午餐会と鑑賞会
1925(大正10)年9月16日水曜日午後0時55分、皇居・表御殿にある豊明殿。
(うーん……)
ラベンダー色の通常礼装を着た私は、真っ白いテーブルクロスが掛けられたテーブルの一角をじっと見つめていた。私の視線の先には、迪宮さまの弟で23歳になる秩父宮雍仁さまがいる。横須賀港の第1艦隊に所属する一等巡洋艦・“三宅”に所属する海兵少尉でもある彼は、同じく海軍軍人であるイギリスの王族・ジョージ王子と英語で和やかに会話していた。
イギリスの現国王・ジョージ5世の四男であるジョージ王子は、現在22歳。イギリス中国艦隊の重巡洋艦“ホーキンス”に所属する少尉でもある。彼と秩父宮さまはほぼ同い年で、軍での階級も同じなので、
――話が通じ合うところが多いのではないだろうか。
という兄の一言で、今回、秩父宮さまがジョージ王子の接待役に任命された。そして、ジョージ王子をもてなすこの午餐会に、私は秩父宮さまのサポート役として出席していた。
(秩父宮さま、英語が上手ねぇ……)
ジョージ王子と秩父宮さまの会話に、私は聞き耳を立てていた。もちろん、日本語が分からないイギリス人や、英語が話せない日本人のために、この午餐会には通訳役も何人か出席している。秩父宮さまの近くにも通訳が控えているのだけれど、秩父宮さまは通訳の助けをほとんど借りずにジョージ王子と話していた。
(栽さんの言ってた通り、秩父宮さま、英語を猛特訓したのね。努力家なのは昔から変わらないわね)
最近、秩父宮さまは、艦隊勤務の傍ら、寝る間を惜しんで英語を練習している……というのは、先週末、第1艦隊の“鬼怒”から盛岡町の家に戻ってきた栽仁殿下が教えてくれたことだ。迪宮さまの1歳下の弟である秩父宮さまは、小さい頃から負けず嫌いで、勉強や運動でできないことにぶつかると、人一倍の努力を重ねてそれをものにしてきた。恐らく今回も、ジョージ王子の接待役を任されたことで一念発起して、努力して英語を身につけたのだろう。
(でも、ちょっとやり過ぎかしら……)
秩父宮さまの顔を観察した私は、少し心配になった。秩父宮さまの両目の下に、うっすらとくまができている気がするのだ。もしかしたら、“寝る間を惜しむ”どころではなく、徹夜を何度も重ねているのかもしれない。
(もしそうだとしたら良くないわね。秩父宮さまが身体を壊しちゃう。ジョージ王子が帰ったら、秩父宮さまに注意をしておく方が……)
『内府殿下』
突然英語で呼ばれたので、私は声が聞こえた方向に慌てて振り向いた。呼んでもいないのに日本にやって来たイギリスの大蔵大臣、ウィンストン・チャーチルさんが、私を見ながらニヤニヤ笑っている。私は頭のギアを戦闘モードに素早く入れ替えると、『何でしょうか、チャーチル閣下』と営業スマイルとともに答えた。
『秩父宮殿下は、前途有望な青年でいらっしゃいますなぁ』
『恐れ入ります』
警戒しつつ、軽く頭を下げた私に、
『確か、ジョージ殿下とほぼ同じ御年齢と聞きました。英語がとてもお上手だ』
チャーチルさんはこんなことを言う。
『秩父宮さまをお褒めいただいてありがとうございます。閣下にお褒めいただいて、秩父宮さまもお喜びになると存じます』
後でどんなことを言われるか分かったものではないけれど、とりあえずお礼を述べておくと、
『秩父宮殿下は、留学をなさりたいというご希望はお持ちなのですか?』
チャーチルさんは思わぬことを言い出す。
『いえ……』
私が首を左右に振ると、
『ならばいかがですか。秩父宮殿下に、我が国のケンブリッジ大学やオックスフォード大学に留学していただくのは』
チャーチルさんは私に提案した。
『それは……』
考えてもいなかったことに、私は面食らった。
『内府殿下の義父でいらっしゃる有栖川宮殿下は、我が大英帝国のグリニッジ海軍大学校に留学なさっていた。山階宮殿下と華頂宮殿下もドイツの海軍兵学校に留学なさっていたし、閑院宮殿下も、フランスの陸軍士官学校や騎兵学校に学ばれた。秩父宮殿下なら、我が国に留学なさっても、問題なく学業を修められるでしょう』
『お義父さまたちのことに、随分とお詳しいのですね』
『日本に3回も訪れておりますからな』
チャーチルさんは私に答えると赤ワインを一口飲み、
『それで、内府殿下は、秩父宮殿下の御留学に関してどうお考えですか?』
私に再び問いを投げた。
『……すぐに結論が出せる問いではありませんね』
厄介なことを聞いてくる、と思いながら、私はチャーチルさんに慎重に答えた。『まず、本人にその意向があるか、それから、天皇陛下と皇后陛下がどうお考えになるかが大事でしょう。私がどうこう言えることではありません』
『なるほど。では、秩父宮殿下が内府殿下に相談なさったら、内府殿下はどうお答えになるのですか?』
『それは……』
『あるいは、天皇陛下が内府殿下にご相談なさったら?天皇陛下にとって、内府殿下は頼りになる妹君でしょう』
次々と答えにくい質問をしてくるチャーチルさんに、返す言葉が見つからない。どうしようか、と私が思った瞬間、
『チャーチル閣下、私をほったらかしにするとは、つまらないではないですか』
チャーチルさんの接待のためだけに、佐世保の第3艦隊から呼び戻された米内光政海兵大佐が、赤ワインのグラスを片手に英語でチャーチルさんに話しかけた。
『お……?』
『2年ぶりに出会えたのに、随分と冷たいじゃないですか。積もる話をしましょうよ』
更に英語で話す米内さんに、
『それもそうだ!よし、大いに飲もうじゃないか!』
と嬉しそうに答えると、チャーチルさんは私を無視し、米内さんと喋り始める。私は胸をなで下ろした。
と、
「危ない誘いですな」
私の隣に座っている原さんが、私に小声で話しかけた。
「ですね」
私も小声で短く原さんに答えると、
「秩父宮殿下は海兵少尉です。明治初年の頃とは違い、海兵の技術は留学をせずとも日本で全て学べます。一体何を考えているのやら」
原さんは私に囁くように言う。
「国軍の現役士官が海外の大学に留学する例が無いわけではないですけれど、この場合、色々考えられますよね……」
私は少し眉をひそめた。もし、今が戦国時代なら、留学の名を借りた人質の確保と解釈されかねない。それに、留学した秩父宮さまを、イギリス側が、イギリスに都合のよい人間になるように教育してしまう可能性もゼロではない。
「……午餐会が終わったら、兄上と秩父宮さまに注意をしておきます」
「お願いします」
私と原さんは小さな声で言葉を交わすと、おいしい料理に専念した。
(何のつもりかしらね、チャーチルさんは)
食後のデザートが出た頃、私はチャーチルさんの様子をそっと窺った。チャーチルさんは、米内さんと楽しそうに話し続けている。その笑顔を、いつかの詠子さまのように、思い切り引っ張ってやりたいけれど、この公式の場で、そんなことをするわけにはいかない。私はティーカップを持つと、澄ました顔で紅茶を飲んだ。
1925(大正10)年9月17日木曜日午後2時35分、皇居・表御殿にある葡萄の間。
「うわぁ……」
白いマスクをつけた宮内省の職員さんが抜いた日本刀を見て歓声を上げたのは、私の異母弟・鞍馬宮輝仁さまの長女・詠子さまだ。今月から華族女学校の初等小学科に通い始めた、私の時代で言う小学1年生である。
「すごいなぁ、この“岡田切吉房”。刃文がとても華やかで……」
白いマスクをつけ、興奮して話す詠子さまに、
「な、なぜこの太刀が“岡田切吉房”とお分かりになったのですか?!」
刀を持つ職員さんとは別の職員さんが目を丸くする。
「すぐ分かったわ。だってみ……じゃない、有名だもの!」
得意げに職員さんに答える詠子さまの隣で、彼女の母親である蝶子ちゃんが、「す、すみません……!」と恐縮して頭を下げていた。
……私と蝶子ちゃん、そして詠子さまが、なぜ表御殿で刀を鑑賞しているのかについては、昨日、私に執拗に絡んできたイギリスの大蔵大臣、ウィンストン・チャーチルさんが、2年前に日本にやって来た時のことから話を始めなければならない。
2年前はエドワード皇太子とともに来日したチャーチルさんは、鞍馬宮邸で開かれた舞踏会で、電灯を消して会場を混乱に陥れた詠子さまに、両方の頬を引っ張られるというすさまじい悪戯をされた。宮内省と外務省の交渉、そして梨花会の面々の脅迫じみた働きかけもあり、詠子さまの悪戯は国際問題に発展せずに済んだ。
しかし、チャーチルさんはまた日本に来てしまった。万が一、チャーチルさんと詠子さまが出会ってしまったら、詠子さまはまたチャーチルさんにひどい悪戯をしてしまうだろう。もしそうなれば、今度こそ国際問題が発生する。チャーチルさんがまた来日するという知らせを受けた時、私が恐れたのはそのことだった。
今日の午後2時、チャーチルさんはジョージ王子に付き添って、赤坂御用地にあるお母様の住まい・東京大宮御所に赴き、お母様にあいさつをする。その後、同じく赤坂御用地内にある東宮仮御所にジョージ王子と一緒に向かい、日本の若い男性皇族たちとの茶会に臨むのだ。詠子さまの住む鞍馬宮邸は赤坂御用地内にあるから、ひょっとすると、鞍馬宮邸を抜け出した詠子さまが、大宮御所や東宮仮御所で悪さをするかもしれない。
そこで、華族女学校の授業が終わった後、母親である蝶子ちゃんに、詠子さまを皇居に連れてきてもらうことにした。ただ、それだけでは詠子さまが皇居で悪戯をする可能性もあるから、皇居にある刀剣のコレクションを引っ張り出し、刀剣好きの詠子さまだけのために刀剣の鑑賞会を開くことにしたのだ。そうして、茶会の終わる夕方まで詠子さまを皇居に釘付けにして、チャーチルさんと遭遇させないようにする……これが、私の立てた作戦だった。
……話が長くなってしまった。見事に太刀の号を言い当てた詠子さまは、太刀を持つ職員さんのそばに行き、なめるようにして鑑賞する。やがて、
「次のをお願い」
心行くまで“岡田切吉房”を鑑賞した詠子さまが職員さんに告げると、職員さんは太刀を白木の鞘にしまい、葡萄の間から退出した。代わりに入ってきた職員さんが持ってきたのは短刀だ。彼が短刀の鞘を払うやいなや、
「藤四郎……“毛利藤四郎”!」
詠子さまが嬉しそうに言う。
「何でちょっと見ただけで分かるの……?」
「ど、どうしてこれが“毛利藤四郎”と……藤四郎の短刀は、ここの収蔵品の中にもう1振あるのですよ?!」
驚愕の声を上げる私と職員さんに、
「ここにあるもう1振の藤四郎の短刀って、”平野藤四郎”でしょう?でもこれは、長さが8寸7分とちょっと……あ、メートル法で言わないといけないから……26cmとちょっとぐらいだもの。“平野藤四郎”は、もうちょっと長いはずよ」
詠子さまは少し早口でこんなことを言う。
(詠子さま……めちゃくちゃオタクじゃない……)
私が姪っ子に圧倒されていると、ぐう……と誰かのお腹が鳴る。
「詠子、お腹が空いたの?」
蝶子ちゃんが優しく問いかけると、詠子さまはこくりと頷いた。
「じゃあ、おやつを食べようか、詠子さま」
「章子……伯母さま、おやつがあるの?」
私の誘いに、詠子さまは可愛らしく尋ねる。
「ええ。詠子さまの伯父さま……天皇陛下にお願いして、今日は特別に準備してもらったの」
そこで、私が詠子さまに告げると、彼女は「やったぁ!」と歓声を上げた。
「もちろん、蝶子ちゃんの分も用意してあるわ。一緒に内大臣室に行きましょ」
蝶子ちゃんにもこう言うと、「お義姉さま……お気遣い、恐れ入ります」と彼女は深く一礼した。
表御座所の内大臣室に2人を案内すると、東條さんにお願いして、準備していたカステラを持ってきてもらう。私と蝶子ちゃんは紅茶を、そして詠子さまは牛乳をおともにして、私たちはしばし美味しいカステラを楽しんだ。
「それにしても、皇居にはたくさんの刀があるのですね」
カステラのお皿が空になった頃、蝶子ちゃんは紅茶を一口飲んでから私に話しかけた。
「半分以上は、お父様に献上されたものだと思うわ」
私は答えると、顔に苦笑いを浮かべた。
「お父様が行幸に出ると、2回に1回くらい、刀の献上があったみたいね。他にも、お父様の刀好きを知っている人たちが、刀を献上することもあったみたい。だから、刀がどんどん集まってきて……。私が独身だった頃は、たまにお父様に呼ばれて、刀の鑑賞に付き合わされたなぁ」
「そうだったのですね。……ちょっと意外です」
私の思い出話を聞いた蝶子ちゃんは、そう言って少し微笑んだ。
「意外?」
私の問いに、蝶子ちゃんは「ええ」と頷くと、
「私、先帝陛下には、殿下との婚約が決まった直後に1度お目にかかっただけなのですが、お言葉がほとんど無かったので、たいそう怖い方だと思いました」
私にこんなことを言った。
「ですから、お義姉さまをお召しになって、刀を一緒にご覧になる先帝陛下のお姿が、想像できなくて……」
「多分ね、蝶子ちゃんに会った時は、お父様、照れてしまって喋れなかったんだと思うわ」
義理の妹がお父様に会った時の光景を想像しながら私は答える。「私も、人には不器用だと言われるけれど、お父様も不器用で、感情表現は苦手だったわ。だから、小さい頃は、お父様が恐れ多くて怖かったけれど、後から思い返すと、お父様はお父様なりに、ちゃんと子供たちに愛情を向けてくれていたというのが分かってね……」
「そうだったのですね……」
「お父様は、強くて優しくて、不器用な人だった。もし、今も生きていらしたら、もっとお父様に甘えることもできたんでしょうけれど……」
そこまで言った時、強い視線が向けられているのに私は気が付いた。両頬を赤くした詠子さまが、唇を尖らせ、私をじっと見つめている。どうやら、放っておかれて怒ってしまったようだ。
「ごめんね、詠子さま、大人でお喋りに夢中になってしまって」
私が頭を下げると、一瞬目を見開いた詠子さまは、2、3度横に頭を振り、「はい、伯母さま」と慌てたように言った。
「皇居の日本刀はどうかしら、詠子さま?」
私が優しい声で詠子さまに感想を尋ねると、
「とてもすばらしいです!」
詠子さまは目を潤ませながら答えた。
「名高い刀をたくさん見ることができて、本当に嬉しいです!」
「そう。それは良かったわ」
とても嬉しそうな詠子さまを見て、
(もし、お父様が生きていて、詠子さまと一緒に刀を見たら、お父様、すごく喜んだんだろうなぁ)
と、私はふと思った。兄と私をはじめとするお父様の子供たちは、誰1人として、お父様の刀剣好きの気質を受け継がなかった。もし、お父様が生きていて、孫娘が刀剣好きと知ったら、彼女を毎日自分の所に呼び寄せて、一緒に刀を鑑賞するのだろう。
「あの、伯母さま」
感慨に浸っていたところに、詠子さまが私を呼ぶ声が降ってきた。
「ん?何かしら?」
「皇居の刀は、ずっとしまわれたままなのですか?」
姪っ子の質問に、私は考え込んだ。
「伯父さま……天皇陛下には刀を鑑賞するご趣味は無いから、ほとんどの刀はしまわれたままね。もちろん、宮内省の職員さんが定期的にお手入れはしているけれど」
私が詠子さまに答えると、
「では、博物館には出さないのですか?」
彼女は更に私に聞く。
「博物館なんて、よく知ってるわねぇ」
私が詠子さまを褒めると、
「この間、私と殿下で、上野の帝室博物館に行ったんです」
彼女の母である蝶子ちゃんが、詠子さまの頭を撫でた。
「多分、それで博物館のことを覚えたんじゃないかしら」
「なるほどねぇ……」
そう言えば、数か月前に帝室博物館で開催された兄と節子さまの結婚25周年を奉祝する展覧会に、兄と節子さまが婚儀で着た装束や、婚儀に際して各方面から献上された工芸品が、“宮内省から貸し出し”という形で出品されていた。それに、帝室博物館の常設展示に、日本刀もあった気がする。
「確かに、あれだけの数の日本刀をしまっておくだけなのももったいないし……。よし、詠子さまの伯父さまや牧野さんとも相談してみるか」
「本当?!ありがとう、章子……伯母さま!」
私の答えに、詠子さまは満面の笑みで頷いた。
「ああ、章子お義姉さま……うちの娘が、本当にすみません……」
恐縮しきりの蝶子ちゃんを、
「いいのよ。それに、これも1つのきっかけだと思うから」
と私は微笑んでなだめる。そして、そのきっかけを作った当人は、
「母上、伯母さま、早くさっきのお部屋に戻って、刀の続きを見ましょう!」
と言いながら、元気よく椅子から立ち上がった。




