ある日の鞍馬宮邸
1924(大正9)年6月14日土曜日午後3時50分、赤坂御用地内にある鞍馬宮邸。
「ごめんなさいね、なかなかお見舞いできなくて」
今月の定例の梨花会が終わった後に立ち寄った鞍馬宮邸の応接間で、私は弟の妃で、大山さんの初孫でもある蝶子ちゃんに謝罪していた。
「章子お義姉さま、気になさらないでください」
現在輝仁さまとの3人目の子を身籠っている蝶子ちゃんは、私に笑顔で言った。輝仁さまと出会った頃には女学生だった蝶子ちゃんも、27歳になった。数々の公務を経験したからか、美しさの中には落ち着きが感じられるようになっている。
「私、こうして章子お義姉さまとお話できるの、とっても嬉しいですから」
「そう?なら、よかったけれど……」
蝶子ちゃんに微笑み返した私は、
「今月で妊娠5か月だっけ?」
と彼女に尋ねた。
「はい、そうです。もう悪阻も終わりました。と言っても、悪阻自体、詠子と輝正を産んだ時と比べれば軽かったですけれど」
明るい声で蝶子ちゃんが答えると、
「とてもそうは思えなかったけどな……」
蝶子ちゃんの隣に座っていた私の異母弟・鞍馬宮輝仁さまが、蝶子ちゃんに視線をチラと向けるとため息をついた。それを見た蝶子ちゃんは、
「何言ってるの。悪阻の時も、色々食べられてたじゃない。詠子の時とは全然違ったわよ」
とすかさず輝仁さまに反論する。
「そうだったけど、“これなら行ける!”って言って、魚の煮つけを食べて戻した時があったろ」
「だって、本当に大丈夫だと思ったんだもん」
「それに、色々なものは確かに食べられてたけど、量は少なかったぜ。もっと量が取れる方が、蝶子の身体のためにはいいのにさ……」
「それは分かってるわよ。だから少しずつでも色々なものを食べて量を稼ごうって……」
「あ、あの……2人とも、抑えてもらっていいかな……」
少々不穏な雰囲気が漂い始めた弟夫婦を私が慌てて制止すると、
「あ、ごめん、章姉上……」
「申し訳ありません、つい……」
輝仁さまと蝶子ちゃんは、揃って顔を真っ赤にして頭を下げた。
「ま、まぁとにかく……元気なのね、蝶子ちゃん?」
1つ咳払いをしてから義理の妹に尋ねると、
「はい、とっても」
蝶子ちゃんは笑顔に戻って頷く。
「殿下はもちろんですが、皇太后陛下がとても気に掛けてくださって……運動でこちらの方にいらっしゃると、必ず私を見舞ってくださいます。それに、詠子と輝正のことも可愛がってくださいますし」
「さっき蝶子に聞いたら、詠子は幼稚園から帰ると、毎日大宮御所に行ってるんだってさ」
蝶子ちゃんの横から、輝仁さまが付け加えた。
「そうなんです。平日は毎日お邪魔しているので、皇太后陛下のご迷惑ではないかしら、と心配してしまうのですが……」
ほんの少し顔をしかめた蝶子ちゃんに、
「安心して、蝶子ちゃん。“詠子さまと輝正さまが毎日来てくれてとても嬉しい”って、お母様が言ってたわ」
私はつい先日聞いた情報を伝えた。
「本当ですか?!よかったぁ……」
蝶子ちゃんが胸を撫で下ろしている一方で、
「おい、ちょっと待て、章姉上」
輝仁さまが真面目な顔を私に向ける。
「お母様に聞いたって、……いつ聞いたんだよ?」
「ええと、先週の水曜日ね」
弟の質問に回答すると、
「え?!章姉上、大宮御所に行ったのか?!」
彼はなぜかこちらに身を乗り出して確認する。
「うん、兄上の使いで……」
すると、私の答えを聞いた輝仁さまは急に椅子に座り直し、「だよな……」と呟いて大きなため息をついた。
「そうだよな。大体、章姉上が、大宮御所に自分から行く訳がないもんな、うん……」
「ちょっと」
弟の思わせぶりな態度に、私は右の眉を跳ね上げた。
「そんな言い方はないでしょ。私のこと、一体何だと思ってるのよ」
「遠慮し過ぎの仕事人間」
私の問いに、弟は容赦の無い回答を投げつける。
「……こんなにハッキリ言われるとは、思ってなかったわ」
私は弟にこう応じると両肩を落とした。
「あ……ごめん、章姉上」
輝仁さまはばつの悪そうな顔をして私に謝ると、
「あのさ、俺、政治のことはよく分かんないけど、……章姉上って、昔から大変だったよな。“才色兼備の内親王”とか、“社会に通用する女子の手本”とか世間から言われてさ」
私にこんなことを話しだした。
「世間は章姉上のことをもてはやすけど、章姉上はその期待に十分応えてる。内大臣になった今だってそうだ。……でもさ、章姉上、たまには肩の力を抜いたっていいんだぜ?子供の頃みたいに、遠慮なくお母様に甘えたっていいじゃないか。じゃないと、章姉上、いつか壊れちまいそうで、俺、心配だ」
今生では8人きょうだいの長女となった私だけれど、きょうだいそれぞれとは全員仲が良い。もちろん、1番仲が良いのは兄だけれど、その次に仲が良いきょうだいは、10年近く一緒に住んでいた輝仁さまだ。そのたった1人の弟の瞳は、私に真っ直ぐ向けられていた。
「……ありがとう、輝仁さま」
私は弟の瞳に微笑で応えた。「政治的な配慮……って奴が、本当にややこしいのよ。でも、確かに、輝仁さまの言う通りだから、たまにはお母様に甘えさせてもらうね」
「じゃあ、このこと、栽仁兄さまにも伝えるからな」
すると、弟は私にニヤッと笑って言った。「栽仁兄さまの言うことなら、章姉上も逆らえないだろ」
「あ、あのね……」
私は反論しようとしたけれど、輝仁さまも、そして蝶子ちゃんも、意味ありげな微笑を顔に浮かべながら、私をじっと見つめている。顔を真っ赤にした私は口を閉じると、心を落ち着けることに努めた。
「と、ところで……」
私が再び口を開いたのは、口を閉じてから2分ほど経った時だった。
「輝仁さまは、最近、仕事の方はどうなの?震災の時は、だいぶ忙しかったと思うけれど」
「震災の時に忙しかったのは、どの部署も同じだぜ」
輝仁さまは笑って私に答えると、
「まぁ、こっちも御多分に漏れず、って感じだったけどさ。被害範囲把握のための偵察飛行もやったし、物資の運搬もやった。鉄道復旧工事の図面を引く技術者を、現場まで飛行器で連れて行って視察をさせたこともあった。東京と大阪を、飛行器で数えきれないほど往復したし」
と続ける。
「でも、こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、楽しかったぜ。訓練でも、あんなに飛行器に乗り続けることはないからさ」
そう言って笑う弟に、
「あなた……そんなことを山本少佐に聞かれたら、“まだ余裕があるみたいだな”って言われて、死にたくなるくらいの猛訓練をさせられるわよ」
私が冷静にツッコミを入れると、
「うわ……猛訓練はいいけど、死にたくなるくらいのは嫌だなぁ……」
輝仁さまは両腕で頭を抱える。それを見た蝶子ちゃんがクスっと笑った。
「今は、通常業務に戻っているのかしら?」
私の質問に「ああ」と輝仁さまは頷き、
「最近は、試作飛行器にもたくさん乗ってるな。面白いのがどんどん出てきてるぜ。章姉上も、1度所沢に見に来なよ」
と、楽しそうな口調で私を誘う。
「そうねぇ……」
輝仁さまが普段勤務しているのは、所沢の航空基地だ。そこを視察するとなると、半日は潰れるだろう。どこかで有給を取れるだろうかと考えようとしたその時、
「ただ今帰りました!」
女の子の元気な声が玄関の方から聞こえた。それに続いて「帰りました!」という可愛らしい男の子の声もする。
「ああ、詠子と輝正が帰ってきたな」
「どうする、殿下?章子お義姉さまがいらっしゃるし、部屋で遊んでいてもらう?」
顔を見合わせて相談する弟夫婦に、
「別に、ここに来てもらってもいいわよ。詠子さまにも輝正さまにも会いたいし」
私が答えた瞬間、応接間と廊下の境にある襖が前触れもなく開く。廊下には、弟夫婦の長女で5歳になる詠子さまと、長男で2歳6か月の輝正さまが立っていた。
「あ!章子……伯母さま、こんにちは!」
「こんにちは!」
元気よく私にあいさつしてくれた姉弟に、私も「こんにちは」とあいさつする。
「2人とも、元気かしら?」
私の問いに「はい!」と答えた詠子さまは、
「ねぇ伯母さま?伯母さまって、すごい刀を持っているの?」
私にこんなことを尋ねた。
「すごい刀?」
私が首を傾げると、
「おばば様がおっしゃっていたの。伯母さまは、先帝陛下からいただいた、すごい刀をお持ちだ、って!」
詠子さまは更にこう言う。
「ああ……大典太光世のことかしら」
私は栽仁殿下と共有している刀の名を挙げた。あの刀は、今から20年以上前、軍医学校に入学した時に、お父様から入学祝いとしてもらったものだ。紆余曲折を経て、栽仁殿下と婚約した時に、彼と共同で所有することになったけれど、“天下五剣”の1つで、私の時代には国宝に指定されていた刀だから、間違いなく“すごい刀”である。
「うん、その、大典太!」
詠子さまは明るく笑うと、
「ねぇ伯母さま、わたしにその刀、見せて下さらない?」
と、目をキラキラさせながら私に尋ねた。
「ええ……?」
“日本刀を見せて欲しい”というのは、5歳の女の子のお願いとしていかがなものだろうか。救いを求めるように弟夫婦を見ると、
「ああ……詠子、最近、日本刀を見るのが好きなんだ」
輝仁さまが困ったように笑いながら言った。
「に、日本刀を……それ、幼稚園で周りの子から浮いてない?大丈夫なの?」
心配になった私が聞くと、
「別に大丈夫なんじゃないのか?章姉上だってお城が好きだし、同じようなもんだろ」
弟は軽い調子でこう答える。
「あのね、城と刀は全然違うのよ。一緒にされたら困るわ」
私が弟に抗議すると、
「父上、刀とお城は違うの」
詠子さまもそう言って自分の父親を睨みつけた。
「……何でそこで意見が一致してるんだよ」
輝仁さまがため息をついた時、
「ねぇ伯母さま、大典太、伯母さまの家に見に行ってもいいですか?」
詠子さまは期待に満ちた目で私を見つめた。
「えっと……」
一応、盛岡町の家の庭園に仮設されていた赤十字社の臨時病院は、5月中旬の業務終了とともに撤去され、敷地も元通りになったから、お客様を招くのには問題ない。しかし、大典太光世は栽仁殿下と私が共同所有しているので、詠子さまに見せるには、栽仁殿下にも許可を取らなければならない。更に言えば、現在盛岡町邸には、義理の両親も同居しているので、有栖川宮家の当主である義父の威仁親王殿下の許可も必要だ。
「伯母さまの一存では、許可が出せないんだよねぇ……」
苦笑いしながら元気な姪っ子に答えると、
「じゃあ、今日、必要な許可をもらって、明日伯母さまの家に行くのではダメですか?」
詠子さまは鼻息荒く私に尋ねた。
(あ、明日?)
随分と急な話だ。もう少し待って、と言おうとした私の口の動きは、詠子さまの異様に強い目の力を受けて止まってしまった。“また今度ね”などと答えてしまったら、彼女は大泣きしてしまうかもいしれない。ひょっとしたら、去年のエドワード皇太子を歓迎する晩餐会の時のように、ひどいイタズラを私にするかもしれない。
「今日帰ったら、お義父さまと栽仁殿下にお願いしてみるけれど……」
慌てて答えた私は、帰宅すると早速義父と栽仁殿下に詠子さまの希望を話した。喜んだ義父が、有栖川宮家にある大典太光世以外の日本刀も引っ張り出してきたので、翌日、我が家にやって来た詠子さまは、たくさんの日本刀を前にして、数時間、興奮しっ放しだった。……暴れることはなかったからよかったけれど。




