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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第78章 1925(大正10)年穀雨~1925(大正10)年冬至
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北但馬地震と自動車学校

 1925(大正10)年5月30日土曜日午後2時5分、皇居・表御殿にある牡丹の間。

「まず、但馬(たじま)地域の中心と言うべき豊岡町(とよおかちょう)でありますが、全体の25%ほどの家屋が全壊しました」

 先週の土曜日、5月23日午前11時11分に発生した北但馬地震の被害状況報告のため、今日は梨花会が臨時に開かれている。内務大臣の後藤さんの説明に、列席の一同が真剣に聞き入っていた。

城崎町(きのさきちょう)の温泉街では、川沿いの温泉旅館など、家屋の多くが倒壊しました。城崎町の家屋のおよそ半分が全壊しています。幸い、国軍が、“演習に見学に来るお偉方の宿泊場所とする”という名目で、温泉宿の多くを借り上げておりましたので、湯治客に被害はありませんでしたが……」

 城崎温泉は、私の時代でも有名な温泉地だ。この時の流れでも、多くの人々が湯治に訪れている。

「また、兵庫県で他に被害が大きかったのは、五荘村(ごのしょうむら)港村(みなとむら)中筋村(なかすじむら)などです。かねてからの手はず通り、第4軍管区と第5軍管区の兵が、対抗演習を行うという名目で但馬地域に展開しており、被害地域の住民たちの多くは、演習の手伝いや見学を命じられて屋外におりました。このため、“史実”より圧死者は少なくなっておりますし、火災も燃え広がる前に全て消し止められましたが、それでも23名の死者が出ました」

(死者数、ゼロにはできなかったか……)

 “史実”の記憶がある斎藤さんには、北但馬地震での死者数は400人以上だったと聞いた。だから、死者数は確実に“史実”より減っているけれど……。

「家屋の倒壊率が高いな……」

 玉座の兄が呻くように呟く。後藤さんはもちろんのこと、一同、兄に向かって一斉に頭を下げた。

「関東大震災のような大きな火災は発生しなかったようだが……家屋の半分以上が倒壊しているならば、交通網にも被害が出ているのではないか?」

「はい、鉄道は23日のうちに再開通しましたが、道路が寸断されております。そのため、自動車が入れない集落が多数あるとのことです」

 自分の問いに対する後藤さんの答えを聞くと、兄は顔をしかめた。

「それでは、住民たちはさぞ苦労しているだろう。山陰地方を旅した時、あのあたりを鉄道で通ったが、山に囲まれた集落が多かった。そのような土地で道路が寸断されれば、物資も入って来なくなるし、救援部隊も到達できなくなる。……被災者たちを早く励ましてやりたいが、当分は無理だな。そんな土地では、わたしが行けるようになるまで時間がかかってしまう」

(兄上……)

 苦しげな表情を見せる兄を、私はただ見つめることしかできなかった。関東大震災の時は、この皇居から被災地に、比較的簡単にアクセスすることができた。けれど、兵庫県の北部、但馬地方となると、東京からはもちろん遠い。それに、山間の集落を回るとなれば、そこまでアクセスする道路が全て復旧している必要がある。こちらが止めても、地元の自治体は、“天皇陛下が通られる道だから”という理由で、復旧させる道路を必要以上に立派な道にしてしまうだろう。そのせいで道路の復旧に時間がかかってしまったら、かえって被災者のためにならない。

(どうしたらいいのかしら、兄上の願いを叶えるためには……)

 私が必死に考えようとしたその時、

お父様(おもうさま)

私の向かいの椅子に座る迪宮(みちのみや)さまが右手を挙げ、

「僕が被災地を訪問してもよろしいでしょうか?」

と申し出た。

裕仁(ひろひと)?」

 顔を上げた兄に、迪宮さまはしっかりした口調で、

「僕が行くことにすれば、お父様(おもうさま)が行かれるより、被災地側の準備が少なくて済みますから、少しは早く被災地に行けます」

と説明を始めた。

「それに……僕は関東大震災のすぐ後、被災者たちを励ますことができませんでした。あの時、僕が東京にいれば、避難する者や宮内省の職員たちの邪魔になってしまうと考えて、日光にいることにしましたが、傷ついた被災者たちを励ませなかったという後悔が、心の中にずっとあるのです。だから……だから今回は、お父様(おもうさま)の代わりに、僕が被災者たちを励ましたいのです。お願いします、お父様(おもうさま)!」

「迪宮さま……」

 自分の父親に向かって深く頭を下げる迪宮さまを、私はじっと見つめた。彼が並々ならぬ決意を胸の中に秘めているのは、その態度から容易に見て取れる。迪宮さまは皇太子として、兄と同じように、傷ついた国民に寄り添いたいと願っている……私にはそう感じられた。

「……お前は俺に似て、一度言い出したらなかなか聞かないからな」

 迪宮さまを見て微笑した兄は、

「いいだろう。では裕仁、行ける時期になったら、俺の名代で、今回の地震の被災地に行ってこい」

迪宮さまに穏やかな声で命じた。

「はい!ありがとうございます!」

 更に深く頭を下げた迪宮さまを見つめながら、

(成長したなぁ、迪宮さまは……)

幼い頃から見守ってきた可愛い甥っ子が、本当に立派な皇太子になったことを、私は実感した。


 1925(大正10)年5月31日日曜日午前11時30分、東京府渋谷町。

「……ここに、児玉自動車学校が日本の自動車の発展に大きく寄与し、職員・生徒ともども務め励まんことを望む」

 前国軍航空本部長の児玉さんが設立した児玉自動車学校の開校式に、私は夫の栽仁(たねひと)殿下、そして義父の有栖川宮(ありすがわのみや)威仁(たけひと)親王殿下とともに出席していた。本日の主賓である義父が令旨を読み上げると、理事長の児玉さん以下の職員たち、そして生徒たちが一斉に頭を下げる。……もちろん、この自動車学校は、日本の非公式の諜報機関・中央情報院の支部として設立されたので、職員の大半は中央情報院の職員だ。これから日本中を、いや、世界中を飛び回り、諜報活動に従事する彼らだけれど、今はそんなことなどおくびにも出さず、義父の令旨を神妙な態度で聞いていた。

 開校式が終わると、屋外での園遊会となる。通常なら教習車が走るであろうコース上にいくつかテーブルと椅子が出され、出席者たちが思い思いに食べたり飲んだりしている。各テーブルを回ろうと、私がコース上に足を一歩踏み出したその時、

「ダメだよ。梨花さんはこっち」

この4月に海兵少佐に昇進した栽仁殿下が私の手を引っ張る。そして、自動車学校の校舎近くにある大きなテーブルに私を連れて行こうとした。

「イヤよ。あっちには行きたくないわ」

 首を横に振る私に、

「だけど、父上も、児玉閣下も金子閣下も大山閣下も明石閣下も山本閣下も桂閣下も、みんなあっちのテーブルにいる。梨花さんもいないとおかしいよ」

栽仁殿下は優しく言い聞かせる。

「だけどさぁ……」

「心配なら、僕が梨花さんをずっと守るよ。だから安心して。……でも、秋山さんが梨花さんを害することは絶対に無いと思うけれど」

「うーん……」

 それは分かる。分かるのだけれど……。

(秋山さんに会いたくないんだよなぁ……)

 どんよりとした気持ちを抱えながら、栽仁殿下に連れられ、大きなテーブルの方へ歩いていくと、

「おお、若宮殿下、内府殿下、ささ、こちらへ」

上機嫌の児玉さんが、私と栽仁殿下を招く。そしてその隣にいる人物が、スッと椅子から立ち上がり、私の前まで走って来ると、

「お久しぶりでございます、内府殿下!」

スライディングでもするかのように私の足元に滑り込んで土下座した。折角のフロックコートを土まみれにしてしまったこの人物は、この度、宮内省を退職し、児玉自動車学校の校長に就任した、中央情報院の秋山真之(さねゆき)さんである。

「あの病魔から回復して以来、どれほど内府殿下にお会いしたかったことか!」

 秋山さんは顔を上げると、私を熱っぽい視線を向けて大声で言う。

「“不世出の天才”と御幼少のみぎりから国軍で雷名を轟かせ、極東戦争では国軍の勝利の女神としてロシア艦隊に鉄槌を下された。そして内大臣にご就任なさってからは、兄陛下を立派に輔弼なさり、“極東の名花”と世界でもご評判は高まるばかり。そんな……そんな素晴らしいお方が、俺の命の救いの神になってくださったとは……」

(あ、悪化してる……)

 唾を飛ばしながらまくし立てる秋山さんの勢いに押され、私は思わずよろめいてしまった。

「しっかりして、梨花さん。秋山さん、別に悪いことは言ってないじゃない」

「そうだけどさぁ……」

 栽仁殿下に抱き締められた私は、栽仁殿下の腕の中で大きなため息をついた。

 ……話は今から8年前に遡る。ブルガリア王国の前国王・フェルディナントにより引き起こされたバルカン戦争の講和会議が東京で開催される数日前、中央情報院の総裁を当時務めていた金子堅太郎(けんたろう)さんが、私の所にやって来た。ブルガリアかオスマン帝国で何か変事が起こったのかと私は身構えたけれど、金子さんの用件は、私の想像と全く異なるものだった。

――秋山君が虫垂炎にかかって、帝大病院に入院したのです。近藤教授のお話によれば、全治の近道は患部を手術で取り去ることなのだそうですが、本人は“精神力で打ち勝ってみせる”と言って、手術を拒否しているのです。

 青ざめた顔をした金子さんは、私に状況を説明すると、

――秋山君はこの先の日本の諜報に無くてはならぬ男です。内府殿下、お忙しいところ誠に恐れ入りますが、どうか、秋山君に手術を受けるよう、説き伏せていただけませんか。

こう言って、椅子から転げ落ちるようにして床の上に正座し、私に向かて頭を下げた。

――もちろんですよ、金子さん。場合によっては、私が執刀します。……あの人、私が栽仁殿下の虫垂炎の手術をしたのを知ってるはずなのに、自分が手術を受ける段になって怖じけづくなんて……!

 忙しい時期だったけれど、私はすぐに東京帝国大学医科大学付属病院に入院中の秋山さんの所に向かった。病室のベッドの上に寝たまま、腹痛と発熱で顔に苦悶の色を浮かべていた秋山さんは、私の姿を見るやいなや、ベッド上に起き直ろうとした。

――秋山さん、起きないで。そのまま仰向けに寝て、両膝を立ててください。

 そう命じた私は、秋山さんの腹部を触診した。秋山さんの右下腹部には、明らかに反跳痛があった。

――危険な徴候が出ていますよ、秋山さん。どう見ても、虫垂炎から腹膜炎になっているじゃないですか。手術しなければ、命に関わります。私は外科医の端くれとして、手術をすべきと秋山さんに申し上げます。

 寝転がったままの秋山さんに私が宣告すると、

――し、しかし、内府殿下、この通り、抗生物質の点滴もしておりますし……。

秋山さんは点滴の針が刺さった左腕を、慌てて私に示した。

――あのですね、今の抗生物質は、私の時代ほど発展していないんです。それに、炎症が起こっている原因が異物だった場合、それを手術で取り除かないと、症状の改善は期待できないんです。栽仁殿下の虫垂炎の時もそうでした。ですから、私としては秋山さんに是非手術を受けていただきたいのです。

 すると、

――いえ、それは……。

秋山さんの瞳に、一瞬、怯えの色が映った。それにカチンときた私は、

――それとも、何ですか?精神力で治すとか言って、本当は手術を受けるのが怖いだけなんじゃないんですか?

と、挑発するように秋山さんに尋ねた。

――?!

――臆病風に吹かれて手術を受けずにむざむざと命を落とすのと、手術を受けて与えられた命を国のために使って天寿を全うするのと、秋山さんはどちらがいいですか?

――な、内府殿下……。

――さぁ、秋山さん、虫垂と一緒に、その臆病虫、私がメスで切除して差し上げます。

 怒りに半ば身を任せながら私が言葉を叩きつけると、

――お、お待ちください!

秋山さんがベッドの上に身体を起こした。

――内府殿下が、御自ら御執刀なさるには及びません。

――へぇ……。結局、手術を受けるのが怖いんですね。見損ないましたよ。

 ため息をついた私に、

――そうではありません。手術は受けます。

秋山さんは苦痛に顔を歪めながらも、キッパリと言い切った。

――内府殿下の御言葉で、目が覚めました。俺は、自らの精神力を信じると言いながら、目の前の恐怖から逃げていただけ。これは、国のために諜報に命を懸ける人間にふさわしい態度ではありません。ですから、手術は受けます。しかし、国事にお忙しい内府殿下のお手を煩わすわけには参りませんから、手術は近藤先生にやっていただこうと思います。

――その言葉、忘れないでくださいよ。

 秋山さんの意思を確認した私は、すぐに近藤先生を呼び、秋山さんの手術をしてもらった。そして、秋山さんは手術後順調に回復し、院の仕事に復帰したのだけれど……。

「あの時……内府殿下が俺の弱い心を喝破してくださったので、俺はこうして命を長らえ、国のために尽くせております。まさにあの時の内府殿下は、その手に持つ倶利伽羅剣(くりからけん)で俺の迷いを断ち切った不動明王でございました」

 ……話がだいぶ脱線した。とにかく、そういう経緯で秋山さんの虫垂炎の手術に関わってしまった私は、その後、秋山さんに会うのを徹底的に避けてきた。けれど、今日ばかりは彼に会わなければいけない。それでも、会う時間は極力短くしようと思っていたのだけれど、計画は完全に失敗した。感激の目で秋山さんに見上げられている私は、精神的な負荷がかかり過ぎたためか、秋山さんに反応することができなかった。

(だ、誰か助けて……)

 テーブルの方に力無く目を向けると、義父と大山さんが、ニヤニヤ笑いながらこちらを見ている。

「まぁ、当然の反応だのう」

「うん、内府殿下によって進んだ医学に助けられたこの桂も、秋山と同じ気持ちである」

「うらやましいな。……かといって、病気にかかりたくはないのだが」

 その隣にいる児玉さん、そして内閣総理大臣の桂さんと国軍大臣の山本さんは、私と秋山さんの方を見ながら頷き合っている。

「内府殿下……やはり、お助け申し上げる方がよろしいのでは?」

 秋山さんと同じく、中央情報院の幹部である広瀬武夫さんは、そう言って私の方に向かってくれようとしたけれど、

「広瀬君、触らぬ神に祟りなしだよ」

「ええ、ここは放置の一手です」

両隣に座っている中央情報院総裁の明石さん、そして、中央情報院の前総裁で我が有栖川宮家の別当である金子さんが広瀬さんを止めた。更に、

「おや……。内府殿下がうろたえていらっしゃるところが久しぶりに見られるのに、それを邪魔するとは、広瀬君は無粋ですな」

中央情報院の初代総裁である我が臣下が、広瀬さんをのんびりした口調で牽制する。広瀬さんは全く動けなくなってしまった。

「梨花さん、落ち着いて。梨花さんを害そうという訳ではないし」

「い、いや、だけどね……」

(精神的なダメージが……)

 後ろから私を抱き締めている栽仁殿下を、私が恨めしげに見上げた時、

(じゅん)!」

突然、雷のような大声が鳴り響き、私は身体を震わせた。声のした方を見ると、古びたフロックコートを着た長身の男性が、こちらに向かってのっしのっしと歩いてくる。秋山さんの兄で、2年前に国軍を退役した秋山好古(よしふる)さんである。

「おお、兄さん!」

 私に向けられていた秋山さんの瞳から、異常な輝きが失われる。秋山さんは地面から立ち上がり、兄の好古さんの方に顔を動かした。

「松山からおいでくださってありがとうござい……」

 好古さんにお礼を言おうとした秋山さんの胸倉が、近づいてきた好古さんにガシッと掴まれる。次の瞬間、秋山さんは好古さんから平手打ちを食らっていた。

「な、何を……」

「淳、貴様ぁ、また内府殿下に迷惑をかけおって!」

 平手打ちされた左頬を押さえた秋山さんを、好古さんが大声で叱った。

「な、何も迷惑などかけちゃおらん!あしはただ、内府殿下に命を救ってもらったお礼を……」

「黙れ!」

 思わずお国言葉らしきものが口から出た秋山さんを一喝した好古さんは、

「今日という今日は、あしがゆっくり、教え諭してやる!」

そう言いながら、秋山さんの身体を引きずって、校舎の裏手へと去っていく。

「た、助かった……」

 胸をなで下ろした私に、

「え、梨花さん、あれ、放っておいていいの?」

栽仁殿下は慌てて尋ねる。

「いいのよ。だってあの人、あのくらいしないと止まらないから」

 私がため息をつきながら答えた時、遠くで秋山さんの悲鳴が聞こえた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 秋山さんを叱りつける内府殿下。。。てぇてぇ
[一言] 秋山さん、結局自動車学校に転籍しましたかwww それにしても、史実でもそうだったけど秋山さん、お兄さんにはかなり弱いようでwww
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