遠乗り
1924(大正9)年2月16日土曜日午後1時40分、東京市赤坂区表町3丁目。
「それでさぁ、お義父さまに、“終わらせるのに深夜までかかって、身体が休まらなくなってしまうので、書道と和歌の課題を減らしてください”って頼んだら、お義父さま、何て言ったと思う?」
赤坂御用地にほど近いこの町には、私の母・花松権典侍が住んでいる家がある。侍女の部屋なども合わせると6、7部屋と、昔住んでいた青山御殿に比べれば小さな家だけれど、母はこの家が気に入っているようで、鉢植えの花の世話をしたり、侍女とお喋りを楽しんだり、たまには市電を使って銀座や浅草に出かけたりと、悠々自適の生活を送っている。そんな母の家に、私は数か月に1度顔を出し、様々な愚痴を聞いてもらっていた。
「さぁ……何となく、想像はつきますけれど、わたくしが間違っているといけませんから、有栖川宮さまが何とおっしゃったのか教えてくださいな、章子さん」
母は来年で70歳になる。昔より髪は白くなったけれど、足腰は達者で頭もしっかりしている。そんな母は私の言葉に楽しそうに応じると、私に話の続きを促した。
「そうしたら、お義父さま、“課題の量を減らすわけがないではないですか”ってしれっと言ったの。“震災の前は一緒に住んでおりませんでしたから、どうしても嫁御寮どのに逃げられてしまい、思うように課題を出すことができませんでした。しかし今なら、嫁御寮どのに逃げ場はありませんからね。我が有栖川宮家の嫁としての務め、果たしてもらいますよ”って……」
私は義父の言葉を一気に口にすると、
「だから私、毎日筆を握っているわ。あーあ、筆を使うのは苦手なのに……」
と言って、大きなため息をついた。
「それに、和歌や書道のことだと、なかなか愚痴が吐けないのよ。栽仁殿下も兄上も、“努力あるのみ”って言うだけだし、お母様に話しても、結局頑張るしかないってことを諭されて終わってしまって……」
「ほほほ……だからわたくしの所に話にいらしたの?」
笑って私に尋ねる母に、
「そうよ。だって、他に甘えられるのは母上しかいないもの」
私がこう断言すると、母はまた「ほほほ……」と笑い声を上げた。
「でも、嫌々ながら練習なさった書道も、章子さんのお役に立っているのではないですか?聞きましたよ、土地区画整理事業のこと」
「た、確かにそうかもしれないけれど……」
母の言葉に私は顔を歪めた。余り思い出したくないことを思い出してしまったのだ。
現在、東京では、本所区や浅草区など、関東大震災が発生した直後に起こった火災で燃えてしまった地域を中心に、土地の区画整理が行われようとしている。ところが、事業計画が発表されるやいなや、区画整理の対象となる地域に土地を所有する人々から反対の声が多く上がった。震災前も、市電が延伸した時などに市電通りの拡幅などで区画整理は行われていたけれど、これだけ大規模な区画整理は東京では初めてのことだ。それで戸惑った人々が大勢出てしまったのだろう。
――このままでは地主たちが事業に協力せず、東京はいつまでたっても火災に弱いままになってしまいます。何かよい手立てがあれば……。
御学問所に報告にやってきた内務大臣の後藤さんが、渋い顔をして兄に言ったのは先月のことだ。そこで、
――協力してくれた地主さんの中から、抽選で何人かに景品をプレゼントする……なんてのはダメですよねぇ。
冗談のつもりで私がこんなことを言ってみたら、
――それです!
と後藤さんが手を打って叫んでしまった。その結果、“区画整理に協力した者の中から、抽選で5人に、内府殿下御直筆の色紙を差し上げる”という策が実行されてしまったのだ。
「わたくしだって欲しくなりますわ、章子さんがお書きになった色紙なら。地主の方々が全員区画整理事業に応じたのも当然ですね」
そう言って微笑む母に、
「こっちは迷惑なのよ。色紙を書かないといけないから……」
私は答えるとまたため息をついた。
「しかも、兄上が、“俺がちゃんと書けるか見ていてやろう”なんて言い出したから、私、御学問所で色紙を書かないといけなくなって……。それで仕方なく色紙を書いていたら、伊藤さんや山縣さんが、私が色紙を書いているのを覗いていたのよ!やっと書き上げたと思ったら、今度は伊東巳代治さんがやって来て、“実は私も、銀座に土地を持っているのです。もちろん、区画整理事業には協力致しますから、その代わりに内府殿下のお書きになった色紙をいただけないでしょうか”って言い始めて……」
「それは大変ねぇ」
「銀座なんて、区画整理の計画がまだ立ってないのよ!だから、巳代治さんが持っている土地が区画整理の対象になるかどうかも全然分からないのに!」
私が叫ぶと母は「ほほほ……」とまた笑う。そして、
「皆さん、章子さんのことがお好きなのねぇ」
と楽しそうに言った。
「いいことではないですか、章子さん」
「そりゃ、嫌われるのよりはいいけどさ……気が滅入っちゃうわ」
私が唇を尖らせると、
「では、どこか、別の所にお出かけになったらどうですか?」
母は私にこんな提案をする。
「母上の家じゃなきゃ嫌よ。母上……まさか、私を迎えるのは恐れ多いって言いたいの?」
私が母を軽く睨むと、「そういうことではなくてね」と母は少し困ったように言った。
「気分を変えるために、どこかにお出かけになったらいかがかしら、ということですよ。この家までは、自動車でいらしたのでしょう?なら、ここからの帰り、運転手さんに頼んで遠乗りをしてもよろしいのではないですか?」
「そうねぇ……」
確かに母の言う通りかもしれない、と私は思った。関東大震災が発生してから、外に出るのは通勤の時だけだった。4日前の12日に、お母様が避寒のために沼津に行ったので、ようやく自分の楽しみのための外出をしてもいいという空気が皇族たちの中に生まれたけれど、それまでは、皇族の会食や遊興を極力控えるよう宮内省からお達しが出ていたので、皇族たちは、基本、自宅に籠っていたのだ。だから私も、東京近郊にある城址を巡るのは控えていた。……今日は自分のために、母の所に行ったのだ。ついでだから、他の所に寄っても悪くはないだろう。
「……じゃあ、帰りはそうしてみようかな」
少し考えてから私が母に答えると、
「それがよろしいですよ、では、早速」
母はニッコリ笑って廊下に面した障子を指し示す。
「もー……母上、遠慮しなくていいのに。まぁ、私も話したいことは話せたからいいけどさ」
母は、私の嫡母であるお母様に遠慮しているようで、私がこうして母を訪ねても、すぐに「お帰りを」と勧めてくる。私にとっては、母もお母様も、どちらも大事な母親なのだけれど、母の意識の中ではそうではないようだ。この辺りの感覚には、私は未だに慣れることができない。
「じゃあ、お暇するけれど……母上、たまには盛岡町に遊びに来てよ。うちの子供たちもだけれど、千夏さんも母上に会いたがっていたから」
別れのあいさつの代わりに誘いの言葉を投げてみると、母は困ったように首を傾げて、「どうしようかしら。考えておきますね」と私に応じる。あと2、3回はこうして会って誘わないと、母は重い腰を上げてくれないだろうな、と私は思った。
母の家を出ると、私は運転手の川野さんと護衛の職員さんと相談し、遠回りをしながら盛岡町の家に戻ることにした。あいにくと、全員、どこに行こうというあてが無かったので、とりあえず、千駄ヶ谷や渋谷の方に車を走らせてみることになった。
赤坂御用地の南側を通る市電通りに出ると、川野さんは西へ車を走らせる。千駄ヶ谷町から渋谷町に入り、両側の窓から見える景色をぼんやり眺めていると、整地された広い土地が見えた。“自動車学校建設予定地”と書かれた看板も立てられている。
「へぇ、ここ、自動車学校ができるのね」
私が運転席の川野さんと護衛の職員さんに話しかけると、
「それはいい商売になるでしょうね」
ハンドルを握った川野さんが言った。
「ここ最近、東京市内を走る自動車の数は増えています。ですから、自動車の運転手の需要はとても高いですよ」
「へぇ……」
私は自動車学校の敷地をもう一度窓から見た。看板の周囲には、背広服や羽織袴の男性が数名立っていて、何かを話し合っているようだ。その中の1人の顔を見て、私は「あ」と声を上げた。「いかがなさいましたか?」と問う川野さんに、「車、止めて!」と私はお願いする。護衛の職員と一緒に自動車から降り、自動車学校の敷地まで小走りで戻ると、
「児玉さん!」
私は大声で前航空本部長を呼んだ。
「内府殿下!」
図面らしきものを覗き込んでいた児玉さんがパッと顔を上げ、こちらに向かって走って来る。児玉さんは昨年、脳卒中を起こしていて、右手が殆ど使えなくなっている。「児玉さん、無理しないで!」と私は慌てて叫んだ。
「まさか、このようなところでお目にかかるとは!一体、いかがなさったのですか?!」
児玉さんは私のそばまで駆けてくると、興奮した口調で尋ねた。
「あー、ちょっと自動車で遠乗りをと思って……それで、たまたまここを通りかかったんです」
走ってきた児玉さんが転ばなかったのにホッとしながら私は答えた。
「児玉さんこそ、どうしてここにいるのですか?」
私の質問に、児玉さんはニヤッと笑うと、
「実は、この土地で自動車学校を設立しようと思いましてな。今、建設の打ち合わせをしていたところでございます」
嬉しそうな声で私に言った。
「ああ……」
そう言えば、去年、児玉さんが脳卒中の療養を終えて梨花会に復帰した時、私の時代での自動車運転免許取得についての話を聞かせて欲しいと彼からリクエストされ、話をしたことがあった。一応、前世で大学生だった時に自動車の運転免許は取っていたので、その時のことを主に話したのだけれど……。
と、
「これから、自動車の需要は爆発的に増えていくでしょう。それこそ、内府殿下の時代のように」
私に身体を近づけ、児玉さんが囁いた。
「それは震災後の状況を見ても明らか……道路が整備され、自動車の価格がもう少し安くなれば、我が国には自動車の時代がやって参ります。震災の時、翁島で有栖川宮殿下とも色々お話させていただき、その思いを新たにしました」
「だから、自動車学校を作ろうと……」
「そういうことでございますよ」
児玉さんは小さな声で笑った。「ですからこの土地を買いました。本当は、東京市内に作りたかったのですが」
「東京市内は無理でしょう……」
今、東京市内では、建物がどんどん増えている。それどころか、東京市に隣接する町や村でも開発が進み、畑や林が住宅地に変わっているのだ。渋谷町でこれほどの広さの土地が確保できたのは奇跡に近い。
「道路に近い側には、運転を練習できるコースを作ります。基本的な運転技能を身につけられるように」
児玉さんは、今度は少し大きな声で話し始めた。「そしてもちろん、学科を教える校舎も建てます。ここで学んで、自動車の運転の練習をすれば、警察の運転免許試験にも合格できるという訳です」
「なるほど」
「もちろん、もう1つの役割についても忘れてはおりませんぞ」
頷いた私に、児玉さんは再び囁きかける。「ここの職員の大半は中央情報院の手の者になります。これから起こるであろう復興絡みの不正の取り締まりにも活躍してくれることでしょう」
「みんなが真面目に復興に取り組んで、活躍の機会に恵まれないことを切に願いますけれど……」
私の苦笑混じりの言葉に、「それは私も願うところではありますが」と児玉さんは注釈を入れ、
「もちろん、外国にも派遣されましょう。外国の自動車学校を視察に行くとでも言っておけば、立派な大義名分になります」
と言って、ニンマリ笑った。
「例え病のために国軍を退いたとしても、私の頭はまだ衰えてはいません。残された我が命、日本の発展と安寧のため、最後まで燃やし尽くす所存でございます」
私に向き直ると、児玉さんは明るい笑顔を崩さぬまま、私に言い切った。私は児玉さんに深々と頭を下げた。




