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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第76章 1923(大正8)年冬至~1924(大正9)年処暑
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新侍従武官長(1)

 1924(大正9)年3月1日土曜日午後1時25分、皇居・表御殿の御車寄前。

「よし、避難は全員完了したな」

 御車寄前には、各職場から集まった宮内省の職員たちが勢揃いしていた。

「はい、陛下。では、放水訓練に移ります」

 兄の言葉に宮内大臣の牧野さんは頷くと、職員一同に向かって「放水訓練、始め!」と大きな声で号令を掛ける。曇り空の下、天にも届けとばかりに、ポンプから放たれた水がいくつも柱を作った。

 今日は、“防災の日”である。今まで、関東大震災に備え、防災の日は9月1日に設定されていたのだけれど、もう9月1日にしておく必要はなくなった。それに、

――9月1日は、関東大震災の死者を弔う日にしたい。

と兄が言ったのだ。そこで今年から、防災の日は9月1日の半年後、3月1日に変更された。

「今日は冷えますなぁ」

 放水を眺めていると、私のそばに立っている大山さんが言った。

「そうね、午前中は雪が降ってたもん」

 私は羽織った外套の前をしっかり合わせた。早朝から降り始めた雨は午前9時頃に雪に変わって、1時間ほど前に止んだ。雪はうっすら積もっている程度だけれど、太陽が雲に覆い隠されているので気温は上がらない。

「大山さん、外套は脱いじゃダメよ。身体が冷えちゃうから」

 私が大山さんに注意すると、

「梨花さま、それは陛下にも申し上げる方がよろしいのではないのですか?」

大山さんは兄の方をそっと指し示す。私が兄の方を振り返ると、

節子(さだこ)、俺は寒くない。だから外套は脱ぐ」

「ダメですよ。風邪を引いたらどうするのですか」

口を尖らせる兄の両腕を、節子さまが必死に押さえつけているのが見えた。

「節子さま、そのまま押さえてて。兄上が風邪を引いたら一大事だから」

 私が節子さまにお願いすると、兄はばつの悪そうな顔をする。一方、節子さまは「ほら」と言いながら、兄の腕を押さえる手に力を込めた。

 やがて、放水訓練が終わり、一連の防災訓練のプログラムは全て終了となる。

「皆、勤務時間外にご苦労だった。しるこを用意してあるから、食べたい者は食べて帰れ」

 兄の言葉に、皆が一斉に頭を下げる。その顔はどれも喜びに輝いていた。私も澄ました顔で一礼したけれど、心の中ではニンマリしていた。

「寒い時におしるこは最高ねぇ……」

 内大臣室に戻った私は、大山さんと一緒におしるこを堪能していた。これは、兄一家の食事の調理を担当する大膳(だいぜん)寮の職員さんたちの特製だ。

「ええ。こんなものがいただけるのでしたら、防災訓練も悪くないですな」

 大山さんも箸を動かしながら、顔をほころばせる。食べ過ぎはもちろんよくないけれど、適度な量の甘いものは、心を解してくれるのだ。

「非番の人たちに申し訳ないわねぇ」

「そうですな。今日は東條くんと、それから島村さんが非番でしたか。島村さんは大丈夫でしょうが、東條くんは、訓練の最後におしるこが出たと知ったら不機嫌になるかもしれませんな」

「まぁ、その時は、千夏さん経由でお饅頭でもあげるよ。そうすれば丸く収まるでしょ」

 私は大山さんと他愛ないお喋りをしていたけれど、ふと思いついて、

「そう言えば、大山さん」

と声を掛けた。

「なんでしょうか」

「確か、来年にも、北但馬(たじま)地震が起こるし、3年後には北丹後地震が起こるのよね。そっちの対策はどうするか、結論は出ているのかしら?」

 来年、1925年の5月23日には、兵庫県で北但馬地震という大地震が発生する。更に3年後、1927年の3月7日には、北丹後地震が発生し、”史実”では京都府・兵庫県を中心に大きな被害を出したそうだ。私がそのことを尋ねると、

「先日、桂さんと少し話したのですが、当日、その地域で国軍の演習をすることにして、被害を防いでいくしかなかろう、ということでその場は落ち着きました。恐らく、そこから対策が大きく変わることはないでしょう」

大山さんは私に答えた。

「まぁ、それが妥当な線だよね。関東大震災から何年も経たずに発生した大地震の日に、防災訓練をやっていました、なんて世界に知られたら、流石に怪しむ人が出てきそうだもん」

「はい。それで“史実”のことが明るみに出てしまったら大変なことになります」

「そうね。それで中央情報院の仕事を増やしたくないわ」

 私はこう言うと、おしるこの最後の一口を味わった。

「……ふう、美味しかった。これなら今晩、少しは頑張れそうかな」

「頑張る、とおっしゃいますと、有栖川宮(ありすがわのみや)殿下の課題でございますか」

「そうよ。お義父(とう)さま、課題の量を全然減らしてくれないんだもん。やんなっちゃうわ」

「そうですか。では、来週の梨花会で、梨花さまが課題を増やして欲しいとおっしゃっていたと、有栖川宮殿下に申し上げましょう」

「何でそう、私を苦しめることを言うかな?」

 私が睨みつけると、大山さんはクスクスと笑う。睨もうが怒鳴ろうが、大山さんの態度は変わらないと悟った私は、大きなため息をついた。

「……さて、そろそろ川野さんが来る頃だから、私は帰るね。大山さん、お椀の片付け、お願いしてもいいかな」

 私がそう言いながら立ち上がった時、内大臣室のドアが外から激しく叩かれた。大山さんと頷き合ってから「どうぞ」と声を掛けると、侍従武官の制服を着た男性が入って来る。兄のご学友の1人でもある、侍従武官の徳川義恕(よしくみ)さんである。

「ああ、義恕さん、どうしたんですか?」

 私の知り合いには、“徳川”という名字の人が何人もいるから、私は彼を下の名前で呼んでいる。私に名を呼ばれると、義恕さんは「大変です、内府殿下」と青ざめた顔で言った。

「武官長閣下が……島村武官長閣下が亡くなったという連絡が、たった今、ご自宅から……」

 思いがけない義恕さんの言葉に、私は思わず目を丸くした。


 1924(大正9)年3月8日土曜日午後2時5分、皇居・表御殿にある牡丹の間。

「思いがけないことでしたな……」

 月に1度の梨花会が始まると、司会役の桂さんが悲しげな顔をして言った。彼が言っているのは、もちろん、先週の土曜日に急逝した侍従武官長の島村速雄(はやお)さんのことである。

「ああ、本当にな」

 兄がしみじみとした口調で桂さんに応じた。「最後に会ったのは2月29日だが、その時は特に体調が変わった様子もなさそうだった。亡くなった先週の土曜日は非番だったから、また今週の月曜日に、いつもと同じように会えるのだろうと思っていたのだが……」

「本当に怖いわね、この時代の脳卒中は……」

 私は両肩を落とした。「検査機器も薬剤も発展していないから、根本的な治療が難しい。だから、やられた脳の範囲が大きければ大きいほど、死に直結しやすい……もっとも、私の時代だって、発見が遅ければ致命的なのだけれど」

 と、

「皆さまの、島村武官長を悼むお気持ちはよく分かりますが」

宮内大臣の牧野さんが一同に向かって言った。「直ちに、後任の侍従武官長を決めなければなりません。侍従武官長は陛下のおそばに侍る重要な職、いつまでも空席という訳には参りませんから」

「その通りだが、牧野大臣」

 兄が2、3度首を横に振った。「誰か適任の者はいるか?師匠を、とも思ったが、師匠には裕仁(ひろひと)を任せている。それを引き離すのはどうかと思ってな……」

 兄が“師匠”と呼んだのは、東宮武官長の(たちばな)周太(しゅうた)歩兵少将だ。兄と私の剣道の師でもあり、長年兄に仕えていた彼は、迪宮(みちのみや)さまが皇太子となってから、東宮武官長として、時に厳しく、時に優しく、迪宮さまを導いてきた。

「そうね。そうなると、誰がいいのかしら?兄上のご学友さんたちだと、まだちょっと貫禄が足りないし……」

 私が兄に応じて発言すると、

「ならば、国軍から人を求める他ありますまい」

枢密顧問官の伊藤さんが至極もっともな提案をした。

「ふむ……では山本大臣、誰か適任者はいるか?何人か候補を挙げてもらえるとありがたい」

 兄の質問に、国軍大臣の山本権兵衛さんは一礼すると、

「奥閣下と釣り合う者、と考えてしまうと、なかなか人がいなくなってしまいますが……」

と前置きしてから、

「旧陸軍系からと考えると、歩兵少将の渡辺錠太郎(じょうたろう)ですが、彼は今、ジュネーブにおります」

と、侍従武官長候補について説明を始めた。

「あとは、海兵中将の岡田啓介(けいすけ)と鈴木貫太郎でしょうか」

(すごい名前の羅列ねぇ……)

 私は山本さんの説明に圧倒されていた。岡田啓介さんも鈴木貫太郎さんも、“史実”の二・二六事件で襲撃されている。それに、渡辺錠太郎さんも、二・二六事件で殺害されたはずだ。

 すると、

「ふふふ……鈴木君ですか」

枢密顧問官の陸奥さんの両眼がギラリと光った。

「よい機会ではないですか。この際、僕たちから逃げ回るのは観念してもらって、じっくり料理してやりましょう」

「それはいいですなぁ、陸奥さん。(おい)たちがじっくり問い詰めて、人物を見極めてやるのも一興じゃのう」

 陸奥さん、次いで西郷さんから、不穏な言葉が発せられる。末席にいる大蔵次官の浜口雄幸(おさち)さんと外務次官の幣原(しではら)喜重郎(きじゅうろう)さんの身体が、ほんの少し震えた気がした。

「陸奥どの、西郷さん、少し、喋り過ぎではないですかな」

 厳しい視線を投げる山縣さんに、

「まぁまぁ、小童どももおらんし、ここで陛下と皇太子殿下と内府殿下に明かしておいてもよいのではないか、狂介(きょうすけ)?」

伊藤さんがなだめるように言う。「むむ……俊輔(しゅんすけ)がそう言うなら」と言って矛を収めた山縣さんに、

「山縣顧問官……いや、山縣顧問官たちと言うべきだろうな。俺たちのあずかり知らぬところで、一体どんな悪戯をしていた?」

兄が硬い視線を投げながら尋ねた。

「実は、ここ数年で梨花会に入った者たちには、我々が課した試験を受けてもらっていたのです」

 兄の質問に答えたのは、山縣さんではなく、枢密院議長の黒田さんだった。「堀と山下は、権兵衛や伊藤さん、そして有栖川宮殿下が人物を見極めましたが、実は他にも何人か、それと知らせぬまま、我々による試験を受けてもらっています。くぐり抜けられたのは浜口と幣原、それから今ジュネーブにいる吉田茂だけでしたが」

 そう言えば、外遊した時、幣原さんがそんなことを教えてくれた。ただ、“詳しく明かすことはできない”とも彼は言っていたから、私は黙って黒田さんの話を聞くことにした。もし、私がその試験のことを知っていると言ってしまったら、幣原さんがひどい目に遭ってしまう。

「しかし、我々が仕掛けたその試験をことごとく無視している人間がただ1人いる。それが鈴木貫太郎君です。院の者に依頼して仕掛けた課題はともかく、僕自らが吹っ掛けた課題からも上手く逃げるとは、一体どういうことですかね」

(それ、逆にすごい人なんじゃないかな?)

 珍しく余裕のない表情で喋る陸奥さんを見ながら私は思った。それは兄も同じのようで、

「それは、鈴木中将に十分な実力があるということではないのか?何度その“課題”とやらを仕掛けたかは知らないが、全ての課題がかわされているのだとしたら、こちらの意図が全て読まれているということではないか?」

兄は一同にこう確認した。

「だとすれば、なぜ鈴木は我々を避けるようなことをするのですか、陛下?」

 私の義父・有栖川宮威仁(たけひと)親王殿下がムスッとしながら質問すると、「それは分からないが」と兄は考え込んでしまう。それを見て、

「いや、“放っておいてくれ”ということじゃないんですか?」

私は梨花会の面々に向かって言った。「私も、この会合に参加させられたばかりの頃はそう思っていましたし……」

「それでは困るのですよ」

 伊藤さんがすかさず私に反撃した。「わしらは国のために働く有能な人材を、1人でも多く欲しております。鈴木が国にとって役立つ男ならば、“放っておいてくれ”という戯れ言は言わせず、一刻も早くこの梨花会に迎えたいのです」

「伊藤殿の言う通り。鈴木貫太郎……首に縄をつけてでも、僕たちの仲間に引き込みますよ」

 よからぬオーラを身体から立ち上らせる陸奥さんに、

「落ち着いてください」

と声を掛けた人がいる。参謀本部長の斎藤(まこと)さんだ。

「“史実”で内大臣だった時、侍従長だった鈴木と一緒に仕事をしましたが、その時鈴木が、“自分は武骨一辺だが、図らずも現在、この職を務めている”と言った記憶があります。恐らく、そのような思いから、我々と関わるのを良しと思っていないのではないでしょうか」

「ふむ……。しかしそれは、自分の中にある才能に気づいていないということにもなりますね」

 前総理大臣の西園寺さんが顎を撫でながら言う。「ならば僕たちで、鈴木の(もう)(ひら)いてやらなければなりますまい」

「西園寺閣下、それは止める方が良いのではないでしょうか。鈴木がますます頑なになる可能性もありますし……」

「いや、ここは何としても、鈴木を武官長にしてしまうのです。そして、人物と才能を、今度こそ見極めてやるのです!」

 斎藤さんは止めたけれど、西園寺さんは拳を固めて力説する。梨花会の古参の面々は、西園寺さんの言葉に強く頷いている。……こうして、新しい侍従武官長は、現在の第1艦隊司令長官・鈴木貫太郎さんにお願いすることが決まった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 伊藤さんの言葉が切実すぎますね。史実の大日本帝国は、元老並みに有能な人材の数を揃えられらなかったことが原因で行き詰まりましたから……
[一言] 誰かさんの名前は華麗にスルーして… 鬼貫さんが宮中に関わるのを避けてるのは、軍人は政治に関わるべきで無いという信念と、彼の後妻、たかさんの事があるのかも。史実では昭和天皇は養育してくれた、た…
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