バレンタイン+梨花会=危険?
1925(大正10)年2月14日土曜日午後2時、皇居・表御殿にある牡丹の間。
「……」
私は、月に1度の定例梨花会のために集まった一同の様子をじっと観察していた。
末席のあたりは、全く問題が無い。そこから少し上座に近い、宮内大臣の牧野さんと、国軍参謀本部長の斎藤さんの席周辺は、いつもと変わらない穏やかな雰囲気が漂っている。
けれどその手前、内務大臣の後藤さんと野党・立憲自由党総裁の原さんは、お互いを牽制するかのように視線をぶつけ合っている。児玉さんと国軍大臣の山本さんは、お互いの前に置いてある包みの中身を無言で値踏みしているし、それより上座にいる前内閣総理大臣の西園寺さんと枢密顧問官の西郷さんは、口元に微笑を貼り付かせたまま睨み合っている。陸奥さんと松方さんと山縣さんと伊藤さん、そして枢密院議長の黒田さんは、それぞれの胸に包みや文箱を抱えながら殺気を放っているし、伊藤さんの前に座る内閣総理大臣の桂さんは、机の上に置いた包みに手を掛けながら、一同をものすごい目でねめつけている。殺気立つ面々に囲まれてしまった元内閣総理大臣の渋沢栄一さんが、周囲に視線を泳がせながら顔を強張らせていた。
「あのさぁ、大山さん……なんでこんなに、みんなが殺気立ってるの?」
両肩を落とした私が我が臣下に尋ねると、
「何をおっしゃっておられますやら。原因を作られたのは梨花さまですのに」
彼は私に微笑んで答えた。
「あのさ、バレンタインのせいなのは分かってるわよ」
私は大山さんを軽く睨んだ。「しかも、ここにいるほとんどの人が、私にプレゼントを渡したいって考えてるのは。……だけど、それで殺気をまき散らすことはないと思うわ!いい年した大人が、こんな子供じみた争いをして恥ずかしくないの?!」
私が叫びながら梨花会の一同を睨みつけると、
「この大事な戦いを、“子供じみた争い”とおっしゃるとは、内府殿下は心得違いをなさっておいでですな」
伊藤さんがスッと立ち上がった。
「このバレンタインに、内府殿下にどんな贈り物をして、わしの誠意を見せようかと……。わしはこの1年、そのことばかり考えておったのです」
「そんな大げさな……。それに、伊藤さんには、枢密顧問官として考えるべきことが、他にたくさんあるでしょう。この国の政治のこととか、海外の情勢とか……」
私が呆れながら伊藤さんにツッコむと、
「内府殿下のおっしゃる通りだぞ、俊輔」
伊藤さんの斜め前に座る山縣さんが、そう言いながら椅子から立った。
「お前は2度も内閣総理大臣を務めている。それに、既に退いたとは言え、東宮御学問所の総裁であった身として、皇太子殿下を教え導く立場にあるのは変わりないのだ。ならば、内府殿下をお慕い申し上げることはわしに任せ、今後は皇太子殿下の輔導に専念して……」
すると、
「なぁーにが、“内府殿下をお慕い申し上げるのはわしに任せ”、だ!ふざけるな!」
伊藤さんが烈火のごとく怒り出した。
「わしは今から37年前、“授業”で初めて内府殿下にお会い申し上げた時、真っ先に内府殿下を抱っこさせていただいたのだ!そんなわしが、内府殿下を慕い、そしてお鍛え申し上げることを止めるなどありえない!」
「俊輔よ、それを言うならこのわしも、“授業”に参加して、まだ幼くていらっしゃった内府殿下を抱かせていただいたのだ。それに、内府殿下に敷島の道を手ほどきしたのはこのわしだ。そのことを忘れないでもらおうか」
(いや、あの時、みんな私のことを抱っこしてたじゃない。それに、私の和歌、めちゃくちゃ下手なのにさぁ……)
“敷島の道”というのは、和歌の道のことである。呆れ果ててしまい、伊藤さんと山縣さんにツッコミを入れる気力を失った私の耳に、
「ならば、内府殿下に財政と経済をご教授申し上げたわしにも、内府殿下をお慕い申し上げる資格があろう。バレンタインの贈り物、今年はわしが1番に献上致しますぞ」
山縣さんの隣に座っている松方さんの、重々しい声が届く。普段、言葉数が他の梨花会の面々に比べて少ない松方さんのこの発言に、私は思わず目を見開いた。
「それならば、“授業”に参加させていただいたこの俺にも、内府殿下に真っ先に贈り物を差し上げる権利があるはず!」
松方さんの発言に刺激されたのか、黒田さんが立ち上がって松方さんを睨みつけ、
「“授業”には俺も出たから、俺が内府殿下に、いの一番に贈り物を差し上げるべきじゃのう」
西郷さんものんびりした口調でこう言いながら、辺りを睥睨する。
「ほう、皆様、なかなか面白いことをおっしゃいますね。黙って見ているつもりでしたが、気が変わりましたよ。内府殿下に最初に贈り物を差し上げるのは、内府殿下に議論のイロハを叩き込み、政治力と外交力を鍛え上げた僕しかいません。今からこの僕が、蒙を啓いて差し上げますよ」
そしてなぜか陸奥さんが、氷のような微笑を振りまきながら、このくだらない口論に参戦してしまう。精神力の限界を迎えた私は、机に突っ伏してしまった。
「梨花叔母さま?!」
ガタッと音を立てて椅子から立った迪宮さまに、
「あー……しばらくしたら起き上がるから、気にするな、裕仁。俺も梨花と同じことをしたいのは山々なのだが」
玉座に腰かけている兄が、首を力無く横に振りながら言った。
「だって、どこからツッコんだらいいか、分からないんだもん……」
私は机に突っ伏したまま兄に答えた。
「大体、私に今日、最初にプレゼントをくれたのはお義父さまなのよ。それで、出勤したら、大山さんに紅茶の茶葉をもらって、それから、兄上と迪宮さまにプレゼントをもらったから、今プレゼントをもらうと、どんなに頑張っても5番目になるんだけど……」
「まぁ、冷静に考えればそうなるな」
やや呆れたように私に応じた兄に、
「それにさぁ、お昼までにもらったプレゼントは、盛岡町に届けてもらったけど、この梨花会の後にもらうプレゼント、持って帰れないのよね。だって、梨花会が終わったらすぐ、お義父さまと一緒に、葉山のお祖母さまの所に行くからさ……」
私がひたすら愚痴り続けていると、
「葉山には自動車で行きますから、プレゼントは自動車に載せられますよ。葉山でプレゼントの中身を見ればよいでしょう」
今日、1番に私にバレンタインの贈り物をくれた人物、義父の有栖川宮威仁親王殿下が言った。
「え?自動車で?新橋から列車ではないのですか?」
上体を起こしながら尋ねた私に、
「私の運転する自動車に乗れないとでも?」
義父は冷たい声で言い、射抜くような眼差しを私に向ける。私は慌てて、「つ、謹んで同乗させていいただきます、はい」と義父に回答した。
「ですから、桂閣下、さっさと梨花会を始めてください。夜道の運転も面白いですが、危険も伴いますから、なるべく早く東京を出たいのですよ」
義父は私に投げた眼差しを、そのまま桂さんに向ける。私をからかって遊ぶことも多い義父だけれど、これでも宮家の当主で、伏見宮家の前当主・貞愛親王殿下が2年前の1923(大正8)年に亡くなってからは、男性皇族の最年長者にもなっている。まさに皇族の重鎮と呼んでもいい義父の言葉に、外郎の包みに手を掛けていた桂さんは「ははっ」と大仰に頭を下げ、
「皆様、ご静粛に願います。只今より、梨花会を開始いたします」
と、いまだに殺気立つ一同に向かって大声で呼び掛けた。牡丹の間にはやっと静けさが訪れ、私はようやく胸をなで下ろした。
まずは国内の話題からだけれど、国内の政治は落ち着いていた。
現在会期中である帝国議会では、衆議院では与党・立憲改進党と野党・立憲自由党が、貴族院では立憲改進党と立憲自由党に加え、五摂家の1つ・鷹司家の当主である鷹司煕通公爵が率いる旧公家・旧大名家出身の議員たちで構成される派閥が、建設的な議論を行っている。
「今年は9月に衆議院議員の総選挙もありますが、7月には貴族院議員の選挙もありますな」
伊藤さんがそう言いながら、桂さんと原さんに微笑を向ける。国内政治が落ち着いていることもあり、現在、衆議院議員総選挙は4年ごとに行われている。一方、貴族院の伯・子・男爵議員選挙は、7年ごとに実施される。今年はたまたま、その両方の選挙が重なるのだ。
「与党と建設的な議論を戦わせ、我が国の発展と共に、党勢の発展を図る所存でございます」
すかさず原さんが椅子から立ち上がり、兄に最敬礼しながら言上する。与党党首である桂さんも椅子から立ち、
「野党とは建設的な論戦を行い、この4年の我が党の実績の評価を、有権者たちに乞うつもりであります」
と言って、兄に深く頭を下げる。
「うん、少し早い話かもしれないが、双方とも期待している」
兄は原さんと桂さんに頷くと、
「もちろん、不正はするなよ。院の鉄槌が下るのはもちろんだが……梨花に嫌われるぞ」
よく分からない忠告を2人に与える。私の隣に座る大山さんが笑顔を見せると、原さんと桂さんは兄に再び最敬礼をした。
「千種どのを当選させることも忘れるなよ」
山縣さんからは2人に注意が飛ぶ。私の叔父・千種有梁子爵は、亡き三条さんにこき使われた後、鷹司公爵に従い、議会との折衝や議員たちへの工作を請け負わされていた。
「もちろんでございます。千種子爵は絶対に当選させます」
「千種どのは貴族院の重鎮……もし議席を失えば、貴族院が混乱に陥ることは必定。我が立憲改進党は総力を挙げ、千種どのを当選させます!」
原さんも桂さんも、山縣さんに力強く断言する。実の姪である私が内大臣に就任したことで、貴族院での叔父の影響力は上がっている。……恐らく、本人は全く望んでいないだろうけれど。私は瞑目し、今も、“ふざけるな!医者の仕事をさせろ!”と叫びながら工作に奔走しているであろう叔父の幸福と健康を祈った。
「ところが、東京駅の工事がいよいよ始まったが、完成はいつ頃になるのかね?」
西園寺さんが一同に問いかけると、
「6年後の1931年に完成予定です」
後藤さんが胸を張って答えた。
「将来、各方面への新幹線が発着することも考え、用地は広めに確保しています。内府殿下の時代にまで残るような立派な駅舎とするべく工事を進め……おや、どうなさいました、原閣下」
「いえ……もう過ぎましたが、“史実”では、わたしは東京駅で暗殺されたそうですから、東京駅が完成するのが、嬉しいような、怖いような……」
後藤さんに答えた原さんが身体を震わせると、
「それは私もですな」
末席の方にいた大蔵次官の浜口雄幸さんが深刻そうに頷く。浜口さんは、“史実”で内閣総理大臣を務めていた1930(昭和5)年、東京駅のホームで銃撃され、その時に受けた傷が遠因となって翌年亡くなったのだ。
「まぁ、“史実”と駅舎の設計は変わっているから、大丈夫じゃないかしら。どうしてもの時は、東京駅を使わないようにして、警備を強化すればいいわけですし」
私が原さんと浜口さんに言うと、
「それはそうですが……さっさと話を進めませんか?まだ海外の話題が残っているでしょう?」
義父が不機嫌そうに私に提案する。どうやら、早く自動車に乗りたいようだ。確かに、国内の話題は義父の言う通りもう無いので、梨花会の話題は海外問題に移ることになった。……と言っても、海外に関する話題も、今日は1つしかないのだけれど。
「ギリシャとオスマン帝国の和議が成立したことか」
兄が義父に苦笑いを向けた。「ギリシャがオスマンに幾ばくかの賠償金を払うことになったそうだが、何か問題でもあるのか?」
「この和平の結果を受けて、ギリシャの国王陛下がヴェニゼロス首相を解任しました」
幣原外務次官が立ち上がり、一同に伝える。
「ほう、しかし、ヴェニゼロス首相なしで、国王陛下にギリシャの舵取りができるのかな?」
児玉さんが楽しげに質問すると、
「恐らく難しいでしょうな」
大山さんが顔に微笑を浮かべて答えた。ギリシャの国王陛下は去年の9月に王位に就いたばかりで、政治の経験がほとんどない。国王陛下だけでギリシャの政治をするのは厳しいだろう。
「昨日も少し兄上と話したけれど、国王陛下はほとぼりが冷めた頃に首相を復帰させるつもりなのか、それとも、国王陛下とヴェニゼロス首相が本当に仲違いしたから解任したのかで、今後の展開は変わると思うのよ」
私が大山さんにこう言うと、
「梨花の言う通りだ。前者ならギリシャが荒れることはないが、後者なら確実に荒れる。それこそ、ヴェニゼロスが主導して王政を廃止してしまうかもしれない」
両腕を組んだ兄が横から補足する。
「そこは情報を集めねば分からないでしょうが、もし、ヴェニゼロスが国王陛下を廃位して実権を握れば、バルカン半島はまた荒れますな……」
顎ひげをしごきながら兄に応じた伊藤さんは、こちらに顔を向けるとじっと私を見つめる。気が付けば、山縣さんや桂さん、黒田さんや松方さんや陸奥さんも、包みを手にして私に視線を固定していた。
「ああ、もう、卿らは……」
大きなため息をついた兄は、
「桂総理、梨花会の議題は今ので終わりだろう?」
と桂さんに確認する。
「は、さようでございます」
「ギリシャについては、院の者も派遣して、情報収集を引き続き行うように。……結論はそれしかないだろう。それに異論が無ければ、梨花にバレンタインの贈り物をしたい者は、今、この場で梨花に贈り物を渡せ。わたしも、梨花がどのような物をもらうのか気になるから、ここに残っている」
兄が言い終わるや否や、梨花会の面々が一斉に席を立つ。
「……大山さん、順番の整理をお願い」
こちらに突進するように向かってくる一同に呆れながらも、私は大山さんにお願いした。
梨花会の面々が私にくれるバレンタインの贈り物は、だいたいみんな決まっている。伊藤さんは山水画の掛け軸、山縣さんは和歌、桂さんは名古屋から取り寄せた作り立ての外郎、高橋さんはあんパン……と言った具合である。ところが、今年、松方さんだけは、毎年くれるおはぎの入った重箱の他に、細長い木箱を抱えていた。
「ええと……それは日本画でしょうか?」
私が木箱を見ながら松方さんに聞くと、
「実は、まずまず納得の行く字が書けましたので、献上しようと思いまして……」
彼は重々しい声で私に答える。すると、私に先にプレゼントを渡し終えていた伊藤さんが、
「そ、それは是非拝見したい!」
私にうんと身体を近づけて申し出た。
「伊藤さん、落ち着いてください。これは、葉山に着いてからゆっくり拝見しますから……」
今日何度目になるのだろうか。ため息をつきながら私が言うと、
「そういうことなら、ここで拝見しましょう、嫁御寮どの。私も一刻も早く、松方閣下の書を拝みたいのでね」
義父が意外にもこんなことを言う。他の梨花会の面々も興味深そうに私の手元を覗き込んでいるので、私は松方さんから渡された木箱を開け、中に入っていた軸を開いた。
軸には、“天壌無窮”の4文字が書かれている。堂々として、気高さを感じさせる書体に、私は思わず見とれてしまう。梨花会の面々も賛嘆の声も漏らした。
「この書体は、大師流か」
軸を覗き込んだ兄に、松方さんは「はい」と頷く。
「一体、いつ書を学んだのだ?」
「きちんと師について学び始めたのは、60歳の時でございます」
兄の問いに、松方さんは頭を下げ、いつもの重々しい声で答える。
「内府殿下にお教え申し上げようかと思ったこともございましたが、華族女学校で教えている書体とは違いますから、妙な癖がついてしまって苦労されてはいけないと思い、遠慮しておりました」
そう言った松方さんに、
「お気持ちは分かりますが、閣下に嫁御寮どのの書の手ほどきをしていただいた方がよかったかもしれません」
義父が微笑んで言った。
「嫁御寮どのと栽仁の婚約が決まった時、嫁御寮どのは仕事があることを言い訳にして、筆を全くと言っていいほど持っていませんでした。ですから私は、まず机の前で筆を持つことから嫁御寮どのを教え諭さなければならなかったのです。もし、閣下が嫁御寮どのに書を教えておいででしたら、私は嫁御寮どのの教育に苦労することはなかったでしょうし、嫁御寮どのも我が家の書体と閣下の書体、2つの書体を使い分けることができたと思うのです」
「……お義父さま、そこまで言いますか?」
散々に私をこき下ろす義父に私が抗議すると、
「確かに」
大山さんが私の顔を覗き込んで深く頷く。「ちょっと?!」と私が思わず叫ぶと、梨花会の面々から笑い声が巻き起こる。その輪の中には松方さんもいた。
私は、松方さんが楽しそうに笑うのを初めて見た気がした。




