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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第78章 1925(大正10)年穀雨~1925(大正10)年冬至
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大日本医師会会長の来訪

※読み仮名ミスを訂正しました。(2024年8月21日)

 1925(大正10)年4月30日木曜日午後8時、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮(ありすがわのみや)家盛岡町邸。

「夜遅くにおいでいただいて、ありがとうございます」

 いつも着ている宮内官の制服から水色の和服に着替えた私が、応接間の椅子に腰かけて一礼すると、

「いえ……内府殿下には、お仕事でお忙しいところ、わざわざ我々にお会いいただき、恐縮でございます」

1912(明治45)年に改正された医師法に基づいて創立された大日本医師会の会長で、この時の流れでのインスリンの発見者でもある、京都帝国大学総長・荒木寅三郎(とらさぶろう)先生が深く頭を下げた。その隣で同じように私に最敬礼しているのは、京都に本部がある世界保健機関(WHO)の事務局長・北里柴三郎(しばさぶろう)先生だ。日本が誇るノーベル生理学・医学賞の受賞者でもあるこの2人は、明日から東京帝国大学で開催される大日本医師会の総会に出席するため上京してきた。

「久しぶりに東京に参りましたが、東京も横浜も、目覚ましい復興を遂げつつありますな。震災の前より発展しているような場所もありますし……まさに天皇陛下と内府殿下の御徳の賜物です」

 目を輝かせて私を褒めた北里先生に、

「頑張って街を復興したのは国民のみなさんですよ」

とやんわりと答えた私は、

「ところで、先生方を夜更かしさせてもいけませんから、本題に入りますね」

顔に営業スマイルを浮かべて用件を切り出した。

「本題、とおっしゃいますと……」

「医療行為の統一価格制定のことですね」

 荒木先生に私が答えると、彼は「ああ……」とため息をつき、

「内府殿下にひとかたならぬご心配をおかけして、まことに申し訳ございません」

再び頭を下げて謝罪する。

「大日本医師会創立以来、検討を重ねておりますが、調整がなかなかつきません。議論が深まるかと思えば、先帝陛下の急な崩御や新型インフルエンザの流行、関東大震災など、大日本医師会としても対応を迫られる事態が発生し、それを理由にして、統一価格制定に反対する者たちが議論に戻ってこない、ということが繰り返されておりまして」

「ですよねぇ」

 荒木先生の言葉に、私もため息をつく。

 私の時代では、医療行為や薬剤・検査などに、全て細かく値段が設定されていて、その値段は全国統一だった。ところが、この時の流れでは、同じ病気にかかり、同じ医療行為を受けたとしても、受診した医療機関によって患者さんに請求する金額が異なる。ひどい場合には、3~4倍も請求額が異なるケースも発生していた。

 せめて、患者さんたちが不当に高いお金を支払わされる事態を無くそうと考えて、私が草案を書き、医師法・歯科医師法・薬剤師法・看護師法・助産師法――いわゆる“医療五師法”が改正されたのが1912(明治45)年のことだ。勅令で、免許を持つ者が全員参加する医師会・歯科医師会・薬剤師会・看護師会・助産師会を作らせ、そこで医療行為の価格統一のことを話し合ってもらう……それが私の目論見だったのだけれど、“医療五師法”の改正から13年経った今でも、統一価格が制定される気配はない。そこで、大日本医師会の総会に合わせて上京してきた荒木先生(現会長)北里先生(医学界の大御所)を呼び、進捗を確認することにしたのだ。

「恐れながら内府殿下……。やはり、我々で自主的に医療行為の統一価格を決めるよりは、厚生省から役人を派遣していただいて、その役人に指示を出してもらう方が、統一価格が円滑に決められると思うのです」

 恐る恐る私に申し出た北里先生に、

「それは、今は難しいですよね。医師法のどこにも、医師会に厚生省から役人を派遣していい、とは書いていませんから」

私は首を左右に振って答えた。

 すると、

「であるならば、医師法に、医師会の運営委員に厚生省の役人を入れるべし、と明記すればよいのです」

北里先生が力強く言った。

「内府殿下の時代ではどうなのか分かりませんが、この時の流れの医師会は、医師免許を持つ全ての者が所属し、医師を監督する団体です。その運営に厚生省の役人が加わっても、全くおかしくありません」

「北里先生のおっしゃる通りです。単に役人を派遣するだけなら、医師たちも文句は言いますまい。派遣された役人の真の目的は、我々の胸にしまっておけばよろしいのです。早速、明日にでも医師会の役員たちに根回しして賛成を取りつけ、厚生省にも陳情しに参ります」

「そ、そうですか……」

 荒木先生の勢いに押された私は、お茶を一口飲んだ。

「……はぁ、先生方に手間を取らせてしまう結果になってしまいましたね。医師法を改正した時、そこまで読めていませんでした。まさか、医療行為の価格を統一することに、医師の方から反対意見が出るなんて……」

 以前も、“梨花さまは人が良すぎる”と大山さんに言われたことがある。そのせいで、読みが鈍ったのだろうか。私が両肩を落とすと、

「確かに、我々も想像しておりませんでした」

荒木先生もため息をついた。

「しかし、反対する者の意見も分かるのです。高い医療費を請求する医者の中には、もちろん、暴利を貪る者もいますが、辺鄙なところで開業しているために、薬剤の仕入れに多額の金が掛かってしまい、やむを得ず高額の治療費を請求する……という者もおります。ですから、こちらとしても一律に切り捨てられないのです」

 北里先生の言葉に私は頷いたけれど、

「だけど、何とかして、医療行為の価格は全国統一にしたいです。それが未来の国民のためになると思うので」

思い直して、北里先生と荒木先生をしっかり見つめながら言う。

 と、

「ところで内府殿下は、ドイツのビスマルク翁が制定した疾病保険法を、日本で制定なさるおつもりはないのですか?」

北里先生が私に尋ねた。

「……私自身にはないですね」

 私は考えながら答えると、またお茶を一口飲んだ。「その法律を制定するかを決めるのは、将来の国民です」

「ほう。一体、どういうことでしょうか?」

 問い返した北里先生に、「長くなってしまいますけれど、いいですか?」と了承を取ってから、

「私の時代の日本では、疾病保険法に範を取った保険制度があって、国民全員が加入を義務付けられていました」

と、私は話を始めた。

「その結果、社会保障費は、国家予算の3分の1を占めるまでになって、国の財政を圧迫していました。もちろん、社会保障費には、医療費だけではなく、年金なんかも含まれていますけれどね。そして、なぜ医療費が増えたか……それは、医療がどんどん進歩して、高度な……つまり、大体はお金がかかる治療法がたくさん出てきたこと、そして、日本人の寿命が延びて、高齢者が増えたこと。この2つが大きな要因だと私は思っています」

 ここまで言うと、私は一度口を閉じた。北里先生も荒木先生も、圧倒されてしまったのか、反応しない。

「だから、私の時代の国民は、今取られている税金よりももっと多くの税金を支払っていました。もし私が2018年で死なないでもっと生きていたら、更に多くの税金を払うことになっていたかもしれません。医療費って、やろうと思えばいくらでもかさんでしまいますからね。……それはともかくとして、今、疾病保険法を日本で制定すれば、国庫から必ず支出をしなければなりません。そうすれば、税金を上げざるを得ないでしょう。今のように、税金はたくさん払わなくてもいいけれど、国は国民の医療費の面倒を見ない社会がいいのか、それとも、税金をたくさん払わないといけないけれど、国が国民の医療費の面倒を見てくれる社会がいいのか……それは国民が決めるべき問題です」

「……」

「ただ、この時の流れでも、高齢化、そして少子化は起こるでしょうから、後者の社会を選ぶということになれば、政府の財政が破綻する可能性があります……まぁ、これは、私が未来を見ているから言えることですけれど」

「は、はぁ……」

「まぁ、国民がどの未来を選ぶにせよ、医療行為の価格統一はするべきだと思いますけれどね」

 辛うじて返事をした北里先生に私が言い終わった時、応接間のドアがノックされる。「どうぞ」と私が応じると、ドアノブが回ってドアが開く。そこには、お盆を持った私の長女・万智子(まちこ)が立っていた。

「母上、お茶請けをお持ちしました」

「ああ、ありがとう、万智子」

 私が長女にお礼を言うと、彼女は羊羹の小皿を、恐縮する荒木先生と北里先生の前に手際よく置いていく。そして、

「母上、先生方を困らせるような話をなさったのですか?」

私に尋ねながら、羊羹の小皿を私の前に置いた。

「……まぁ、そうかもしれないわね」

「では、母上も先生方もお疲れになったでしょうから、一息入れてくださいね」

 私の答えに万智子はこう応じると、応接間を後にする。

(言うようになったわねぇ)

 万智子の姿がドアの向こうに隠れてから私がため息をつくと、

「ご成長なさいましたな、女王殿下は。おいくつになられましたか?」

荒木先生が目を細めて私に尋ねた。

「1月で14歳になりました。まだ小さいと思っていたのに、子供の成長はあっと言う間ですね」

 私が愛想笑いを顔に浮かべながら答えると、

「すると、そろそろ、御降嫁のことも考えなければなりませんな」

北里先生が真剣な表情で言う。

「どうでしょう。あの子、進学を考えているみたいですから……」

「おお、そうですか。やはり、内府殿下と同じように医学の道に?」

 パッと顔を明るくした荒木先生に、

「いえ、栄養のことを学びたいようなのです」

私は営業スマイルで応える。荒木先生は両肩を落とした。

 一方、北里先生は、

「そうですか。それは、何かきっかけがおありなのですか?」

と、普段と変わらない調子で私に尋ねた。

「1月に、お祖母(ばあ)さまが肺炎にかかった時……あの子、看病を手伝ってくれたのですけれど、その時、栄養に興味を持ったようなのです。私に色々と栄養のことを聞くのですけれど、私も専門ではありませんから、教えられることに限りがあって……。なので、将来は、栄養のことを学べる学校に進みたいらしいのです」

 私が北里先生に答えると、

「すると、栄養学校ですかね?」

荒木先生が口ひげを撫でながら言った。

「栄養学校……ああ、聞いたことがありますね。厚生省の栄養研究所の、佐伯(さいき)所長が創設したんでしたっけ」

「佐伯君は学生時代、私の所で医化学を学んでいたのですよ」

 記憶を引っ張り出しながら答えた私に、荒木先生は鼻息荒く教えてくれた。「もし内府殿下さえよろしければ、女王殿下に佐伯君をご紹介申し上げますよ」

「私もご紹介できますよ。佐伯君は医科研にいたこともあるので……」

 競い合うように私に申し出る荒木先生と北里先生に、

「ああ……それは、万智子が望んだら、にしてください」

私はやや気圧されながらもこう答えた。親が子供の道を、頼まれもしないのにお膳立てしてしまうのは、何かが違うような気がしたのだ。

「あの、先生方、羊羹、どうぞ召し上がってください」

 先生方の気を万智子の将来から逸らすべく、私はお茶請けをすすめる。それから午後10時ごろまで、私は先生方と日本の医療の将来について語り合った。

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