て言うて、赤坂の御所に来た時、朕が近づいても泣かんかったから、本当に嬉しかったんや。そやのに、今度は朕のことを“陛下”としか呼んでくれへん……なんでや?なんで血を分けた、珠のように美しゅうて、頭のええ、いとぼい娘なのに、なんでこんなによそよそしいんや?」
天皇は、眉をしかめてうつむいた。どことなく、落ち込んでいるようにも見える。こんな天皇を見るのは、初めてだ。
「このペンダントかて、そなたのことやから、いらん、て答えられてしまうと思って、伊藤と渡す方法を相談してなあ……自分が美しい宝石に負けてしまうと思うなら、その分、己を磨けばええだけや。“金剛石も磨かずば 珠の光は添わざらん”と、美子の歌にもあるやないか」
「え、ええと……不快に思わせてしまったのなら、謝ります、陛下……」
私は困惑しながら、ブツブツ言い続ける天皇に頭を下げた。
「せやから!」
天皇は突然、机を右手で叩いた。大きな音に、私は身を竦めた。
「美子のことは、“お母様”と普通に呼ぶやないか。なんで朕のことを、“お父様”と呼ばんのや!」
(え……?)
「あ、あの……呼んで、いいん、ですか?」
私が恐る恐る尋ねると、
「あ……当たり前や!」
天皇は怒鳴って、顔を横に向けた。なぜか、頬が真っ赤になっている。
その様子を見て、
(ああ、そうか……)
私はようやく、少しわかった気がした。
この天皇は、不器用なのだ。
それに、私は小さいころから、両陛下と離れて暮らしている。だから、顔を合わせて話すのは、月に1、2回あるかどうかだ。
前世の両親は、2人とも医者だったから忙しかったけれど、高校を卒業するまでは同居していたから、私と一緒にいる時間が、こんなに短いということはなかった。
それでも……私の父は、不器用なりに、一緒にいる時間が少ないなりに、私に……娘の私に、たくさん、気を遣ってくれていたのだ。
「あ……、ありがとうございます、お父様……ペンダント、嬉しかった、です」
口から出た言葉は、途中から、小さな声になった。
「ん……」
天皇……ではなかった、お父様は、横を向いたまま頷いた。
「……それな、帰る前に、美子に見せるんやで」
「は、はい……。このペンダントに合うドレスのデザインを、お母様に相談してから帰ります」
私は小さく頷きながら言った。
「それから、花御殿に戻ったら、大山と、花松にも見せるんや。そしたら、今日は外してええから……」
「はい……そう、します」
私はお父様に、頭を下げた。
……なぜだ?なぜ、私は父親に頭を下げるのに、頬を赤くしているんだ?
「ふふ……やはり、親子ですね、増宮さまと陛下は」
「そうですな、堀河どの」
爺と伊藤さんが、お父様と私を見比べて、なぜか頷き合っていた――。
※実際の明治天皇は、お風呂が余り好きではなく、フランス産の香水がお好きで、3日に1瓶使い切っていたそうです。その状況だと、章子さんが香水の匂いでやられてしまうので、こういう設定にさせていただきました。
※「金剛石も磨かずば~」は、昭憲皇太后から華族女学校に1887(明治20)年に下賜されています。文部省唱歌としても知られています。




