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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第76章 1923(大正8)年冬至~1924(大正9)年処暑
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小田原・根府川行幸

 1924(大正9)年5月13日火曜日午前10時15分、皇居・表御座所にある天皇の執務室・御学問所。

「以上が今週金曜日の小田原町・片浦村(かたうらむら)への行幸についての説明となりますが、何かご質問はございますか?」

 今、御学問所には6人の人間がいる。兄と私、内大臣秘書官長の大山さんと宮内大臣の牧野さん、侍従長の奥保鞏(やすかた)さんと侍従武官長の鈴木貫太郎さんである。そして、たった今、宮内大臣の牧野さんが説明を終え、兄に一礼したところだった。

「俺は特にないが……」

 兄はそう言うと私に目をやり、

「章子は何かあるだろう」

と、唇の端に笑みを閃かせながら続けた。

「じゃあ、兄上のお言葉に甘えて……」

 おずおずと右手を挙げた私は、

「なぜ、今回横浜から使う御召艦が、2等巡洋艦の“鬼怒”なのでしょうか?」

牧野さんにこう質問した。

「確かに、昨年の横須賀への行幸で、“鬼怒”は御召艦になりました。でもあれは、横須賀港の仮桟橋に、“鬼怒”より大きい軍艦では横付けできなかったのが主な理由だと聞きました。今回、小田原町と片浦村には揚陸艇で上陸するのですから、御召艦は“鬼怒”よりも大きな軍艦がよいのではないでしょうか」

 すると、

「内府殿下の仰せの通りではあるのですが」

牧野さんが穏やかな声で私に答え始めた。

「昨年の横須賀への行幸の時とは、状況が異なります。横浜港の復旧作業が進み、“鬼怒”と同じぐらいの大きさの船舶ならば、岸壁に横付けできるようになりました。ですから、御召艦には“鬼怒”が妥当と考えます」

「で、でも、それなら、他の軍艦でもいいじゃないですか!“鬼怒”が連続で御召艦になってしまったら、他の第1艦隊の軍艦の乗組員ががっかりしてしまいます。第1艦隊には、“鬼怒”の同型艦の“利根”もいるはずです。どうして御召艦が“利根”ではいけないのですか?」

「“利根”は今、横須賀で入渠(にゅうきょ)しております」

 鈴木侍従武官長が、私にのんびりした声で言った。「当分は第1艦隊に復帰できないでしょう」

(そんな……)

 何とかして、“鬼怒”以外の軍艦を御召艦にすることはできないだろうか。必死に考えようとしたその時、

「往生際が悪いですぞ、内府殿下」

奥侍従長がギロリと私を睨んだ。「決定事項でございます。おとなしく受け入れなされ」

「いや、ですから……」

「“鬼怒”の幹部が陛下に拝謁を賜る時には、是非内府殿下にもお立合いいただかなければなりませんな」

 反論しようとする私の耳に、大山さんの言葉が突き刺さった。

「それから、“鬼怒”の航海中には、章子に“鬼怒”の乗組員の様子を視察させよう。特に、砲術長の様子をな」

 兄はこんなことを言いながら、私に笑顔を向けている。兄と目が合った瞬間、私は顔を真っ赤にして椅子から立ち上がった。

「な、なんで……なんで行幸中に栽仁(たねひと)殿下の仕事の様子を見てなきゃいけないのよ!公私混同って言われちゃうじゃない!」

「そんなことはない。お前は俺の命令で、軍艦で働く人間の仕事ぶりを視察するだけだぞ?」

 ようやく反論できた私に、兄は笑顔を崩さぬまま言い返すと、

「お前は本当に可愛いなぁ」

更にこう付け加えた。

「……牧野さん」

 私は兄から顔を背けながら、宮内大臣に声を掛けた。

「私、今回の行幸では、東京で留守番します」

「恐れながら内府殿下……」

「ならん、ついてこい。勅命だ」

 牧野さんの声と、兄の声が重なった。

「なんでよぉ……」

 私が兄を睨むと、

「お前、小田原城二の丸の平櫓を見たくはないのか?」

兄は穏やかな口調で私に聞く。

「お前が結婚する前、小田原町に資金を援助して、耐震工事をさせた平櫓だ。1月の丹沢地震にも耐えて健在だという。その勇姿、その眼に刻みつけたくはないのか?」

「そ、それは見たいけれど……」

 一瞬浮き立った私は、すぐに頭を左右に振った。

「兄上、嘘はついてないよね?もし和田倉門みたいに、私を倒れさせたくないから、小田原城の平櫓が倒れたのを隠している、なんてことがあったら……」

「ついてない、ついてない。お前を城のことで騙すと大変なことになるのは、和田倉門の時に思い知った。小田原城の二の丸平櫓は、本当に健在だ」

 兄は私に向かってまくし立てる。私は兄の様子を観察してみたけれど、嘘をついている様子はなさそうだったので、

「……では、謹んで勅命に従います」

私は姿勢を正し、兄に向かって頭を下げた。

「あ、でも、“鬼怒”の乗組員の視察はしないからね」

「ならん……と言いたいところだが、栽仁のところでずっと動かなくなりそうだからな。勘弁してやろう」

 ニヤッと笑った兄に、私が言葉をぶつけてやろうと身構えた時、

「内府殿下は、有栖川(ありすがわ)の若宮殿下と仲睦まじいのですな」

と、鈴木さんがニコニコ笑いながら穏やかに言う。急に恥ずかしくなってしまった私は気勢をそがれてしまい、口を閉じると椅子に腰を下ろした。


 1924(大正9)年5月16日金曜日午前10時55分、相模湾。

「ようやく顔色が元に戻ったな」

 横浜港を出発した御召艦“鬼怒”は、小田原町の沖に投錨すると、搭載していた揚陸艇を海面に下ろす。それに乗り込むと、兄が私に笑いながら言った。

(別に、船酔いもしなかったけどな……)

 兄の言っていることがよく分からなかったので、そのまま聞き流そうとすると、兄は突然私の左耳に口を近づけ、

「“鬼怒”に乗りこむ時も、“鬼怒”の幹部たちが挨拶に来た時も、お前の目が栽仁を追っているのがよく分かったぞ。頬をほんのり赤く染めて……本当にお前は可愛いな」

と囁いた。

「~~~っ!」

 余りのことに顔を真っ赤にした私の両手首を、後ろから大山さんが掴む。

「陛下、内府殿下をからかうのはほどほどになさってください。動転なさった内府殿下が、陛下を海に突き飛ばしてしまうやもしれませぬ」

 真面目な口調で注意する大山さんに、「分かったよ」と答えると、兄は私の左肩を叩き、私から離れた。

 50年以上前、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)が地引き網漁を見たという“御幸の浜”という砂浜から上陸すると、私たちは歩いて小田原町の中心部へ進んで行った。関東大震災から半年以上が経過しているためか、瓦礫は全て取り除かれているけれど、道の左右には空き地や建設中の建物が並び、道路には補修したような跡がある。先頭に立って案内してくれている小田原町の町長さんによると、この小田原町の主要な建物は、ほとんどが関東大震災で倒壊してしまったそうだ。

「町役場はもちろんですが、小田原駅、警察署、裁判所、郵便局、中学校……町の重要な建物が倒壊してしまいましたので、命は助かったものの、どうしたらよいやらと、発災当時は途方に暮れました」

 町長さんは、私たちにしみじみと語った。

「しかし、そんな中でも、あの建物は倒れずに残ったのです。……あちらをご覧ください」

 町長さんがこう言ったのは、裁判所の跡地まで来た時だ。彼が指し示した方角には、小田原城の水堀がある。そして、水堀の向こうには、小田原城二の丸の平櫓が、石垣の上にどっしりとそびえているのが望まれた。

(ああ……!)

「内府殿下、落ち着いてください」

 平櫓を伏し拝もうとした私の身体を、後ろから大山さんが羽交い絞めにした。

「止めないで、大山さん!」

 大山さんの腕を振り解こうとしながら私は叫んだ。「無事だったのよ、平櫓が!関東大震災にも、丹沢地震にも耐えて……私、嬉しくて、嬉しくて……」

 すると、

「内府殿下のお気持ちは、よく分かります」

意外にも、小田原町の町長さんが、私の援護射撃をしてくれた。

「関東大震災の時、主要な建物が倒壊している中、倒れずに残っていた平櫓を見て、我々は励まされたのでございます。ここでくじけてはならない、と」

「町長さん……!」

 私は感極まり、町長さんの両手を握った。

「内府殿下が10数年前、資金を我が町に御下賜なさったので、あの平櫓の耐震工事を致しました。そのおかげで、関東大震災と丹沢地震、2度の大地震を乗り越えられたのでしょう。我々小田原の町民は、皆、あの平櫓の姿に励まされております。いつか必ず小田原の街を復興させて、今回壊れてしまった小田原城の遺構も、後世に伝えるべく補修して参りたいと存じます」

 力強く決意を述べる町長さんに、

「頑張ってください。小田原城の遺構を補修する時は、私も援助します」

私はこう申し出た。“史実”と違い、二の丸の平櫓が無事に残った小田原城……その姿は何としてでも私の時代……いや、未来永劫、伝えなければならない。

「大山閣下……先日も感じたのですが、内府殿下は城郭がお好きなのでしょうか?」

 私の後ろで、侍従武官長の鈴木さんが大山さんに尋ねている。

「それはもう」

 大山さんは澄ました顔で頷くと、

「盛岡町のご自宅には、全国各地の城郭の模型が展示してある部屋がございます。名古屋離宮や二条離宮にお泊りになれば、御殿や櫓を隅々まで見て回られます。かつて広島にご赴任なさった際は、休日のたびに第5軍管区司令部のある広島城にお成りになり、広島城の遺構を飽きることなく見学なさっておいででした。いやはや、日本広しと言えども、ここまで城郭に取りつかれていらっしゃるのは、内府殿下の他にはおりますまい」

「……事実を話しているとは思うのだけれど、一部誇張した表現が含まれていたのは気のせいかしら?」

 私が振り返って大山さんを睨むと、

「とんでもございません。(おい)は事実を話したまでです」

大山さんは全く動じることなく私に返答する。睨み合った刹那、「まぁまぁ」と言いながら、兄が私と大山さんの間に割って入った。

「壊滅に近い被害が出たのに、小田原の街は着実に復興しつつあるな」

 私たちの様子を呆気に取られたように見ていた町長さんに、兄は微笑を向けると穏やかな声で言う。町長さんが慌てて兄に最敬礼した。

「それは、あの平櫓が、町民たちの心の支えになっているからだろう。2度の大地震に耐えた平櫓のように、小田原の町民の心は2度の大地震にも折れず、復興に向けて燃えている。……町長、きっとこの町は目覚ましい発展を遂げるよ。それまで、倦まず弛まず励んでくれ」

 兄の言葉に、町長さんは最敬礼したまま、「はっ、必ず……!」と奉答した。


 小田原町の視察を終えると、私たちは御幸の浜から揚陸艇で“鬼怒”に戻った。揚陸艇を船内に収容して、“鬼怒”が片浦村の沖に移動するまでの間、おにぎりとたくわんだけの簡素な昼食を済ませる。これは、“鬼怒”に、私たち全員が落ち着いて食事ができるスペースが無いこともあるけれど、

――被災地の視察に行くのだから、普段の行幸のようなきちんとした食事を出すには及ばない。戦時と同じ食事で構わないし、俺に出す食事も一般の兵と同じものでよい。

と、兄が事前に、牧野さんに命じていたことによる。だから、兄に出された食事も、おにぎりとたくわんだけのはずだ。……関東大震災の発災時と同じように。

 全員が腹ごしらえを終えた頃、ゆっくりと航行していた“鬼怒”は、片浦村の沖に到着した。再び海面に下ろされた揚陸艇からは、これから向かう片浦村の根府川(ねぶかわ)集落の様子がよく見える。海岸には、大小様々な岩石が転がっている。そして、山の方へと積み重なる土砂の中に、熱海線の橋梁の土台が僅かに顔を出していた。

「これはむごい……」

 揚陸艇の渡し板の上を歩いて海岸に上陸した兄は、出迎えに出ていた片浦村の村長さんに会釈すると、辺りを見回しながら言った。

「右手にあるのは駅か?今は再建工事をしているようだが……」

「はい、根府川駅でございます」

 兄の質問に、村長さんが恭しく答える。

「根府川駅では、駅の背後の斜面が地震とともに崩れまして、駅舎とホームを押し流してしまいました。列車が巻き込まれなかったのが不幸中の幸いでございますが、もし列車が巻き込まれておりましたら大惨事となっていたでしょう」

 ……実際、“史実”ではそうなってしまったのだ。根府川駅の背後の斜面で発生した大規模な地滑りは、折悪しく駅に停車しつつあった熱海線の列車を駅ごと押し流し、海中へと沈めてしまった。約200名の死者が出た……“史実”の記憶を持つ斎藤さんがそう教えてくれた。

「そして、こちらには、熱海線の白糸川橋梁が架けられておりました」

 続いて村長さんは左側を指し示した。

「あの日は避難訓練をしておりまして、住民は、集落の中にあった数か所の避難場所に分かれて訓練をしておりました。しかし、地震から数分もしないうちに、白糸川の4kmほど上流にある山が大規模に崩落して、土砂が雪崩のように白糸川を流れ下りました。その土砂の量が余りにも多かったため、住民が集まっていた場所のいくつかが土砂に飲み込まれ、300人余りが亡くなりました」

「そうか……」

「熱海線の橋梁も、土砂で破壊されました。集落内の家屋は、91戸中72戸が土砂に埋まり、一家全滅した家もありまして……」

 その時、村長さんの目から、涙が零れ落ちた。災害発生当時の凄惨な光景を思い出したのだろう。すると、兄が村長さんの肩に優しく触れた。

「それでも、お前たちは生きていてくれたのだな」

「!」

「多くの住民が亡くなってしまったのは本当に残念だが、お前たちだけでも生きていてくれてよかった」

 余りのことに目を丸くしてしまった村長さんに、兄は穏やかな声で語った。

「お……お優しきお言葉……まことに、まことに、ありがとう存じます……」

 兄に答えた村長さんの言葉は、涙で途切れ途切れになっている。私も思わずもらい泣きしそうになった。

「ところで……亡くなってしまった者たちの冥福を祈らせてくれないか」

 兄が声を掛けると、「は、はい!」と村長さんが慌てて離れる。兄は川の上流の方へ2、3歩進み、上流に向かって深く頭を下げる。私たちも兄に倣って頭を下げ、犠牲者たちの冥福を祈った。

「……なぁ、梨花」

 村長さんに更に励ましの言葉を掛けた兄は、“鬼怒”に戻ると私を呼んだ。

「何?栽仁殿下の所に行けと言うならお断りよ」

 私が警戒しながら応じると、「違う、そうではなくてな」と兄は首を左右に振り、

「この辺りは、厳しい地形だな。海沿いの断崖絶壁に、鉄道と街道が貼りつくように伸びている。急な山の斜面を切り開いて、畑が作られている……」

と、目の前に広がる風景を私に示しながら言う。小田原方面から海沿いに伸びた熱海線の線路には大勢の作業員が出て、がけ崩れが発生した箇所の修復を進めていた。

「江戸の昔なら、あんなに大規模に地形を変えることはできなかっただろう。技術が進んだことによって、今まで開発できなかった場所を切り開けるようになったからだろうが……なぁ、梨花。開発をすればするほど、災害というものは発生しやすくなるのか?」

「……そういう面はあると思う」

 私は土木や建築の専門家ではない。だから断言はできないけれど、とりあえず考えられることを兄に伝えてみた。

「でも、だからと言って、開発を全て止める訳にはいかないわ。これから、ダムだって、新幹線だって、高速道路だって建設しないといけないんだもの」

 私がこう続けると、

「そうだな。我が国が世界になめられないような国になるために、しなければならないことはまだまだ多い。それには、大規模な開発も必要になるだろう」

兄は私に答えて言った。

「土木技術の発展、建築材料の進歩……他にもやらないといけないことはたくさんあるだろうけれど、色々な技術を発展させて、地形と上手くやっていけるような開発ができるようになるといいわね……」

 私がそう呟いた時、2等巡洋艦“鬼怒”は横浜港へと進み始めた。次第に離れていく根府川の集落に向かって、兄は再び深く頭を垂れた。

※根府川集落の山津波の発生状況は、拙作の世界線の状況により一部変えています。ご了承ください。

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― 新着の感想 ―
[一言] 根府川駅 3月に青春18きっぷを活用したお城巡りで降り立ちました。一応、関東大震災での被災状況は知っていたのですが、現地に降り立って実感しましたね、この地形はヤバすぎ。 開発が災害を招く こ…
[一言] 二の丸の石垣も崩れずに済んだが本丸は… いずれにしろ史実よりずっと早く天守が復元されるかも知れませんね。
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