春風(2)
1925(大正10)年3月26日木曜日午後2時58分、東京市芝区三田1丁目。
「よし、着いたな」
警官に教えられた通りに道を進み、松方さんのお屋敷に無事たどり着くと、兄は嬉しそうに言った。車寄せに続く敷地内の道には、自動車が10台以上並んでいる。急を聞いて駆け付けた松方さんの子供たちや、政府の高官たちのものだろう。そんな中では、馬に乗っている私たちはとても目立ってしまっていた。
「馬をどこかにつないでおかないとね。逃げ出す可能性は低いと思うけれど、慣れない環境だからどうなるか……」
私が周囲を見回しながら呟いた時、玄関の方から数人の男性がこちらに向かって走ってきた。先頭に立つ恰幅の良い初老の男性には見覚えがある。
「巌さん……」
「て、天皇陛下、内府殿下……まさか、本当においでになるとは……」
兄が乗る馬のすぐそばで立ち止まり、息を切らしながら最敬礼したのは、松方さんの長男・巌さんだ。銀行の頭取や会社社長のポストをいくつか兼任する、経済界の大物でもある。
「時間が惜しい。松方顧問官の所に案内しろ」
兄は巌さんに命じると、乗っていた馬から降りる。私も“春風”から降りると、
「ありがとう。本当に助かったよ」
そう声を掛けながら、“春風”の首筋を撫でた。初めて私を背に乗せたのも大変だったはずなのに、更に“春風”は、自動車や自転車が行き交う中を走らなければならなかったのだ。きちんと労ってあげなければならない。私は手綱を松方さんの家の職員さんに預け、兄の後ろについて松方さんの家に入った。
「本当に、時間は余り無いな……」
巌さんの後ろを歩きながら、兄は小さな声で私に言った。
「え?!もう……その……松方さん……」
事切れそうなのか、と問おうとした私に、「そうではなくてな」と兄は首を横に振ると、
「松方顧問官の長男は、俺たちを見て、“まさか本当においでになるとは”と言っただろう」
私の耳にそっと囁いた。
「そんな言葉は、俺たちがここに来る可能性があると知っていなければ出てこない。だから、俺たちが馬で皇居を出たことは、奥侍従長や大山大将たちに把握されていて、手配も回っていることになる」
「まだ手配が回ってなかったら、逆に問題だよ、それ……」
私は顔をしかめて兄に応じた。「少しは事の重大さを認識してよね、兄上。こんな事態、前代未聞なんだから」
「分かっているさ。皇居に戻ったら、しばらくは謹慎だな」
(本当に分かっているのかしら)
私が兄を訝しげに見つめた時、前を歩く巌さんの足が止まった。どうやら、松方さんがいる和室に着いたようだ。開かれた障子から、兄が室内に足を踏み入れた。
20畳ほどある和室の中央には布団が敷かれ、その上に紺色の和服を着た松方さんが仰向けに寝かされている。その枕頭には白衣をまとった医者と看護師の他、松方さんの子供や孫たちがずらりと揃っていた。その人々が、兄の姿を見るやいなや、驚きの声を上げながら体をどかし、道を作る。その道を通って松方さんのそばに座った私と兄は、松方さんの左手を一緒に握った。
「松方顧問官の病状はどうだ?」
兄が平伏する医師に顔を向けて尋ねると、
「いかなる刺激を与えても、全く反応しません。呼吸も脈も乱れておりまして……いつ、重大な事態に陥っても、おかしくありません」
医師は慌てて兄に言上する。兄は頷くと、目を閉じている松方さんに向かって、
「松方顧問官……今まで、大変世話になった。我が国の財政は、卿なしでは成り立たなかった。このわたしにも、経済と財政のことを教えてくれた……卿には、深く感謝している」
と、松方さんの左手を握ったまま言った。兄の声は、微かに震えていた。
「松方さん、今まで、本当にありがとうございました。松方さんが経済と財政のことを教えてくれたから、私は今、内大臣をやっていられます。松方さんの教えを忘れずに、今後も職務に励みます」
私も松方さんの手を握ったまま頭を下げて、今までのお礼を言った。不規則な呼吸を繰り返す松方さんに、兄と私の言葉が届いたか、定かではないけれど……。
(松方さん……)
今までの松方さんとの思い出が、私の脳裏に鮮やかに浮かんだ。
初めて松方さんに出会ったのは、私が5歳の時だ。“史実”のことを政府高官の前で説明させられた時、その政府高官の中に松方さんがいた。出会ったばかりの頃は、私の金銭感覚が前世のままだったので、彼を相当困らせた記憶がある。それがあってか、兄が東宮御学問所で勉強を始めると、松方さんは、“生きた経済を知っていただく必要がある”という理由で、私と兄が微行で街に出ることを強く主張した。そのおかげで、私は兄としばしば微行で東京の街に出て、生きた経済だけではなく、市井の人々の様子も知ることができた。
もちろん、松方さんは財政家、経済通としても、梨花会を、そして日本の国を支えてきた。日本が極東戦争の前に金本位制となったのは、松方さんの功績によるところが大きい。また、極東戦争開戦の10年以上前から、松方さんはフランスの銀行家たちに手を回し、シベリア鉄道の工事を遅滞させた。結果として、シベリア鉄道の竣工は極東戦争開戦に間に合わなかったので、極東戦争でのロシア陸軍の補給は思うように進まず、日本と清に有利な状況が出現したのだ。経済や財政のことを嬉しそうに語る松方さんの話について行くのは大変で、後で高橋さんや浜口さんに分からないところを尋ねるのが毎回のお約束だったけれど、私と兄にとっての松方さんの話は、政治や軍事とはまた違った観点から、国を捉え直すきっかけになっていた。
と、
「あれは何だ?」
兄が部屋の隅を指さして尋ねる。そこには筆や硯、そして何かが書かれた大きな紙が雑然と置かれていた。
「ああ……あれは、父が倒れる直前に書いたものでして……」
まさか、こんな質問をされるとは思っていなかったのだろう。完全に戸惑ってしまっている巌さんに、
「見せてくれ、松方顧問官の書いたものを」
兄は強い口調で命令する。その命令に逆らえるはずもなく、すぐに部屋の隅から紙が持ってこられた。
「“鼓腹撃壌”か……」
和紙に墨痕鮮やかに書かれた気品のある字を見て、兄がポツリと呟く。
「はい」
相槌を打った巌さんは、
「この部屋でこの書を書き上げ、“少しは、このような世に近づく手伝いができただろうか……”と言った直後、父は倒れました。あっと言う間のできごとでありましたが……」
「そうか……」
更に続けて何かを言おうとした兄の肩に、ごつごつした男性の手が置かれる。それと同時に、私の右肩も、やや乱暴に叩かれた。
「陛下、内府殿下、そこまでです」
兄の肩に手を掛けたのは、謹厳・剛直で知られる奥保鞏侍従長だ。彼の立派な顎ひげと口ひげの先は、怒りで小刻みに揺れている。奥侍従長の隣には大山さんもいて、不気味な微笑を私に向けながら、私の右肩をがっちりと掴んでいた。
「……分かっているよ」
静かに微笑んだ兄は、松方さんの手を名残惜しそうにもう一度握ると、松方さんの身体から離れた。私も松方さんの手を強く握ってから身体を起こすと、奥侍従長と大山さんに引っ立てられるようにしながら、兄と共に松方さんの病室を後にした。
1925(大正10)年3月26日木曜日午後3時10分、東京市芝区三田1丁目。
「さて、陛下、内府殿下」
松方さんの家の玄関を出るやいなや、奥侍従長が私と兄をギロリと睨む。彼の両隣にいる大山さんと鈴木貫太郎侍従武官長も、刃のような視線を私と兄に向けた。
「すまなかった」
兄は奥侍従長に深々と頭を下げた。
「生きているうちに松方顧問官に礼を言いたいという気持ちで頭がいっぱいになってしまって、他のことを考えられなかった。道中、章子が俺を守ってくれたからよかったが、俺の身も章子の身も危険にさらしてしまったし、何より、侍従長たちを心配させてしまった。反省している」
「え……はぁ、まぁ……」
兄の流れるような謝罪の言葉を聞いた奥侍従長が、戸惑いの表情を見せる。恐らく、言いたかったことを、兄に全部先に言われてしまったのだろう。これで、怒鳴られることはなくなったのかなと私が考えた瞬間、
「内府殿下は、何か申し開きがございますか?」
大山さんが冷たい声で私に訊いた。
「え、ええと……兄上を止めようとしましたけれど、止められなかったので、私が兄上の護衛をすることにして、兄上について行きました。それ以上言うことはありません。申し訳ありませんでした」
兄のように、素直に謝る方がいいだろう。思いっきり頭を下げて謝罪すると、
「素直で大変に結構なことです。お2人への罰は、おいおい考えると致しましょう」
大山さんは声色を変えずに言った。これは本当に、ひどい罰を与えらえてしまいそうだ。私はこっそりため息をつきながら、宮内省から差し回された自動車に、兄と一緒に乗り込んだ。
「……なぁ、章子。“十八史略”に出てくる、五帝の堯の話を覚えているか?」
自動車が動き出すと、私の隣に座った兄が私に尋ねた。
「覚えてるわけがないでしょう」
私は顔をしかめた。“十八史略”というのは、中国の南宋時代にまとめられた、初学者向けの歴史書のような書物だ。もちろん中身は漢文なので、私は前世でも今生でも、漢文の授業で扱った箇所以外は読んだことがない。
すると、
「“鼓腹撃壌”の話でございますか」
自動車に陪乗している鈴木侍従武官長が言った。「うん」と首を縦に振った兄は、
「老人あり、哺を含み腹を鼓し、壌を撃ちて歌うて曰く、日出でて作り、日入りて息う。井を鑿ちて飲み、田を畊やして食う、帝の力何ぞ我にあらん……というやつだな」
その“十八史略”の一節らしきものを、スラスラと暗唱してみせた。
「……ごめん、全然分からない。どういう意味なの?」
「今言ったのは、”鼓腹撃壌”という言葉の由来となった故事を記した文だが……つまりはな、世の中が、帝が治めていることすら意識されないほど、平和でよく治まっている……その状態を指して、“鼓腹撃壌”と言うのだ」
首を傾げた私に、兄は嫌がることなく説明してくれた。
「いい言葉だ。まるで暖かい春風が吹くような、皆が安寧に過ごせる天下泰平の世……松方顧問官は倒れる前に自らが言った通り、この国にそんな世がやって来るための手伝いをしてきたのだと俺は思う。この国の臣民が、鼓腹撃壌という言葉がふさわしいと思えるような世にするために、俺も励まなければならないな」
「ならば、今回のような軽々しいお振る舞いは止めていただきたいものですな」
兄の右側に座る奥侍従長が、苦虫を噛み潰したような顔をして言った。「行き先が容易に推測できましたし、内府殿下がとっさに護衛に回られましたからよかったものの、陛下と内府殿下の御身に万が一のことがあれば、いかがなさるおつもりでしたか」
「うーん、章子のことを言われてしまうとなぁ……」
奥侍従長に厳しく問われた兄は、両腕を組んで考え込んでしまう。
「春風の吹くような、天下泰平の世……誠に結構でございますが、春風も強すぎれば害をなします。陛下の此度のお振る舞いは、まさにそのような強すぎる春風。此度のことにお懲りになり、今後、このようなお振る舞いは慎んでいただきますよう」
(……でも、兄上の、思い立ったらすぐ動くところ、私は嫌いじゃないな)
奥侍従長のお説教をうな垂れて聞く兄を横目で見ながら、私はこっそりこんなことを思った。
枢密顧問官・松方正義伯爵は、私たちの訪問の約1時間後、午後4時3分に息を引き取った。
90歳だった。
※『十八史略』の書き下しに関しては、『漢文講話』(国民教育叢書刊行会編,内外出版協会,大正15.)を参照しました。




