生徒≒元老
「で、なぜ私が、政府の高官に、会うことになったのですか?」
1888(明治21)年、7月下旬。
磐梯山噴火の救援が、まだまだ続いていたけれど、私は堀河さんに馬車に乗せられ、また御所に参内することになった。
ちなみに、天皇は、私に会った翌日、早速、お金を被災地に下賜するという発表をしていた。侍従さんの一人を現地に派遣して、状況の把握もさせているらしい。皇后も、赤十字社に要請して、医師と看護師を、医療器具や衛生材料とともに現地に派遣したとのことだった。
天皇がお金を下賜したこともあってか、新聞各紙では「被災地に義援金を送ろう」という運動が始まっていた。史実なら、川が噴火の際に発生した土砂で埋め立てられた影響で、桧原湖や五色沼が出現し、そこに住んでいた人たちが移転を強いられるという結末になる。移転そのものや、代替地の準備にかかる費用を考えると、お金は、いくらあっても困らない。
「陛下の思し召しです。増宮さまが、歴史の話をするならば、政府高官もいる方がよいだろう、と」
堀河さんは言った。
(それが困るんですけど……)
私は、頭を抱えたかった。
7月16日に皇居に召し出されたときに、私は、天皇と皇后に、前世で送った人生のことを話した。
つまらない、と言い出すだろうな、と思ったのだけれど、意外にも、二人とも、私の話を熱心に聞いてくれた。驚かれたのは、私が、医師免許を持っていて、死の直前の3か月、研修医として働いていたことだった。そして、私が前世でも女性で、しかも、その時代では、女性医師が珍しいものではなくなってきているということを確認して、更に驚いていた。
――日本の女子の教育は、そこまで進むのですね……。
皇后は、感無量といった面持ちで頷いた。
一方、天皇は、気まずそうな顔をしていた。
――朕は、医者は苦手で……。
――お上、増宮さんに、葡萄酒の量が多すぎると怒られるのが、怖いのではないですか?
皇后に突っ込みを入れられ、天皇は「むむ」と唸るばかりだった。
念のために聞いてみたところ、皇后が、
――葡萄酒を一晩に2瓶空けるのは……さすがに多すぎるのではないですか?
と、苦笑しながら教えてくれた。
――はい?
私は、椅子から転げ落ちそうになった。
(一晩に、ワイン2瓶空けるって……どんだけ酒豪なのよ?!)
適量はまだいいけれど、酒は飲みすぎると体に毒である。肝硬変の原因になるし、食道がんや口腔がんなどのリスクにもなる。私はそれを、天皇に懇々と説明した。
――嫌な予感がしますけれど、まさか、煙草は吸っていらっしゃらないですよね?
と言ったら、天皇の顔が強張った気がしたので、タバコが、ガンや心臓病のリスクになることを、更に丁寧に説明した。
――分かった。酒も煙草も、一切やめてしまおう。……どうやらそなたに、病と城の話をさせるのは、禁物のようだ。
青ざめた顔で、天皇が言った。
そんな一幕はあったけれど、私の話を聞いた天皇皇后は、私の育った環境が、明治と大分違うことに気が付いたようだ。
――それは、歴史がなせる業、であろうな。
と天皇は言い、今の時点から、未来までにどのように歴史が進むのか、説明しろ、と私に命じたのだ。
――前の世では、副業で歴史の教師をしていたのだから、簡単であろう?
と天皇は言ったのだけれど……
(簡単じゃねぇよ!)
堀河さんに抱っこされて、御所の一室に入った私は、心の中で叫んだ。
「おお、あなた様が、磐梯山の噴火を予言されたという、増宮さまですか!」
私の姿を見るや、椅子から立ち上がり、私のそばに駆け寄ったのは、伊藤博文、その人だった。
(最初から、初代総理大臣がやってくるって、……最高クラスの高官じゃない!?ビビるわ!)
「ええと……伊藤博文さん、ですか?」
内心の動揺を隠しつつ、私が確認すると、
「わ、私のことをご存じで……」
伊藤さんは目を丸くして、
「こ、この伊藤、感激の極みであります!」
私の小さな手を取って、額に押し頂いた。
(5歳の幼女に、初代総理大臣が、一体何やってんだよ……)
私は半分呆れながら、室内に目を移した。伊藤さんと同じような洋装の男性が、大きなテーブルの周りに設けられた席についている。政府高官で、この当時、伊藤さんと同じような地位にいる人と言えば……。
「そちらの窓側にいらっしゃるのが、黒田清隆さんで、その隣が……山縣有朋さん、でしょうか?」
窓際にいた二人の男性が、驚愕の表情を浮かべた。どちらも同じような髭を生やしているが、若干髭が薄くて、神経質そうな顔をしているのが、山縣有朋さんだろう。黒田さんは現在の総理大臣、山縣さんは内務大臣である。一瞬、山縣さんを、前世の、戦場のカメラマンと見間違えそうになったのは、内緒にしておこう。
「あとの方々は……ごめんなさい、名前と顔が一致しなくて……お名前を教えていただいても、よろしいでしょうか……?」
恐る恐る尋ねると、伊藤さんが快く、残りのメンバーを紹介してくれた。
まず、山縣さんの隣にいるのが、外務大臣の大隈重信さん。早稲田大学の創立者という認識が前世では強いけれど、本人も政治家として活躍している。
その隣が、司法大臣の山田顕義さん。後世に残る異名は“法典伯”。教科書的には有名ではないけれど、明治時代の六法の基礎を作った人だ。この人が居なければ、近代日本の法律ができなかったといっても言い過ぎではない。
向かい側にいるのは、海軍大臣の西郷従道さん。あの西郷隆盛の弟で、本人自身も政治家・将官としてかなりの才覚を持っていた人である。
その隣にいるのは、陸軍大臣の大山巌さん。この人も将官・政治家として有名だ。ちなみに、西郷従道さんのいとこだからか、なんとなく西郷さんに雰囲気が似ている。
井上馨さんもいた。確かに後世では政治家として有名なのだけど、今の時期は、第一次伊藤内閣時代に手掛けていた、不平等条約の改正が上手くいかなかった責任を取って、外務大臣を辞任していたのではないだろうか。確認したら、「昨日、農商務大臣として閣僚に復帰した」ということだった。人材がいないからなのか、それとも井上さんがとても有能だからなのか、どちらの理由なのかは考えないことにした。
大蔵大臣の松方正義さんも、やはり座を占めている。財政に関しては、抜群の手腕の持ち主だ。もっとも、政治家としての力量は、あまりなかったらしいけれど……。
奥の方には、内大臣の三条実美さんもいた。幕末期から活躍していた公家さんで、政府の創設期には、太政大臣などの重要な役割を担っている。
つまりこの部屋には、現在の政府高官のほとんどがいる、ということになる。
ただ一人、勝安芳と紹介された人は、私の記憶にない人だった。年の頃は60歳前後、なのだろうか。少し縮れ気味の頭髪には白いものが混じり、短い顎髭を生やしていた。伊藤さんに「勝先生」と呼ばれていたから、それなりに偉い人だとは思うのだけど……。
私が怪訝な顔をしているのを見て取ったのだろう、
「ああ、おれは後世じゃ、有名じゃないのかい。まあ、それならそれで、いいんだけどな、ハハハ」
勝さんはそう言って、明るく笑った。
「勝先生、増宮さまに失礼な物言いでは……」
伊藤さんがたしなめる。
「こりゃ失礼。……まあ、歴史ってのは、古今東西、最終的には勝者のモノさ。敗者の側にいたおれの名前が、残ってねえのも無理はないわな」
ん、幕府?
「あの……幕府って、徳川幕府のことですか?」
私が尋ねると、「ん、ああ、そうだぜ」と勝さんは気軽に答えた。
(徳川幕府……勝……)
「まさか……勝海舟?!」
驚きすぎて、うっかり敬称をつけるのを忘れたけれど、
「あ、おれの名前、一応、歴史に残ってるんだな。そりゃあよかった」
勝安芳さん――号は海舟――は、くくっと笑った。
「一応ってレベルじゃないんですけど……」
江戸城無血開城の立役者。
明治維新の非常に難しい局面を、西郷隆盛と談判して、見事に収めたのが、この人である。江戸城が無血開城していなければ、戊辰戦争はもっと激しいものになって長期化し、諸外国の介入などで、日本が植民地化していた可能性もある。
(まだ、生きてたんだ……)
明治維新の功労者は、暗殺や内乱等で、かなりの人数が命を落としている。彼もその中にいるのだろうと思いこんでいた。
ともかく、現役の閣僚のほとんど、それにプラスして明治維新の功臣が、この部屋にいる。
もちろん、部屋の上座には、天皇と皇后が椅子に並んで腰かけていた。
で、私はこの、大物すぎるメンバーに対して、これからの歴史についての授業をしなければならない。
(ちょっとこれ、無理ゲ―じゃないか?)
私はため息をついた。けれど、やるしかない。
「ええと……抱っこされたままで失礼します、皆様方。私、章子と申します」
一応、あいさつは、しておかなればいけないだろう。そう思って話し始めると、一同の視線が、一斉に私に集まった。
「陛下から、お話はあったかと思いますが……私には、今から約130年後の、日本で暮らしていた、という記憶があります。前世の私は、見習いの医者で、副業で、日本の歴史を学生に教えていました。ですから、今回、陛下のご命令によりまして、今から130年後まで、日本の歴史がどう進むか、講義をさせていただきます。よろしくお願いいたします」
両陛下以外のメンバーが、一斉に私に向かって頭を下げる。現役閣僚と維新の元勲、しかもそのほとんどが、後世“元老”と称される。
「あの……正直緊張しているんですけれど、爺……どうしよう……」
「大丈夫です、爺がついております」
堀河さんが、私を抱え直す。
「そう……?」
「はい、大丈夫です。どうぞ、そのままお続けになってください」
こう言ったのは、伊藤さんだった。妙に、顔がニコニコしている。
「は、はあ……じゃあ、まず、めちゃくちゃ大雑把に歴史を概観しますけれど……日本は、この130年の間に、3度、大きな戦争を経験します。一つ目は、1894年の日清戦争。二つ目は、1904年の日露戦争」
一座に、緊張が走る。
「清はともかくとして……ロシアと戦争になるのか?!」
「あの、列強の一角と……」
西郷海軍大臣や、山縣内務大臣が青ざめながらつぶやいている。
「安心して、と言っていいのか分からないですけれど、日清戦争は勝ちます。日露戦争は……うーん、戦争には勝ったけど、交渉で大幅に負けたって感じかしら」
「な、なんと……そこまで善戦できるのか?!」
松方大蔵大臣が目を丸くする。
「だけど!」
私は叫んだ。「1931年の満州事変から始まり、1937年の日中戦争、そして、1941年の太平洋戦争……一連の戦争の末、1945年に、日本は連合国に無条件降伏します。計算の仕方は色々あるけれど、約500から600万人の人が死んで、日本中が焼け野原になって……名古屋城も焼けるし、広島城は原爆で消滅するし、福山城も、岡山城も、大垣城も、和歌山城も、首里城も、あと仙台城の大手門と脇櫓、水戸城の御三階櫓……貴重な城郭の遺構が、たくさん……たくさん、無くなってしまうの!」
「!」
両陛下も、身を乗り出した。
「私……人が死ぬのは嫌だ。でも、城郭が無くなるのも、それと同じくらいに嫌!だから、だから……今言ったこと、頭に置いて、私の講義を聞いてほしい、んです」
「増宮さま……涙が……」
堀河さんが、私を抱きしめる。
「ごめんなさい、爺……話していたら、つい、気持ちが……」
「章子……城は、あまり本筋ではなかろう」
「しかし、陛下、名古屋城も広島城も、師団の所在地です。そこがやられる、ということは、相当な損害を負って、我が国が負ける、ということですぞ」
山縣内務大臣が、天皇の言葉に反論する。
「申し訳ありません、陛下。確かに、城郭については、私の趣味の領域なので、本筋からは外れます……あ、ちなみに、東京の街も、戦争でほとんど燃えます」
「な、何だってぇ?!」
私の言葉に、勝さんが、椅子から立ち上がった。「せっかく、おれと大西郷が、焼けないように守ったってのにか?!」
驚いたのは、他のメンバーも同じらしい。一様に、顔が真っ青になっている。
「ごめんなさい。話が大分それてしまいましたけれど、……講義を始めます。爺、チョーク……じゃない、白墨を、私に下さい」
「承知しました」
私は、堀河さんに抱っこされたまま、部屋に設置された黒板の前にスタンバイした。
西郷さんの名前の読み、「じゅうどう」か「つぐみち」か迷いましたが、「じゅうどう」にしました。
そして、アップした後でミスを発見して訂正。やはり入力に慣れませんね……。