母にはできないこと(2)
1925(大正10)年1月24日土曜日午前10時25分、皇居・表御座所にある天皇の執務室・御学問所。
「そうか……」
私の口から、私の義理の祖母・董子妃殿下の病状を聞いた兄は、執務机に頬杖をつくと大きなため息をついた。
「お父様と同じように、点滴で身体に水分を補給するか、それとも経鼻胃管を使うか……董子どのの病状は、そこまで進んでしまっているのか……」
「うん……」
頷いた私も、大きなため息をついた。
「肺炎は治りつつあるのに、日に日にお祖母さまの元気が無くなっていく。今朝も、お粥を全然召し上がらなかった。今日の夕方、三浦先生と協議して、点滴や胃管をどうするか決めるけれど、どちらかをすることにはなると思う。そうなったら、私、介護休暇を取らせてもらうわ」
「そうか……」
顔を軽くしかめた兄に、
「そうならなくても、介護休暇を取らせてもらう可能性が高いと思う」
と私は告げてうつむいた。もし、明日、義理の祖母が水分補給の点滴や、経鼻胃管からの流動物の投与をされていないのであれば……それは、彼女がそういった処置を拒否した、ということを意味する。その状態では、義理の祖母の命は幾ばくも無い。今月いっぱい……いや、来週末までに、容態が急変してもおかしくないだろう。
と、
「梨花」
兄が私を優しく呼んだ。
「後で盛岡町に、コンソメスープを届けさせるよ」
「いいの?!」
「当たり前だ。董子どのへの見舞いの品だからな。それに、これがきっかけで、董子どのの食欲が戻るかもしれないし」
私にこう言った兄は、少し寂しそうに微笑み、
「梨花がいない間、俺はしっかり政務をするから、お前は董子どののそばに付き添ってやれよ。だが、無理はするな」
と続けながら、手を伸ばして私の頭を撫でた。
(……って、言われてもなぁ)
皇居から盛岡町の自宅に戻る自動車の中、私は先ほどの兄の言葉を思い出し、両肩を落とした。義理の祖母の体力と気力は、日に日に落ちてしまっている。皇居からコンソメスープが届けられたとして、それを飲む体力と気力が残っているだろうか。
(無理にスープを飲ませて、誤嚥したら大変だしなぁ……)
色々と考えていると、自動車は盛岡町の自宅に到着する。そう言えば、兄がスープを届けさせると言ったことは、別当の金子さんに伝えておかないといけないな、と思いながら玄関に入ると、かつおの出汁のいい匂いが私の鼻腔をくすぐった。
(あれ?)
我が盛岡町邸では、土曜日の昼食のメニューは西洋料理と決まっている。だから、かつおの出汁を昼食の料理に使うことは絶対にありえない。
「何かありました?今日のお昼ご飯は西洋料理なのに、お出汁の匂いがしますけれど……」
私を出迎えてくれた職員さんに尋ねると、
「はい、女王殿下がお料理をなさいまして」
彼は私にこう答えてくれた。
「ああ、万智子が」
長女の万智子は、毎日厨房に立っている。私と、私の子供たちが持っていくお弁当のおかずのほとんどは、彼女が早起きして作ってくれたものだ。休日にはお菓子を作って家族に振る舞うこともある万智子の料理の腕は、我が家で働く料理人さんたちに、“明日お嫁に行っても大丈夫”と太鼓判を押されるまでになっていた。
(お昼ごはん、万智子が作ってくれたのかぁ。楽しみね)
少し浮き立った心とともに、私が一歩足を踏み出した瞬間、
「お義母さま……!」
突然、女性の叫びが私の耳を打った。これは、私の義母・慰子妃殿下の声だ。私は義理の祖母の病室がある2階に通じる階段へ走った。
「お祖母さま?!」
最悪の事態を想定しながら義理の祖母の病室の襖を開けた私の目に飛び込んできたのは、思いも寄らない光景だった。布団の上に身体を起こした義理の祖母が、左手に茶碗を持っている。右手に持った木製の匙で、ほとんど中身の残っていない茶碗を綺麗にすると、義理の祖母は匙を口に運んだ。
「ああ、美味しかった」
やがて、義理の祖母は微笑んで言った。彼女が笑ったのを私が最後に見たのは、いつだっただろうか。少なくとも、彼女が肺炎になってからは見ていないように思う。
「本当に……本当に、ようございました……」
董子妃殿下のそばに正座している私の義母・慰子妃殿下が、涙ぐみながら董子妃殿下の言葉に応じる。義母の隣には万智子が座っていて、顔を輝かせて董子妃殿下を見つめていた。
「あの、ただいま戻りましたけれど……お義母さま、一体何が……」
私が義母に声を掛けると、こちらを振り向いた彼女は「ああ、章子さま」と涙を拭わずに言った。
「万智子さんがね、お義母さまのために玉子粥を作ったの。それを、お義母さまが、召し上がってくださって……」
(玉子粥?)
よく見ると、万智子のそばには小さい土鍋が置かれている。土鍋の中では、小口切りにした青ネギが上に散らされた玉子粥が、白い湯気を立てていた。
「だって、美味しいんですもの」
董子妃殿下は私に微笑を向けた。
「万智子が土鍋の蓋を開けたら、いい匂いがして……。見た目も綺麗だったから、つい手が伸びたの。そうしたら、とても美味しくて……私、今までにこんなに美味しいお粥、食べたことが無いわ」
「お祖母さま……」
私は嬉しそうに喋る義理の祖母を、ただただ見つめていた。彼女が今摂取したカロリーは、昨日1日で摂取したカロリーより明らかに多い。しかも、食べたのは玉子粥だ。卵は完全食に近い食品で、しかも、卵に欠けている炭水化物はお粥でしっかり補われている。
(あとはビタミンC……じゃない、この時の流れだとビタミンBか。それも卵には欠けているけれど、ネギに多少は含まれているからそれでOKか。足りなければ、ミカンでも食べてもらえばいいんだし……)
義理の祖母を見つめながら、私がぼんやり考えていると、
「母上が、卵は完全に近い食べ物だとおっしゃったから、頑張って作りました」
正座している万智子が元気よく言った。
「ひいおばあ様のお口に合って、よかったです。……ひいおばあ様、おかわりもありますよ。いかがですか?」
「そうね、あるならいただこうかしら。このお粥は、独り占めしてしまいたいくらい美味しいもの」
おかわりを勧める万智子に、義理の祖母は朗らかに笑って言う。彼女が肺炎に罹って10日目、初めて病床に光が差した気がした。
この日以降、董子妃殿下は順調に回復していった。
1月24日の土曜日のお昼、万智子の作った茶碗に2杯の玉子粥を食べ切った彼女は、その日の夕方、兄から届けられたコンソメスープを200ml飲んだ直後、
「このスープは大変美味しいけれど、量が足りないわ。何か他に食べるものはないかしら?」
と発言して、診察に訪れた三浦先生、そして看病している私や捨松さんたちを驚かせた。
「これ……もしかしたら、点滴とか経鼻胃管とか、必要ないですかね……?」
「今しばらく様子を見ないと結論は出せませんが……少なくとも、最終決断は先延ばしにしてよいでしょうね」
義理の祖母が、盛岡町邸の料理人さんが急遽作った白身魚の酒蒸しをペロリと平らげる一部始終を目撃した私と三浦先生は、彼女の病室を出ると、顔を見合わせてこんな言葉を交わしたのだった。
その後も、義理の祖母の食欲は衰えなかった。落ちていた体重も順調に増え、肌にも色つやが戻ってきた。点滴や経鼻胃管で水分などを補給する話は、完全に消えてなくなった。
董子妃殿下の朝晩の食事の時には、万智子が必ず付き添っていた。彼女は早起きをすると、昼食のお弁当のおかずの他に、曾祖母の朝食のおかずを必ず一品作る。そして、お膳を2階の曾祖母の病室に持っていくと、曾祖母のそばに正座して、食事が終わるまでずっと見守っているのだ。夕食の時も同じようなことが繰り返され、その回数が重なるうちに、董子妃殿下への抗生物質の投与は終わり、肺の水泡音は消え去っていた。
「……それじゃあ、行ってくるわね」
1925(大正10)年1月31日日曜日、午前8時。
盛岡町邸の玄関前に停車した自動車の座席には、茶色の無地の和服を着た董子妃殿下の姿があった。肺炎は無事に治ったけれど、10日余り寝たきりになっていたので、彼女の体力は落ちてしまった。このため、葉山にある有栖川宮家の別邸に移り、静養しつつリハビリをすることになったのだ。週末で東京に帰っていた栽仁殿下は、董子妃殿下に付き添って葉山に行ってから横須賀に戻ることになったので、玄関前には見送りのため、私と義父、そして義母と子供たちが立っていた。
「義母上、ここまでご体調が戻られて、本当にようございました」
私の義父・有栖川宮威仁親王殿下が、自動車のドアに近づき、董子妃殿下の手を握りながら言った。
「今だから申せますが、一時は、永の別れをすることになるのではないかと、密かに覚悟をしておりました」
義父がこう続けると、
「実はね、私もよ」
自動車の座席に腰かけた董子妃殿下が、義父に微笑んで返答する。義父も義母も、私も子供たちも、自動車の隣の座席に乗り込んでいた栽仁殿下も、董子妃殿下の言葉を聞いて顔を強張らせてしまった。
「ああ、やっぱり、驚いてしまったわね」
董子妃殿下は一同の様子を見てカラカラと笑い、
「熱でうなされていた時に、ふと、もうここで死んでしまっていいのかしら、と思ったの。栽仁も立派な軍人になって、素晴らしい宮さまと結婚して、可愛いひ孫たちまで見せてくれた。これなら、あの世の殿下のところに行っても、たくさん土産話ができるわ……そう思ってね」
と言葉を続ける。“あの世の殿下”というのは、董子妃殿下の夫で、有栖川宮家の先代当主である熾仁親王のことだろう。
「お止めください、お義母さま!」
私の義母の慰子妃殿下が、顔を真っ青にして叫ぶ。万智子をはじめ、子供たちは董子妃殿下を怯えたように見ていたし、私も目を見開いてしまった。
そんな私たちに、
「でもね……万智子が玉子粥を私に作ってくれた時、そのいい匂いに、手がいつの間にかお茶碗に伸びたの」
董子妃殿下は穏やかな調子で語り掛ける。
「かつおのお出汁にふわふわした卵、緑鮮やかな青ネギ……見た目も綺麗で、気が付いたら、夢中になって匙を動かしていたわ。そして、食べ終わったら、何だか気力が湧いてきたの。まだ、あの世に行くのは早い、見ておかなければならないことがまだたくさんある……自然とそんな気持ちになったわ」
「お祖母さま……」
私はほっと胸をなで下ろし、私のそばに立っている長女をじっと見つめた。董子妃殿下をこの世に繋ぎ止めたのは、医学の力ではない。どうやら、状況を好転させたのは、しっかり者の私の長女が作った玉子粥だったようだ。
「万智子」
不意に董子妃殿下に名前を呼ばれた万智子は、身体をピクリと震わせて「はい」と返事した。
「華族女学校がお休みになったら、葉山に来てちょうだい」
「ひいおばあ様……」
「私、万智子の作ってくれるお料理がまた食べたいの。もしよければ、葉山に作りに来てちょうだい」
「はい、喜んで!」
万智子が元気に即答すると、董子妃殿下は満足げに頷いて、職員さんに自動車のドアを閉めるよう合図する。やがて、董子妃殿下を乗せた自動車が新橋駅に向かって走り去ると、
「万智子、本当にありがとう」
私は、私にはできないことをして、義理の祖母の命を救った長女に、心からのお礼を言った。




