産技研への緊急視察
1926(大正11)年4月5日月曜日午前9時30分、皇居・表御座所にある天皇の執務室・御学問所。
(うわぁ……)
私は兄の執務机に置かれた写真をチラリと見ると目を背けた。写真には、3人の人物が写っている。真ん中にいるのはギリシャの前首相、エレフテリオス・ヴェニゼロスさんで、半裸に近い格好で、両脇にいる女性2人の肩に腕を回している。2人の女性も揃って扇情的な衣装を身につけていて、この写真が撮られた前後で何が起こったかを具体的に想像できてしまった。
「これは、今の我が国なら発禁ものの写真ですな」
内閣総理大臣の原さんが、机の上を覗き込みながら眉をひそめると、
「もちろん、合成写真でございますよ」
御学問所の隅に控えていた大山さんがニヤリと笑った。
「これだけでは言い逃れされる可能性もございますから、ヴェニゼロス前首相から幹部の妻に送った恋文も用意させました。幹部の妻も何人か買収して、ヴェニゼロス前首相との不貞行為があったと証言させる予定です。他には……」
「そのくらいにしてやってくれ、大山大将」
兄が苦笑しながら言うと、わたしの方をチラと見た。
「梨花の顔が真っ赤になっている。倒れてしまったら大変だ」
「た……倒れることはないと思うけどさ……」
私は写真を見ないようにしながら兄に応じた。
「ただ……私の時代なら、もっとすごい写真集もあったけどさ、その……何て言うか……」
「ああ、お前には刺激が強い、ということだな」
すると、兄はこう言って声も無く笑った。
「しっかりしてくれ。この作戦は梨花が発案したのだぞ。ヴェニゼロスを辱めて、支持者たちからの信望を失わせ、その権力を消滅させるというのは」
「確かにそうだけど、こんな方向だとは思ってなかったのよ……」
そう言いながら、私は兄から顔を背けた。
兄の執務机の上に、際どい合成写真が置かれてしまった理由を説明するには、昨年発生したブルガリアの内乱の顛末について触れなければならない。
ブルガリアの内乱では、軍隊が参加した与野党の争いの最中、農民が暴徒化してブルガリア各地を荒らしたけれど、中央情報院とMI6の調査で、ブルガリア国王・ボリス3世のただ1人の弟であるプレスラフ公が、側近たちを使って農民を扇動したことが判明した。しかし、プレスラフ公の背後にいる勢力については、プレスラフ公やその側近たちが関係する書類を全て処分していたこともあって特定できなかった。プレスラフ公の一派をもっと探るべきだったかもしれないけれど、彼らに罰が与えられない時間を長くするわけにはいかないので、院とMI6は、ブルガリアの官憲にそれとなく情報を流し、プレスラフ公の一派を反逆罪で拘束させた。そして、12月中旬、プレスラフ公たちは反逆罪で処刑されたのだ。
さて、プレスラフ公に反逆を焚きつけた勢力として最も疑わしかったのは、ギリシャの前首相、エレフテリオス・ヴェニゼロスさんの一派だった。首相を退いて“王室顧問”なる地位に就いたヴェニゼロスさんは、未だにギリシャで勢力を保っている。2年前は失敗してしまったオスマン帝国への侵略を、ブルガリアを自分たちの味方に付けることで成功させたいと彼が考えている可能性は十分にあった。
そこで、中央情報院とMI6はギリシャに人員を増派し、ヴェニゼロスさんの周辺を徹底的に探った。その結果、ヴェニゼロスさんが腹心の軍人たちを使ってブルガリアに接触し、プレスラフ公を扇動したという通信記録や書簡が発見されたのだ。
これを受け、中央情報院とMI6は、ヴェニゼロスさんの権力を失わせる作戦を開始した。ヴェニゼロスさんが自分の腹心の妻たちといかがわしい行為に及んでいると思わせるような合成写真を、ギリシャの新聞社や官庁、国会議員や軍人たち、更にはフランス・イギリス・ドイツなど各国の新聞社にバラまいた。また、ヴェニゼロスさんの筆跡を真似て、ヴェニゼロスさんが自派閥の幹部の妻を口説いている手紙を何通も作り、ギリシャの新聞社に掴ませて“スクープ”させた。更に、幹部の妻たちを買収して、彼女たちに“ヴェニゼロス氏と不倫した”と証言させ、ギリシャの宮廷には“ヴェニゼロスが王妃に言い寄った”という噂を流した。院とMI6の一連の工作により、ギリシャ国内は大騒ぎになっているそうだ。……今朝、大山さんはそのことを兄と私に報告し、参考資料として、院とMI6が作ったヴェニゼロスさんの合成写真を持ってきたのだった。
「……で、結局、ヴェニゼロスはどうなりそうだ、大山大将?」
兄は私から視線を外すと、我が臣下に尋ねた。
「ギリシャの国王陛下は激怒され、ヴェニゼロスの王室顧問の職を解きました。ヴェニゼロス自身の求心力も急激に低下しており、ヴェニゼロスの一派はほとんど壊滅しています」
「まあ、それはよいのですが……」
大山さんの答えを聞いた原さんは首を傾げると、
「ヴェニゼロスがどこかに亡命する可能性はありますか?もし、奴が妙な国に亡命してしまえば、その国の政情を操るなり、ギリシャ国内の信奉者を再び増やすなりして、バルカン半島を引っ掻き回す可能性が出てきますよ」
大山さんに確認しつつ懸念を述べる。
「亡命するのならば、イギリスに亡命してもらいましょう」
大山さんは原さんに答えるとニヤリと笑った。「それで丁重に“保護”して、妙なことができないようにイギリスに監視してもらえばよいのです」
「……それは素敵ですな」
原さんが人の悪そうな笑いを顔に浮かべた時、
「さて、梨花さまが動揺なさっている様子をじっくり楽しみたいところではありますが、梨花さま、そろそろ出発のお時間です」
大山さんがこう言って、私に一礼した。
「ああ……じゃあ、平塚さんと一緒に行くから、大山さんはお留守番を……」
お願いね、と続けようとした私の口は、動きを強制的に止められた。大山さんが殺気をぶつけてきたのだ。
「梨花さま……」
鋭い視線を投げてきた大山さんに、「あ、はい」と私は緊張しながら返事する。そんな私に、
「俺が一緒に参ります」
大山さんは1歩踏み出しながら告げた。
「い、いや、視察に行くだけだし、大山さんと一緒に行かなくても……」
「俺が一緒に参ります」
大山さんの殺気に耐えながら反論した私の言葉を、大山さんは一言で封じてしまった。
「そもそも、俺は梨花さまに30年以上お仕えしているのです。お立場上、梨花さまが多数の人間を従えていらっしゃるのは存じ上げておりますが、本当の意味での梨花さまの臣下は、俺だけでございます」
「あ、あの、大山さん……?」
大山さんの言葉に思い当たることのあった私は、恐る恐る口を開いた。
「もしかして、山縣さんが最後に私のことを“我が君”って呼んだの、気にしてる……?」
「俺は山縣さんに嫉妬しております」
大山さんはそう言うとムスッとした。
「梨花さまを“我が君”と呼んでよいのは、唯一の臣下である俺だけでございます」
「あのさぁ……」
私はため息をついた。「山縣さん、元気なころから、和歌を詠む時は私のことを“我が君”って呼んでたわよ。あなたも私に送られた山縣さんの和歌を盗み見たから知ってるでしょう?」
「和歌で梨花さまを“我が君”と呼ぶのと、梨花さまに面と向かって“我が君”と申し上げるのとでは、重さがまるで違います」
大山さんは真面目な顔で私に訴える。「和歌では、それが詠まれた事情が分からなくなれば、“我が君”というのは誰なのかは分からなくなります。ところが、面と向かって“我が君”と呼べば、“我が君”という言葉が指すのが誰なのかは明確で、誤魔化しようがありません。ですから、俺は、山縣さんに梨花さまを“我が君”と呼ばれてしまい、やり場のない思いを抱えているのでございます」
(めんどくせぇ……)
私がうつむいて右の手のひらを額に当てると、
「まあまあ、そう嫌がらずに、大山大将と一緒に産技研に行ってやれ、梨花」
兄がなだめるように言う。
「分かったわよ」
顔を少ししかめて答えてから、
「だけど、産技研から私に緊急の視察要請って、一体何があったのかしらね?」
私は兄に尋ねた。
「分からんな。……原の所にも報告は上がっていないのか?」
「ええ、特に目立ったものは……」
兄の問いに答えた原さんは、
「しかも、総裁の有栖川宮殿下を飛び越えて、内府殿下にいらしていただきたいとは、豊田君は何を考えているのか……」
と言って首をひねる。現在、産業技術研究所、通称“産技研”の所長は豊田佐吉さんだ。ちなみに、産技研には、私の一番下の妹で東小松宮輝久王殿下に嫁いだ多喜子さまも研究者として勤務している。確か今は、潜水艦を探知するために使う水中探信儀……ソナーの研究を、国軍と共同でやっているはずだ。
「……ま、とにかく行ってくるわ」
「おう、頼んだぞ」
兄の声に一礼してから御学問所を出ると、
「エスコート致します」
大山さんがそう言って私に手を差し伸べる。
「いや、そういうのは……」
大丈夫だから、と言おうとすると、大山さんが鋭い目を私に向ける。私は渋々、彼の手を取った。
1926(大正11)年4月5日月曜日午前10時35分、東京市芝区浜崎町にある産業技術研究所。
「お成りいただき、誠にありがとうございます!」
産技研の本部棟の玄関前で私を出迎えた所長の豊田佐吉さんは、
「さ、どうぞこちらへ!」
あいさつする隙を与えずに、私を研究棟の1つに案内する。不思議に思いながら研究棟に入ると、
「できましたわー!」
女性の喜びの叫びが研究棟内に響いた。この声には、聞き覚えがある。
「多喜子さま?」
声が聞こえた方に歩いていくと、廊下に向かってドアが開いている部屋がある。その中を覗いてみると、白衣を着た若い女性が両腕を上げているのが見えた。私の一番下の妹の多喜子さまである。
「ふふふ、ようやくうまく動いてくれましたわ!あとはこれを、軍艦に乗る形にして、実地試験をするだけですわ!」
満面の笑みで喜ぶ多喜子さまに、
「あ、あの、妃殿下……お休みになる方が……」
「そうですよ、もう何日も、ご昼食を召し上がっていないじゃないですか……」
周りにいる男性研究者たちが恐る恐る進言する。
すると、
「何をおっしゃっておられるのですか?」
多喜子さまは不思議そうな顔をして彼らに問いかけた。
「お昼ご飯を食べていないのは、食べたくないからですわ。だって、その時間で、機械の調整をする方が楽しいではありませんか」
「いや、その……」
周りの研究者たちは多喜子さまに反論したいようだけれど、なかなか口火を切れずにいるようだ。見かねた私は部屋の中に入り、「多喜子さま」と妹の名を呼んだ。
「あら、章子お姉さま、ごきげんよう」
両腕を下ろして私に目を向けた多喜子さまは、私の方に歩いてくると、
「もしかして、私の研究を見にいらしたの?でしたら、ちょうどよいところですわ。今、ブラウン管式の水中探信儀が、ようやく上手くいく目途が立ったところでして……」
とても嬉しそうに説明を始めようとする。
「その前に」
私は妹を睨みつけると、
「お昼ご飯を何日も食べていないと聞こえたけれど、いつからお昼ご飯を食べていないの?」
と質問をした。
「先週の火曜日からでございます!」
多喜子さまが答えるより前に、多喜子さまに進言した男性研究者の1人が答えた。
「昼の休憩の時間になってもお食事なさる気配がありませんので、ご昼食を、と勧めるのですが、“食べたくない”の一点張りでして……。それに、何となくお元気もございませんので、皆、心配しているのでございます!」
「それで、所長に注意していただくように頼んだのですが、妃殿下は、所長の注意も聞いてくださらず……」
「……もしや豊田所長、姉君であらせられる内府殿下のご注意ならば、妃殿下も聞き入れてくださるだろうと考えて、内府殿下に緊急の視察を要請されましたかな?」
研究者たちの訴えを聞いた大山さんが豊田所長に問い質すと、
「はい……誠に申し訳ございません……」
豊田所長は身体を小さくして私に最敬礼した。
「……で、多喜子さま、何で食欲が無いのかしら?吐き気や胃もたれがあるとか?」
……なるほど、色々と事情は分かった。豊田さんにはちょっと文句を言いたいけれど、多喜子さまの体調を把握するのが先だ。気を取り直して私が尋ねると、
「うーん、何か、食べるとこみ上げる感じがするというか、むかむかするというか……」
多喜子さまはばつの悪そうな顔をしてこう答える。ピンと来た私は、妹との距離を詰めると、
「多喜子さま、あなた、月経は通常通り来ているの?」
声を潜めてこう尋ねた。
「えーと……あれ?……先月、ありましたかしら?2月は……確かにありましたけれど……あれ……?」
首を傾げた多喜子さまの手を、私はガシッと掴んだ。
「多喜子さま、帝大病院か、東京女医学校の附属病院に今すぐ行くわよ」
「え?!お待ちください、章子お姉さま!何で私、病院に行かなければならないのですか?!」
「それはね、多喜子さまは産婦人科のお医者さんの診察を受ける必要があると、医者である私が判断したからよ」
慌てる多喜子さまを、私は怖い顔を作って睨んだ。「妊娠している可能性があるわ。だけど、私は産婦人科が専門ではないし、臨床から離れているから、確実に言うことができない。だから、産婦人科の先生の診察を受けてもらうわよ。……返事は?」
「え、ええと……」
「もう一度聞くわよ。返事は?」
再度の問いかけに、多喜子さまは「は、はい……」と引きつった顔をして頷く。私は後ろを振り向くと、大山さんに、多喜子さまの診察をしてくれる産婦人科の先生を探すようにお願いした。
……1時間後、東京女医学校の校長・吉岡弥生先生は、多喜子さまの診察をして、多喜子さまは妊娠3か月に入ったところであると診断した。
「え……この症状、つわりなのですか?貴久を産んだ時より、ずいぶん軽いのに……」
関東大震災の時に生まれた長男の貴久さまの名を挙げて質問する多喜子さまに、
「同じ方でも、つわりの重さは妊娠ごとに違うこともあるのですよ。内府殿下も、禎仁王殿下を身籠っておられた時は、帝国議会を休まなければならないほどの重いつわりに苦しまれましたが、謙仁王殿下の時は、つわりを感じていらっしゃらなかったですからね」
経験豊富な弥生先生は事も無げに答える。謙仁の出産の時に、弥生先生にも、周りにも大きな迷惑をかけたのを思い出し、私は弥生先生に頭を下げた。
と、
「ですけど、少し困りましたねぇ」
弥生先生は多喜子さまを見ると両腕を組んだ。
「内府殿下と大山閣下のお話から考えると、妃殿下は研究に熱中なさって、ご体調のことをおろそかになさってしまいがちのようです。これでは、お身体にご負担がかかり過ぎて、胎児に影響が出てしまうかもしれません」
「そ、そんな……輝久さまの子を身籠っていると分かった以上、体調管理には注意を払います!」
弥生先生に弁明する多喜子さまに、
「……って言ってるけど、もし面白い実験結果が出てきたらどうするの?」
私が軽く突っ込むと、彼女は目を見開いて黙り込んでしまった。
「内府殿下も、医学と城郭のことになりますと、時間を忘れて熱中なさいますからな」
「確かにそうだけど、それ、今言わなくてもよくない?」
おどけた調子で言う大山さんに私が言い返した時、
「とにかく、妃殿下のおそばに、妃殿下がお仕事中も適切にご休息が取れるよう気を配れる方……例えば、医師や看護師がつくべきだと思います」
弥生先生はこんなことを言った。
(んー……もっともなことではあるけれど……)
私は、先ほどの産技研での光景を思い出した。多喜子さまの周りの研究者たちや豊田所長が進言しても、多喜子さまはその言葉を聞き入れる様子がなかった。あの様子では、半端な医療関係者が相手では、多喜子さまに休憩を取るように説得できないだろう。
(私なら言うことを聞くだろうけど、仕事があるし、他に頼めそうな人は……あ)
「多喜子さま、私、優秀な看護師さんを知っているから、早ければ明日からでもあなたについてもらうわ」
いい案を思いついた私は、多喜子さまに笑顔でこう言うと、東京女医学校附属病院を出た。皇居に戻る自動車の中で大山さんと細部を詰めると、兄、次いで原さんに事情を説明し、私の案に了承をもらった。
そして、翌日には、現在も特例で、現役の看護中佐として後進の指導にあたっている新島八重さんが、多喜子さまの共同研究者の1人という形で産技研に派遣された。新島さんは、研究に没頭しがちな多喜子さまに、時には殺気を放ちながら助言をし、適切に休息を取らせるなどの体調管理を行った。その結果、多喜子さまは無事に元気な男の子を出産することになるのだけれど……それはまた、別の話である。




