避寒の準備
※会話文を一部修正しました。(2019年3月21日)
1892(明治25)年、12月初め。
「伊藤さんが、大磯に移動した?!」
花御殿にやってきた威仁親王殿下から報告を聞いた私は、思わず聞き返してしまった。
「はい」
フロックコート姿の親王殿下は、首を縦に振った。
伊藤さんが負傷してから、親王殿下は艦隊勤務から外れ、国軍の参謀本部付になった。負傷した伊藤さんに代わって、東宮大夫と、私の輔導主任の事務をするためだ。親王殿下の花御殿での業務は、大山さんがサポートしている。ニコライ皇太子来日時の接伴コンビ、再びである。
「じゃあ、お見舞いに行けないじゃない……」
私が眉をしかめると、
「とはいえ、本人の希望ですから、仕方がないですね」
と親王殿下は言った。
「本人の希望?」
「ええ。“前回も大磯で静養したから、今回もそうする”と……」
「前回、ね……」
私はため息をついた。
伊藤さんは、今回の負傷がきっかけで、“史実”の記憶が流れ込んだ。そのことはすぐさま、“梨花会”のメンバーに伝えられた。
天皇は、伊藤さんと会うことを希望したのだけれど、私が止めた。脳震盪を起こした後だから、すぐには刺激を与えたくない、ということもあったし、伊藤さんの記憶が、まだ混乱している可能性もあったからだ。
「私も、あの話を聞いて、すぐに伊藤閣下に会いたかったのですが、伊藤閣下のご自宅に、“梨花会”以外の面会客も殺到しているらしく……」
――増宮さまにも、刺激を避けるように言われたので、客から逃げます。もう、岩崎にも話をつけましたので、大磯の、奴の別荘に参ります。いずれ大磯に、屋敷を建てねばなりませんが……。
「……と言って、伊藤閣下が大磯に向かったのが、昨日です」
「はあ……。岩崎って、もしかして、産技研と医科研に出資してくれた三菱の岩崎弥之助さんですか?」
「その通りです」
「三浦先生は、ちゃんと伊藤さんについて行っています?」
「ご心配なく。側に張り付いています」
「三浦先生も、ヨーロッパから帰るなり、大変な役目についてもらって、申し訳ないわ」
血圧計に関する論文を発表した三浦先生が、この11月末に、ヨーロッパへの留学から帰ってきた。彼の地で、血圧計の論文は大評判で、講演に引っ張りだこだったそうだ。いずれ、帝国大学に職を得ることになるそうだけれど、それまでの仕事ということで、伊藤さんに付き添うことをお願いしたのだ。
「ところで、大兄さま……大磯って、横浜と小田原の間ぐらいですか?」
「はい、……地図をご覧になりますか?」
親王殿下が、神奈川県の地図と、大磯の地図を広げてくれた。
「位置としては、小田原にやや近いでしょうか。東海道の宿場町として栄えた街です。気候は東京より温暖ですから、避寒には最適な土地ですね」
「東海道のすぐそばに、小高い山が並んでいるのね……」
東海道を抑えるための砦や山城を建てるには、最高の立地だ。
(もしここに、城跡があるなら、堀切とか土塁とかの跡を探索してみたいなあ……)
そんなことを夢想していると、
「増宮さま?」
親王殿下が、訝しげに私を呼んだ。現実に引き戻された私は、「あ、はい」と返答して、
「で、大兄さまはなぜ、大磯の地図を持ってきたんですか?」
と尋ねた。伊藤さんが大磯に行った、ということを説明するだけなら、こんな地図はいらないはずだ。
すると、
「いえ、増宮さまも、大磯で避寒をなさったらいかがかと提案したいのですよ」
親王殿下はにっこり笑って言った。
「はあ?」
「伊藤閣下を見舞うこともできます。大磯まで日帰りも可能ではありますが、片道で2時間ほどかかってしまいます。増宮さまも、ゆっくりお見舞いしたいでしょう?」
「確かに」
伊藤さんに流れ込んだ“史実”の記憶のことを、確かめなければならない。細部をいちいち突き合わせていけば、下手をすると、1、2時間では終わらないだろう。
「だけど、スケジュール設定は大丈夫ですか、大兄さま?」
大磯には、御用邸……皇族用の邸宅はない。だから、大磯に邸宅を持っている誰かに、借りなければならない。その手配で時間がかかるから、大磯に避寒に行けるのは、早くて正月明けになるだろう。
ちなみに、今年の夏に滞在した鎌倉の家は、華族の前田家の持ち物だった。あの“加賀百万石”の前田家だと知って、気が遠くなりそうになったけれど。
そして、避寒のスケジュールは、私の今生での誕生日、1月26日のことを考慮に入れなければならない。その日は誕生日を迎えられた報告をしに参内する。1月1日と3日は登校日だし……。
「華族女学校の方は、休みすぎないようにして、試験にパスできればいいけれど、出発報告に参内するでしょう?それで帰ってきて、報告の参内をするでしょう?それで、誕生日に参内するでしょう?色々、日程を考えるのが面倒で……」
だから、避寒は、花御殿に引っ越して最初の冬には行ったけれど、それ以降は行かないことにした。それに付き合ってか、皇太子殿下も、ここ2、3年は避寒には行っていない。
「まあ、そのあたりの調整は、私に任せてください、増宮さま。宿舎の件も手配いたします」
「それじゃあ、大兄さまにお任せします」
私はそう言うと、「そうなると、色々準備しないといけないですね」と付け加えた。
「準備、とは?」
「山歩き用の洋服を作りたいんです。ブラウスの上にジャケットを着て、外套を羽織って、それで下はズボン。帽子もかぶって、頭も保護しないと」
それから、ついでにショーツも作りたい。こちらはさすがに、男性の親王殿下に言う訳にはいかないから、花松さんに後で頼もう。
「ほう……それはまた、何故ですか?男装する訳ではないでしょうね?」
「違います。私、石神先生の放線菌の研究のお手伝いをしようと思って」
石神亨先生……“史実”では、北里先生の助手として、ペスト菌などの研究に従事したとのことだ。その彼に、放線菌の採集プロジェクトのリーダーをしてもらうことになった。この人選は、原さんの推薦だ。
放線菌は、土の中に多く生息する菌である。何百種類となくあるけれど、特にストレプトマイセス属が重要だ。前世で使われていた抗生物質の多くが、ストレプトマイセス属が産生する物質から発見されたり、その物質を化学的に修飾したりしたものなのだ。これは、前世の大学の薬理学の授業で聞いた。
この時代の日本では、化学物質を新規に合成する技術は低い。いずれはその技術も発展させて、ニューキノロン系の抗菌薬など、有用な物質を作れるようにしなければならないけれど、まずは自然界にある役立つ物質を見つける方が、早く医学を進歩させられるだろう。という訳で、たくさん種類のある放線菌を、手当たり次第に見つけ出すことになった。石神先生が見つけ出した放線菌を実際に培養して、抗生物質の抽出をするのは、高木友枝先生と浅川範彦先生……原さんによると、いずれも、“史実”で北里先生が設立した伝染病研究所で、初期から活躍していた人たちだそうだ。
「放線菌は、寒い時期を好みます。落葉の下に生息していることも多いんです。だから、大磯の山の土を持って帰って、新種の放線菌がいるかどうかを、石神先生に確かめてもらおうと思うんです。でも、山の中をいつもの格好で歩くのは、有害な虫に刺される可能性もあるから危険です。きちんと足を覆って、動きやすい服装にしないと」
「なるほど。それは道理です」
親王殿下は頷いてくれた。「牧野先生の研究も、お手伝いされるのですか?」
「可能なら。ただ、植物には余り詳しくないから、大磯で薬用植物として使われている植物があったら、それを持ち帰るぐらいかなあ……」
牧野富太郎先生は、「日本植物志図篇」という、日本で初めての植物図鑑を作った人だ。帝大の植物学教室を出禁にされてしまい、故郷の高知に帰っていたのを呼び寄せた。この研究も、放線菌の研究と発想は似ている。化学物質の合成技術が発展するまでに、植物の中にある有用な物質を、可能な限り見つけて抽出するのだ。こちらの方は、本草学者の大窪安治先生や小塩五郎先生、水谷助六先生、山本渓愚先生も協力してくれている。また、長井先生や櫻井先生が抽出を担当するそうだ。同時に、漢方医の先生たちに協力してもらい、漢方薬の研究も進めている。
「分かりました。伊藤閣下なら止めるのでしょうが、今は私が輔導主任の代理ですから、私の責任で、増宮さまの野外活動用の洋服を用立てましょう」
親王殿下はこう言って、微笑した。
「そうすれば、増宮さまも大磯の城跡を、思う存分探索できるでしょう」
(バレてる?!)
「あ……あの、大磯にお城の跡があるんですか?」
動揺を出来る限り隠しながら、私は親王殿下に尋ねた。
「先ほど、地図で熱心にご覧になられていた駅近くの山、以前に城があったそうですよ。増宮さまがあの地形図をごらんになればどうなるか……いくら石神先生の名前を持ち出しても、お考えになることは分かっています、増宮さま」
ニヤリと笑った親王殿下に、
「か、勘違いしないでください、大兄さま」
私はわざと咳払いをして答えた。「確かに、街道沿いの小高い山だから、街道を抑えるための砦かお城を築くのにいい地形だな、とは思いましたけれど……あくまで、石神先生のお手伝いが目的です」
古くから栄えていた地域や、古い街道沿いには、城跡は探そうと思えばいくらでもある。全国いたるところ城跡ありなのだ。大磯に城跡があるのは、知らなかったけれど……。
「まあ、土壌採取をした場所が城跡なら、嬉しいですけれど」
「そういうことにしておきましょう」
親王殿下がニヤニヤ笑いながら言った。
それから、宿舎や日程の調整、大磯の伊藤さんとの調整、私と一緒に伊藤さんのお見舞いに行く人――大山さんと原さん――のスケジュール調整をして、私が伊藤さんの所にお見舞いに行くのは、来年1月15日の日曜日、ということに決まった。
宿舎は、大磯にある山縣さんの別荘に決まった。本当は、皇太子殿下と私とで、一緒に避寒に行く予定だったのだけれど、「皇太子殿下と一緒においでになると、手狭になる」と山縣さんが主張した。
「山縣さんの大磯の別荘、敷地が5000坪ぐらいあるって大兄さまに聞いたけれど……」
大山さんに確認したら、
「小石川のご自宅と同じく、敷地のほとんどは庭園ですよ」
と答えられてしまった。
別荘に入るのは、私だけではない。私に付き添う侍従さんや侍医もいる。昨年行った山縣さんのご自宅のことを考えると、大磯の別荘も、数人が泊まったら、収容能力がいっぱいになってしまうのだろう。そこに皇太子殿下やその侍従さんたちも加わったら……。
「そうなると、確かに、皇太子殿下とは別々に行動した方がよさそうね」
「その方がよろしいでしょう。皇太子殿下とご一緒のお見舞いならば、全ての目的が達成できなくなりましょう」
大山さんがにこりと笑って頷いた。
それで、避寒のスケジュールは、私が1月12日に出発して、1月20日に帰京ということになった。皇太子殿下は、私が帰った直後に短期間の避寒も兼ねて大磯に行き、伊藤さんを見舞うということだ。
大山さんと原さんは、“たまたま見舞いに来た”という態を装って、15日に現地で合流する。
(大丈夫かな?特に、山縣さんとか、私と一緒にお見舞いに行きたがるんじゃ……)
と心配していたら、
「内閣の全員と勝閣下、それと威仁親王殿下に、来月15日の昼、陛下のご陪食をするように……という命令が下った。その日は、堀河どのも皇居に勤務する日だ」
年末に、花御殿にやってきた原さんが、私と将棋の対局をしながらこう言った。“ご陪食”とは、天皇と一緒に食事をすることである。
「ええ、それに、児玉さんと山本さんも、その日は国軍省に詰めているでしょう」
私の横に座った大山さんも、ニコニコしながら言う。この様子だと、どうやら大山さんが、あまり例のない“日曜日のご陪食”をセッティングして、“梨花会”の他の面々が15日に大磯に来ることを阻止したようだ。
「ハワイ王国の件もありますからね」
ハワイ王国……前世の、アメリカ合衆国ハワイ州だけれど、そこで現在の王政を覆そうとするクーデターが、“史実”では来年の1月に起こってしまうのだそうだ。
「ハワイについては、本当に全く知らなくて、申し訳ないです……」
私は小さくなった。“授業”で、真珠湾攻撃のことを話して、
――真珠湾がアメリカ領……ハワイ王国領ではなく、ですか?
と大隈さんに尋ねられ、
――え?ハワイって、昔からアメリカの領土じゃないんですか?
と答えて、“梨花会”の一同が騒然となった時のことを思い出すと、今でも顔から火が出てしまうようだ。
「何、“ハワイは未来ではアメリカ領だ”という情報だけでも、上出来だ」
原さんはいつもの通り、ちょっと偉そうに言った。
「11月のアメリカの大統領選挙で勝利したのは、“史実”通りにクリーブランドだ。大統領に就任するのは来年の3月だが、彼はアメリカの領土を拡張しようとは考えない。しかも、アメリカ国内の世論も、陸奥先生の工作のおかげで、アメリカの実業界の利益を追求するためのハワイ併合に否定的になってきている。ハワイ国内の併合促進派も、“史実”より勢いが衰えているな」
陸奥宗光外務次官……この8月までは、駐米公使だった。“授業”以降、天皇の意を受けた“梨花会”の面々は、アメリカの陸奥さんと連絡を取り合い、ハワイ王国をアメリカに併合させないよう、アメリカとハワイに対して、様々な工作をしていたらしい。もちろん、その工作は、大山さんを中心として、現在でも続いている。
「浪速と金剛と高千穂も、既にハワイに向け、日本を出発している。表向きは練習航海だが、真珠湾に入港して、クーデターを起こそうとする併合派とアメリカ軍を牽制するのが真の目的だ。ハワイに着くのは、ちょうど1月10日ごろになるだろう。“史実”でクーデターが起きるのは1月15日ごろだったな。浪速には、東郷提督とともに、陸奥先生も乗っておられる。何かが起こっても、大抵のことは解決できるであろうよ。アメリカのクリーブランドの業務が本格化する4月まで、ハワイの政府が乗りきれれば、まず最初のヤマは越えられるか」
原さんがニヤリと笑った。
「うーん……でも、クーデターが失敗しても、ハワイ王国は未来に残れるんですか?他の国に攻め取られる可能性だってありますよね?」
私が尋ねると、「確かに、その心配はあります」と大山さんが静かに答えた。
「政府の財政状況は悪いとのこと。ハワイの経済は砂糖に依存しておりますから、先年のアメリカの関税法案の成立で、ハワイ産の砂糖がアメリカ国内で実質高値になってしまい、ハワイ経済は大打撃を受けております」
「アメリカの関税法案を改正させるか撤廃させるかして、それから、ハワイの経済を、砂糖に依存しないようにすることが必要なのかな……?」
私は腕を組んだ。「私の時代だと、ハワイは観光地として有名だったけれど……」
「観光、ですか?」
「うん、大山さん。飛行機で、結構な数の日本人が行っていたわよ。綺麗な海岸で泳いだり、火山見物をしたり……小学生の時、ハワイに行った友達から、お土産でマカダミアナッツチョコとか、ドライフルーツとかをもらったわ」
私は飛車を成り込んで、原さんの玉に王手を掛けた。
「なんだ、それは……?」
原さんが首を傾げる。
「マカダミア、っていう木の実を、チョコレートで包んだお菓子。ドライフルーツは、パイナップルとかマンゴーとかを干したものが多かったですけれど……今の時代では、あまりなじみがありませんか?」
「干し柿のようなものか?」
原さんはそう言って、自玉を一段上に動かした。
「まあ、同じようなものでしょうか。あと、コーヒーも有名でしたね」
「なるほど、商品になる作物を更に増やし、更に自国で新しい商品を作り出す、か……発想としては悪くないな」
原さんは微笑した。最初に会った時から、白髪の面積が増えている。もう少しで、黒髪が無くなって、前世の歴史資料集で見た写真と同じ姿になりそうだ。
「ああ、それに、ハワイって気候が温暖だから、キナを育てられるかも」
今、マラリアの治療薬のキニーネは、化学合成ではなく、キナの木の樹皮から抽出して製造されている。キナの木の樹皮は、ジャワ島――今はオランダ領だけれど――でその殆どが採取され、世界に流通しているそうだ。
「化学的に合成されてしまったら、商品価値が無くなってしまうけれど、合成されない間は栽培してもいいのかも。あとは、温暖な地域にしか生えない薬用植物や、香料や香辛料になる植物を育ててもいいのかもしれませんね」
「一考の価値あり、だな。キナの木は、わたしの前世では、台湾で栽培しようとして失敗したが……ハワイでの栽培なら、あるいは……」
原さんは右手を顎に当て、考え込んでいるようだ。
「……あの、原さん?あなたに前世の記憶があることは、伊藤さんに話しますか?」
私はこう尋ねると、あらかじめ跳ねていた桂馬の利きがある升目に、さっき原さんから奪った金将を置いた。原さんの玉の斜め前から、王手を掛けた格好だ。
「わたしは、どちらでも構わないが」
原さんは、するっと玉を動かす。
「そう……大山さんは、どう思う?」
大山さんに尋ねると、
「梨花さまは、どうお考えでしょうか?」
微笑しながらこう答えられた。
(先に私の考えを言え、ということか……)
大山さんの表情からこう読み取って、私はまた両腕を組んだ。
「私と原さんと伊藤さんの記憶、それが合わさったら、伊藤さんが死ぬまでの時点の“史実”の記憶は相当補強されます。全体のことを考えるなら、それはすごく有益なこと。けれど、それは同時に、原さんが今までやってきたことを、伊藤さんにバラしてしまうことにもなりかねません。それがバレた時、伊藤さんがどう思うか、かな……」
「山縣のことか」
「そう。あなたが本心を隠して、今の上司に仕えていて、更に操縦までしているとバレた時にどうなるか。伊藤さんと山縣さんは、“史実”では対決する場面もあったようだけれど……」
原さんは、ふむ、と呟いて、両腕を組んだ。
「山縣と伊藤さんは、対決することも多かったが、その実は仲が良く、お互いが、一番信頼できる相談相手でもあった。しかも、この時の流れの中では、あの二人の絆は、わたしが前世で見聞きしたより深まっているように思う」
「ってことは、原さんのことがバレたら、伊藤さんの逆鱗に触れて、ややこしい話になりそうですね……。あなたと山縣さんだけじゃなくて、あなたと伊藤さんまで争うことになったら、国力が下がる事態になってしまいます」
私はため息をついた。
「じゃあ、隠し通した方がいいかな」
「かしこまりました。では、俺もそのつもりで動きましょう」
大山さんが隣で頷いた。
「でもそれなら、原さん、私と一緒に伊藤さんのお見舞いに行くのは、やめる方がいいんじゃないですか?伊藤さんに万が一、あなたのことがバレたら……」
「ふん。そんなボロは出さぬよ、主治医どの」
原さんは自信ありげな表情になった。
「そう?」
私は盤上の馬を、一気に手元に引き寄せた。
「捕まえた」
「?!」
原さんが目を丸くする。原さんの玉の真正面から王手を掛けた今の一手で、原さんの玉の逃げ場所は、完全に無くなった。
「この馬は……取れないか、歩が利いている。うっかりしたな……」
原さんが駒台に右手を突いた。
「腕を上げたな。皇太子殿下にも、二枚落ちで勝てなくなってきたが……隙を見逃してくれなくなった。もうあなたに、六枚落ちでは勝てないかもしれない」
「まあ、毎晩、皇太子殿下に指してもらっていますからね」
しかも毎回、“ここはこう指した方がよかったぞ”などと、終局後には、感想戦を丁寧にやってくれるのだ。おかげで、少しずつ将棋が指せるようになってきた。
「恐ろしいな……」
「にゃ?」
「何でもない、こちらのことだ。……どうもあなたは、ただの医者ではないようだ」
「まあ、私が目指しているのは“上医”ですから、まだまだですよ」
原さんに答えながら、
(ただ、伊藤さん、勘づきそうな気もするのよねえ……)
私は若干の不安に襲われていた。
そうして、1892年は暮れていったのだった。
※恐らく、この時点で女性がズボンを穿くのは、日本初の可能性があります。まあいいか。梨花さんだし。
※そして、恐らく異世界医療もので定番になってしまっている放線菌探し、石神先生に投げてみました。これだけ伝染病研究所の助手さんを投入すれば、人海戦術で何とかなるか……。そして植物探しの方は、明治期に生き残っている本草学者も動員。山本先生以外の方は、尾張藩の本草学研究会“嘗百社”関係の方々です。尾張藩の人たちとは言え、梨花さんが知っている可能性は低そうですね。




