改軌論争(3)
「増宮殿下……“史実”では、主要な路線のレールの幅は、今の軌間のままなのですよね?」
原さんが、若干取り乱している。
「ええ、確かに、私の記憶でもその通りでした。一部の私鉄は、多分広軌だけれど」
JRのレールの幅は、今の汽車のレールの幅と同じだとはさっき言ったけれど、私鉄の一部では、もう少しレール幅が広かった気がする。
さっき原さんからは、“史実”での、大正時代までの鉄道発展の歴史を聞いた。1907(明治40)年に、既に今、上野と青森の間で営業している日本鉄道をはじめとする、私鉄会社17社の路線が国有化された。そして、何度かレールの幅を巡る論争があった挙げ句、結局レールの幅は広がらなかったそうだ。恐らく、その幅――狭軌が、前世のJRでも、続いていたのだろう。
“史実”で、立憲同志会を与党としていた大隈さんは、“軌間拡張”を主張し、政権与党だった時、何度か鉄道院――今の鉄道庁の後身の機関だけれど――に検討もさせていた。しかし、立憲同志会の対立政党・立憲政友会に所属していた原さんが、立憲政友会が与党になるたびに、その案を潰したらしい。一方の当事者だった原さんは、“潰してやった”と自慢げに言っていたけれど。
「さて、私がレールを広げるべきと思う理由は2つあります。一つは、車両の安定性の問題です。スピードが上がれば、車両は脱線しやすくなります。列車にはスピードも必要ですけれど、それ以上に安全も必要です。スピードが上がっても、乗るたびに脱線するような列車、誰が使いたいと思いますか?だから、安定性に優れる広軌の方がいい」
「なるほど、理に適っておりますな」
大山さんが静かに同意した。
「もう一つは、機械を、同じ性能のまま小型化する、ということが、一般的には難しいからです。私の前世が鉄道の技術者なら、高性能で小さな蒸気機関車のボイラーとか、電車のモーターとかを作れたかもしれないけれど……残念ながらそうではないから、機械の技術は、“史実”と同じように発展するのだと思います。もし狭軌のままなら、高性能なボイラーが出来ても、それを小型化する手間が必要になります。それなら、小型化する手間を省ければ、高性能な機関車や電車が世に出て来るのが、少し早くなるかな、と思ったのだけど……」
大隈さんも、原さんも、何故か目を丸くしている。大山さんもだ。
「ご、ごめんなさい。大山さん、……私、何か、とんでもなく間違ったことを言ってしまった?」
大山さんはハッとしたように、何回か瞬きすると、私に向かって微笑した。
「いえ、全く……。どうぞ、そのままお続けください」
「はあ……で、“今しかない”と言った理由ですけれど、鉄道の建設された距離が、まだ短いからです。今後、鉄道は、ますます距離を伸ばします。距離が伸びてから改軌の工事をすることになれば、今より、もっとお金が掛かります。だって、工事する区間が増えるもの」
それに、将来、日本鉄道などの私鉄会社が国有化されてしまえば、その分の改軌工事もしなければならないから、余計にお金が掛かってしまう。
「確かに……」
原さんは呟いたけれど、すぐに気を取り直したように、顔を上げて私を見た。
「しかし、増宮殿下、実際に改軌工事をするとなれば、列車は長期間運休しなければなりませんし、機関車や客車、貨車も交換しなければいけません。そちらでも費用が掛かりますよ?」
「あの、原さん……大隈さんもだけど、改軌に掛かる期間、どのくらいだと思っていますか?」
「今の線路の総延長でも、数ヵ月は掛かるでしょう」
「さよう」
原さんと大隈さんが答えた。
「具体的な方法って、どうするつもり?」
「まず列車を運休させます。それから、レールを敷き直すことになりましょう。それを区間ごとに繰り返して……」
「うむ、その方法しかないな」
原さんの言葉に、大隈さんが頷いている。
「レールって、2本ですか?」
「当たり前でしょう。増宮さま」
「1本足すだけで、いいじゃないですか」
原さんも大隈さんも、反応しなかった。大山さんも、首を傾げている。
「あー、だから……」
私は新しい紙に、鉛筆で縦線を2本引いた。
「この2本の線の間が、今のレールの幅の、1067mmとするでしょ。で、この外側に……」
右側の線のすぐ外に、もう1本、縦線を平行に引く。
「一番左と、真ん中の線の間が、1067mm。一番左と、今引いた一番右の線との間が、1435mm!……今のレールに平行に、こんな風に、もう1本、レールを新しく敷くだけなら、運休も最小限になるんじゃないかな?カーブを緩やかにしたり、路盤の強化をしたりしなきゃいけない所は出るだろうけれど……。それで、狭軌と広軌の列車を、同時に走らせればいいの」
「ほう!……梨花さま、まさか、これを今思いつかれたのですか?」
大山さんが唸った。
「あ、大山さん、……これ、私のオリジナルじゃない。前世の鉄道で、こんな風に、3本レールが敷いてあったところがあったのを思い出したの。確か、秋田の城跡巡りをした時かな。車両の幅の違う、普通列車と新幹線が、線路を共有してたから、こうなってたんだと思うけど……」
私は原さんの方をちらりと見た。彼の顔は、明らかに青ざめている。私の視線に気づくと、原さんは怯えるような目で私を見つめた。
(あー……もしかしたら、この工法でドンピシャだったのかな?大正時代の鉄道院の言ってた、改軌の工法って)
――鉄道院は“10年で6000万円もあればできる”と言っていたが、大規模なレールの敷き直しが必要な作業、そんな額で出来るはずがない!
さっき、原さんにプレゼンをしてもらったとき、彼はこう強調していた。なぜ鉄道院が軌間の幅を広げるのを「10年で6000万円でできる」と言ったのか、その根拠を説明していなかったのだ。だから、違和感を覚えて、ある可能性に気が付いた。
原さんは、私から「軌間は、狭軌のままにするべきだ」という言葉を引き出し、それを利用して、“史実”と同じように、大隈さんの改軌論を潰そうとしているのではないか、と。
「なるほど、確かに、レールをもう1本敷くだけならば、運休は最小限、いや、なくてもできるじゃろう。これです、増宮さま!全く、何と御聡明であらせられることか!これなら、一気呵成に改軌工事を……」
「待って、大隈さん!」
興奮し始めた大隈さんを、私は慌てて止めた。「……さっき、大隈さんは、改軌には数ヵ月掛かると言いましたよね?」
「はい、さようでございます。しかし、増宮さまの案ならば、更に工期が短縮出来るかと……」
「違います。改軌が本当に終わるには、2、30年掛かります」
「は?!」
「何を仰せられる!」
原さんも、大隈さんも叫んだ。大山さんは何も言わないけど……多分、これは、私の言いたいことが、分かっているのだろう。
「あのね……まず、官営鉄道に乗り入れようとしている、私鉄会社のことを考えてないわ。狭軌だった私鉄が広軌に対応するのは、結構時間が掛かるわ。官営鉄道は、国家予算がすぐに付くけど、私鉄は資金を自前で調達しないといけない。会社によっては、その資金をいきなりは出せないでしょう?」
大隈さんの顔が、強張った。
「あと、官営鉄道も私鉄もだけど、今ある機関車や客車、改造するか買い換えないといけません。でも、一度に改造や買い換えをしたら、莫大な費用が掛かります。具体的にどのくらいのお金がかかるかはわからないけれど、官営鉄道の車両を一気に全部交換なんて、松方さんが、了承してくれないと思います。だけどね……」
私は一度言葉を切って、麦湯を一口飲んだ。
「車両は、寿命が来れば、新しいものに入れ替えないといけません。寿命がどのくらいかは、具体的にはわからないけれど、流石に、今走っている車両は、私が生きていた時代には走ってなかったから……3、40年くらいなのかな?今使っている、狭軌の車両の寿命が近付いたら、その時に、広軌に対応した車両に入れ替えるの。少しずつね。そうしたら、官営鉄道も私鉄も、財政的な痛手は、最小限で済む」
「つまり……減価償却期間を超えて今の車両を使用して、その後、車両更新時に、広軌対応の車両にする、ということですか……」
原さんが、息を飲んだ。
「えっと……減価償却って、前世の母親が、確定申告をする時に言ってた奴かな?意味は良く分からなかったけれど……とにかく、私が思い付いた方法としては、まず、20年から30年後を区切りにして、官営鉄道も、官営鉄道に乗り入れる私鉄も広軌にすることに法律で決めます。そして、全国的に、レールを徐々に3本にしていきます。それと並行して、車両を、寿命の近づいたものから、広軌対応の車両に少しずつ入れ替える。区切りがきたら、真ん中のレールを取り払って、広軌だけにするの。そうすれば官営鉄道も私鉄も、混乱は最小限で済むんじゃないかな」
「しかし、鉄道敷設法に書いていない、地方の線路建設はどうします!」
原さんが叫んだ。
「それは、狭軌でも広軌でも、どちらでもいいと思う。ただし、作る目的をよく考えて、という条件で」
私は静かに答えた。
「人の輸送だけ考えれば、相互乗り入れは、最悪、考えなくてもいいと思います。けれど、貨物の輸送では、相互乗り入れする方が、荷物の積み替えをしなくていいから便利ですよね。鉄道敷設法に書いていない地方の線路、特に短い線路って、作る目的が、人の輸送のためだったり、貨物の輸送のためだったり、いろいろあると思うから、それに応じて、レールの幅を決めたらいいんじゃないですか?……あ!もしかしたら、これ、使えるかな?」
「ん?」
「幹線ではいらなくなったけど、まだ使える狭軌の車両や設備は、狭軌で敷設した地方鉄道に、安値で譲るの。そうしたら、地方鉄道の初期投資は減るから、狭軌でもいい路線なら、建設しやすくなるんじゃないかな?」
「な、なんと……」
原さんは、大きなため息をついて、うなだれた。
「負けました。増宮殿下、あなたの勝ちだ」
「はあ……そうですか」
残念そうにつぶやく原さんに、私は軽く頷いて、大隈さんを見やった。滅茶苦茶嬉しそうだけれど、彼には一言、言っておかなければならない。
「あの、大隈さん、言っておくけど、新幹線を今の線路の上で走らせるのは、無理ですからね」
「!」
大隈さんが目を見張る。それに構わず、私は言葉を続けた。
「あれ、私の時代だと、時速300キロ出る代物ですよ?線路も可能な限りカーブを少なくしないといけないでしょうし、路盤や橋脚も、今のものよりもっと頑丈にしないとダメですよ。新幹線の建設は、技術がもっと進んでから。あ、でもその前に、横浜駅のスイッチバックはなくさないと……」
すると、
「なるほど、……負けたのは、我輩もじゃな」
大隈さんがため息をついた。
「大隈さん……新幹線をいきなり作るつもりだったんじゃないでしょうね?」
「いやー、参りましたな、実は、陛下のご要望でもあったのですが……」
大隈さんが、頭をかいた。
「“史実”で新幹線が完成したのは、1964年。今から72年後よ。私だって、生きてるか怪しいわ。ルートを選ぶぐらいはいいでしょうけど、機械の技術発展速度が、“史実”と同じ発展速度になると仮定すると、今から新幹線を作るのは、無茶としか言えないわ。“申し訳ありませんが、時期尚早です”と陛下に伝えてください」
「仕方がありません……ならば、我が東京専門学校に工学部を設置して、重点的に研究させましょう!せめて、我輩が生きているうちに、基礎技術だけは完成させなければ!そして、可能ならば、新幹線の完成を見届けます。我輩は、125まで生きるつもりですからな!」
「……本当、大隈さんって負けず嫌いですね」
私は苦笑した。
「お見事でした」
大隈さんと原さんが帰った後、大山さんが私に言った。
「へ?」
「大隈どのと、原どのの、議論の裁定ですよ」
「あれ、裁定って言うのかな?」
私は首を傾げながら、大山さんに答えた。「私、経験に基づいて喋っただけよ。未来の平民だった私としては、安全で、スピードが速い列車に乗りたい。それで、贅沢を言わせてもらえるなら、通勤通学の時間帯でも、座席にいつも座れるといいなあ、って思っていた。言わなかったけど、広軌になったら、車両が大きくできるから、通勤通学電車の混雑も、将来少し緩和できるし、あと、寝台車が作りやすくなるかなって。京都まで行った時、寝台車が無かったから、結構疲れたわ」
「なるほど」
大山さんは静かに頷く。「……車両の、地方鉄道への譲渡は、なぜ思い付かれましたか?」
「前世で、福井の城跡を巡って、ついでに永平寺にお参りした時に、小さいころに愛知で乗った電車と似ている電車に乗ってね。変だと思って調べたら、地元で引退した後で、福井の鉄道会社に譲渡されたことが分かったの。そのことを思い出したから……」
すると、大山さんが、私に頭を下げた。
「ちょっと、どうしたの、大山さん?」
「やはり、梨花さまのとっさの機転や思い付きは……余人に真似ができるものではありません」
「うにゃ?!」
変な声が出た。
「で、でも、論理にきっと、穴があるわよ?私、鉄道は素人だから」
「確かに……三線軌条は、線路の保線に少し手間が掛かるでしょうね」
「三線軌条……レールを3本敷く、って意味の専門用語?大山さん、この時代でも、やってるところがあるの?」
「先ほど話に出た、イギリスの地下鉄道、それが開業当初から採用していたはずです。それと、梨花さまのおっしゃった方法でも、トンネルの改造も必要でしょうし、枕木を交換しなければならない箇所も出てくるのではないでしょうか」
「あー……保線って、メンテナンスってことよね。全然、考えてなかった。あと、トンネルや枕木のことも。やっぱり、論理に穴があったか。素人の浅知恵では、ダメね」
私は肩を落とした。
「仕方がありません。人である以上、梨花さまも俺も、完璧ではないのです」
「でも、大山さんがいなかったら、もっと粗が目立つ議論になっていた」
「梨花さま?」
大山さんが少し首を傾げる。それに構わず、私は口を開いた。
「今回の件が上手くいったのは、大山さんが、私の話を聞いてくれたから。貨幣の価値の変化についても指摘してくれた。それで、原さんが、私の言葉を利用して、大隈さんの改軌論を潰そうとしていると確信したの。それに……大山さんが励ましてくれたから、私はきちんと、原さんに自分の意見を言えた」
私は微笑を顔に浮かべた。「本当はね、全部自分でできるようにならなきゃいけない。冷静に、多角的に考えることも、自分を励ますことも。まだまだ、私は未熟だよ……」
「梨花さま」
大山さんが私を呼んだ。
「全てを梨花さまが背負う必要はないのですよ。分担する方が、上手く行くこともあります。時と場合によって、人を頼ることも、覚えておかれる方がよろしいかと思います」
「大山さん……」
大山さんは、私の目をじっと見つめた。
将来、すべてを自分の手でやり遂げて、背負わないといけないだろう。頭にひょいと浮かんで、一瞬私を支配したその考えも、やはり彼の目は……この優しくて、暖かい目は、瞬時に見通してしまうらしい。
(本当に、敵わないや……)
「ありがとう、大山さん。私の側にいてくれて」
私は立ち上がって、大山さんに頭を下げた。
「それは……梨花さまに、お誓い申し上げたことですから」
大山さんが微笑んだ。
※大正時代に、改軌が検討されたとき、本州全体の改軌に必要な費用は「10年間で6000万円」と見込まれたとか。(ウィキによる)ただ、私鉄買収がなされた後の数値なので、作中の時点では“官営鉄道だけに限って言えば”それよりは安く上がるはず。ただ、貨幣価値や技術レベルも考えなければいけませんが……作者も鉄道に関しては素人ですので、ご容赦を。
※そして、新幹線に関しては、戦前の弾丸列車計画が中断せずに実現していた可能性も考えければなりません。でも、流石にこれは、研修医が知っている事項ではないだろう、と思って却下しました。
※「秋田の三線軌条」は、秋田新幹線・奥羽本線の神宮寺駅―峰吉川駅。「愛知から福井に譲渡された電車」……一応、愛知環状鉄道100系(2005年11月運行終了)→えちぜん鉄道MC6001形のつもりです。理由付けがちょっと無理やりだったかもしれません。日本の中古車両は輸出されることもあり、それを理由にしようとも思いましたが、流石にそれは一般人が知っている事項ではないと思い、これも却下しました。
あと、三線軌条という言葉がこの時代あったかどうかについては、確認が取れませんでした。申し訳ありません。




