舞い落ちた雪(2)
1926(大正11)年2月18日木曜日午後2時35分、東京市小石川区関口町にある山縣さんの家。
「さようでございましたか……」
山縣さんの病室に、私は兄に付き添う形で再び訪れていた。先々週、兄に命じられた通り、山縣さんは起き上がらずに兄を出迎え、ベッドのそばの椅子に腰かけた兄と話をしていた。
「明日のリリウオカラニ女王陛下の追悼式の、天皇皇后両陛下のご名代は、有栖川の若宮殿下と内府殿下になった、と……」
「ああ、先週の土曜日の梨花会でそう決まったよ」
ベッドに横たわる山縣さんに、兄は微笑んで言った。
「やはり、卿が懸念したように、梨花を派遣するのはどうか……というので、外務省では相当もめて、幣原大臣が悩んでいた。しかし、陸奥顧問官と伊藤顧問官の意見、そして伊藤顧問官が伝えた卿の意見で、幣原大臣も腹を決めた。だから、明日は栽仁と梨花に、務めを果たしてもらう」
「それはようございました」
山縣さんは微笑んだけれど、その顔には生気が余り感じられなかった。
「ハワイ王国は、先帝陛下の命を奉じた陸奥どのが、独立を保たせた国。それによって、アメリカ国内の対外拡張派の勢いが削がれ、アメリカ人をアメリカ国内に封じ込めることができました。ここで内府殿下が追悼式にご出席なさるのは、ハワイを植民地として狙う国に対する牽制になります。これでわしも、泉下の先帝陛下によい報告ができるというものです」
「山縣顧問官……」
少し咳き込んだ山縣さんの左手を兄が握った。
「まだ、そのようなことを口にして欲しくないのだがな。卿が不治の病に侵されているのは承知しているが、俺は今でも、卿に元気に長生きしてもらいたいのだ」
「もったいないお言葉でございます……」
山縣さんの目に涙が光った。
「陛下には、厳しいことを随分と申し上げました。ですから、わしのことを嫌われるのが当然ですのに、こんなにお優しいお言葉をかけていただけるとは……」
「厳しいことなど、言われたかな」
兄は山縣さんの手を握ったまま、少し笑った。「皆が容赦のないことを言うものだから、卿に厳しいことを言われた記憶が余り無いのだ。卿には、俺の考えを、全てぶつけることができるしな」
「陛下……」
「だから、卿がいなくなってしまうのが、たまらなく辛い」
そう言った兄の目から、涙が一筋流れ落ちた。
「お父様が亡くなられた時と同じような心細さを感じる。俺は、天皇としての責を果たすことができるのか、とな……」
「気弱なことをおっしゃいますな」
山縣さんが悲しげに言う。「今まで陛下は、天皇として、立派に務めを果たされてきたではありませんか」
「それは、皆が支えてくれたおかげだよ」
低い声で言った兄の顔が、微かに歪んだ。「俺は弱いのだ、山縣顧問官。お父様のように強くはなれぬ。それでも、今まで何とかやってこられたのは、梨花や節子、それに梨花会の皆が、俺を支えてくれたからだ。……しかし、俺を支えてくれる者の中でも、卿は余人には代え難い。卿を失ってしまったら、俺はどうすればよいのか……」
すると、
「原君がおりましょう」
山縣さんがそう言って微笑む。先日、見舞いに来た原さんに山縣さんが掛けた言葉を思い出し、私は動揺を悟られないように、必死に自分を取り繕った。
「原君は、立派に内閣総理大臣を務めており、なおかつ、立憲自由党もよく統御しています。そして何より、陛下に絶対の忠誠を誓っております。陛下のご相談相手として、申し分のない人物です」
「確かに、それはその通りなのだが……」
呟いた兄は、山縣さんを訝しげに見た。
「なぜ、原なのだ?昔から、梨花や大山大将、それに伊藤顧問官と牧野大臣のことは、相談する相手として頼みにしているが、西園寺侯爵や黒田議長、陸奥顧問官や西郷顧問官もいる中で、なぜ卿は原を薦める?」
それは、私も理由が聞きたい。山縣さんの次の言葉を、固唾を飲んで待ち構えていると、
「陛下は、原君に心を許しておいででしょう」
山縣さんは兄にこう指摘して、再び咳をした。
「……陛下のご相談相手には、陛下がお心の内を明かすことのできる人間が最も適任であると考えます。内府殿下、大山どの、俊輔、そして牧野君……皆、陛下がお心を開くことのできる者でございます。……ならば、わしの代わりになり得るのは、原君でありましょう」
そこまで言った山縣さんは再び微笑むと、
「今後は是非、原君を用いて、陛下の理想の世をお創り下さいますよう……」
兄に静かに言った。
「……確かに、卿の言う通りだ」
兄も微笑むと、山縣さんの手を握り直し、
「分かった。原にも相談しながら、俺なりに、やれることをやっていく。……だが、できる限り、卿も俺のことを見ていてくれ。そして、口も出してくれ。俺が……俺たちが、国事を相手にするのを……」
縋るような目を向けて山縣さんに答えた。
それからの山縣さんの容態は、一進一退だった。けれど、兄が時折差し遣わす侍医の先生方や伊藤さんの話を総合すると、急に状態が変わることはなさそうだった。それで、
「3月に入ったら、また山縣顧問官の見舞いに行こう」
兄は私に言い、宮内省もそのつもりで準備を進めていた。
状況が変わったのは、2月24日のことだ。出勤すると表御座所が騒がしかったので、通りかかった侍従武官さんに尋ねたところ、“山縣枢密顧問官の容態が急変した”という答えが返ってきた。突然のことに立ち尽くしてしまった私の手を、奥御殿から走って出てきた兄が引っ張る。私は兄と一緒に、急遽準備された自動車に乗り込んで、山縣さんの家に向かった。
山縣さんの病室には、嗣子の伊三郎さんをはじめとする山縣さんの家族が、緊張した面持ちで詰めていた。山縣さんは苦しそうに呼吸をしていたけれど、兄と私が来たと伊三郎さんに告げられると、
「起こして、くれ……」
喘ぎながらも命じた。そばについていた看護師が2人がかりで山縣さんの上体を起こすと、山縣さんは私と兄に目を向けて、
「陛下と……我が君の……弥栄を、お祈り、申し上げます……」
途切れ途切れになる声でこう告げた。……“我が君”というのは、私のことなのだろう。私と兄は、一緒に山縣さんの左手を握り、今までのお礼を言った。
そして、1926(大正11)年2月24日水曜日午後2時45分、家族や、伊藤さんや陸奥さんなどの梨花会の面々、その他大勢の見舞い客が詰めかける中、内務大臣、宮内大臣、枢密院議長、内閣総理大臣などの要職を歴任した山縣さんは、87年の生涯を閉じた。
山縣さんの葬儀は、国葬となった。
私が物心ついてから、日本で執行された皇族以外の人物の国葬は、16年前の三条さんの葬儀しかない。功績の多い梨花会の面々であっても、松方さん、井上さん、山田さん、大隈さんの葬儀では、国葬にするかどうかという議論も起こらなかった。それに、勝先生は遺言で国葬を拒否したので、国葬にしたくてもできなかったのだ。
そんな状況で、山縣さんの葬儀が国葬になったのは、内閣総理大臣と枢密院議長をそれぞれ4年ほど務めたという実績もさることながら、宮内大臣として、お父様と兄から厚い信頼を寄せられていたという事実が大きい。特に、死の間際に兄の見舞いが3度もあったことは、兄が山縣さんを殊の外大切に思っていたという証左だった。政府の各部署は速やかに国葬の準備を始め、内大臣の私も、兄の治世になってから初めての国葬の事務処理に兄とともに追われた。
山縣さんの国葬は、3月5日の金曜日に行われた。前日から降っていた雨は明け方に雪に変わり、国葬の会場となった日比谷公園にはうっすら雪が積もっていた。降りしきる雪の中を、儀仗兵や祭官、親族たちに守られた、山縣さんの棺を載せた砲車が静かに進む。その光景は、降り注ぐ雪で視界が閉ざされがちなのもあって、まるで夢の中の出来事であるかのように思われた。
栽仁殿下の妃として山縣さんの棺に拝礼し、身支度を終えた私が会場を出ようとした時、
「内府殿下」
後ろから伊藤さんに声を掛けられた。幄舎の下にいる伊藤さんのそばに私が歩いていくと、
「本日はお成りいただきまして、誠にありがとうございました」
伊藤さんは私に向かって深々と頭を下げた。
「お世話になった人ですからね」
こう応じた私は空を見上げ、
「あいにくのお天気になってしまいましたね」
と伊藤さんに言った。相変わらず、空からは雪が降り続けている。
すると、
「いや、むしろ狂介らしいかもしれません」
伊藤さんが空を見上げながら言った。
「狂介の号は、雪を含む……と書いて、“含雪”と言います。恐らく、杜甫の詩から取ったのでしょうが……」
「そう言えば、そうでしたね」
私が答えると、伊藤さんは祭壇の方に視線を移し、
「……これで、順当に寿命が巡ってきた訳です」
と言った。応じる言葉が見つからず、私が黙っていると、
「“史実”でわしは暗殺され、年上である聞多や狂介より、早く命を落としてしまいました」
伊藤さんはこう続ける。
「しかし、この時の流れでは、聞多の死も、狂介の死も見届けることができました。“史実”と同じことを繰り返さずに済んで、少し安堵いたしました。狂介の看病もできましたし……」
「伊藤さん」
放っておけばいつまでも語り続けそうな伊藤さんに私は呼び掛けた。
「山縣さんは兄上に、自分が死んだ後は、原さんを相談相手にするように……と言い残しました」
「そうでしたか」
そう言って頷いた伊藤さんに、
「それを聞いて、驚きました」
私は一歩だけ前に進みながら言うと、声を潜めた。
「……実は私、原さんと山縣さんの話を盗み聞きしてしまったんです。先月の7日、原さんが私と入れ替わりで、山縣さんのお見舞いをした時に……。あの時、山縣さんは原さんに、“史実”の記憶を持つ者として日本を頼む、と言っていました。……伊藤さん、山縣さんは、原さんに“史実”の記憶があることを知っていたんですか?」
「それは、わたしも伺いたい」
いつの間にか、私の後ろに原さんが立っていて、伊藤さんに低い声で言った。
「この時の流れで山縣と関わってから30年以上……わたしは常に、山縣から本心を隠して振る舞っていた。もちろん、わたし自身が“史実”の記憶を持つことも……。その偽装は完璧だったはず。だから、山縣を見舞った時、“史実”の記憶を持つ者として日本を頼む、と山縣に言われて、わたしは心臓が止まるような思いをしたのだ。……伊藤さん、あなたが山縣にわたしのことを教えたのですか?」
「いいや」
原さんの鋭い視線を受け流すかのように、伊藤さんは首を横に振った。
「狂介が原君のことに気が付いたのは、陸奥君が結核の治療をしていた頃だよ」
「は?!」
私は目を見開いた。陸奥さんが結核の治療をしたのは、確か30年ほど前のことだ。けれど、その時点から、亡くなる直前までの30年間、山縣さんが原さんに、“自分はお前の秘密を知っているぞ”というアクションを取ったとは思えない。もしそんなことがあったら、原さんが私に何か言っているはずだ。
「そんな馬鹿な……。わたしは、計略通りに山縣を誘導したのだ。“史実”のままの奴なら、二大政党制による政治など絶対に肯定しないであろうところ、わたしが少しずつ、奴の考えを変えさせて……」
顔を真っ赤にした原さんは、唾を飛ばして伊藤さんに訴える。それに対して、
「それは全て狂介の意志だよ。狂介は、これからの世に必要だと考えたから、己の考えを変えたのだ。その姿は、結果として、原君の望むものであったがな」
伊藤さんは冷静に事実を告げた。
「何、だと……」
「狂介は、原君が“史実”の記憶を持つことに気づいた時、原君の計略を見破っていたよ。しかし、原君に報復はしなかった。“上下心を一にして、盛に経綸を行うべし”……五箇条の御誓文の精神に従ったのだ。全てを分かった上で、狂介は原君に後事を託して死んでいったのだよ」
原さんはうつむいて、伊藤さんの言葉を聞いていた。拝礼を終えた国葬の参列者たちが三々五々帰路につく中で、私と伊藤さんと原さんの周囲だけが、あらゆる音を失ってしまったように感じられる。静寂に耐えられなくなった私が口を開こうとしたその時、
「向こうが、一枚上手でしたか……」
原さんが言った。
「原さん……」
私が呼んだのに気が付いたのか気が付いていないのか、よく分からなかったけれど、原さんは私に顔を向けることなく、
「しかし……もうそれは、とっくに、どうでもいいことになっていたな……」
微かに震える声で続けた。そんな原さんに、
「……斎藤君に以前聞いた話だがね」
と伊藤さんは言った。
「“史実”で原君が殺された後、狂介は、“原は実に偉い男だった。ああいう人間をむざむざ殺されては、日本はたまったものではない”と言ったそうだよ」
「そうですか……」
原さんは暗い顔で伊藤さんに答えると、
「その“偉い男”とやらに、わたしはいつになったらなれるのでしょうな……」
呟くように言って、一礼すると背を向けた。
明け方からの雪はいまだに降り続き、葬儀場を白く染め上げている。葬儀場を後にする原さんの見事な白髪に、そして大礼服の肩に、天から舞い落ちた白い雪がふわりと乗った。




