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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第11章 1892(明治25)年小雪~1893(明治26)年大寒
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輔導主任と私

 1893(明治26)年1月26日、木曜日。

 華族女学校(がっこう)が終わって花御殿に戻り、梨の花柄の余所行き用の着物に着替えた私は、馬車に乗って皇居に向かった。天皇(ちち)お母様(おたたさま)に、10歳の誕生日を迎えられた報告をするためだ。出迎えてくれた天皇(ちち)の侍従さんに、表御座所に向かうように告げられ、私は表御座所の控室に入った。

(10歳、か……)

 前世(へいせい)だと、“二分の一成人式”とやらをする時期だ。前世で私が通っていた小学校では、関連するような学校行事はなかったけれど、祖父と父が「そろそろ必要な歳だろう」と言って、誕生日プレゼントでネックレスを贈ってくれたことを覚えている。小指の先ほどの大きさの五弁の花がモチーフで、花芯に模造品のダイヤモンドが使われていた。祖父と父が、なぜこのデザインを選んだかは聞きそびれたけれど、もらった当時は……少なくとも、中学受験が終わるまでは、たびたびつけていた。

(あのバレンタイン以来、アクセサリーの類なんて、一切付けなかったからなあ……)

 そんなことを思い出して、胸が疼いた瞬間、

「増宮さま」

控室の扉が開いて、爺が顔をのぞかせた。

「爺、お正月以来ね。元気そうでよかった」

「ありがとうございます」

 爺は私に頭を下げた。

「あの……増宮さまは、ご体調はいかがですか?」

「んー……大磯の疲れが、まだ完全には取れなくて……」

 私は力なく微笑した。

 15日に伊藤さんのお見舞いに初めて行ってから、20日に帰京するまで、連日伊藤さんのお見舞いに行かされていたのだ。もちろん、行くたびに、何時間も政治や外交の話をされてしまい、頭が何度も機能停止に陥ってしまった。逃げようと思っても、横に大山さんが座っているので果たせず、おかげで、大磯から花御殿に帰った私は、抜け殻のようになっていた。

 皇太子殿下と話が出来たら、まだ気分がよくなったのかもしれない。だけど、殿下は私と入れ替わりで、大磯に避寒に行ってしまった。21日のベルツ先生たちとの授業も、ベルツ先生が別件で来られなくて延期になり、気分転換が出来なくて、疲労が回復しなかった。だから、22日に帰京報告の参内をする予定だったのを、パスさせてもらったのだ。

「なんで、避寒に行ってるのに、疲れて帰ってくるのかな……それじゃ全然リフレッシュ、じゃなかった、気分転換になってないよ……」

 ため息をつきながら私が言うと、爺がクスクス笑った。

「爺、笑い事じゃなくて……私、本当に疲れたの。伊藤さんったら、難しい話を何時間も続けて……」

「失礼いたしました」

 爺が一礼する。「しかし、伊藤どのも、増宮さまの将来に必要と思われたから、つい話に熱が入ったのでしょう。余り、伊藤どのを責めてはいけませんよ」

「はい、それはわかってます……」

「さ、陛下がお待ちかねです。ご案内いたします」

 爺の後ろについて表御座所に入ると、天皇(ちち)以外の人物がいた。

「い、伊藤さん……」

「増宮さま、6日ぶりでございますな」

 紺色のフロックコート姿の伊藤さんが、椅子から立ち上がった。大磯で会っていた時よりも、更に元気そうだ。

「伊藤さん、いつ東京に戻ったんですか?三浦先生の許可は、ちゃんともらっていますか?」

「本日の午前中に戻りました。三浦君の許可も、ちゃんともらっておりますよ。増宮さまに連日お見舞いに来ていただいたゆえ、治りも早かったのでしょう」

 ニッコリ笑う伊藤さんに、

(行きたくて行ったわけじゃないんだけどね……)

私は曖昧に微笑した。先週、毎日続いた、伊藤さんの密度の濃すぎる講義を思い出してしまう。

「章子、大磯はいかがであった。……その表情(かお)では、まだ疲れが抜けきっていないようだが」

 黒いフロックコートを着た天皇(ちち)が、私に笑いかける。珍しく、表御座所で椅子に座っていた。

「お久しぶりです、陛下。……ええ、たった今、疲れがぶり返しました」

 ため息をつくと、天皇(ちち)が吹き出した。

「せっかく、大磯の山城の跡を、思う存分探索しようと思っていたのに……、じゃない、放線菌のいる土壌を探そうと思っていたのに」

「今更誤魔化しても遅いぞ。2日も城跡を回ったのに、まだ足りぬか」

「恐れながら、全然足りません、陛下。大磯の西の方に、昔は城が築かれていたと聞いたから、そちらも探索しようと目論んでいたのに……」

「ははは……本当に、そなたは城が好きだな。まあ、野外活動服を着るのは、また次の機会にしておけ。威仁に写真を見せてもらって仰天したが、あれはあれで娘らしく華やかで、なかなか似合っていた」

(げっ……あのコスプレ写真を?!)

 私は動きを止めた。東京で野外活動服を試着した時に、親王殿下が「記念に一枚、写真を撮っておきましょう」と言ったので、渋々写真を撮られたのだけれど……。

(お、大兄(おおにい)さまのバカ……後でとっちめなきゃ……)

 私が密かに拳を握りしめていると、

「何と、そのような写真が。是非拝見しとうございますな」

伊藤さんが嬉しそうに、天皇(ちち)に向き直った。

「ダメです、陛下!その写真、伊藤さんには絶対見せないでください!」

 私は慌てて叫んだ。

「ん?なぜだ、章子?」

 不思議そうな顔をする天皇(ちち)の問いに、

「あ、あの、だって……」

一瞬私は口ごもった。

「それ、下がスラックスだし……だから、その……女の子らしくない格好だから……伊藤さんが怒るかな、って……」

 言い終えた瞬間、頭がかあっ、と熱くなって、私はうつむいた。

 すると、天皇(ちち)と伊藤さんと爺が、同時に笑い声を立てた。

「……少しは成長したか、伊藤?」

「お転婆一辺倒だった頃よりは、多少は進歩されておりましょうな」

 伊藤さんは天皇(ちち)に答えると、またクスリと笑った。天皇(ちち)の横に控えた爺も、私を見ながらニヤニヤ笑っている。

(もー、皆ったら……)

 私は少し、頬を膨らませた。でも、仕方はない。自分はやはり、女性なのだ――とは、お母様(おたたさま)のおかげで、去年の誕生日の時にようやく自覚できたけれど、長年の考え方や感じ方の癖は、そう簡単に取れるものではないだろう。

「まあ、よい。章子、その椅子に座れ」

 天皇(ちち)の声で、私は頬を膨らませるのをやめて、伊藤さんの向かいにある椅子に腰かけた。


「今日、伊藤にも来てもらったのは、確かめておきたいことがあったからだ」

 私が椅子に座るのを確認すると、天皇(ちち)はこう言った。

「確かめておきたいこと、ですか?」

 私が天皇(ちち)に尋ねると、

「伊藤」

天皇(ちち)は伊藤さんに呼びかけた。

「“史実”では、章子はこの時点で、生きていたのか?」

「恐れながら……亡くなっておられました」

 伊藤さんは天皇(ちち)に答えた。「それは、大磯でも、増宮さまに申し上げましたが」

 私も黙って頷いた。本当は、一昨年、原さんに聞いて知ったのだけれど、原さんのことは、伊藤さんと大山さん以外の人には秘密にすることに決まったので、とりあえず、伊藤さんの言葉に乗っかっておくことにした。

「ご命日は、明治16年の9月8日と記憶しています。慢驚風症……西洋医学では、脳膜炎と称すと聞きましたが、それが命取りになったと」

「そうか、韶子(あきこ)の翌々日、にか……」

 天皇(ちち)がしんみりした口調で言った。

(ええと、韶子って……)

 必死に記憶を探る私に、

「なるほど、すぐ上のお姉さまを追われて、ですか……」

爺がため息をつきながら言った。どうやら、私のすぐ上の姉……天皇(ちち)の第3皇女のことらしい。

「章子、脳膜炎というのは、一昨年に鉛白粉を禁じた時に、そなたが申していた病のことか。子供が母親のつけた白粉をなめて、生じてしまうという……」

「はい。私も、兄や姉たちの死因がそれだったと、あの頃に聞いて……同じころに鉛白粉のことも知って、鉛白粉による鉛中毒が原因の病だと確信しました」

 私は天皇(ちち)に頷いた。「そして、大磯で伊藤さんに、“史実”の私の死因も聞いて、……私は前世でも今生でも、お化粧の匂いが大嫌いだから、それで、乳児の時に、鉛白粉をなめずに済んで、脳膜炎にならなかったんじゃないかって……」

「確かにそうでした。増宮さまは、白粉を塗らぬ乳母でないと、乳を吸ってくださらなかったのです」

 爺が微笑した。

「伊藤」

 天皇(ちち)が伊藤さんに顔を向けた。「そなたは、事故の後で、“史実”の記憶が流れ込んだ、と申したな?」

「仰せの通りでございます」

 伊藤さんが頭を下げる。「生まれてから、倒幕からご一新、そして清とロシアの戦争を経て、ハルビン駅で撃たれるまで……その68年の人生を生きたのだ、と思って意識が薄れた次の瞬間、増宮さまの美しいお顔が目の前にありまして……増宮さまからお話を伺うにつれ、今までこの世界で生きた記憶も、“史実”で生きた記憶も、両方持ち合わせていることに気が付いたのです」

(状況としては、やっぱり原さんの時と同じか……)

 確か原さんは、天然痘に罹って、生死の境をさまよったときに、“史実”の記憶が今生の自分に流れ込んだ、と言っていた。

「しかし、増宮さまの知識で、状況が“史実”の記憶と変わっている今となっては、この“史実”の記憶が役に立つか否かは、我々次第になるか、と。大津事件や“千島”の件、そして濃尾地震のことなど……突発的な事件や天災に関しては、“史実”の記憶は役に立ちますが」

「確かにそうです」

 爺が頷く。ちなみに“千島”は、長崎港を出港する日を“史実”より1週間遅らせて、航路を変えた結果、無事に神戸港に入港した。

「しかし、我々の歴史は、増宮さまが“授業”をなさった瞬間から、既に変わっているのです。ですから、今と、そして未来が最善になるように、皆で力を合わせて尽くすべきでしょう。でなければ、このうっかり拾ってしまったような“史実”の記憶に、ただ振り回されてしまうだけになります」

「伊藤さんの言う通りです」

 私も頷いた。「“史実”は、あくまで一例として捉えないと、今後の変化する事態に対応できないと思います。その中で、できることを誠心誠意やるしかないのかな、って……」

 すると、天皇(ちち)は腕を組んだ。

「なるほど。……やはり、章子と伊藤とは、違うようだ」

「違うって……陛下、どういうことですか?」

「大きく言えば、この世への現れ方が、ということだ」

 私の質問に、天皇(ちち)は少し、眉をしかめながら答えた。


「えっと……」

 戸惑う私に、

「そうか、そなたはある意味、当事者であるから、分からぬのもしょうがないか」

そう言って、天皇(ちち)は微笑んだ。

「そなたは前世で、梨花という名前であった。医者となった直後に死に、この時代に転生した。物心がつかず、己というものが芽生えていなくとも、前世で化粧が嫌いであった、その意識は強く残っていたのであろう。だからこそ、堀河が用意した公家出身の乳母がことごとく嫌われ、化粧をせぬ、農村出身の乳母の乳は吸った。そして、“史実”では死ぬはずだった己の運命を変えたのであろう。今のそなたは、未来で医者をしていた記憶の続きに、今生で朕の娘として生きている記憶を有している。……違うか?」

「いえ……その通りです」

 私は軽く頭を下げた。

「一方、伊藤は、今の世界での記憶と、“史実”で生まれて死ぬまでの、伊藤自身の記憶を持ち合わせている。その両者は、磐梯山の噴火の時点までは同一であろう。しかし、“授業”以降は食い違っているはずだ。章子の言葉を聞いて、朕もそなたらも、“史実”と同一の歴史の流れにしてはならぬと心を一にした結果、“史実”と今は変わっておる。……“授業”以降の伊藤の記憶は、分岐しているはずだ」

「全く、仰せの通りでございます」

 伊藤さんも天皇(ちち)に一礼した。

「ええと、つまり……私はいわゆる輪廻転生で、この世に生まれてきているから、伊藤さんみたいに記憶の分岐は起こしていない、ということでしょうか?」

 となると、確かに、伊藤さんと私とは違う。

「無理やり分類するとしたら、私が“転生者”で、伊藤さんが……“史実”の記憶をうっかり拾ったから……“記憶拾得者”?」

 つまり、原さんも“記憶拾得者”になるわけだ。原さんがその記憶を使わなかったのは……。

(いや、政治家や役人として修業を積んでない若い時期に、いきなり“史実”の記憶だけがやってきても、訳が分からないよねえ……)

 伊藤さんのように、短時間で状況を的確に把握して、しかも、得た記憶の利用価値を冷静に分析できる方が、むしろ異常な気がする。流石は、経験を積んだ政治家だと言うべきか。

「遺失物のように、警察に届け出るようなものではございませんぞ」

 伊藤さんが苦笑した。「しっくりは来ますが、もう少し、別の言い方はありませんか。余り格好良くないような気がします」

「と言われても……あとは、記憶が流れ込んでいるから、“記憶流入者”とか、“記憶合流者”とか?」

「いまいちですなあ」

「じゃあ、後で“梨花会”のみんなにも聞いてみて、それで決めましょう。いくつか案が出たら、投票で決めてもいいかもしれない」

「まあ、無理に名称を付けなくてもいいかもしれぬぞ。伊藤も不満そうだ」

 私の言葉を聞いた天皇(ちち)は苦笑した。

「ただ、どちらにしろ、章子は上医になるために、まだまだ修業が必要な身。よく伊藤に師事するよう」

 こう言ってから天皇(ちち)は、「全てを真似はしないでよいぞ。特に、女好きなところはな」と慌てて付け加えた。

「陛下、お言葉ではありますが、伊藤は公許の芸人を、公然と呼んで遊んでいるだけでございます」

 伊藤さんが天皇(ちち)に、大真面目に返した。

「伊藤さん……それ、開き直ってません?」

 私は呆れながら輔導主任にツッコむ。

「金銭に綺麗なのはよいことだがな」

 天皇(ちち)は苦笑すると、私に視線を向けた。

「さて、章子。今日はそなたに渡すものがある」

(ええと……)

 今日は私の誕生日だから、誕生日プレゼントと言うやつか。

 すると、

「目を閉じておれ」

天皇(ちち)はこう言った。

※この“記憶拾得者”“記憶流入者”“記憶合流者”の名称については、状況次第で変えるかもしれません。「もっとかっこいい名称にしろ」と原さんあたりが文句を言いそうなので……。まあ、陛下のおっしゃる通り、無理につけなくてもいいのかもしれませんね。


章子さん「中二病っぽい二つ名でもつけるつもりですか?」

原さん「ちゅう、に……?」


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